第9話
「それでさぁ、うちのお母さんがぁ~」
楽し気に話すクラスメイトの声を、どこか上の空で聞きながら、私は学校での出来事を思い出していた。
(……今日は、久しぶりにたっくんと話せたな)
話せた、といっても本当に少しだけ。会話というほどのものではなかった。
それでも、たまにすれ違っても何も話さないより全然いい。
(それに、たっくんも、こっち見てたよね)
私も彼のことを見ていたからわかる。何度か目も合った。ほんの一瞬ではあったけれど。
そのことを思い出して、少し自嘲するような悲し気な微笑みを浮かべていると、気が付いたのかクラスメイトの1人が声をかけてきた。
「どうかしたの、桜井さん?」
「え? う、ううん、何でもないよ」
危ない、ちょっと浮かれてた。私が気を付けようと気を引き締めていると、クラスメイトの1人がそういえばと、思い出したように尋ねてきた。
「桜井さんって、逢沢くんとどういう関係なの?」
「えっ?」
「いや、〝たっくん〟って、結構親し気に呼んでたから」
「……うん、幼馴染なんだ」
向こうは、もうそう思ってはくれてないだろうけど。
「へぇ……何かいいね、そういう関係」
「あ、あははは……」
愛想笑いしかできない。正直、居心地が悪くて帰りたかった。
親睦会ということで、クラスの数人とこうして繫華街に来ているのだけど、私は最初から、あまり乗り気ではなかった。気持ちが沈んでいたというのもある。
けれど、クラスメイトに誘われて断り切れず、結局2次会まで流されるまま付いて来てしまった。時刻はすでに22時に近い。
自分のこの流されやすい性格は本当に嫌いだ。この性格が災いして、私は大切な彼を傷つけてしまったのだから。
(……ううん。違うな。性格のせいじゃない)
私があの時、彼のことをもっと強く想っていれば。たとえこんな性格であっても、今も彼の隣にいられただろう。
* * * * *
あれは、中学2年生の頃。もう少しで秋に入りそうという季節だった。
その日も私は、彼と一緒に並んで登校していた。
「ねぇたっくん、最近何かあった?」
「ん? 何かって?」
「えっと、なんか考え事してるような感じだったから」
そう。最近彼は、よく何か考え事があるのか、たまに上の空になる時がある。
最初は家族のことだと思った。彼が家族の人達と上手くいっていないのは聞いていたから。でもそれは、大分前からだったから多分違うだろう。
「そうだな……クラスに、垣谷って奴いるだろ?」
「え? あ、う、うん」
垣谷くん。まさかその名前が出るとは思わなかった。
知っているも何も、垣谷くんは以前から私に何度も交際を迫ってきている男子生徒の子だ。その度に断っているのだが、その垣谷くんがどうしたのだろう?
「そいつがな……何て言えばいいのか。『桜井さんから離れてくれ』って、しつこく言ってくるもんだから」
「え……?」
私は思わず足を止める。垣谷くん、たっくんにそんな事を……。
(けど、そんな事言われても)
私が彼と離れるわけがない。〝ずっと一緒にいる〟そう約束しているのだから。
左手首のミサンガを見る。少し古ぼけてしまったけど、私の大切な宝物だ。
私たち2人の、約束の証。
彼も着けてくれている。あの約束を大切にしてくれているのだろう。
「その……たっくんは、なんて答えたの?」
「ありえない、とだけ」
「そ、そうだよね!」
そうだ。私たちが離れるなんてあえりえない。
この時は、そう思って疑いもしなかった。
「……ん? 何だこれ?」
「どうしたの? ……えっ!?」
学校の昇降口。彼が自分の下駄箱を開けると、いぶかしむような声で言った。
気になって私も見てみると、そこには――。
『逢沢龍巳は不良グループの一員だ』
そう書き殴られた紙が置いてあった。
たっくんは一瞬息を飲み、ぴくりと眉を寄せて瞳を据える。けれど、すぐに何事も無かったかのように振る舞い、呆れたため息を吐いた。
「……はぁ。普通ここまでするか?」
「たっくん、これ先生に……」
「いい、別に。気にもしていない」
けれど、こんなの私が気にする。
「俺の為に、とか考えるなよ」
「……え?」
「春花の事だ。垣谷を問い詰めるんではないかと思ってな」
「で、でもっ!」
「いいんだ、このくらい。大丈夫だから」
「……う、うん」
そう答えたけれど、やっぱり納得はいかない。
けれど、たっくんが大丈夫だって言ってる。その言葉を私は信じた。
今思えば、私はこの時、無理にでも動くべきだったんだろう。
「なぁ、逢沢」
「……何だ?」
「お前、不良グループに入ってるってマジ? 喧嘩強いの?」
「何を言って――」
ドゴッ!と、話しかけてきた男子生徒がたっくんを殴った。
「ははっ! 何だよ、大した事ねぇじゃん」
「……はぁ」
「……は? 何ため息とかついてんの? むかつくんだけど……」
ドゴッ!と、またその男子生徒が彼を殴る。ここ最近は、ずっとこんな感じだった。
最初はただの脅迫じみた手紙程度で済んでいた。
そこから張り紙や黒板への落書き。いやがらせに発展していき、とうとう今のような暴力にまで進んでしまっていた。
男子生徒は暴力をふるい、女子生徒はそれを見て嗤っている。ほとんど生徒は、面白がっているだけ。
私は見ていられなかった。今すぐ止めに入りたかった。けれど、止めに入れば私も同じ目にあってしまう。そう思うと、怖くて足が震えて動けなかった。
そしてたっくんを囲むクラスメイトの輪の中に垣谷がくん入っていき、座り込む彼を見下ろす。
「よぉ逢沢、どんな気分だ? 俺の言うこと聞いとけば、こんなふうにはならなかっただろうに」
「…………」
「ほら、何とか言ってみろよ」
「……なんとか」
「ちっ!」
ガッ! と、垣谷くんがたっくんの顔を蹴る。彼は微動だにしなかったが、顔を俯かせていた。
「なめやがって。ここまでされても何もして来ねぇのかよ」
「…………」
「……まじでだせー。桜井さんもそう思うよなぁ!」
「……え?」
垣谷くんが私に向かって叫ぶ。
(な、なんでそんな事、私に聞くの? そんなの……)
思うわけがない。そうはっきりと言えれば良かった。たっくんは、あの日私とした約束を守ろうとしているだけだ。だから今も我慢している。
だけど、私は……。
「……えと、あの……う、うん……」
皆の視線が怖くて。この場の空気に押しつぶされそうで。そう、答えてしまった。
チラリと見た彼は、わずかな驚きと、仕方がないとどこか納得したような、諦めたような。そんな悲し気な表情をしていた。
それから数日間、私は独りで毎日を過ごしていた。これだけ彼と離れている事は珍しい。
本当は、すぐにでも謝りたかった。けれど、今は彼の顔を見るのが怖い。
もう少しだけ、あとほんの少しだけ心の準備が出来たら謝りに行こう。そうしたら、またいつも通り2人で一緒に。そんなふうに思っていた。
彼の優しさに甘えた考えのままの自分を、後になって後悔することも知らずに。
* * * * *
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