第7話

 先生に呼び出され、職員室で説教を受ける。学生なら誰しもが経験する事だろう……それは流石に偏見だろうか?


 だが、入学初日にそんな事になるのは、おそらく俺くらいだと思う。


「さて逢沢、何故呼び出されたのかわかっているか? 」


「…………」


 俺は職員室で担任教師、柊先生の前で正座させられていた。椅子に座って足を組み、俺を見下ろしながら丸めたノートをポンポンと手の平に当てている。


「で? 何か弁明はあるか?」


 殺気が半端ない。生徒に対して向けるものではないだろう。


(何故呼ばれたか、か……やはり、HRでのあれだろうな)


 HRの時間に先生からのアプローチを断ったことに対して、きっと腹を立てているのだろう。たしかに生徒達の視線がある中、たとえ冗談だったとしても、あんなふうな断られ方をすれば誰だって恥ずかしい。悪い事をしたと思う。


「……すいません、先生。たしかに、先生からのお誘いを断ったことは反省しています。もう少し言葉を選べばよかった」


「「「「――!?」」」」


 周りの先生たちが何事か、と目を見開き、驚いた表情になる。


「違います‼︎」


 慌てた柊先生は周りの先生たちにそう言って、その場をおさめた。


「……はぁ。そういうところだぞ逢沢。やはりわかっていなかったか」


 呆れて柊先生は深くため息を吐くが、俺はというと、少々不満げに眉をひそめる。


「しかし、あの言い方だと、合コンに誘われていると思われても仕方ないかと……」


「お前の思考回路はどうなってるんだっ?」


「恋愛沙汰うんぬんとかではなく?」


「違う!!」


「……ふむ」


 趣味やこれからのことを聞くのは、合コンでは定番だろう。前にテレビで見たし、知人もそう言っていた。


 その果てに男女は恋人になっていくのだから、駄目もとで言ってみて恋人になってほしいという気持ちが、先生にわずかなりにもあるのでは。色恋に飢えているのではと、正直少し疑ってはいた。この余裕の無さ。恋愛事には無関係に生きてきたことだろう。


(……だが、たしかに俺と先生は生徒と教師。周りからは良い目では見られないな)


 生徒と教師の禁断の愛などフィクションの話だ。実際にやってしまったら2人とも学校にいられなくなる。現実的じゃない。

 

「なら、恋人などでは無いとすると……」


「……お前、絶対ろくでも無い事考えているだろう」


(恋人ではないが、男女の関係となると……はっ、まさか!)


 目の前の……生徒にさえ殺気を放ってくるような先生がまさか、そんな……。


 だが、それ以外に思い当たるものが無い。俺は考えた末に出た答えを口にする。


「セ〇レかっ!」


 スパァン! と、先生が持っていたノートで俺の頭を叩く。子気味の良い音が職員室に響いたが、教師たちは皆目を逸らしていた。


* * * * *

 

「龍巳が悪い」


 夕食時。姉さんに職員室での顛末を話した結果、今の返事が返ってきた。


 因みに先生はあの後『……もういい。疲れた』と言って俺を解放してくれた。いや、疲れていたのは俺の方なんだが。

 

「龍巳、あまり先生のご迷惑になる事はしちゃ駄目よ」


「……わかってる。母さん」


 母さん、逢沢薫あいざわかおるが優し気にそう言う。

 

 肩より少し下まで伸びた、俺たち姉弟と同じ真っ黒な髪。おっとりとした優しい目。高校生の子供が2人もいるとは思えない、姉さんに負けず劣らずの美人だ。


「龍巳、今日は入学おめでとう。お母さん、嬉しくて写真たくさん撮っちゃった」


「やめてくれ。七五三じゃあるまいし……」


「お母さんっ、後でその写真、私にも頂戴!」


 姉さんが身を乗り出す。食事中なんだからもう少し落ち着いてくれ。飲み物がこぼれたじゃないか。

 

 それにしても、こうして家族3人が同じ食卓に揃うのは本当に久しぶりだ。父さんが家を出てからは、月に数回あるかないか。今は俺もあまり家にいない為、その頻度は前よりも少なくなっている。


 父さんが出て行ってから母さんは俺たち姉弟を養う為、それまで以上に仕事に明け暮れた。今日のように学校行事や祝い事に参加した事など、それ以来なかった。


 学校行事や俺の誕生日が近づいてくると、決まって『お母さん、お仕事だから。ごめんね……』と、よく言っていたのを覚えている。

 

 謝罪は、口にすればするだけその価値が下がる。何度目かの〝ごめんね〟を言われた時、俺はすでに諦めていた。どうせまた、と。

 

 母さんが俺たちのために働いていたのはわかっていた。しかし、まだ親の温もりを欲する歳。周りの子供たちが親とはしゃぐ姿を見て、なんで自分は、という思いはあったのだ。


 そしてついにその思いが抑えきれず、もう何度目かわからない謝罪を聞く前、俯きながら母さんに『もういいよ。どうせ、こんどもこないんでしょ』と、そう言ってしまった。

 

 それを聞いた母さんの顔は……見ていない。見れなかったのだ。


 俺が顔を上げた時、母さんは振り向いてどこかへ立ち去ってしまった。だから俺はその時の母さんの顔を見ていない。


 あぁ、捨てられてしまったんだな。


 今でこそそんな事は無いが、子供の頃の俺はそんなふうに考えてしまった。


 それから母さんは俺に対してよそよそしい態度を取るようになり、逃げるように仕事に行くようになった。だから今回どういう風の吹き回しか、こんなふうに母さんが接してくるのは珍しい事だ。正直驚いている。


「それにしてもお母さん、思い切った事したよね」


 こぼしたジュースを拭きながら姉さんが言う。


「ふふ、そうね……でも、あなたたちと一緒にいる時間の方が、大事だから」


「?」


 何の話だ?


「そういえば、龍巳にはまだ言ってなかったわね。お母さん、お仕事変えたのよ」


「そうだったのか?」

 

 確かにそれは思い切った事をした。しかし何故?


「お給料は少し減っちゃうけど、あなた達2人との時間を作る為に……ね。今まで母親らしい事、してこなかったから……」


「…………」


「だから龍巳にも、これからは家にちゃんと帰って来てほしいの」


「……そう、だな。ちょくちょくは帰ってくるよ」


 その曖昧な返事を最後に、食卓に沈黙が訪れる。


(……気まずいな)


 空気が重い。やっぱりこうなったか。


 折角母さんが俺達の為にここまでしてくれたんだ。もう少し喜べ俺。そうは思うが、この何年かで出来た距離感はそう簡単には縮められない。


「……さ、さぁ、2人とも! 今日は龍巳のお祝いなんだから、もっと明るくいきましょう! 龍巳、私とお母さんが作った料理はどう? おいしい?」


「あ、あぁ。美味いよ」


 そんな沈黙を嫌ったのか、姉さんが重くなった空気を払うように明るい声を出す。


「よかった」と笑う姉さんは、大皿に盛られたローストビーフにフォークを刺してこちらに差し出した。


「龍巳、私が食べさせてあげるわ。はい、あ~」


「いい、自分で食える」 


 俺は姉さんからフォークをひったくり、その先にあったローストビーフを口に入れる。


「こ、これ、龍巳と間接キ――」


 フォークを返された姉さんはその先端をジッと見つめていた。若干頬が赤く染まっている。


「……姉さん?」


「!? な、何でもない! そ、そういえば龍巳。あなた入試の試験で手を抜いたでしょ」


「あら、そうなの?」


 いかにもな感じで誤魔化す姉さんだが、思い当たる節があった俺は、何も突っ込まず視線を逸らす。


「いや、そんなことは……」


「いいわよ、とぼけなくても。あなたが主席じゃない時点でわかってたし。あなたの成績なら、主席を取るくらい簡単でしょ?」


「……何で姉さんが俺の成績を知っているんだ?」


「龍巳の事なら何でも知ってるもの」


 流石に何でもは無いだろう……無いよな?


 そんな普通の家族らしい会話を続け、時刻は20時近くを指していた。


(……そろそろ行くか)


 2人には申し訳ないがここら辺で席を外させてもらう。


「すまない、2人とも。ちょっと出かけてくる」


「そう……今日は、帰って来るのよね?」


 母さんが心配そうに聞いてくる。

 

「あぁ。入学したって報告するだけだし、多分今日中には帰れると思う」


龍崎りゅうざきさん、だっけ? いつもお世話になってるっていう」


「まぁ、世話になってるのか世話してるのか、わからなくなるが……」


 1日いなかっただけで部屋が酷い事になるからな、あいつ。


 その生活力皆無の人物を思い浮かべ、次いで現在の部屋の惨状を思い浮かべると頭が痛くなる。本当にどちらが世話をしてるのやら。

 

「気を付けてね」


「そんなに心配されることでもないが……まぁ、いってきます」


「いってらっしゃい」と母さんの声を背に受けて、俺は夜の街に繰り出した。


* * * * *


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