第6話
「あっ、たっくん……」
放課後、俺が職員室へ行こうと席を立つと、桜井が話しかけてきた。
昔と変わらない呼び方。どういう関係だ? と、近くにいたクラスメイトたちが探るような視線を向けてくる。
「……何だ?」
正直、あまり良い気持ちではないが、流石に声をかけられたのに返事をしないのもきまりが悪い。周りにはほかの生徒もいる。
HRでの事もあって、俺はクラスメイトから注目されてしまったし、これ以上悪目立ちしない為にも、ここは無難に返事をしておこう。
彼女はやや躊躇った後、意を決したように口を開いた。
「えっと、その……久し、ぶり」
「……あぁ」
「これから、あの、よろしく……ね」
「………………あぁ」
無難、というにはあまりにもぶっきらぼうな返事。視線すら向けない。
これが、今の俺と彼女の距離。日常の何気ない会話でさえ、こうして微妙な空気になってしまう。クラスメイト達も困惑気味だ。
久しぶりの彼女との会話は、たった数度の受け答えだけで終わった。
* * * * *
教室から出た俺は、職員室まで来ていた。
扉を開こうとするが、一瞬躊躇する。あまり気乗りしない。職員室なんて、進んで行きたい生徒などいないだろう。ましてそれが説教とわかっているなら尚更だ。
「……ふむ」
このままばっくれようかと考えていると、目の前の扉が急に開いた。咄嗟に手を引く。開いた扉の向こう側には、担任教師が立っていた。
担任教師も俺の存在を確かめると、その目を鋭くさせてこちらを睨みつけてくる。身長が俺よりも低いため若干上目遣いになるが、目が殺気立っているため全く可愛らしくない。
「来たか。取り合えず入れ」
「失礼します」
担任教師に言われるまま、俺は職員室に足を踏み入れた。
職員室内には独特の緊張感があり、教師たちが慌ただしく働いている。きっと入学式の後始末などで忙しいのだろう。
「お前には色々と言いたいこともあるが……学園長がお前を呼んでいる。まずはそっちが先だ」
「学園長が? 何故です?」
「知らん。何でもいいからさっさと行け」
担任教師は職員室の奥にある学園長室の扉に視線を送ると「次は私だからな。忘れるんじゃないぞ」と念押しして、自分の机に戻っていった。
* * * * *
「失礼します」
重厚な扉を開けて学園長室に入る。
扉には装飾が施されていて、いかにも学園長室、という感じだったが、中は以外と普通だった。調度品の類もほとんどない。
その部屋の奥。シンプルな作りの机の向こう側に、1人の女性が座っていた。黒い髪を後ろでお団子状にした髪型に、キリっとしたスーツ姿の真面目そうな女性だ。
女性は俺に気が付くと、柔和な笑顔をこちらに向けて挨拶をする。
「あぁ、来ましたか。お待ちしていました。桐生ヶ丘学園学園長の、
そう自己紹介をすると、学園長はペコリと頭を下げる。
再び上げた顔を見ると、とても学園長を勤めているとは思えないほど若かった。20代だろうか。大学生でも通りそうである。
そう思い俺が学園長を見ていると、学園長は不思議に思ったのか「どうかしましたか?」と尋ねてきた。
「あぁいや、学園長をしているとは思えないほど若く見えるので、つい……」
「ふふ、嬉しいことを言ってくれますね。ありがとうございます」
聞けば、この学園は元々学園長の母親が経営していたのだとか。その母親が4年前に体調を崩してしまい、大学を卒業した学園長が臨時でその席を預かっているのだという。因みに現在27歳だとか。
「逢沢くんは口が上手ですね。見た目も結構カッコイイですし、女性にモテるのでは?」
「そんなことは……それに、そういう類の話は苦手なので」
「あら勿体ない。学生の本分は勉強といいますが、恋愛も人を成長させるのに必要な事ですよ」
「……苦手なので」
「……まぁいいでしょう。この話はまたいずれ。本日は、別のお話があってお呼びしました」
ならさっさと本題に入ってほしかった。おかげで変な空気にさせてしまったじゃないか。
というか、またいずれ話すのか? 丁重にお断りさせていただく。
「そうですね、まずは何からお話しましょうか」
そんな俺の心情など知る由もない学園長は、これから本題に入るのだろう。居住まいを正してこちらに向き直った。先程と同じように笑みを浮かべてはいるが、その目は真剣だ。
「もったいぶらなくていいですよ」
「そうですか。では単刀直入に。
「――っ!?」
『凜道さん』その名前が学園長の口から出た瞬間、俺は目を鋭くさせて警戒心をあらわにした。そんな俺の表情を見て、学園長は制するように「まぁまぁ」と言って両手を上げる。
「そんなに警戒する必要はありませんよ。一応、警察のご厄介にはなっていないようですし、学園側があなたを咎める事はありません」
「この事は私しか知りませんしね」と学園長は付け足す。
「……そんなんでいいんですか?」
自分で言うのもなんだが、やんちゃなんて可愛い言葉で済ませられるような事でもないと思うが。
「いいんですよ。生徒を信じるのも、教師の大事な務めです。……ですが――」
そう続ける学園長。その顔に笑みはすでに無い。
「……もしも、生徒達に何か危険が及ぶようなことがあれば、それが何であれ、私は絶対に許しません。どんな事をしてでも生徒たちを守ります。これだけは覚えておいてください」
警告するような口調だった。学園長は遠回しにこう言っているのだ。〝おとなしくしていろ〟と。
別に俺から何かすることもないのだが、俺のことを聞いているであろう学園長の心配も尤もだと思う。元々目立つこともしたくなかったので「ええ、覚えておきます」とだけ答えておいた。
「ふふ、そのお返事をいただけて安心しました」
学園長は俺の返事を聞いて安心したのか、ほっと胸をなでおろした。表情は先程と同じ笑顔に戻っている。
それから学園長は「そうそう」と続けた。
「先刻のようなおいたなら、問題ありませんから安心してください」
「……おいた?」
「HRでのことです。
「柊先生?」
誰だ、それ?
「……あなた、自分の担任の名前も知らないんですか?」
「……あぁ」
学園長は「
そんな俺を見て学園長は「はぁ……」とため息をつく。
「柊先生の苦労がしのばれます。あまり迷惑をかけないようにしてくださいね。……お話はこれで以上ですが、何かご質問は?」
「質問、ですか……」
何かあっただろうか。
「ああ、そういえば」
ふと、俺は今朝から思っていた疑問を学園長に投げかけてみた。
「この学校、年度始めの席順がランダムだと聞いたんですが、何故です?」
「あぁ、そのことですか……。ふふ、これは私が学園長に就任して最初に変えたことなんですよ」
何かを思い出したかのように、学園長は口元に手をあてクスクスと笑う。最初、というからにはこういう妙なルールがまだまだありそうだ。
学園長は右の人差し指を立て、にっこりと言った。
「ずばりっ、ワクワクするからです!」
「……ほう」
思わず感嘆の息が出る。姉さんの予想は、どうやら当たっていたようだ。さすが才女。
しかし、そんな理由で学校のルールを決めていいのか? 職権乱用だろう。
「人との出会いは一期一会。最初から予定されている出会いなんて、つまらないでしょう? 私はね、偶然の出会い。そこにある意味を、大切にしたいのですよ」
以外とまともな理由だった。
「案外ロマンチストなんですね。もっと現実主義な人だと思ってました」
「あら正直ですね。そういう男性、結構好きですよ」
好かれても困る。俺の中ではあんたは学校一番の危険人物なんだ。
「……あなたにもそういった出会いが、あったんじゃないですか?」
学園長は優し気な表情で俺を見つめる。その表情は、子供を見守る母親のようだ。
俺は桜井の顔を思い浮かべる。
偶然同じ学園に入り、偶然同じクラスになって、偶然隣同士の席になり再会した。この出会いにも、果たして意味はあるのだろうか……。
「あなたのこれからの学校生活で、良い出会いがあることを祈っていますよ」
「……ありがとうございます」
俺は学園長に頭を下げると、「失礼します」と言って学園長室を出た。
(……少し、疲れたな)
さっさと帰ろう。そう思い職員室を出ようとすると、不意に誰かの手が肩に置かれた。
振り返ってみるとそこには担任教師、もとい柊早苗先生が、待ってましたと言わんばかりの顔をして立っていた。
「待っていたぞ逢沢。次は私の番だ」
「…………」
……勘弁してくれ。
* * * * *
龍巳が学園長室を出た後、鈴華は「ふぅ……」と息を吐き肩の力を抜く。
そして机の上に突っ伏すと……。
「こっ、怖かった~~」
と、先程までの凛々しさなど感じられない、情けない声を出した。
(な、何あれ? あれで本当に高校生? こっ、殺されるかと思った……)
凜道さんの名前を出した後から、彼の雰囲気が変わった。何とか毅然とした態度を保てはしたけど、内心ビクビクだった。
臨時とはいえ、その若さで学園長を任されている鈴華でも、まだ27歳。怖いものは怖いのである。
「凜道さんも、大変ですね……」
温厚そうなあの人が、汗をかきながら困った顔をするのが目に浮かぶ。
「と、とにかく! 彼に何かないよう私が見守らないと! ……なっ、何事もありませように~~!」
この先何事もないようにと、1人願う鈴華であった。
* * * * *
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