第337話

「自転車なんだし、先帰ったら?」

「別に急ぐ理由もないし」

「ま、在原がいいなら別に、ね」

 学校の喧騒が聞こえなくなった道を歩く二人の口数は、相変わらず少ないままだった。

 自転車を引きながら隣を歩く涼太を横目で見つつ、紗千夏は前髪を軽く弄る。

 今日は部活がなかったので、部室棟でシャワーを浴びていない。

 いつも部活の後にシャワーを浴びて帰る紗千夏にとっては、少し落ち着かない状況だった。

 さほど汗を掻いていないのだから気にする必要もないハズだが、普段とは違うのでどうしても気になってしまうのだ。

 おまけに倉庫での事もある。

 いつも以上に気になってしまうのは仕方がない。

 それは涼太にしても同じだ。

 倉庫であった出来事について、最終的には曖昧なまま笑い話のように終えてしまった。

 事故としか言いようないのだから忘れようと言われても、簡単には割り切れない。

 ちゃんと話そうと思ったからこそ、自転車で先に帰る事を選ばなかったのだ。

 が、いざとなるとどう切り出せばいいかがわからない。

 紗千夏の中で本当に済んだ話であれば、蒸し返すのも野暮な気がしていた。

 とは言え、適当に流していい事とも思えない。

 結局お互い、会話の糸口を掴めないまま、妙な空気を引きずっていた。

 それは足取りにも現れている。

 自転車を引いて歩く涼太に気付かれないよう、横目でちらりと窺う。

 見慣れたハズの横顔が、なんだか違って見えた。

 その事に紗千夏は視線を足元に落とす。

 微妙な空気のせいなのか、いつもと歩く速度が違うような気がした。

 ただ、速いのか遅いのかはわからない。

 そもそもいつもはどんな速度で歩いていたのか、それすら思い出せない。

 わかるのは自分の鼓動がいつもより早鐘を打っている事、それだけだ。

 涼太といると倉庫での事を思い出してしまい、微かな息苦しさを覚える。

 鼓動が聞こえてしまうんじゃないかと心配になるほどだった。

 息苦しくはあるものの、不快でも不安でもない。

 それはどこか、心地よい息苦しさだった。

「あの、さ……」

「お、おう、どうした?」

「いきなりでアレだけど、在原って告られた事、あるんだよね?」

「はっ!? あっ、ってぇ!」

 完全に不意を打たれた涼太は驚きのあまり、自転車のペダルに脛を強打した。

 立ち止まりはしなかったが、痛みに顔をしかめる。

「痛そ……大丈夫?」

「あ、あぁ……てか、本当にいきなりだな」

「だから言ったじゃん」

 あからさますぎる涼太の動揺に、申し訳ないと思いつつも紗千夏は苦笑する。

 意図したワケではなかったが、先ほどまでの重い空気が今のやり取りで軽くなった。

 完全にいつも通りとは言えないまでも、ようやく落ち着いて話せる空気になる。

「……前も言っただろ。一応はその、あるけど」

 まだ痛む脛を気にしつつ、涼太は答える。

「俺より天城の方が多いだろ、そういうの」

「ん、まぁ、最近はそうかもだけど……って言うか、だから、かな。在原に聞いてみたくて」

 興味本位で聞いていいのか、紗千夏は一瞬だけ考える。

 が、己の欲求を優先して窺うように涼太を見た。

「どう、だった? 告られた時の気持ちとか、そういうの」

「どうって言われてもな……驚いた」

「ま、そりゃまず驚くだろうけど……それだけ?」

「いや、あとは、そうだな……嬉しいとは思ったよ、ちゃんと」

「……でも、付き合ったりはしなかったんだよね?」

「あぁ……だから申し訳ないって気持ちの方が大きかったかな」

 夕暮れ時の街並みに視線を向けながら涼太は話す。

 告白した経験のない涼太にとって、相手がどんな気持ちだったのかは想像するしかない。

 だがそこにあったハズのエネルギーは相当なものだろう。

 それに応えられない時の気持ちは、あまりいいものではなかった。

 当時の感情を思い出し、涼太は寂しげに目を細める。

 紗千夏はそんな涼太の横顔を、ジッと見ていた。

「他に好きな人がいた、とかでもないんだっけ?」

「……だな」

「なら付き合ってみるのもアリだったんじゃない? ほら、あるじゃん? 付き合ってみたら好きになったりとかさ」

 そうは言ってみたものの、実体験ではない話なので紗千夏自身半信半疑だった。

 だからというワケではないが、涼太も微妙な顔をする。

「そういうのはなんか、違う気がしてな。えっと、知ってるだろ?」

「うん、聞いた事ある」

 在原涼太の恋愛観は、友人の間では有名だ。

「付き合うなら、生涯その人と添い遂げたいんだよね?」

「……バカみたいだって自分でも思うけどな」

「いいバカだと思うよ、あたしはさ」

「どんなバカだよ」

「なんか、いいじゃん? 初めての恋人とずっと一緒とかさ。素敵だと思う」

 お世辞ではなく、紗千夏は本気でそう思っていた。

 だからこそ柔らかな表情が自然と浮かび、優しい目で涼太を見る。

「そんな風に好きな人と付き合えたら、なんかいいよね」

 この話題になった時、こうも面と向かって肯定される事は少ない。

 それこそ親しい友人でなければ、一笑に付される事も多かった。

 それならそれで構わないと涼太は思っているが、紗千夏のように肯定されるのもこそばゆい。

「……あぁ」

 照れくささと自分の青くささに、涼太は短く頷くので精一杯だった。

 そんな涼太に紗千夏は眩しそうに目を細め、小さく笑う。

「にしても、大変そうだね、在原を好きになる人は」

「……やっぱ変だよな」

「ううん、そうじゃなくてさ。在原と付き合うなら、本気で好きになって貰わなきゃいけないって事でしょ? それって、凄くパワーがいるだろうなって」

 涼太は虚を付かれたように紗千夏を見た。

「……うん、俺もそう思う」

 それからすぐに苦笑し、頷く。

 今の今まで、自分が好きになる事しか考えていなかったと気付かされた。

 当たり前の事なのにと、笑うしかない。

 釣られて紗千夏も笑う。

 その凄くパワーがいる恋に、自分自身を含めるのも忘れたまま。

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