第335話

「うっわ、埃くさ……」

 倉庫に入った紗千夏の第一声に涼太は苦笑する。

 扉を開けた瞬間、同じように涼太も感じて我慢したのだが、紗千夏はストレートな感想をぶちまけた。

 だが意外にも顔をしかめてはおらず、どこか楽しげだ。

「てか暗すぎない? 電気とかないの?」

「あー、電気切れてるっぽいな」

 入口付近のスイッチを何度か触ってみるが、頭上の電灯は一向に光らない。

「窓もあるっぽいけど、ほとんど隠れてるみたいだな」

「ホントだ。じゃあ、ここの扉開けっ放しにしておくしかないか」

「どうせ運び出さなきゃいけないし、丁度いいだろ」

 そう言って涼太は室内を改めて見回す。

 資材置き場の倉庫だが、教室よりも少し狭い。

 その中にとりあえずと言った感じで雑多に色んな物が置いてあった。

 薄暗さと埃っぽさに加え、その無秩序な物の配置が不気味な雰囲気を作り上げている。

「日が暮れる前で良かったな。下手なお化け屋敷よりそれっぽくなりそうだし」

「あ、それあるかも。むしろ日暮れ時に来てみたい」

「肝試しには持って来いかもだな」

 そんな話をしつつ二人は倉庫の中を見て回る。

 通路らしい通路もないので、かなり狭苦しい空間だ。

 文化祭があるという事で、事前に出入りしたのだろう。

 そうでなければ蜘蛛の巣が張っていてもおかしくはない。

「この辺りの看板とかリサイクルしていいって話だけど」

 予め先生に聞いていた昔の看板を見比べ、ポケットからメジャーを取り出す。

「こっち、あたしが持つよ」

「あぁ、助かる。そんじゃ、端っこに合わせてくれ」

「オッケー」

 紗千夏の手を借りながら寸法を測り、丁度いい資材を探す。

 いろいろと試したところで、品質も問題なさそうな看板をいくつか見つけた。

「よし、なんとか足りそうだな……ん? あれ、天城?」

 目ぼしい資材を入り口に運ぼうとした涼太は、さっきまで隣にいた紗千夏を探す。

 それほど広い空間ではないが、視界を遮る物は多い。

 姿を隠そうと思えば容易に隠せる。

「ったく……おい天城、もう行くぞ?」

 悪ふざけをしているのだろうと察した涼太は、声を掛けながら探す。

 が、近くの物陰には見当たらない。

 仕方なく倉庫の奥へ進み、ひと際暗い場所を覗き込む。

「うおぉっ!」

 するとくぐもった声と共に鬼が飛び出して来た。

 不気味というよりは不格好な鬼の顔は、ところどころ塗装が剥げている。

「あのな……なにやってんだよ」

「もうちょっと驚くフリくらいしてよ。あたしがバカみたいじゃん」

「バカだろ」

「なにおう?」

 バカと言われた紗千夏は仮面を振り上げて威嚇する。

 しかしその顔は笑みに支配されていて、迫力はない。

「気、済んだか?」

「まだ。在原がつまんない反応したせい」

「知るかよ……いいからもう出るぞ」

「えぇ? せっかくだしもうちょい探検しよ? もう二度と入れないかもなんだしさ」

「気持ちはわかるけどさ。でも武田たちも待ってるから」

 だから探検はお預けだと入り口の方を親指で指し示す。

「仕方ないなぁ……」

 物足りなさそうな顔をしつつも、涼太の言い分に納得してお面を元の場所に戻す。

 それが置いてあったのは、丁度涼太が立っている辺りだ。

 涼太はそれを察して場所を開けるように身を引く。

 ほんの僅かだが、肩を背後の棚にぶつけてしまう。

 影響は微々たるもので、大きく物が崩れたりという事はない。

 だが、その僅かな衝撃に紗千夏の背後で何かが倒れて音を立てる。

「――――っ!?」

 真後ろの暗い空間から聞こえてきたその音に、紗千夏は不本意ながらも驚いてしまう。

 明かりのない室内では足元も見えず、はみ出した何かに紗千夏は躓き、バランスを崩した。

 目の前で倒れそうになる紗千夏に、涼太は咄嗟に回り込んでその身体を受け止めた。

 いや、受け止めようとした。

 が、涼太も同じように足元の何かに躓き、バランスを崩す。

 二人揃って倒れるのはもう避けられない。

 涼太に出来たのは紗千夏のために身を挺す事だけだった。

 背中から倒れると同時に積もった埃が舞い上がる。

 咳き込みそうな埃にまみれながら、二人は悲鳴すら上げずに息を呑む。

 いつかの日曜日、雨に降られて駆け込んだマンションの部屋。

 あの時と同じように、二人はまたしても見つめ合っていた。

 違うのは紗千夏が押し倒すような格好で、涼太に覆いかぶさっている事。

 そして、紗千夏を抱き留めようとした涼太の手が、白いTシャツの内側に潜り込んでしまっていた事だ。

 紗千夏がジャージのジッパーを開けていなければ、そうはならなかっただろう。

 右手は紗千夏の腰より少し上、脇腹から背中に掛けて添えるような形になっていた。

 直接素肌に触れているという状態は、それだけでも互いを赤面させる。

 しかしそれ以上に二人の時間を止めていたのは、シャツの中に潜り込んだのは涼太の左手。

 倒れる寸前、涼太は紗千夏を支えるために動いた。

 身体が傾いていたため、尻餅を付くと同時に右腕を地面につけてまず自分を支え、左手で紗千夏の肩を掴もうと腕を上げたのだ。

 結果的にそれが間に合わず、偶然にもシャツの内側に左腕が潜り込み、そのまま倒れた。

 決して下心や他意があったワケではない。

 純粋に怪我をさせないようにと、そう動いた結果だ。

 ただ運悪く、偶然にも潜り込んだ左手が紗千夏の胸に触れてしまったのは。

 紗千夏も涼太を押し潰してしまわないようにと、両手を地面について身体を支えている。

 息を呑んで見つめ合う二人の距離は、身体の厚み一つ分開いていた。

 その余裕が涼太の腕を胸元まで滑り込ませたと言っても、過言ではない。

 どうであれ、状況ははっきりとしていた。

 押し倒すような格好で覆いかぶさる紗千夏と、それを見上げながら胸と腰回りに触れている涼太。

 おまけに今日の紗千夏はスポーツブラを着用していたため、乳房の柔らかさがダイレクトに伝わってしまう。

 しっかりと手のひらで包むように触れた涼太の手は、彫像のように動かない。

 一度でも呼吸をすれば、その反動で指が動きそうな予感があった。

 お互い、目を見開いて見つめ合う事数秒。

「ごごご、ゴメン!」

 パッと飛び跳ねるようにしてまず紗千夏が動く。

「あ、あぁ……お、俺も、ゴメンっ、あのっ、本当にっ」

 涼太もすぐにハッとして起き上がり、尻餅をついたまま僅かに後ずさる。

 どんなに薄暗くても、お互いの顔が真っ赤なのはわかりきっていた。

 今はその薄暗さがありがたくもある。

「い、今のはワザとじゃなくて、そんなつもりじゃなくてっ」

「いや、わ、わかってるし。事故みたいなもんだから、うん……わかってる、から」

 なによりもまず怪我の心配をする場面だが、涼太は触ってしまった事について弁明する。

 起き上がった紗千夏はジャージの襟をギュッと握り締めていた。

 だからこそ涼太は確信する。

 自分の勘違いでもなんでもなく、あの瞬間に触れていたのは紗千夏の胸だと。

「事故でもやっぱ、ゴメン。俺、その……」

「いいって、本当に。あたしがふざけたせいだし、もとはと言えばさ」

「まぁ、それはそうなんだけど……それでも、悪い」

 紗千夏が倉庫の奥に入って行かなければ起きなかったアクシデント。

 それは間違いない。

 涼太も紗千夏を助けようとして動いた結果だ。

 お互い、その認識にズレはない。

「助けようとしてくれたんでしょ?」

「一応は」

「ならやっぱり、在原が謝るのは、なんか違くない?」

「……こういうのは、男が謝るもんだと思うから」

 視線を逸らしてそう呟く涼太に、紗千夏は一瞬呆気に取られた。

 だがすぐに小さく噴き出し、声を殺して笑い始める。

「な、なんで笑うんだよ?」

「いや、なんかね……真面目だなぁと思ってさ」

「そう思ったんだから、仕方ないだろ」

「うん、だよね……在原って、そういうやつだ」

 埃っぽい床に座り込んだまま、紗千夏は高鳴る胸に後押しされるように笑い続けた。

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