第316話
「はー、そっか。そういう事だったんですね……そっか」
シャワーを浴び終えて髪を乾かすアイカから話を聞き、紗千夏は納得して胸を撫でおろす。
笑いながら話したアイカはドライヤーを止め、髪を梳かし始めた。
紗千夏は自分のTシャツとジャージに着替えを済ませている。
もちろん、下着もちゃんと身に着けた。
「不用意に置いていた私にも非がある。すまなかったな、天城」
「い、いえ、あの……はい」
「買ったはいいが、残念な事に使う機会も特になくてな。あまり目立つ物でもないので、すっかり忘れていた」
「忘れるなよ、あんな物」
「涼太こそ、気付いていたのなら片づけておけば良かっただろう?」
「俺のせいにするのかよ」
「家主は涼太だろう?」
「……ったく」
悪びれる様子のないアイカに涼太は舌打ちする。
避妊具に関する誤解は無事に解けたのでまだいいが、そのせいで起きたアクシデントは別だ。
アイカが避妊具を出しっぱなしにしておかなければ、紗千夏ともつれ合って倒れる事もなかっただろう。
「なんか、悪かったな。怪我とか、本当に大丈夫か?」
「大丈夫だって。どこもぶつけてないし……」
涼太が抱き締めて庇ってくれたから、と心の中でだけ続ける。
言葉にしていないが、それは涼太にも伝わってしまう。
二人はまたしても頬を赤らめ、視線を逸らす。
その初々しい反応にアイカは鼻を鳴らして立ち上がる。
「まさか飲むつもりか?」
躊躇なく冷蔵庫を開けるアイカに涼太が呆れたように声を掛ける。
缶ビールを取り出したアイカは、見せつけるようにプルタブを開けて見せた。
「食前酒というやつだ」
「絶対違うだろ……」
「許せ。雨で冷えた身体がシャワーで火照ったのだ。喉が渇くのは当然だろう?」
「だからって……」
「夕飯の準備はこれからだろう? さすがに出来上がるまで待てん」
今日は自炊の予定なので、今から作り始めても三十分は掛かる。
風呂上がりのアイカには長すぎる待ち時間だ。
「せっかくだ、天城も食べて行くか? 涼太の手料理になるが」
「え? あー、いえ、そろそろ帰ります。雨も止みそうだし」
「遠慮などいらぬぞ?」
「い、いえ、母も心配するので」
紗千夏はそう答えながらスマホを見る。
つい先ほど、母親から連絡が来ていた。
紗千夏の家付近は雨が上がったと。
なら、この辺りも止んでいるか、もうじき止むハズだ。
「あぁ、止んでるな。雲も薄くなってる」
「そ? じゃあ、そろそろ帰ろっかな」
カーテンを開けて確かめた涼太にそう答え、紗千夏は荷物をまとめ始める。
「もっとゆっくりして行っても構わぬぞ。なぁ涼太?」
「無理に誘うなよ」
豪快にビールを飲みながらクッションに座り、アイカは胡坐を掻く。
Tシャツにショートパンツという軽装は、紗千夏の部屋着とほぼ同じだ。
だが自分とアイカでは似たような格好でも、受ける印象が違うと紗千夏は感じる。
アイカには妙な色っぽさがあり、同性の紗千夏ですらドキッとする瞬間があった。
それと同時に、どうしても気になる事がある。
「あの、聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
涼太とアイカの声が見事にハモった。
アイカはニヤリと唇を歪め、涼太は顔をしかめる。
「えっと、どうした?」
改めて涼太が促すと、紗千夏は迷うように自分の手を触り、視線を彷徨わせる。
が、意を決して顔を上げた。
「いや、そのさ……アイカさん、普通に着替えてたけど……なんで在原の部屋にあるのかなって」
「…………ぁ」
完全に失念していた事に気付き、涼太は口を半開きにして硬直する。
アイカの帰宅とアクシデントが重なったため、すっかり頭から抜けていた。
雨宿りに立ち寄っただけなら、まだ言い訳も出来ただろう。
しかしアイカはさも当然のように収納棚から着替えを取り出した。
涼太にとっては当たり前の光景になっているが、紗千夏にしてみれば疑問しかない。
他にも細々とした違和感はあったが、冷蔵庫にビールまで常備されている。
涼太の物とはまず考えられないが、親戚の学生が一人暮らしする部屋に置いて行くとも考えにくい。
そういう積み重ねがあったからこそ出た質問だった。
「洗面所にも歯ブラシ、二つあったしさ。シャンプーとかも、絶対在原が使わなそうなやつあって……久音ちゃん用かな、とも思ったけど……着替えはさすがにそうは見えなくてさ」
「あ、あー……あー、あ~~」
予定外の来訪だったため、いつものように痕跡を隠す事を忘れていたと気付く。
が、すでに遅い。
どう誤魔化したものかと涼太は頭をフル回転させるが、ベストな選択を見つけられない。
そんな涼太の代わりにアイカは頷く。
「いや実はな、少し前から涼太の部屋を間借りしているのだ」
「ちょっ、お、おいっ!」
勝手に話し始めたアイカを止めようとするが、任せておけと言いたげに笑みを向けられ、涼太は黙り込む。
ここで言い合うのは、紗千夏の疑いを強める事にしかならない。
言い訳が思い付かない以上、アイカに任せるのも一つの選択と言える。
「間借り? じゃあ、ここで寝泊まりしてるって事、ですか?」
「あぁ。恥ずかしながら、住んでいた部屋を追い出されてしまってな。新しい部屋が見つかるまでの間、涼太の世話になっているのだ。なぁ?」
「……ま、まぁ、そんな感じ、だな」
安易に頷く事は出来ないが、緊急避難という話ならまだ言い訳が出来る。
そう思った涼太は、アイカに合わせる事にした。
「追い出されたって……大変ですね」
「本当にな。困り果てていたところを、涼太がそれならと提案してくれたのだ」
「あー、言いそう」
「だろう?」
どうだと言いたげにアイカは会心の笑みを浮かべる。
紗千夏もそれに釣られて笑ってしまう。
涼太ならあり得はない話ではないと、そう信じたのだ。
加えて、以前から近くに住む親戚という設定も功を奏した。
「じゃあ、帰るから。助かったよ」
「こっちこそ。球技大会、頑張ろうな」
「そっちがね。期待してるから」
アイカの事情にも納得した紗千夏は、いつもの調子で帰って行った。
お互い、あのアクシデントについては触れない。
意識せずにはいられない出来事だったが、今はそうするしかない。
それがお互いのためだという、暗黙の了解がそこにはあった。
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