第315話

「……なにをしている?」

 完全に周りが見えなくなっていた二人は同時にハッとして、声がした方を向く。

 玄関へと続くドアはいつの間にか開き、リビングとの境界に第三の人物が立っている。

 数十分前の自分たちを彷彿とさせる全身ずぶ濡れの人物――アイカは目を細め、二人を見下ろしていた。

 まさに涼太の手をシャツの中に導こうとした瞬間。

 その光景を目撃したアイカの冷めた声が、それを止めたのだ。

 ぽたりぽたりと服や足から水滴が垂れ、フローリングに水たまりを形成していく。

「……これは、ふむ」

 アイカは足元に転がっていた箱に気付き、さらに目を細める。

 それは紗千夏の手からこぼれ落ちた避妊具の箱だ。

 二人とアイカの丁度中間に位置する避妊具。

 控えめに言って、今まさに情事を行おうとしているようにしか見えない。

「…………」

 改めて二人を見下ろすアイカは無言だ。

 顔を伝い落ちる水滴など意に介さず、二人に近づこうともしない。

 ただジッと見ている。

 そんなアイカに対し、涼太と紗千夏もまた動けず、そして声も出ない。

 四つん這いに近い恰好で紗千夏に覆いかぶさる涼太。

 そして涼太の手を掴み、頬を紅潮させている紗千夏。

 無言の時間が長くなるにつれ、二人の思考は冷静さを取り戻していく。

 涼太は紗千夏の意図が読めず混乱し、紗千夏は己がしようとしていた行動の大胆さに羞恥が極まる。

 自分から胸を直接触らせようとするなんて、正気の沙汰ではない。

 いくら状況が状況で、友人の言葉が脳裏をよぎったとしても、だ。

 揃って顔を赤らめる二人に痺れを切らしたアイカは鼻を鳴らす。

「いい加減、離れたらどうだ? それとも続けるのか?」

「はっ!? ば、バカかっ、ちがっ、アホか!」

 揶揄するアイカに言い返しながら、涼太はようやく紗千夏の上からどいた。

 ごろりと横に転がり、その勢いのまま立ち上がる。

 アイカの言葉に紗千夏も手を離していたので、問題なく動く事が出来た。

 そして解放された紗千夏もその場から後ずさり、二人の間から離脱する。

 結果、それぞれが均等な距離を保つ三角形となった。

「さて、バカはどちらか」

 アイカはぼやくように言いながら屈んで避妊具の箱を拾い上げる。

 そして中に入っているビニール製の袋に包まれたそれを取り出し、再び鼻を鳴らした。

「減ってはいないようだな。つまりは未遂か」

「み、未遂もなにも違うって言ってるだろっ」

「まさにおっぱじめそうな状況にしか見えなかったがな」

「おっぱじめるか!」

「まぁ、あの状況では誰でもそう言うだろうさ。浮気現場を見られた哀れな男のようにな」

「う、浮気って……当てはまらないだろ、全然」

 淡々と話すアイカの様子に涼太は違和感を覚えた。

 普段ならもっと露骨に茶化しそうなものだが、どことなく不機嫌そうに見える。

 雨に濡れた程度でそうなるとも思えない。

「確か、今日は天城とスポーツの練習に励むと聞いていたが」

「そ、そうだよ」

「なるほど。涼太の言うスポーツとはセックスの事だったか」

「ぶっ! ワケあるか! おまっ、ふざけんなよ!?」

「責めるつもりはない。涼太も年頃の男だからな。それを考えれば正しい情動と言える」

「だから違うって言ってるだろ!」

「叫ぶな。声を荒げれば荒げるほど怪しく見えるぞ?」

「くっ……」

 確かにそうかもしれないと涼太は唸る。

 そもそもアイカが本気で疑っているとは思えない。

 先ほどから不自然に悪意をぶつけられているような気はするが、悪魔ならさもありなんと言ったところだ。

「あ、あの、本当にその、違うんです……えっと、本当に」

「だろうな。大方、帰る途中であの土砂降りに見舞われたのだろう? それでおせっかいな涼太が雨宿りを提案したと……そんなところか」

「そう、です……はい」

 訂正の必要がないアイカの言葉に、紗千夏は驚きつつ頷く。

「この通り、私も酷い有様になった」

 アイカは濡れて張り付く前髪をかき上げ、紗千夏に向かって微笑む。

「わかってるなら、最初から変な事言うなよ……」

「いやなに、そうそうない機会だったのでな。少々意地悪をしたまでだ」

「するなよ……」

 悪ふざけに乗せられたと理解した涼太は、顔をしかめる。

 不機嫌そうに見えたのも気のせいだろうと思えるほど、アイカはいつも通りだ。

「それにしても、命拾いしたな、涼太」

「は?」

「目撃者が私で良かったと、そう言っているのだ。これが久音だったら血を見るところだったぞ?」

「そ、そんなワケないだろ」

「だといいがな。どれ、報告してみるか」

「ちょっ、やめろよっ」

 肉体的に血を見るような状況になるとは思えないが、久音に報告されたら涼太の精神が血を吐く事になりかねない。

「見なかった事にしてやりたいが、保護者としては報告の義務があってだな」

「なにが保護者だ。マジでやめろよ」

「それは涼太の態度次第、とだけ言っておこう」

 悪意たっぷりの笑みを浮かべたアイカは涼太の隣を通り過ぎ、着替えを取り出す。

「とにかく詳しい話は後だ。シャワーを浴びて着替えたいのでな」

「あ、それなら先に天城が着替えるから」

「ん? あぁ、乾燥機か。なるほど、ならば待とう」

「え? あ、あの……」

 二人の会話に紗千夏は軽く混乱する。

「いいからほれ、先に着替えて来い。二人で着替えるには少々手狭だからな」

「あ、は、はい……すぐ着替えますっ」

 が、疑問をぶつけるより先に脱衣所へと追い立てられた。

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