第313話
「そうそう、こんな感じで動くといいの」
「なるほどなぁ。いやでもこれ、一朝一夕で素人が出来る動きじゃないだろ」
「難しい言葉使わないで、わかんないから」
「……ん?」
今の会話に難しい言葉など出ただろうか、と涼太は不意を突かれて首を傾げる。
始めは他愛のない話をしながらココアを飲み、雨が止むのを待っていた二人だが、紗千夏の提案でバスケの解説動画をタブレットで見ていた。
その中には紗千夏に教わったものもあるが、実際に言語化された状態の動画を見るのは非常にわかりやすい。
そしてまず涼太が思ったのは、その難しさだ。
このレベルを求められても、応えられる自信がない。
「実際、どうなんだろうな、当日。勝てると思うか?」
「んー、その勝ちって優勝の事?」
「冗談だろ。一回戦だけでも勝てるかって話」
「どうかなぁ。全員に教える機会でもあれば、いくらかは勝率上がると思うけど」
「チーム練、申請すれば昼休みに体育館使えるって話だけど」
生憎と他のクラスメイトにそこまでの情熱はない。
お互い素人混じりの試合なのだから、モチベーションが低いのは当然だった。
「運動得意なやつもいるにはいるけど、全体的にはちょっとパワー不足って感じするよね」
「やっぱそうだよなぁ」
紗千夏の見立ては正しい。
最弱とまでは言わないまでも中の下か、良くても中の中と言ったところだろう。
「一回戦勝てるかどうかはもう、組み合わせ次第っしょ。相手のクラスにバスケ経験者がいたらキツいだろうねぇ」
空になったココアのコップを手の中で弄びながら紗千夏は小さく笑う。
涼太もそうだろうな、と頷いて笑った。
球技大会はトーナメントで行われるが、組み合わせは当日の朝までわからない。
相手の学年よりは、どれだけスポーツ経験者がいるかどうかの勝負になりがちだった。
「そういう意味じゃやっぱ、そっちは優勝しちゃいそうだよな」
「なゆたの存在がデカい、マジで。他に取られなくて助かったって感じ」
「他の種目にも出て欲しいとこだけど、本人にその気はないもんな」
「ま、そこはね。あたしも他の種目にまで出る気はないし」
「クラスの運動神経ツートップなのにな」
もはやその点に関しては苦笑するしかない。
実際、紗千夏となゆたがフルで参加すれば総合優勝の可能性もあっただろう。
「お? この音、終わったかな?」
「だな」
脱衣所の中から独特なメロディが流れてくる。
乾燥機が止まった合図だ。
「じゃ、着替えてくるわ」
「あぁ」
紗千夏と一緒に立ち上がった涼太はコップを手に取り、キッチンへと向かう。
「あ、それくらい着替えたらあたしがするのに」
「いいから」
そう言われた紗千夏はわかったと頷き、キッチンに向けた足を脱衣所へと戻す。
そして何気なく通りかかった棚の上を見て立ち止まった。
「あれ……これ……」
丁度いい高さに置いてあった小さな箱。
どこかで見た事のあるそれがなんなのか、紗千夏はすぐには思い出せず、つい手に取ってしまう。
「どうした天城?」
「いやこれ……なんか見た事あるなって……確か……えっと……あっ」
そうだ、と紗千夏の脳裏にコンビニでの出来事が浮かぶ。
バイト中の涼太と、買い物をしに立ち寄った紗千夏。
そしてもう一人、会計を済ませたアイカが持っていた箱。
あの時の事は印象が強く、紗千夏もよく覚えていた。
アイカに対して大人だと、そう感じたから。
その時アイカが持っていた箱と同じ物を、紗千夏は今持っている。
無造作に棚の上に置いてあったそれは、避妊具。
それも開封済みの箱だった。
「おい天城……って、ちょっ、それっ!」
どうしたのかと手元を覗き込んだ涼太は瞬時に理解して慌てる。
不運が重なった結果とも言えるが、決定打になったのはその慌てっぷりだ。
涼太の焦る感情が紗千夏にも伝播し、あらぬ想像を掻き立てる。
「ちょっ、在原これっ……えっ、なにっ、なにっ!?」
「いや待て! 誤解だから! それはそのっ、違う!」
「なにが違うワケ!? どう見てもこれ、あ、アレじゃん! しかも箱開いてるし!」
「だからそれは、違うんだって! 本当にさ!」
「いやちょっと! な、なんで近づくワケ!?」
これが未開封品であったなら、ここまで状況は悪化しなかったかもしれない。
別に開封してあるからと言って、この部屋で避妊具が使われたとは限らないし、実際涼太もアイカも使用した事などなかった。
開封されているのは、どんな物かをアイカが確かめたからに過ぎない。
涼太もその場にいて見ていたのは確かだが、実物に興味を持つのは年齢的に自然な事だろう。
しかしこの状況で落ち着けと言われて落ち着けるほど、紗千夏は男女のやり取りに慣れていない。
涼太もまた同様だ。
結果、説明しようと不用意に涼太が近づき、紗千夏がまさかと狼狽える。
特に紗千夏は、成り行きとは言えすでにシャワーを済ませて、部屋には二人きり。
涼太への信頼があったとしても、もしかしたらと身の危険を感じるのは当然だろう。
その裏に潜む紗千夏自身の感情も、今は状況を悪化させる要因でしかない。
「ホントにちょっと、違うんだって! なぁ天城っ」
「ちょちょっ! いや待って! ホント待って!」
「だ、だからそっちこそ……って、えっ!?」
またしても不用意に一歩踏み出した涼太の足が、本来ならなかったハズの物を踏んでしまう。
それは直前まで紗千夏が首に掛けていた、髪を拭いたタオルだ。
慌てふためく二人の間に滑り落ち、涼太はそれに気付かず踏み、滑る。
「えっ、ありは――っ!」
前のめりに倒れそうになった涼太は、咄嗟に手を伸ばす。
当然目の前にいた紗千夏の肩を掴み、反射的に力を込めてしまう。
紗千夏は驚きに身体を硬直させ、勢いを受け止め切れずに倒れ込む。
平静であれば踏ん張れただろうが、今はどうにもならない。
結果的に二人はもつれ合ったまま、フローリングの上で折り重なった。
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