第308話

「最初はそっちのオフェンスでいいよ。点を入れるか、ボールを取られたら攻守交替ね」

「わかった」

「教えた事、ちゃんと実践して見せてよ?」

「そっちはどうかなぁ」

 自信なさげに苦笑しつつ、右半身を引くようにしてドリブルを始める。

 今日一番の練習の成果と言えばこれだ。

 ボールを見ずとも、ある程度はドリブルが出来るようになった。

 紗千夏に言わせればまだまだ速度もボールの高さも甘いが、一時間足らずのドリブル練習と思えば十分すぎる成果だ。

 やや距離を開けた状態で紗千夏は腰を落とし、両手を広げる。

 上達したとは言え、左手でのドリブルは試合で使えるほどではない。

 普通に考えれば涼太に勝ち目などなく、一度でも得点出来れば上等と言える。

 さすがに本気でボールを取るつもりはなく、あくまでプレッシャーをかけるだけに留めるつもりだ。

 ディフェンスに付かれた状態でシュートを打つ。

 その状況に慣れさせるのが目的の一つだった。

 涼太は立ち止まった状態から一気にドリブルで切り込む。

 進行方向は涼太から見て右側。

 当然紗千夏はそれを読んでいるので、簡単には抜かせない。

 何度か立ち止まりつつもドリブルは続け、何とかゴールに近づこうとする。

 しかし紗千夏に阻まれ、どんどんコートの端に追い詰められてしまう。

 結局、涼太は破れかぶれのジャンプシュートを打つしかなくなる。

 ゴールリングに辛うじて当たりはしたものの、そのままコートの外に出てしまった。

「練習でそんなシュートしちゃダメだよ。丁寧に行こ、丁寧に」

 ボールを拾って戻った紗千夏は涼太の肩を叩いて励ます。

「悪い。やっぱ違うな、試合っぽくなると」

「それに慣れる練習だから。ほら、次は在原のディフェンス」

「簡単には決めさせないからな?」

「威勢は認めてあげる」

 歯を見せて笑う紗千夏の正面に立ち、ディフェンスのポジションに付く。

「そうそう、それくらい低くね」

 ドリブルをしながら、採点をするように涼太を見る。

 涼太の視線は紗千夏に集中していた。

 目を見るでもなく、手元を見るでもなく、紗千夏の中心を捉えている。

 少し距離を開け、全体が視界に入るようにする。

 紗千夏に言われた通り、涼太はそれを実践していた。

 その事に感心する紗千夏だが、それとは別に場違いな感情を抱いてしまう。

 こんな風に正面から涼太の視線を一身に受ける事はない。

 練習のために提案したワンオンワンだったが、これは想定外だった。

 真剣な涼太の視線は、紗千夏の心を掻き乱す。

 紗千夏が軽く息を吐くと、涼太がピクリと腕を振るわせた。

 ただの呼吸にすら反応する集中力が、全て自分に向けられている。

 今は考えるべきではないと強引に思考を追い出し、紗千夏は涼太を抜きに掛かった。

 当然、涼太にそれを止める術はない。

 ちょっとしたフェイントにすら引っかかり、あっさり抜かれてしまう。

 そしてドリブルからのレイアップシュートを紗千夏が外す事はなかった。

「こうして見ると速いな、やっぱ」

「そう?」

「あぁ。練習したからこそよくわかる。とんでもないな、天城」

「そりゃどうも。在原もディフェンス、いい感じだと思うよ」

「さらっと抜いたやつに言われてもなぁ」

「自信持ちなって。ほら、次はそっちのオフェンスね。さっきみたいなイジワルで端っこに追い詰めたりしないから、頑張って」

「イジワルだったのかよ……」

「左も選択肢に入れなきゃ」

「スパルタだなぁ」

 そんな風にぼやきながらも、涼太は笑みを浮かべる。

 勝ち目などない試合だが、それでも楽しさを感じていた。

 そこから紗千夏はディフェンスをしつつ、涼太にどう動くべきかをアドバイスしていく。

 ただ止めるばかりでは練習にならない。

 涼太に試合形式の中でシュートを決める、という感覚を知って貰う事も重要だった。

 二人は球技大会のためという事も半ば忘れ、バスケの練習にのめり込んでいく。

 お互いが集中していった結果、そのアクシデントは起こったと言える。

 涼太がドリブルで切り込む際、空いている左腕を少し前に出した。

 少しでもボールから相手を遠ざけようとするためのものだが、見よう見まねでやる涼太のそれは中途半端だ。

 結果としてその左手が、ディフェンスをしていた紗千夏の胸に思いきり触れてしまう。

 集中していた涼太もその信じられない感触にハッとし、声を上げた。

 胸を触られてしまった紗千夏は逆に声を上げず、驚いたような顔で固まってしまう。

 それからすぐ紗千夏もハッとし、反射的に胸元を手で隠した。

「わ、悪い! あの、ワザとじゃなくてっ、ごめんっ、マジで」

「いや、別にね。そんなマジな顔で謝らなくてもいいから。事故でしょ、事故」

「そうなんだけど……でも」

 触ってしまった手をどこに持って行けばいいかわからず、涼太は左手を持て余す。

 紗千夏は何事もなかったように両手を腰に当て、平静を装った。

「ホントにさ、いいって。試合なら接触するのとか普通だし」

「まぁ、そうなんだろうけど」

「てか、気にされる方が逆に恥ずかしいから。記憶から消し去る方向でよろしく」

「えっと……わかった」

 かなり無茶な言い分だが、涼太は頷くしかなかった。

 そもそも肘や肩なら、先ほどから何度か接触している。

 今回は手のひらだったせいで、しっかりとわかってしまっただけだ。

「ほら、集中集中。そんなのが気になるのはね、集中してない証拠だから」

 そう言って紗千夏はパンパンと手を叩く。

 涼太もそれに頷き、深呼吸をしてからワンオンワンを再開した。

 紗千夏もディフェンスに戻り、口の中で小さく集中と呟く。

 それは思考が乱れる自分に言い聞かせるためのものだった。

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