第301話
夏休みが明けても、日差しの強い日々が続いていた。
窓ガラス越しに差し込む日光の程よい熱を左腕に感じながら、在原涼太は右隣の席を眺める。
「まさか、今度は隣になるとか、とんでもない偶然もあったもんだね」
椅子に座ったまま身体を涼太の方に向けて笑うのは、天城紗千夏だ。
涼太も頷き、その奇妙な偶然に苦笑する。
夏休みが明け、新学期になって数日。
涼太たちのクラスでも、恒例と言える席替えが行われた。
席替えはくじ引きなどではなく、担任がアプリを使って割り振ったものだ。
くじ引きの楽しさを熱弁する生徒もいたが、手間が省けるという担任の言葉を覆すには至らなかった。
そしてその結果が、今の席順。
涼太は窓際の前から五番目、後ろから一つ前の席となり、紗千夏はその右隣の席となった。
てっきり距離が出来るものと思っていた紗千夏は、その偶然に胸を躍らせる。
席が離れる事に対する寂しさがあったからこそ、反動は大きかった。
「なゆたも近いし、先生が使ったアプリ、微妙かもね」
そう真後ろの机に肘をついて紗千夏は笑う。
「かもしれない」
それに答えたのは、空木なゆただ。
彼女の席は紗千夏の真後ろにある。
紗千夏が言うように偶然か、アプリの精度が悪いのか。
答えはそのどちらでもない。
アプリで席替えが行われると知ったなゆたが、すぐさま担任のスマホへアクセスし、都合のいいように改ざんした結果だ。
実際になゆたが教室でハックしたのではなく、組織が運用テストをしているAIが実行した工作。
この位置なら背後に気を取られる事もなく、涼太を斜め後ろから監視出来る。
関わりの深い紗千夏を目の前に配置したのは、必要以上に他のクラスメイトと話さないようにするためだ。
だから涼太と紗千夏が隣り合わせの席になったのは、全てなゆたの都合によるもの。
そんな事情など知る由もない紗千夏が運命的なものをこっそり感じたとしても、それは仕方のない事と言えた。
「ま、とにかく二学期もよろしくね」
「よろしくも何も、直前まで散々面倒見てただろ、俺」
「ははっ、ホント感謝してる。おかげで宿題終わったしさ」
「ギリギリすぎたんだよなぁ……」
紗千夏が言う通り、夏休みの宿題を期限通り提出する事は出来た。
が、そのために涼太が払った犠牲は大きい。
夏祭りに行った四日後、紗千夏は再び涼太の部屋を訪れた。
理由はもちろん、宿題を全て終わらせるため。
もう少し前に終わらせたいと紗千夏も思っていたが、頼りの涼太がバイトで都合がつかなかったのだ。
結局最終日までもつれ込み、紗千夏の宿題が終わったのは夜の八時を過ぎた頃だった。
その後、家まで紗千夏を送り届けたのは言うまでもない。
いくら遠慮されようともそうしないと気が済まないのが、在原涼太という少年だった。
「こんなに清々しい気分で二学期迎えるの、あたし初めてかも」
「ひどすぎるだろ、それ……」
「毎年毎年ね、気が重くて仕方なかったよあたしはさ」
「毎年なら少しは懲りろよ、マジで」
「思ってるんだけどねぇ、来年こそは計画的にって。でもま、終わりよければってやつよね、うんうん」
悪びれる様子もなく、一人で納得し頷く。
涼太は突っ込むのも面倒だとため息を吐いた。
「そう言えば、夏休み明けの在原は顔色が少し悪かった気がする。つまりあれは紗千夏のせいか」
「ちょ、人聞きわるっ。あたしのせいって事はないでしょ、ね?」
「ないとは言わないけどな」
「えぇ? でも最終日に見た時からあんな感じだったでしょ?」
「……まぁ、その前にいろいろあってな」
「やっぱバイトしすぎだったんじゃない?」
「バイトくらいであんなに疲れるかよ……」
「じゃあなんで?」
純粋な紗千夏の疑問に涼太は顔をしかめる。
どうして疲れていたのかと言えば、それは夏祭りの後、久音が泊って行ったからに他ならない。
その時の疲れが数日尾を引き、最終日に部屋を訪ねて来た紗千夏にそんな疲れた顔しないでよ、と言わせたのだ。
夏祭りの後、紗千夏を送り届けて帰宅した涼太を待っていたのは、下着姿でうろつくアイカと、それを窘める久音だった。
先にシャワーを浴びたアイカは、下着のままビールを流し込んでいた。
まるでそれがいつもの光景だと言わんばかりの立ち居振る舞いに、久音は当然目くじらを立てる。
涼太がいる時はシャツくらい着ていると弁明するが、それを信じる根拠は一切ない。
最悪に近いタイミングで帰宅した涼太が、そっと玄関を閉めて散歩に行きたくなったのも仕方がない事だろう。
ほんの数十分目を離しただけでその有様なのだ。
その日の夜と、翌日の夕方に久音が帰るまで気が休まらなかったのは言うまでもない。
連日のバイトもあり、涼太が精神的にも肉体的にも疲労するのは、当然と言えば当然の結果だった。
「とにかく、終わった事だからもういいだろ」
思い出すだけでも疲れが蘇ってくるのを感じた涼太は、そう言って机に突っ伏した。
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