第299話

「じゃあ、私はこれで」

「またね、なゆた」

 マンションの前まで戻って来たところで、まずはなゆたと別れる。

 テーブルを使って食事ができるスペースがあったので、思っていたよりも時間が遅くなった。

 日はすっかり暮れ、夜の静けさが訪れつつある。

 涼太としては普段からバイトをしている時間なので問題ないが、久音や紗千夏となると話は変わってくる。

 ここまでは同じ道を歩いて来られたが、紗千夏の家と駅は方向が全く別だ。

 家や駅まで送って行こうと思ったら、どちらかしか選べない。

 これがもう少し早い時間であれば、涼太もそれほど悩まずに済んだだろう。

「んじゃ、あたしもこれで」

 そんな涼太の葛藤に気付かず、紗千夏は一人で帰ろうとする。

「あ、天城。こんな時間だし、送ってくよ」

「へ? いやいや、いいって。そんな事してもらう時間でもないし。いつも部活で帰ってる時間、知ってるでしょ?」

「知ってるけど、その時間よりは遅いだろ」

「誤差みたいなもんじゃん」

「だけど一応、うちに来てたワケだし……」

 本来ならもう帰っているハズだが、夏祭りに行く事で急遽遅くなった。

 となれば、涼太が責任を感じて家まで送ろうとするのもある意味当然と言える。

「大丈夫だって。そんな遠いワケでもないしさ。在原過保護すぎ」

「でも万が一って事もあるだろ?」

「案外心配性なんだ。でもそれなら久音ちゃんを送ってくべきでしょ。駅の方が遠いんだし」

「まぁ、それもあるんだけど……」

 涼太が頭を悩ませているのはそこだった。

 久音の事も当然送って行かなければならない。

 紗千夏と久音、その二人が同じように気がかりなため、涼太は悩んでいたのだ。

「ホント大丈夫だから。久音ちゃんについてってあげなよ」

「いやでも、天城の親御さんになんかこう……」

 面識があるからこそ生まれる責任感もある。

 涼太が感じているのは、まさにそれだ。

「私は大丈夫ですから、紗千夏さんを送ってあげて下さい」

 そんな涼太と紗千夏の押し問答に助け船を出したのは、意外にも久音だった。

「いやいや、気にしなくていいって、久音ちゃんまで」

「いえ、と言うより、私の方は送ってもらう必要がないので」

「ん? そうなの?」

「はい。今日はこのまま涼太さんの部屋に泊まる事になってますから」

「へぇ……えっ? 泊まる?」

「はい。親の許可は取って来たので。最初からその予定だったんです」

「あー、そうなんだ。へー」

 全く予想していなかった久音の発言に、紗千夏は面食らいつつも頷く。

 ちなみに涼太は、口をあんぐりと開けて絶句している。

 寝耳に水とはまさにこの事だろう。

 涼太の中には微塵もなかった選択肢だ。

 紗千夏を送るのなら、久音にはアイカについて行って貰うしかない。

 頭の中でどう説得するかを考えていたところに、想定外の選択肢を放り込まれた。

「え、ちょっと、久音ちゃん?」

「そういうワケですから、気にせず紗千夏さんを送ってあげて下さい」

「そうじゃなくて……許可があるって、ホント?」

「はい。でなければ着替えなどを持ってきたりはしませんよ」

「……あれは、そういう事か」

 部屋に来た時から気にはなっていた。

 久音の手荷物が、普段より大きい事に。

 だが、てっきりまた料理の入ったタッパーか何かだろうと、そう思い込んでいたのだ。

「ですから、お気になさらず」

「……気にするよ、いろいろと」

「そのお話は戻ってからで。では紗千夏さん、お気を付けて。また今度、機会があれば」

「あー、うん。それじゃ、お休み久音ちゃん。あとアイカさんも」

「あぁ、またな天城」

 手を振りながら久音とアイカはマンションのエントランスに入って行く。

 涼太は頭をガシガシと掻きながらそれを見送った。

「えっと、どうする?」

「送ってくよ。なんか、うん」

「ははっ……じゃ、よろしく」

 取り残された涼太と紗千夏は互いにぎこちない笑みを浮かべ、街灯に照らされた道を歩き始めた。

 その様子をエントランスから見ていた久音は、静かに息を吐く。

「いいのか?」

「夜になったから女子を送って行くなんて、男子としてはいい心がけじゃないですか。私もそう言われたら嬉しいし」

「そう思っているにしては、羨んでいるように見えるがな」

「否定はしないけど。でもいいの。帰ってくれば私の方が一緒にいられるんだから」

 揶揄するようなアイカの言葉に久音は鼻を鳴らして答える。

 完全に割り切れていないのは明白だった。

「忘れているかもしれぬから言っておくが、部屋には私もいるぞ?」

「そうでしたね。今日だけでも外泊して来るくらい、気を利かせてくれません?」

「涼太との二人きりを望むか。イヤらしい女だな、久音は」

「あなたに言われたくはありません」

 久音はこれ見よがしにジト目になるが、アイカは鼻で笑い飛ばす。

 アイカに対する遠慮のない久音の言動は、不思議と心地よい。

 根本的には自分と近しい性格だと言うのがよくわかるのだ。

 欲しいもののためなら大胆になれる。

 そういう久音の性質をアイカは好ましく思っていた。

「しかしなぁ。もし本当にそうしたら、久音はどうするのだ?」

「……さぁ、どうするでしょうね」

「くくっ、やはり涼太は女難の状態異常が付与されているな」

「その際たるものはあなたでしょうが……よく言う」

 呆れたと言いたげに肩を竦めながら、久音はアイカと共にエレベーターに乗り込んだ。

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