第298話

 適度に遊んだ涼太たちは、そのまま練り歩きながら他の祭りではあまり見かけない食べ物を堪能する。

 夏祭りでなくとも店を訪れれば食べられる物だが、こんな機会でもなければ立ち寄る事もほぼない。

 そういう意味では、地域に根差したいい祭りと言えた。

「涼太さん、覚えてます? 小さい頃に一度だけ、こんな風にお祭りに行った事、ありましたよね?」

「あー、あったね。うん、覚えてるよ」

 物心がついて間もない頃の記憶だが、涼太もしっかりと覚えていた。

「久音ちゃんこそ、よく覚えてたね」

「印象深かったですから。記憶にある中で、迷子になったのはあの時くらいですし」

「そうそう。やらかしたよなぁ、あの時は」

「なんだ、二人で迷子になった事があるのか?」

「えぇ、丁度こんな夏祭りの会場で」

 興味深そうに割って入って来るアイカを一瞥しながら、久音は口元に笑みを浮かべる。

 普通は迷子になった記憶など苦い思い出になるものだが、久音にとっては涼太との大切な想い出の一つだ。

「ホント、なんで迷子になったか謎だよなぁ。うちも久音ちゃんのとこも、ちゃんと両親が隣にいたハズなのに」

「そこは覚えてないんですね」

「あれ、久音ちゃん覚えてるの?」

「……はい。恥ずかしいお話ですが、私が悪いんです」

「そうだっけ?」

「えぇ。一緒に歩いている時、美味しそうな匂いに釣られて私が立ち止まって……それに気づいたのが涼太さんだけだったんですよ。両親と手を繋いでいたのに、一瞬手を離したタイミングかなにかで……」

「それはなんとも、タイミングが悪かったね」

「人通りも多かったですからね。はぐれるのは一瞬でした」

 懐かしみつつも過去の恥ずかしい失敗に久音は苦笑する。

 子供なのだから仕方ないと理解はしているが、食べ物の匂いに釣られたという理由が特に恥ずかしいのだろう。

「可愛げのある時代だったのだな」

「うるさいです」

 茶々を入れるアイカをひと睨みし、久音はすっと涼太の手に触れた。

「覚えてます? その時、こんな風にずっと手を繋いでいてくれたんですよ?」

「えっと、どうだったかな? って言うか、今繋がなくても……」

 いきなり手を握られた涼太はさすがに赤面する。

 が、久音は離そうとはしなかった。

 むしろ繋いだ手に力を込め、微かに指を動かす。

 優しく揉むような触れ方は、涼太を妙に緊張させた。

「と、とりあえずもういいでしょ?」

「いいじゃないですか。またうっかり迷子になってしまうかもしれませんし。そうなったらどうするんです?」

「ならないでしょ?」

「わからないじゃないですか。人通りも多いし」

「仮にはぐれても今ならスマホで連絡取れるって」

「情緒のない話ですね」

 情緒の問題か、と涼太は首を傾げる。

 久音はクスクスと笑いながら、それでも手を離そうとはしない。

 勢い任せで掴んだ手だが、せっかくなので涼太が耐えられる間は繋いでおこうという魂胆だ。

「…………」

 そんな涼太と久音の様子を、紗千夏は串焼きを頬張ったまま羨ましそうに見ていた。

 本人は羨ましいという感情を認めていないが、はたから見ればその表情に浮かぶ感情は一目瞭然だ。

 同じように串焼きを頬張っていたなゆたはしっかり咀嚼すると、紗千夏に軽く肩を当てる。

「なに?」

「反対側の手なら空いてる」

 ハッとして振り返る紗千夏に、なゆたはそう囁く。

 それがどういう意味なのか、紗千夏は理解が遅れる。

 しかし二秒ほどで理解し、一気に頬が熱くなった。

「ちょっ、なに言ってんの? バカなの?」

 同じように肩をぶつけながら小声で返す。

「羨ましそうに見てたから。繋ぎたいのかと思って」

「ば、バカっ、違うしっ。なんでそうなるワケ? てか、羨ましそうってなによっ」

「そう見えたから。こう、串焼きを頬張ったままで」

「再現しなくていいっ。てか、なんでそんな……意味わかんないでしょ」

「意味は確かにわからないけど、紗千夏はそうしたいのかと思っただけ」

 久音が握っているのは涼太の右手のみ。

 つまり反対側の左ではまだ空いている。

 幸い、今は食べ物も持っていないので、そちら側に陣取れば涼太の手を握る事は可能だ。

「今なら冗談で出来ると思うけど」

「なんのための冗談よそれ? そもそも別にあたし……」

「紗千夏がしたいようにすればいい。私はただ、そうしたがってるように見えたから、言ってみただけ」

「余計なお世話って言うんだよ、それ」

「……なるほど」

 真面目な顔で頷くなゆたに、紗千夏は顔をしかめた。

 突拍子もない事を言い出すのはある意味平常運転だが、今回は特に酷い。

 どうして涼太の手を握るなんて話になるのかと思いつつ、紗千夏はつい涼太の左手を見てしまう。

 もし本当にここで握ったら、涼太はどんな反応をするのだろうか。

 そして自分はその時、どう感じるのか。

 そんな考えが紗千夏の頭を駆け巡る。

「どれ、ならばこちらの手は私が貰うとしよう」

「も、貰うなっ!」

 わざわざ場所を変えてアイカが涼太の左手を掴もうとする。

 当然涼太は掴まれないように身体ごと逃げた。

 その拍子に久音と繋いでいた手も離れる。

 邪魔をされた事にムッとする久音だが、アイカは意に介さない。

「迷ってるからこうなる」

「だ、だから違うってば。なんなの、ホント?」

 やれやれと言いたげななゆたの声に、紗千夏はぶっきらぼうに答えるしかなかった。

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