第8話

「さて、と。お互いにわかり合えたところ事だし、これで気兼ねなく話を進められるな」

 涼太の態度も意に介さず、悪魔はしたり顔で頷く。

 もはやツッコミを入れる気になれない涼太は、テーブルに肘をついて顎を乗せた。

「まぁ、そういうわけで、だ。察しの通り、行く当てがない。だからしばらく、厄介になるぞ」

「いやおかしいだろ。なんでそうなるんだよ」

 なんとなくそういう話になるのではないかと予想していた涼太は、即座に抗議の声を上げた。

「事情はわかってもらえたと思ったのだが?」

「わかりたくはないけど、一応はな。でもそれとこれとは別の話だろ、常識的に考えて」

「薄情な男だな。記憶も戸籍もない女を平然と追い出すというのか?」

「だったら警察にでも行けばいいだろ。一般人の出る幕じゃない」

「警察……あぁ、そういう組織があるのだったな。だが、ふむ」

 女は軽く顎に手を当て、擦りながら思案する。

「警察とやらは、魔術や悪魔に理解のある組織か?」

「それは、ないだろうけど」

「なら私の話を信じはしないだろう。現状を解決する手段には成り得ないと思うが?」

「魔術や悪魔に理解がないのは俺も同じだ」

「お前とはわかり合えたではないか」

「いつわかり合えたんだよ……」

 涼太はぐったりと崩れ落ちるように、テーブルに突っ伏した。

 先ほどの会話のどこにわかり合える要素があったのかは、いくら考えてもわからない。

「仮に、だ。私に理解を示す組織があったとしても、それを探し回るのは面倒だ。なにより、私は封じられていた身。自分の存在を触れ回るような行いは、愚かだろう?」

「かもしれないけど、だからって無理だ。俺は一般人で、おまけにまだ高校生……世間的には子供なんだ。悪魔の世話なんてできるか」

「別に世話を頼んでいるわけではない。当面の間、拠点となる場所を確保したいだけだ。居候、と言うのだったな。私が望んでいるのはそれだ。この部屋を間借りしたい」

「間借りってなぁ。広さはあるけどここ、ワンルームなんだよ。見てわかるだろ?」

 勘弁してくれと上体を起こした涼太は、両手を広げて見せる。

 一人暮らしの部屋として広さは十分あるが、部屋はこの一室しかない。

 置いてある物も少し大きめのベッドとテーブル。

 それに以前母親と住んでいた頃に使っていた、型の古いテレビだけだ。

「あぁ、実にいい広さだ。これなら私も窮屈せずに済む」

「いやだからさ……」

「なに、もちろん無償で、などと言うつもりはない。礼はするぞ」

「そういう問題じゃなくて……って、なんだよ?」

 ずっとベッドに腰かけて話していた女が、不意に立ち上がった。

 そしてどこか妖しさを感じさせる笑みを浮かべ、涼太に近づいてくる。

 どう言い表せばいいかわからない悪寒に、涼太は上半身を引いた。

「生憎と今の私には、金も権力もない。魔術の類もほぼ使えん。だからお前の望みを叶えてやる、などといった事もできぬ……だが、な」

 涼太の眼前まで迫った女は、口元に笑みを浮かべたままフローリングに膝と手をつく。

 獣を思わせる四つん這いになり、そのまま涼太の顔を覗き込む。

「唯一資産と呼べるものがあるとすればそれは……やはりこの身体だろう」

「――っ、お、おまっ、なに言ってんだっ」

「わかるからこそ、焦るのだろう? 頬まで赤らめて……なぁ?」

 囁くような吐息が、涼太の喉元を掠めた。

 しっとりとした熱がシャツの隙間から、胸元に流れ込む。

「婚姻の年齢はよくわからぬが、お前は十六だろう? なら、満たしたいのではないか? 時代が変わっても、性欲はあるのだろう?」

「ちょっ、バカか!」

 胸元を引っ張り、自ら肌を見せようとする女に涼太の声が裏返る。

 彼女が着ているシャツは涼太のものだ。

 当然、全裸で現れた彼女がつけるべき下着はない。

 高校二年生である涼太の声が裏返るのも、当然と言えた。

「別に構わぬぞ? 見られて減るものでもない。もちろん、触られても、な」

「や、やめろバカ!」

 手を掴まれそうになった涼太はそれを振り払い、滑るように後退した。

 女は訝しむように目を細め、距離を取る涼太を見る。

「もしや、男色か?」

「だんっ! ちがっ、そうじゃない!」

「む、違うのか? ならなぜ拒む? 悪い話ではないと思うのだが」

「いいも悪いも……いや、悪いんだよ! なに考えてんだ」

「わからぬ。いや、私も詳しくはないが、男とは下半身に逆らえぬ生き物ではないのか?」

「そんなの、ひとによるだろ」

「では、お前は違うと?」

「そうだよ。俺はな、決めてるんだ。そういう、特別な事は特別な相手としかしないんだ」

 涼太は本気でそう言いながら、身を守るようにさらに距離を取った。

 それを見て、今度は悪魔の方がわけがわからないとぼやく。

 フローリングで胡坐をかき、腕を組んで涼太を凝視する。

「妙だな。いや、それとも現代の男はそこまで貞操観念が高いとでも?」

「だからそれはひとによるんだって」

「ならなにがお前をそうさせる? お前には特別な相手とやらはいないはずだろう?」

「なんで……って、あぁそうか。記憶を……クソ、確かにそうだよ。でもな、俺は決めてるの。本当なら、キスだって……その……」

 さすがの涼太でも、キスの事まではっきり告げるのは恥ずかしさを覚えた。

 だが、彼にとっては偽りのない本心だ。

「キス……口づけの事か。なるほど、お前にとっては特別な事だったのだな」

「そうだよ、ったく……」

「重ねて謝ろう。知らなかったとは言え、お前の初めてを奪ってしまったようだしな」

「こ、こいつ……」

 怒りと羞恥に涼太の顔が赤くなる。

 拳を小さく震わせ、唇を戦慄かせる涼太を見て、悪魔は笑った。

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