千年後の世界

弟2話 目覚めの朝

――誰かの呼び声がする……。暖かく包み込む様な声。どこかで聞いたことがある気がするが、全く思い出すことはできない。次第に声は遠くなっていく。代わりに、別の呼び声が大きくなる。


「――おい、聞こえておらんのか。起きろと言っておる」


 何者かに呼び起こされて、勇者は徐々に覚醒する。瞼の向こう側から眩しい太陽の光を感じる。


 ゆっくりと瞼を開けると、鮮やかな緑が目に入ってくる。木々の隙間から差し込んでいる日光が眩しく暖かい。

 周囲に生い茂った木と背の低い鮮やかな花々。ここはどこかの森の中のようだった。


 勇者は目覚めたばかりのぼうっとした頭で必死に記憶を辿る。

――そうだ、俺は魔王との決着直前に、何者かに妨害を受けて……それから――


「やっと目が覚めたか、勇者よ」


 先ほどの声が勇者の思考を遮る。

 声のする方に意識を向けると、胸の辺りに鈍い重みと温もりを感じる。


「……猫?」


 仰向けに寝ている勇者の胸に乗っていたのは赤い瞳の黒猫だった。


「久しぶりじゃな、勇者よ。訳あってこんな姿になってしまったが、我が誰なのかは分かるじゃろう?」


 声の主はその猫の様だった。


「……俺には喋る猫の知り合いなんていなかったはずだが」


 勇者はわざとらしく素っ気ない返事をする。


「お主、薄々気づいているじゃろ」


 猫は目を細め睨むような仕草をする。


「やっぱり、魔王なのか。――という事はここは死後の世界か?」


 勇者は、何故猫に……という疑問よりも先に現状を確かめることにした。倒れた魔王と崩れていく迷宮。思い出せるのはそこまでだった。


「残念ながらはずれじゃ。仮にここが死後の世界ならば、我とお主が同じ場所におるはずがないじゃろう?」


「それじゃあ、ここは――」


「千年後じゃ」


 どこなんだ?と確認するより先に魔王が答えた。


「……なんて言った?」


 言葉は聞き取れていたが、意味が理解できずに聞き返す。


「ここはあの戦いから千年後の世界じゃ。何故だかは分からぬが、我々は千年間もの間、封印されていた様じゃ」


「それを見てみろ」


 状況が飲み込めていない勇者をよそに魔王が話を続ける。

 魔王の視線の先、勇者の周囲には、水晶の破片の様な物質が撒き散らかっていた。


「我々は水晶の様な魔道具の中に封印されていたのじゃ……心当たりはあるか?」


 勇者は記憶を巡らせるが、それらしき記憶は見当たらない。


「そうか、まあいい。あの黒装束の男が何者かということも含め、今考えても答えは出なそうじゃな」


 魔王は淡々と話を続ける。

 勇者は魔王の話に対し半信半疑だったが、深く考える前に目の前の疑問を解決することにした。


「それで、どうしてお前は猫の姿なんだ?」


 勇者は、目の前にいる毛艶の良い黒猫に問いかける。


「我の身体は、盗まれた……いや、持ち去られた、という方が正しいかの」


「それは、身体のみが連れ去られたということか?」


「今から七日ほど前のことじゃ。お主は水晶が砕けると同時に目を覚ました様じゃが、我は水晶が砕ける少し前、封印されている間に意識が覚醒したのじゃ。丁度その時、何者かが我の身体を水晶ごと運び出そうとしていてな。身体は動かせなかったものじゃから、近くにいた猫の死骸に意識のみを憑依させたという訳じゃ」


「だから猫に、という訳か。身体の方は大丈夫なのか?」


「心配するな。我の身体じゃぞ? そう簡単には壊せまい」


 魔王と呼ばれていた生物がどれほどの存在かを知っていた勇者は、「それもそうか」と納得した。


「俺は標的にされなかったのか?」


「お主が現れたのは、今から二、三日前じゃ。あの水晶は封印中に危険に晒されないようにどこかに消えておるんじゃろうな」


「お前は身体はその現れた数日の間に攫われたって訳か」


「そういうことじゃ。全く、運が悪いのか、それとも――」


 勇者が「それとも?」と聞くが、魔王は「いや、この話は今は考えなくていい」と話を切り上げる。


「それよりお主、ちょっと起き上がってみろ」


 魔王に言われて、仰向けに寝ていた勇者は体に力を入れ、起き上がろうとする。

 立ち上がった勇者は自身の身体に強烈な違和感を覚え、よろめいて近くの木に体重を預ける。


「なんだ……? 身体に力が入らない……?」


「やはりか……」


「何か知っているのか?」


「良いか。我々は現在、あの時の力の大半を失っておる。我は本来の身体を失ったのもあるじゃろうが……それにしても力が弱い。恐らく長い封印の副作用の様なものと考えて良いじゃろう」


「そうか、慣れるまで時間がかかりそうだな……」


「なんじゃ、案外平気そうじゃな。」


「俺はあの時死んだと思っていたんだ。こうして生きていられるだけで十分だ」


 それから勇者と魔王はいくつか問答を繰り返した。

 先に目覚めていたとはいえ、魔王も置かれている状態は勇者と変わらない。

 これ以上ここで話をしていても埒があかない、と感じた二人は、とりあえず森を抜けて文明のある場所を探すことにした。

 互いに、「文明と呼べるものが残っているのかすら分からない」という懸念には気づかないふりをしながら。

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遠い世界の冒険者〜封印された勇者と魔王は千年後の世界で旅をする〜 小豆 @amenhi777

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