第17集:春色の笑顔
ここは、とある豪華な屋敷の一角。
辺りが夜になっても、執事室は日中と変わらず慌ただしいままである。
だが――それは当然!
お嬢様の執事たる私の仕事に、休息はありえないのである!
はてさて。もうすぐで午後11時。
そろそろ私を呼ぶお嬢様の声が、屋敷中に響く時間である。
「執事ー!ちょっと来てくれるかしらっ!」
「はっ。ただいま向かいますお嬢様」
執事は足早にお嬢様の部屋へ向かう。すでに彼女は薄い桃色の頬を膨らませており、ベッドの横に佇んでいた。
そして待ち侘びた様子で、
「執事。春が待ち遠し過ぎて、寝られないわっ!」
幼さの残る声色を跳ねながら言葉を紡いでいく。
「一体どうしてくれるのかしらっ!!」
…はてさて。
ここからが私の仕事である。
「申し訳ありませんお嬢様。ではお嬢様の願いとは?」
するとお嬢様は意地悪気な笑顔を浮かべてみせた。どこか憎らしくも思えるが、年齢相応の無垢な少女の微笑みである。
彼女は
「だからこそこの想いを詩に込めてみたわ。今夜は私の詩を聞きなさい。以上よっ!」
春が待ち遠し過ぎて寝られない――ふむ。まったく関係は……ん?
普段通りの命令を聞き入れたはずの執事の耳に違和感がこびり付く。まさか三流執事のように聞き違えたのだろうか。
執事は怪訝に思いながらも、下げていた頭をゆっくり上げて柔和な物言いで言葉を続ける。
「お嬢様。この執事めのご無礼をお許し下さい。先ほどの要求としてはお嬢様の詩を私が聞く…それでお間違いないでしょうか」
「ふふん。さすが私自慢の執事ね。一言一句違わずにその通りよっ!」
お嬢様は得意げに答えてみせた。そして無邪気に笑いながら、
「さーて!またまたこの私の詩を聞けるのよ。しかも3回目だなんて執事は何て幸せ者なのかしらっ!私が執事になりたいぐらいだわっ!」
お嬢様が綴った詩を私が聞く――ふむ。どうやら今夜のお嬢様は一味違うらしい。
だが!
ここでお嬢様の願いを叶えられないようでは、それは三流執事!
残念ながら私は、一流執事なのでございます…。
「かしこまりました。それでは今夜はお嬢様の詩に心躍らせて頂きます」
執事は、瞼を細めてお嬢様を見つめた。
その瞳に応えるように、執事は答える。
「私、実は詩に関しては結構うるさいですよ?」
「ふふっ。今夜も待ってたわ」
彼女は待ち侘びたように、唇を小さく舐めてみせた。
「執事。仕事終わりに詩など如何かしら?」
◇◆◇◆
【第17集:春色の笑顔】
趣味が似てるから
いつもお出かけしてるね
時計の針 忘れて
同じ物見つめてる昼間
ぐう と鳴る隣の君に
思わず笑っちゃった
出会い方も 第一印象も
すべて 今の思い出に隠れている
今の方が 可愛いって
ほら早く言ってよ
居心地が とても良いから
自然と歩幅合わさっていく
昨日買った革のブーツ
そっと 肩寄せてみた
意地悪な笑顔で逃げる君
もう 晩ご飯抜きだからね
たまに喧嘩するけれど
いつも笑って終わってるね
トースター 忘れて
焦げたサンドイッチ
ごく と水で流し込む君に
思わず拍手しちゃった
ぎこちなさも 余所余所しさも
すべて 今の思い出に隠れている
今の方が 楽しいって
ほら早く言ってよ
心を許しているから
自然と呼吸合わさっていく
お気に入りの赤のヘアピン
そっと 今日変えてみた
頬染めて頭撫でる君
もう 不意打ち止めてよね
春先の木漏れ日に
よく似た君の笑顔
春は ここに居るのよ
お互い認めているから
自然と目線合わさっていく
2人はしゃぐ写真立て
そっと 玄関飾ってみた
行ってきますのキス多い君
もう 今日も早く帰ってきてよね
◇◆◇◆
「――さて如何かしら?執事」
「すー…すー…」
「ってバカ――!詩の後に寝るのは私だけの特権でしょ!執事のバカバカバカ――っ!」
もちろん狸寝入りである。しかし一流執事たる者、演技も本格的でなければ務まらない。お嬢様はすっかり騙された様子のまま、執事を起こそうと揺さ振った。
「バカバカっ!もう意地悪しないでよ!昨日爆睡しちゃった私が悪かったわよ!だからこうやって夜更かししてるんじゃないのバカ執事――っ!」
「すー…すー…」
しかし執事の悪戯心に火が灯ったのか、意地でも起きようとはしない。むしろ必死に笑いを堪える表情のまま頑なに目を閉じていた。
「起きてよ執事…いつもいつも私の
揺さ振る力が弱化してくる。声も若干震えを帯びており、泣き声へと変化しつつあった。執事は横たわったまま、泣き出しそうな彼女の頬を優しく撫でてみせる。
本当に眠ってしまったと信じていたのか、お嬢様は少しばかり肩を跳ね上げた。しかし安堵した声色で言葉を紡ぐ。
「バカ…」
「申し訳ありませんお嬢様。この執事のご無礼をお許しくださいませ」
しばらく見つめ合った後に、2人は何かを確かるように微笑んでみせた。
「随分遅くなっちゃったけど、この前の買い物で執事へのプレゼントを買っておいたのよ。せっかくだからサプライズとして渡したかったけど空回りしちゃったっ」
「ふふふ。知っておりましたよ。そして私も心ばかりのプレゼントでございます。お嬢様に似合うことを想像して用意させて頂きました」
そう言うと執事は、丁重に包装された紙袋もスーツの内ポケットから取り出した。可愛らしいリボンも施されているのは、執事の一種こだわりである。
「嬉しい…」
彼女は頬を紅潮させながら、紙袋を抱き締める。胸一杯に注がれる執事の愛情を全身で感じていたのだろう。
にっこりと笑った表情は、いつもの悪戯な笑顔ではなく——年齢相応の愛らしい少女の笑顔そのものだった。
「中身は何でも構わないわ。執事から貰った物は一生大切にするからねっ」
「ふふふ。執事冥利に尽きます…」
はてさて。もう夜も深い。
それではあなた様も、どうか良い眠りを。
え?私が渡したプレゼントの中身は何ですって?
さて何でしょうねえ…。
ただ一つ申し上げるならば、中身を見たお嬢様が「さっきまでの乙女の純情を返せ!」と夜通し叱ってきましたがね。
ふふふ。本当にお嬢様は悪戯の甲斐があって困りますね。
そう。
まるで小学生の頃に好きな異性に悪戯してしまう心理でしょうかねえ…おっと。変なことを呟いてしまいた。
そう言えばお嬢様からのプレゼントは茶請けの菓子でございます。
買い物から時間が経っており、賞味期限が過ぎておりましたが仕事終わりの紅茶と共に召し上がりましたよ。お嬢様よりのプレゼント大変美味でございました。
はてさて。では改めましてここまでお付き合い下さりありがとうございます。
それでは本日も、良い眠りを――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます