第16集:時代に乗って
ここは、とある豪華な屋敷の一角。
辺りが夜になっても、執事室は日中と変わらず慌ただしいままである。
だが――それは当然!
お嬢様の執事たる私の仕事に、休息はありえないのである!
はてさて。もうすぐで午後11時。
そろそろ私を呼ぶお嬢様の声が、屋敷中に響く時間である。
「執事ー!ちょっと来てくれるかしらっ!」
「はっ。ただいま向かいますお嬢様」
執事は足早にお嬢様の部屋へ向かう。すでに彼女は薄い桃色の頬を膨らませており、ベッドの横に佇んでいた。
そして待ち侘びた様子で、
「執事。令和の次が気になり過ぎて、寝られないわっ!」
幼さの残る声色を跳ねながら言葉を紡いでいく。
「一体どうしてくれるのかしらっ!!」
…はてさて。
ここからが私の仕事である。
「申し訳ありませんお嬢様。ではお嬢様の願いとは?」
するとお嬢様は意地悪気な笑顔を浮かべてみせた。どこか憎らしくも思えるが、年齢相応の無垢な少女の微笑みである。
彼女は
「私を寝かしつけなさい。以上よっ!」
不敵な笑みを浮かべており、まるで執事を試している様子だ。しかし言動は、やはり子供そのものである。
令和の次が気になり過ぎて寝られない――ふむ。まったく関係は無い。
だが!
ここでお嬢様の願いを叶えられないようでは、それは三流執事!
残念ながら私は、一流執事なのでございます…。
「承知しました。それではここで一つ提案がございます」
執事は下げていた頭をゆっくりと上げて、瞼を細めてお嬢様を見つめた。
その瞳に応えるように、執事は答える。
「私、実は詩を書くことが趣味でございまして…」
「ふふっ。今夜も待ってたわ執事」
彼女は待ち侘びたように、乾いた唇を小さく舐めてみせた。
「お嬢様。寝る前に詩など如何です?」
◇◆◇◆
【第16集:時代に乗って】
ずっと待っている
子供の頃 憧れた夢と希望が かくれんぼ
下の視線に 同じ年齢の 父を見た
靴紐直してくれる背中 大きくて
昭和を彩る歌謡曲
あなたが いつも聞くから
不意に
平成を超えて
産声を上げる先の時代
あなたのように
未来の遺産 抱えられるだろうか
今 あなたの雄大さに
言葉を失うばかり
時代を翔ける その逞しさ
寵愛に包まれた過去
次に伝えなければならない
仰ぎ見る
慕う右側の筆箱
ずっと置いている
子供の頃 続く夏休みの宿題が かくれんぼ
下の視線に 同じ年齢の 母を見た
連絡帳確認する眼差し 優しくて
昭和を飾る名俳優
あなたが いつも口にするから
何故か覚えてしまう
平成を超えて
産声を上げる令和の時代
あなたのように
未来の財産 語り継げるだろうか
今 あなたの寛大さに
感服するばかり
時代を翔ける その
慈愛に包まれた過去
次に教えなければならない
流るる 青雲よ…
今を生きる誉れ
時代の先に 僕たちは何を見るのだろう
今 2人の偉大さに
敬慕するばかり
時代を翔ける その麗しさ
恵愛に包まれた過去
次に繋げなければならない
魅せうる 彩雲よ…
時代の風に
乗っていく 乗っていく 乗っていく
◇◆◇◆
「――さて如何でしょう?お嬢様」
「すー…すー…」
おやおや…。
どうやらお嬢様は、眠ってしまったようでございます。
はてさて。もう夜も深い。
それではあなた様も、どうか良い眠りを。
え?
私はいつ眠るのか、ですって?
いやはや…お優しいお心遣いありがとうございます。
しかし心配はご無用でございます。
執事たる者。
お嬢様のためならば休息など必要ございませんゆえ…。
それにまたすぐに、お嬢様から呼ばれるかもしれませんから――ね。
「それでは今夜もこれにて失礼します。おやすみなさいませお嬢様」
執事は慣れた様子で、深々と礼をしてみせた。しかし本日の礼は普段に比べて緩慢な動作であり、丁寧過ぎるほどである。
相も変わらず寝息を立てて眠るお嬢様の枕元で深々と頭を下げたまま、執事はしばらく佇んでいた。
「それでは今夜もこれにて失礼します。おやすみなさいませお嬢様」
執事は一言一句同じ言葉を繰り返してみせた。まるで何かを待っているかのようである。しかし姿勢を変えることなく再度佇むが、変わらずお嬢様の返答は寝息だけである。
眠るお嬢様と、枕元で頭を下げたまま執事。全く変わり映えのない光景だけが流れていく。
額の汗が顎まで到達しそうになった頃合いである。執事はフッと短く笑った後、大きく息を吸って、
「それではあああああ!今夜もおおおぉおおお!!」
彼女の絢爛豪華な部屋全体に響き渡るかのような声量で、再度挨拶を繰り返しだす。それでも姿勢だけは崩さないのが、一流執事たる矜持かもしれない。
「これにてえええええ!失礼しまぁぁあああぁあす!!」
「すー…すー…」
「おぉぉぉおおおおおぉおおおやすみなさいませぇぇえええええ——!!」
「すー…すー…」
「お嬢様ぁぁああああぁあああああああああぁああああああああああ————っ!!」
血管が浮き出るほどの力を用いたのか、頭を下げたまま肩で息をしていた。しかし耳元での轟音も眠りについた彼女にとっては、子守歌に等しい。
「すー…すー…」
彼女は一度眠ると誰も起こせないほど寝入りが深いのだった…。
執事は満足そうに眠る彼女の寝顔を一瞥した後、踵を返して扉へ向かった。
カツカツカツ。
相も変ららず執事の革靴の音は良質なものである。しかしこの甲高い音もまた彼女にとっては良眠の一部でしかないのだ。
執事は慣れた様子で彼女の部屋を出た後、自慢の健脚で大理石の廊下を一目散に駆けだした。革靴の甲高い音が間断なく屋敷中に響き渡る。
「今日俺にプレゼントは渡すんじゃねえのかよおおおおおお!どれだけ期待してたと思うんだあああああああああ。なに普通に寝てんだお嬢様ぁぁああああぁあああああああああぁああああああああああ————っ!!」
…その夜、執事の魂の叫び声によって屋敷中の召使いが眠れなかったという。もちろん翌日、主人より厳重に注意されたのは言うまでもない事実である。
いやはや…この執事たる者。昨日に続いて子供じみた言動で、御眼汚し致して申し訳ありませんでした。
さてはて…夜もより一層深くなって参りました。
あなた様も、本日はここまでお付き合い下さり誠に感謝でございます。
いやはや。
この執事、柄にも無く動揺しておりますゆえ…。弛んでいる証拠でしょうかね。
それでは本日も、良い眠りを――。
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