第15集:贈り物

 ここは、とある豪華な屋敷の一角。

 辺りが夜になっても、執事室は日中と変わらず慌ただしいままである。


 だが――それは当然!

 お嬢様の執事たる私の仕事に、休息はありえないのである!


 はてさて。もうすぐで午後11時。

 そろそろ私を呼ぶお嬢様の声が、屋敷中に響く時間である。


「執事ー!ちょっと来てくれるかしらっ!」


「はっ。ただいま向かいますお嬢様」


 執事は足早にお嬢様の部屋へ向かう。すでに彼女は薄い桃色の頬を膨らませており、ベッドの横に佇んでいた。

 

 そして待ち侘びた様子で、


「執事。プレゼントが欲し過ぎて、寝られないわっ!」


 幼さの残る声色を跳ねながら言葉を紡いでいく。


「一体どうしてくれるのかしらっ!!」


 …はてさて。

 ここからが私の仕事である。


「申し訳ありませんお嬢様。ではお嬢様の願いとは?」


 するとお嬢様は意地悪気な笑顔を浮かべてみせた。どこか憎らしくも思えるが、年齢相応の無垢な少女の微笑みである。


 彼女はおもむろに執事を指差して、


「私を寝かしつけなさい。以上よっ!」


 不敵な笑みを浮かべており、まるで執事を試している様子だ。しかし言動は、やはり子供そのものである。


 プレゼントが欲し過ぎて寝られない――ふむ。まったく関係は無い。


 だが!

 ここでお嬢様の願いを叶えられないようでは、それは三流執事!


 残念ながら私は、一流執事なのでございます…。


「承知しました。それではここで一つ提案がございます」


 執事は下げていた頭をゆっくりと上げて、瞼を細めてお嬢様を見つめた。

 心做こころなしか彼女の瞳は、従順な仔犬のように期待に満ちているようだった。しかしこれもまた見慣れた日常の一幕である。


 その瞳に応えるように、執事は答える。


「私、実は詩を書くことが趣味でございまして…」


「ふふっ。今夜も待ってたわ執事」


 彼女は待ち侘びたように、乾いた唇を小さく舐めてみせた。





 ◇◆◇◆




【第15集:贈り物】


 暮れゆく かの街並み

 照らす陽の中に 揺れる君の影

「少し寒くなってきたね」と埋め合わせの言い訳

 触れたい素直な気持ち 隠して

 両手を握って 温めた


 ひんやり熱い

 その矛盾の距離感に

 少しだけ 胸の奥がざわついている

 指と指が 2人ならば

 いくら絡みついても 同じにはならない

 そんな真実 今の僕なら不条理とは言わない


 君の名前を 不意に呼ぶと

 わざとらしく聞こえてしまうけれど

 きっと 忘れない ときめきを感じている

 目の前の君と

 君の髪を 不意に撫でると

 わざとらしく見えてしまうけれど

 細やかな幸せに 口の端が上がっている

 目の前の僕は



 鞄1つと僅かな荷物で

 暮らす日々の中に 言葉を添える

「少しだけ ほんの少しだけ」と不完全な言い訳

 最後まで言わなくても 伝わる

 視線重ねて 笑い合った


 伝えたい 伝えない

 その曖昧な心の起伏に

 言葉の奥では 霧が掛かっている

 目と目が 2人ならば

 近過ぎても 遠過ぎても見えない

 そんな回答 今の君なら花丸くれるかな


 君と視線を 不意に合わせると

 わざとらしく映るけれど

 慣れないことで つい笑ってしまう

 目の前の君と

 君の顔を 不意に抱き締めると

 赤い頬は隠せられるけれど

 脈打つ速さまでは ごまかせない

 目の前の僕は



 たった一言

 口にしたいだけ

「君に渡したいものがあるんだ」

 その言葉すら 照れくさくてごまかす僕を

 君は静かに笑う

 

 そんな君と僕




 ◇◆◇◆




「――さて如何でしょう?お嬢様」


「すー…すー…」


 おやおや…。

 どうやらお嬢様は、眠ってしまったようでございます。


 はてさて。もう夜も深い。

 それではあなた様も、どうか良い眠りを。


 え?

 私はいつ眠るのか、ですって?

 

 いやはや…お優しいお心遣いありがとうございます。


 しかし心配はご無用でございます。


 執事たる者。

 お嬢様のためならば休息など必要ございませんゆえ…。


 それにまたすぐに、お嬢様から呼ばれるかもしれませんから――ね。 


「それでは本日もまた良い眠りを。お嬢様」


 静かな呼吸をする彼女を抱きかかえて、桃色を基調としたベッドへ優しく降ろす。

 小さく軋むベッドからは、当然のように埃一つも舞い上がらなかった。それは一流に名折れしない、執事の日々の掃除の賜物である。陽の香りを浴びた布団は、新品同様の柔らかさに満ちていた。


 静かな寝息は、とても心地良さげである。まるですべてを委ねたかのように、安心に包まれた表情を眺めることは、執事にとっても至福の一時だった。


 だが本日の寝顔には、少々違和感がある。

 お嬢様の瞼は閉じているのだが、どこか執事の顔色を窺うような、真っ直ぐな視線を感じる。それは、眼前で眠っているはずの彼女の寝顔から発せられていた。


 執事は悟ったかのように小さく微笑んだ。そして普段の保たれた礼節をかなぐり捨てて、


「あーあ。お嬢様も寝ちゃったから、このまま部屋から出ようかーなーっと。もう寝てるかーらーなぁ――――」


 まるで悪戯を仕込む少年のような声色だった。


「あーあ。せっかくお嬢様が好きなトランプ遊びでもしようかなーって思ってたのになー。でも寝てるから出来ないなー。あー残念だーなぁ――――」


「……!」


 お嬢様の唇が堪えるようにプルプルと小刻みに震え始めた。しかしお嬢様は、ここで起きる訳にはいかない。


 そう、起きてはならないのだ!

 なぜならば寝ている状態から、いきなり執事へプレゼントを渡すというサプライズを計画しているからである!


 そのプレゼントは前回、執事が同伴した買い物で、眼を盗んで密かに買った代物である。お嬢様ほどの大令嬢からすれば、安い代物かもしれない。


 だがこのプレゼントは自らが家事手伝いを実施して、報酬でお小遣いを強請ねだって貯めたプレゼントである。


 云わば労働を得て手に入れた、立派な代物に相違はない。だからこそ半端に渡すのではなく、サプライズを込めて渡したいという細やかな乙女心ゆえだった。


(…執事め!私の純情を逆手に取って、こんな仕打ちを~~~~!)


 狸寝入りがすでに知られた状態では、このサプライズは破綻したも同然である。しかし一度決め込んだ以上、簡単に意志を曲げるほど彼女のプライドは安くない。彼女はここで狸寝入りを続ける他ないのである。


 煮え渡る想いを悟られないように、お嬢様は腹に仕込んだプレゼントの袋を強く摘まんだ。紙袋を摘まむ音が布団から漏れていたが気にも留める余裕は残されていない。


「あーぁ。お嬢様が寝ているなら仕方ないなぁ――。遊びはまた今度にしよ――っと。うん。そうしよ――――っと!」


 相変わらず悪戯を覚えた少年のように、執事は手を大きく振って扉へ踵を返した。時折、振る手と進む足が重なって、同時に出て進行していた。


 そして質の良い革靴を鳴らしながら、部屋の外へ出て行く。扉の外で、大理石の床に鳴る執事の足音が遠ざかっていった。


 ベッドから聞き耳を立てて、足音が消えるのを確認した後、


「もう――っ!執事のバカ―――――――っ!!」


 幼さの残る乙女の叫びが、屋敷中を駆け巡った。屋敷中のシャンデリアが、乙女の純情に驚いたように小さく揺れた。


 そんな奮闘を余所に、執事は大広場にて紅茶を嗜んで一呼吸を置く。


 本日の仕事終わりの一杯は、カモミールの紅茶である。

 心を落ち着かせる芳醇さを持つ香りでなければ、この動揺は抑えられない。蜂蜜も一差し垂らして甘みを調和させた。


 執事は紅茶で潤んだ唇で、大きく息を吐いてから、


「お嬢様…そのお言葉。そっくりそのまま、お返し致しますよ」


 そして純白のテーブルクロスに、無造作に置かれた紙袋を一瞥した。それはリボンも付け加えられており、可愛らしい装飾が施されてプレゼント用の紙袋だった。


 つまりお嬢様が、執事の眼を盗んで密かにプレゼントを買っていた時、執事もまた同様の行動に勤しんでいたのである。そして普段同様に眠った後、枕元に紙袋を置くというサプライズまで考えていたのだ。


「…まったく。今日に限って、なぜ起きているのですかお嬢様」


 どうやら本日の紅茶は、一杯では足りそうもございません。

 いやはや…この執事たる者。自覚しておりませんでしたが、案外嘘を付くのが下手なのかもしれませんね。


 子供じみた言動で、御眼汚し致して申し訳ありませんでした。


 さてはて…夜もより一層深くなって参りました。

 あなた様も、本日はここまでお付き合い下さり誠に感謝でございます。


 しばらくはお嬢様とのサプライズ合戦になる気配がしております。いやはや。この執事、柄にも無く少々動揺しておりますゆえ…。


 それでは本日も、良い眠りを――。

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