第10集:懐かしさの陽だまり

 ここは、とある豪華な屋敷の一角。

 辺りが夜になっても、執事室は日中と変わらず慌ただしいままである。


 だが――それは当然!

 お嬢様の執事たる私の仕事に、休息はありえないのである!


 はてさて。もうすぐで午後11時。

 そろそろ私を呼ぶお嬢様の声が、屋敷中に響く時間である。


「執事ー!ちょっと来てくれるかしらっ!」


「はっ。ただいま向かいますお嬢様」


 執事は足早にお嬢様の部屋へ向かう。すでに彼女は薄い桃色の頬を膨らませており、ベッドの横に佇んでいた。

 

 そして待ち侘びた様子で、


「執事。お昼寝の陽だまりが心地良過ぎて、寝られないわっ!」


 幼さの残る声色を跳ねながら言葉を紡いでいく。


「一体どうしてくれるのかしらっ!!」


 …はてさて。

 ここからが私の仕事である。


「申し訳ありませんお嬢様。ではお嬢様の願いとは?」


 するとお嬢様は意地悪気な笑顔を浮かべてみせた。どこか憎らしくも思えるが、年齢相応の無垢な少女の微笑みである。


 彼女はおもむろに執事を指差して、


「私を寝かしつけなさい。以上よっ!」


 不敵な笑みを浮かべており、まるで執事を試している様子だ。しかし言動は、やはり子供そのものである。


 お昼寝の陽だまりが心地良過ぎて、寝られない――ふむ。まったく関係は無い。


 だが!

 ここでお嬢様の願いを叶えられないようでは、それは三流執事!


 残念ながら私は、一流執事なのでございます…。


「承知しました。それではここで一つ提案がございます」


 執事は下げていた頭をゆっくりと上げて、瞼を細めてお嬢様を見つめた。

 心做こころなしか彼女の瞳は、従順な仔犬のように期待に満ちているようだった。しかしこれもまた見慣れた日常の一幕である。


 その瞳に応えるように、執事は答える。


「私、実は詩を書くことが趣味でございまして…」


「ふふっ。今夜も待ってたわ執事」


 彼女は待ち侘びたように、乾いた唇を小さく舐めてみせた。





 ◇◆◇◆




【第10集:懐かしさの陽だまり】


 瑠璃色の野辺には かつての光

 揺れる水面に指先触れて

 波の子守唄に 心委ねる


 焼け落ちた 思い出の輪郭

 もう一度 確かめたくて

 錆びた写真に唇添える

 今夜だけは わがままを許して


 途方に暮れたまま迎える 遠くの夕陽

 響く風鈴の残響は

 切なさを薄化粧に 小さく手を振っているよう


 遥か遠く…

 星空の欠片に腰掛けて

 指の隙間から 透明な明日を覗いてみる

 夜半に咲く影法師が 

 絵具となって溶けていく

 沁みる傷跡 握り締めて



 弧を描いて飛ぶ かつての言葉

 翡翠の雲間に戻らない夏

 小さなポケットに 忍ばせたい


 恋焦がれた 憧れの陽炎

 もう二度 知る由もない

 腕の中で眠る君 見下ろす

 今夜だけは 離れたくないと伝えて


 初めて独り訪れる 静寂の朝焼け

 君の居ない初めての今日は

 少しばかり戸惑い迷って 弱音に服従しているよう



 遥か遠く…

 月の裏側で跳ねる子兎に

 君は今頃 真白な微笑み映す

 そよ風に乗る銀の羽根が

 幻として舞い降りる時

 どうか消えずと 願うばかり


 遥か遠く…

 舞い散る街路樹の花々が

 足跡色付かせて 未来を急き立てる

 後ろ髪引く潤んだ瞳が

 またね と呟く

 癒えぬこの棘 抱き締めて


 寂しさが懐かしさに変わる時

 きっと夢で また会えると信じて

 ここで待っている




 ◇◆◇◆




「――さて如何でしょう?お嬢様」


「すー…すー…」


 おやおや…。

 どうやらお嬢様は、眠ってしまったようでございます。


 はてさて。もう夜も深い。

 それではあなた様も、どうか良い眠りを。


 え?私でございますか?

 お心遣いありがとうございます。しかし心配は、ご無用。


 執事たる者、休息など必要ございませんゆえ…。


 またすぐに、お嬢様に呼ばれるかもしれませんから――ね。


「お休みなさいませ。お嬢様」


 彼女の静かな寝顔を確認したのち、執事は桃色を基調とした華やかな布団をそっと被せる。絢爛豪華を体現したようなベッドは、毎日干して手入れが行き届いており、陽の香りを帯びて安らぎに満ちていた。


 隅々まで行き届いた執事の丁寧な仕事ぶりに、お嬢様は仔猫のように布団へ埋まっていく。彼女の安堵に満ちた寝顔を一瞥いちべつすることもまた、執事の仕事をこなす上でのやりがいの一つだった。


「では――失礼します」


 眠りを妨げないように、小さく礼を済ませると扉へ踵を返した。しかし一歩足を踏む出した時である。


「待ちなさい執事。ひ…久しぶりに眼が冴えちゃって寝られないわっ」


 背を向けた執事の裾を、小さな感触が掴む。布団の間から伸びる愛着は、どこか甘えるような口振りで立ち止まらせる。


 思わず吃る彼女の言葉に、執事は小さく微笑んだ。


「おやおや…お嬢様。何時ぞやの夜を思い出す次第でございます」


「この私、直々の命令よ。も、もう少しここに居ることを許すわっ!」


「さてお嬢様が申し上げる許す、とは一体どういう意味合いでございますかな?」


 悪戯心に火が点いた執事の言葉に、思わずたじろんだ。布団を鼻先まで被っているが、紅潮しているのことが一目で分かるほどである。


 そして照れたままの口振りで、


「きょ、今日…。そう!今日で10日間連続でしょ!」


「ふふふ。何がです?本日の国語の勉学で、主語述語はしっかり述べよと教えたはずでは?」


「もうっ!私に仕える執事が悪戯だなんて卑怯なんだからね!詩よ、詩っ!10日間ずっと詩を語り聞かせてくれたじゃない!」


 相変わらず掴んだままの裾が、ぎゅっと強くなる。


「10日間ずっと読んで、疲れているんじゃないかと心配する私の配慮よ!今日はもう少しこの部屋に留まって、私の側で疲れを癒すことを許すわっ!」


「ふふふ。あまり疲れてないと言ったらどうします?」


 どうやら本日は、執事の方が一枚上手である。


「むむむ…!今日は一枚岩ではいけないようね…!」


 変わらず裾を掴んだままであったが、お嬢様はムクリと身体を起こした。同時に鼻先まで布団を被って隠れていた表情が露わとなる。


 一筋縄では進まない本日の執事に奮闘していたのか、分かり易く頬を膨らませて佇んでいた。


 執事は彼女の子供らしい表情を見て満足気に笑って応えてみせる。そして、


「ふふふ。冗談でございます。この執事めの茶目っ気と捉えて、ご無礼をお許し下さいませ」


「ふん…許さないもんっ!」


 彼女はわざとらしく、そっぽを向いてみせた。そんなお嬢様へと近付きながら、

 

「罰として今宵は――」


 執事はお嬢様のベッドへと腰掛ける。低反発の心地良い感触が、臀部より感じた。


「お嬢様が気が済むまで、お話を語り尽くす次第でございます。これが今宵の処罰と決するのに、いささかご不満はございませんか?」


「休日のお買い物も付き合ってもらうんだからねっ!そして帰り道には、一緒にクレープを食べることも追加よ!」


「ふふふ。了解でございます。お嬢様」


 さてはて…今宵の夜は少し長くなりそうでございます。

 しかしこの執事。お仕えするお嬢様の願いとならば、休息など要りませぬゆえ…。


 夜も、より一層深くなって参りました。

 あなた様も、本日はここまでお付き合い下さり誠に感謝でございます。


 え?

 お嬢様とお買い物の様子は、いつ語られるのかですって?


 ふふふ。それはお嬢様が、また起きた時のお楽しみでございます。私にも、いつなのか分かりますまい。

   

 ただ一つ分かることは――またすぐにお嬢様に呼ばれるということだけでございます。

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