第4集:空と海のときめき

 ここは、とある豪華な屋敷の一角。

 辺りが夜になっても、執事室は日中と変わらず慌ただしいままである。


 だが――それは当然!

 お嬢様の執事たる私の仕事に、休息はありえないのである!


 はてさて。もうすぐで午後11時。

 そろそろ私を呼ぶお嬢様の声が、屋敷中に響く時間である。


「執事ー!ちょっと来てくれるかしらっ!」


「はっ。ただいま向かいますお嬢様」


 執事は足早にお嬢様の部屋へ向かう。すでに彼女は薄い桃色の頬を膨らませており、ベッドの横に佇んでいた。

 

 そして待ち侘びた様子で、


「執事。南国旅行に行きた過ぎて、寝られないわっ!」


 幼さの残る声色を跳ねながら言葉を紡いでいく。


「一体どうしてくれるのかしらっ!!」


 …はてさて。

 ここからが私の仕事である。


「申し訳ありませんお嬢様。ではお嬢様の願いとは?」


 するとお嬢様は意地悪気な笑顔を浮かべてみせた。どこか憎らしくも思えるが、年齢相応の無垢な少女の微笑みである。


 彼女はおもむろに執事を指差して、


「私を寝かしつけなさい。以上よっ!」


 不敵な笑みを浮かべており、まるで執事を試している様子だ。しかし言動は、やはり子供そのものである。


 南国旅行に行きた過ぎて寝られない――ふむ。まったく関係は無い。


 だが!

 ここでお嬢様の願いを叶えられないようでは、それは三流執事!


 残念ながら私は、一流執事なのでございます…。


「承知しました。それではここで一つ提案がございます」


 執事は下げていた頭をゆっくりと上げて、瞼を細めてお嬢様を見つめた。

 心做こころなしか彼女の瞳は、従順な仔犬のように期待に満ちているようだった。しかしこれもまた見慣れた日常の一幕である。


 その瞳に応えるように、執事は答える。


「私、実は詩を書くことが趣味でございまして…」


「ふふっ。今夜も待ってたわ執事」


 彼女は待ち侘びたように、乾いた唇を小さく舐めてみせた。





 ◇◆◇◆




【第4集:空と海のときめき】


 今 この景色

 知らないなら 静かに伝えたい

 喧騒の裏側にある 安らぎ

 少しだけ 覗いてみて


 夢を見せて上げる

 ここが君の扉を 開けるはずだよ

 揺れる黒髪に似合う

 南国のロマンへ


 君と肩並べてから

 すべては始まる

 心の水面 滑るように

 さぁ 空へ飛び込むのさ

 背には満開の夜

 君だけの ドラマが待っている



 昔 この景色

 覚えているなら 再び伝えたい

 空寂くうじゃくの裏側にある ほころ

 少しだけ 笑ってみせて


 夢を叶えて上げる

 愛の形 変わるけど 景色は変わらない

 なびく帽子押さえる

 南国のロマンへ


 何度でも2人から

 すべては始まる

 心の湖畔 舞うように

 さぁ 空へ飛び込むのさ

 背には 万朶ばんだの光

 君だけの ドラマが待っている



 いつまでも 

 これからも

 君が笑うたびに

 ときめき もう一度


 君と出逢ってから

 すべては始まる

 心の岸部 遊ぶように

 さぁ 空へ飛び込むのさ

 背には 爛漫らんまんの星

 2人だけの ドラマが待っている




 ◇◆◇◆





「――さて如何でしょう?お嬢様」


「すー…すー…」


 おやおや…。

 どうやらお嬢様は、眠ってしまったようでございます。


 はてさて。もう夜も深い。

 それではあなた様も、どうか良い眠りを。


 え?

 私はいつ眠るのか、ですって?

 

 いやはや…お優しいお心遣いありがとうございます。


 しかし心配はご無用でございます。


 執事たる者。

 お嬢様のためならば休息など必要ございませんゆえ…。


「ふふっ。なーんてね。まだ眠ってないわよ執事」


 雲のように柔らかい枕に埋もれたままでお嬢様が呟く。そしてムクリと身体を起こすと、悪戯な笑顔で舌を出して笑ってみせた。


 流れるような長い髪が、小さく揺れていた。


「えへへ」


「おやおや…お嬢様。その様子ですと、今宵の詩は安眠の御供としては、少々力不足でしたかな?」


 執事は、部屋を出ようと扉に手を掛けたままの姿で、踵を返して振り向いた。彼女の視線に瞳を合わせると、どこか甘える仔猫のような視線を送っていた。


「いいえ。お蔭さまで堪能させて貰ったわ。でも執事。あなた大切なことを1つ忘れてるわ」


 さらに彼女は、言葉を紡ぐ。


「これを忘れちゃうだなんて、私自慢の一流執事とは名乗れないわっ!」


 お嬢様は意地悪を孕ませて、大きく胸を張って言い放つ。執事を試すような物言いであるが、彼は柔和な表情で見つめた。


 

 そう言い切る彼女の言葉に、思わず口角が緩む。彼女が高慢な態度を取る時は、密かに甘えたい時である。言わば照れ隠しの裏返しで相違はない。


 長年お嬢様の成長を見届けた執事だからこそ、理解できる極致である。


 執事は微笑んだまま、


「…では。お嬢様より直々にご指導ご鞭撻を賜れますか?私を一流へと花咲かせる金言を」


「わ、私は南国旅行に行きたいのよ…!そう考えると答えは、自ずと見えてくるはずよっ!」


 言葉を言い終わると同時に、お嬢様の白い頬は薄紅へと染まっていった。

 

「せ、せっかくだから旅行に行った過程でお話がしたいのに、今夜は詩だけなんて物足りないわっ!だから――」


 お嬢様は尻すぼみになるように、徐々に声音が小さくなりながらも、


「だから…もう少し一緒に居てよ」


「ふふふ。この執事、お嬢様の願いであれば何でも従いますゆえ…」


 お嬢様の表情が陽のように、ぱぁっと明るくなった。

 その表情は、まだまだ無邪気な年相応な子供の笑顔だった――。


 さてはて…今宵の夜は少し長くなりそうでございます。

 しかしこの執事。お仕えするお嬢様の願いとならば、休息など要りませぬゆえ…。


 夜も、より一層深くなって参りました。

 あなた様も、本日はここまでお付き合い下さり誠に感謝でございます。


 え?

 今回のようにお嬢様が起きている時は、次いつですって?


 ふふふ。それはお嬢様の気分次第でございます。私に分かりますまい。

   

 ただ一つ分かることは――またすぐにお嬢様に呼ばれるということだけでございます。

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