第5話 理解と諦め
彼女との
「なあ、真面目な質問なんだが、お前は俺のこと覚えているか?」
「――ッ!?」
予期しない言葉に表情が強張った。なぜこんな質問をしたのか、頭の中は疑問であふれかえっていた。彼がこの体の中身が変わったことに気が付いたのか。たしかに細かいところの主人公の性格など自分は知らない。話の節々に違和感があったのかもしれない。誤魔化そうとも考えたが、口ごもってしまった時点で何らかの言い訳が必要だろう。挙動不審になりながらも弁解の言葉を口にしようとしたが、彼は腕を伸ばしてそれを止めた。
「……いやもういい、よくわかった。まあその態度ではっきりしたな。……お前も記憶がなくなってたんだな。ディーテと同じ反応だし」
いったい彼は何を言っているのだろう。そして何度目だろうか、この自分だけが置いてけぼりになっている感覚。彼は答え合わせをしたみたいだが、何に納得しているのかわからなかった。言葉だけなら自分をからかっているともとれるが、彼は真剣な顔つきがとても冗談には思えなかった。
「アレス、お前は祝福についてどこまで覚えている?」
突然彼はこちらに対してそんな問いかけをしてきた。少し考えてゲームの内容が通用するか判断が付かなかったので、ただ首を横に振った。彼は深くため息をついてから
「お前がどこまで覚えているかわからないから、すべて知らない前提で話すぞ。祝福は精霊神様から選ばれたやつが加護を付与されることだ。ディーテなら『勇者』ってな。お前も集中すれば加護がわかるはずだ。まあ俺は授かってないから、そこらへんはディーテからの受け売りだけどな」
ここは素直に従ってみようと思った。言われた通り一度内面を探るように集中してみた。ゲームでは主人公の加護は『剣士』だったはず。集中しただけでわかるものなのか半信半疑だった。
「あっ……」
だが実際にやってみると、どういう原理か不明だが『剣士』だと主張する何かが体の中に存在していた。昨日、彼女と別れる前にはなかった感覚だ。
「その顔は何か掴んだ感じだな。基本的にその加護に適応した能力が向上するらしいな」
彼の言葉はゲームの設定と同じことを説明していた。やはりこの世界はあのゲームをベースにしているのか。
「でだ、ここまでが祝福の恩恵。そしてここからが祝福の弊害だ。お前が俺をわからなくなったように記憶がなくなるんだ。教会は精霊神様による試練だとか言っているけどな」
(……もしかして、あの設定か)
そこまで言われてようやく思い当たるものが出てきた。たしかにあの物語にはそんな設定があった。でもそれは極一部のキャラクターにしか語られていない設定のはず。そもそも記憶障害は該当しないキャラクターがほとんどだったし、もちろん主人公だってそんな描写はなかった。ほとんど活用されていない設定だったが、それがこの世界では適用されている。自分の持っているゲーム知識の信頼が揺らいでしまった。
「失う記憶は人によって違うみたいだがな。……ちなみにディーテは親とお前以外の記憶がさっぱりだけどな。俺なんて最初不審者扱いだぜ、マジで泣ける」
勇者であるディーテまでそんな設定があるとは知らなかった。でもよく考えると今の自分にとっては都合がいい設定でもある。アレスという人物がこれから何をするかはゲーム内で見て知っている。だがそれ以外、ゲーム開始前の出来事などは知らない。それにこの世界の常識だってわからないことが大半だ。
そんな状況で記憶喪失の設定はあまりに都合がいい。それに幸運なことに彼は自分に対して友好的な人物に思える。この設定に便乗すれば怪しまれずにアレスとして生きていくことができる。そんな未来への計画が頭の中で立てられた。
「で、お前はどうなんだ。だれか覚えているか? 補足だがディーテのやつは飯の作り方も忘れてやがったぞ」
先程から彼はこちらが暗くならないように冗談交じりで話しかけてくれる。頼れる先輩のような親しみやすさを感じられる。
「すまない……ほとんど覚えていない」
そんな彼に頼るため、全部まとめて忘れたことにした。これからの行動で不審なことがあってもすべて記憶喪失によるものとするために。
「おいおい、マジかそれ。ディーテ以上にやべえな」
彼は深刻な顔をして、右手で髪をかきむしった後、自分に対して言葉を発した。彼には申し訳ないが現状頼れるのは彼だけである。いつか必ず恩は返すと心の中で宣言した。その後、彼からは井戸の場所などの日常生活において必要なことを教えてくれた。一通り教えてもらった後で彼は最後に一つ提案をした。
「少し元気が出たら村のみんなに挨拶に行くのもいいんじゃないか。みんな心配してたし、それに何か思い出すかもよ。それに事情は俺の方から話しておくから。とりあえず今日はこれから仕事もあるから、また明日来るわ。じゃあな」
そう言って、彼は背を向けて立ち去った。その背中に心の中でだが感謝した。
彼との会話でこの世界のことを多く知れた。そしていまだに目が覚める気配はない。もはや九割方この世界が現実……いわゆる転生をしたのだと思った。しかし今まで生きてきた経験、培ってきた常識。それらが転生ということをあと一歩というところで拒絶していた。だから区切りとして一つ決めた。明日起きた時にまだこの世界なら完全に認めようと。自分はゲームの世界に転生したのだと。一度決めてしまえば心が楽になった。今までずっと考えすぎて精神的疲れていた。
一休みした後、彼に勧められたとおり村の中を見て回った。村の人たちは事情を知っているのか、気軽に話しかけてくれて自分の体調を気遣ってくれた。食事だってごちそうになった。この村に住んでいる人たちが友好的に接してくれたおかげで、たった一日とはいえこの村に愛着が湧いていた。
就寝前、結局目覚めることのなかった世界に対して深くため息をついた後、眠りについた。この時の寝つきは人生で一番と思うほど悪かった。
目が覚めたら、そこは知っている場所であった。
枕元の時計は存在していなかった――
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