第4話 爪弾き者
「……」
「……」
迷いなく俺を先導するツユハさんの背を、ぼんやりと見つめる。先程までのおしゃべりな彼女とは打って変わって静かなその背に違和感を禁じ得ない。かといって俺の方から話かけるのも違う気がして、俺達はただ無言で歩いた。
改めて廊下の窓から外を見ると、【血みどろ人形】の敷地が相当広いことがわかる。先程のツユハさんの語りからここが平民街ではないことは予測できるが、果たしてこんなに堂々と本拠地が合って、吸血族にバレないものだろうか。
全体的に黒を基調とした暗い雰囲気の装飾品達を眺めながら、廊下をただひたすら歩いていく。
すると、クルリと振り返ったツユハさんがにこやかに微笑み、「疲れましたか」と口を開いた。
「す、すみません」
「いえいえ、何しろ突然の出来事で心労もあると思います。もうすぐ寮ですからゆっくり休んでくださいね」
「ありがとうございます……寮ってことは、皆が住んでるんスか?」
「えぇ。今居るところが本館で、隣にある塔ーーあそこに見えますがーーあそこが私達が普段過ごす寮になります」
ツユハさんが指さす方向にある窓を覗くと、確かに黒く塗られた塔のような建物が見えた。
「ここからでは見えにくいですが、あの塔の後ろにもう一つ同じ塔があります。手前ーー今見えている方が女性用、奥にある方が男性用の塔です」
その中央には中庭と、食堂があるらしい。中庭では訓練生達が自主的に訓練を行ったり、時折祭りのようなイベントが開催されることもあるのだとか。それを一望できる食堂では、【血みどろ人形】のほとんどの人間が集い、鋭気を養って各々の職務に向かうという。
寮は基本的に2人1部屋だそう。ツユハさんに知らぬ人間との同居に抵抗はないかと尋ねられた俺は、迷うことなく頷いた。安心したように「良かったです」と微笑む彼女には、先程の違和感は一切なかった。
本館と寮塔を繋げている連絡橋を渡る。橋の下で、何人かの黒衣の人々が釣りを楽しんでいるのを見下ろし、俺はふと口を開いた。
「……吸血族狩りって、なんとなく過激で恐ろしいイメージがあったんスけど、あぁして釣りを楽しんだり……なんか、穏やかなところもあるんスね」
夕焼けを背景にここまで届く程の笑い声を上げて楽しむ彼らは、謁見の間での雰囲気が嘘のように平和だ。あんな風に笑う彼らが、吸血族を狩るために戦うのだろうか。幼い頃から何度も見た、処刑場での吸血鬼狩りの恐ろしい姿とは全く一致しなかった。
俺の言葉を聞いたツユハさんは、ピタリと足を止めて俺を見つめる。
「だめですよ、アサギさん」
ツユハさんの柔らかな声とは思えないほどの硬質な響きに思わずビクリと肩を揺らしてしまい、慌てて息を整える。夕焼けが煌々と照らす翡翠の瞳が、真っ直ぐに俺を刺していた。
しかし、彼女はすぐに俺から視線を逸らす。橋の下で騒ぐ同僚達を何処か冷ややかに見下ろした彼女は、ゆったりと口角を歪に上げた。
「……志を同じくして集まっても、その熱意には個人差があります」
「……」
「私には少なくとも、彼らのように馬鹿騒ぎをして夕刻を過ごすような時間は一切ないのです。アサギさん、貴方もそうでしょう?」
「ーーそりゃ、そうでしょう。俺はアカネを助けないと」
視線が絡む。ただ真っ直ぐ彼女を見つめ返せば、その美しい翡翠がゆるりと半円を描いた。
再び前を向いて歩き始めたツユハさんに、俺も無言でついて行く。
ーーあははは!!
響き渡る笑い声が疎ましくて、思わず眉を顰めた。あぁ、そうだ。俺は平和を享受する為にここに居るのではない。小さく「すみませんでした」と呟けば、目の前の少女はクスクスと軽やかな笑い声を上げた。
彼らは、彼らで良いのだろう。きっと戦うという目標よりも釣りを楽しむ心が育まれただけなのだ。でも、俺にそれは不要だ。ーー目の前の、少女にとっても。
蔑むように釣り人達を見下ろしていた彼女にとってはきっと良いことではないのだろうけれど。
「ここが寮塔です。きっとアサギさんのお世話係ーー案内人といった方がいい気がしますね。案内人の方が男性寮を案内してくれるはずです。お互い、異性の寮への侵入は禁止ですから」
「何から何まであざっす……本当に」
「いえいえ、一緒に頑張っていきましょうね!」
「ッス!!頑張ります!!」
拳を固めて強く頷けば、ツユハさんはにっこりと優しく笑い返してくれた。
□□□□□□□□□□
ヒソヒソ、ヒソヒソ。
煩わしい。幾つもの視線も、囁き声も。
振り返ることのなかったアサギさんは、きっと釣り人達が冷めた目で私を見上げていたことも、嘲笑の笑い声を上げたことも、何にも知らないままだ。気配に鈍感な彼は、すれ違う度に人々がどんな目で私を見ていたかなんて、気づきもしないのだ。
けれど、それでいい。私にだって多少なりともプライドがあるのだから。
「よぉ、仲間殺し。今度の餌はあの新人か?」
わざと私にぶつかって来たくせに不満げに顔を歪めた男を見上げ、微笑んでみせる。そうすれば余計に周囲が苛立つとわかっているから、敢えて。案の定いきり立って胸ぐらを掴んでくる男を冷めた目で見上げ、私は再び口角を上げる。
「こんばんは。先輩」とだけ返せば、男はニヤニヤと下劣な笑みを浮かべた。先輩と呼ぶだけで己の方が優位に立っていると思うその短絡的な脳味噌は嫌いではない。
「折角期待の新人が来たんだ。仲間殺しの餌食にはしてくれるなよ?」
「彼が首領の期待通りに育ってくれたならそうはならないのではないでしょうか」
「ハッ!!どうだか!!」
クスクス、クスクス。
この男のように正面切って突っかかってくるならばまだしも。呆れた様子で周囲を一望すれば、彼らは一様に顔を赤くして私を睨み付けた。その中には、つい最近まで仲良く食事を共にしていたかつての友人達の姿も見える。
大衆を味方につけた男は益々調子づいて、べらべらと聞いてもいないことを次々に語り始める。
「さっきも首領に名前すら呼んでもらえなくてなぁ?」
「えぇ?そうなの?」
「そうさ!なぁ、おまえもいただろう?」
徒党を組んで楽しそうに此方を見下ろす男達を、ただ見返す。首領に名前を呼ばれないなんて、逆に貴方は最後にいつ呼ばれたの?とお聞きしたいものだ。あの方が覚えているのなんて、この組織の中でも10本の指で数えられるくらいのものだ。
アサギさんの名前を覚えていたのは少々意外だったけれど、それも恐らく彼を簡単に此方に引き込む為の手段に過ぎないだろうし。
とはいえ、そんな実態は彼らにはどうでもいいことなのだろう。彼らにとっては、私が首領にそこのと呼ばれたという事実だけが全てなのだ。憐れなことに。
あぁ、退屈だ。先輩と共に吸血族を殺して回っている時が一番楽しい。あーあ。なんで【研究部隊】なんかに。あーあ、あーあ。酷い。
どいつもこいつも、私が彼らの言葉に馬鹿正直に傷付いていると分かって言っているのだから、酷い。
「……先輩、私はこの後報告書を纏めなければいけないので、そろそろ失礼してもよろしいですか?」
「あぁ??んなもん、あの偏屈男に任せときゃ良いんだよ」
「……」
「それより飲みに行こうぜ。おまえ面だけはイッチョ前に良いんだからさぁ。俺らの酒の肴になってくれよ」
なんて下品な男なのだろう。ゲラゲラと笑う男達をぼんやりと見つめる。こんな、大して強くもなければ頭も良くない男に蔑まれるような私なのだろうか。そんなはずはない。だって、私はそこそこ強いはずだもの。
こんな男達のストレス解消の材料として消費される存在に自分が成り下がっていることが許せない。アサギさんは、こんな私を見てどう思うだろうか。
腕を捕まれる。振り払えば次の拳が飛んできて、反抗すればあることないことでっち上げられて上に伝えられて、懲罰房に入るのはこの私。だって、私は爪弾き者だから。志を同じくして集まっても、その中で淘汰する者とされる者に分かれる。
抵抗しない私に、群衆は更に調子づく。馬鹿みたいに肩を組んできた男から顔を背ければ、かつての友人達の嘲笑と目が合った。
「なに?ツユハ、先輩とヤりにいくの?」
「アハハ!!」
「んだと、てめぇらも来るか?」
「ええー!先輩がご飯奢ってくれるなら考えまーす」
低俗な笑いが、廊下を満たす。あーあ、あーあ。
『ツユ。一端【研究部隊】で心を休めろ』
『嫌ですよ、先輩。私はまだ役に立てます』
『だろうね。だけど……そのまま戦って、その先にお前の目的を達成した時、お前の心が保たないだろう』
先輩。関係ないですよ。何処に居たって、私は爪弾き者で、相容れない。それならば、目的の為にただ殺して殺して殺して殺す方が、どれだけ幸せなことか。
『ッス!!頑張ります!!』
そう、純朴な笑みを浮かべたアサギさんも、馴染んだ頃には私を蔑むのだろう。
酷い。酷い。ひどい。
「ーー何してんの。お前ら」
先輩が側に居ないと、立っていられない自分が、一番嫌いだ。
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