第3話 ご挨拶



「君がアサギ君か」



 涼やかな笑みを浮かべた隻眼の女性が、真っ直ぐに俺を見つめてくる。緊迫感に満ちた室内は決して居心地の良いものではなく、俺は微かに頷きつつも、身じろぎをした。


 ツユハさんに案内してもらって連れてこられた建物の最上階。荘厳な装飾が成された豪奢な扉を開けて入った先には、一番奥の席に座する隻眼の女性だけではなく、何人かの人々が起立している。その中に先ほどの青年の姿も見えた。

 ツユハさんは、「あの方が我々のトップです」とだけ俺の耳元に囁きかけると、さっさと自分の立ち位置なのだろう場所に歩いて行ってしまう。一人取り残された俺は、所在なげに隻眼の女性の正面(かなり距離はあるものの)に立つことしかできず。


 しかし、そんな俺の様子をひとしきり眺めていた隻眼の女性は、フッと軽く笑うと「緊張しなくてもいいさ」と存外優しげな声音で呟いた。



「君が無事で何よりだ。大した怪我もないと報告を受けているが、体調は?」

「あ、打撲ぐらいで、特には……」

「ご家族のことが心配だろうね」

「っはい、妹は……両親は、死刑なんでしょうか」

「……」



 両親は、【血税】を逃れていたようだから、正式に罰を与えられるのだろう。しかし、それに妹まで巻き込まれるのか。本来ならば自分も。知らず唇を噛み締めていたらしい。血の味が口の中いっぱいに広がって、俺は顔を歪めた。

 こんなものの、何が美味しいのだろう。


 そんな俺の様子をつぶさに観察していた隻眼の女性は、落ち着いた低い声で、ゆったりと言葉を紡いでいく。何処か俺を安心させるようなその響きに、徐々に力が抜けていくのを感じた。



「死刑になる可能性は低いだろう。人間だって有限だからね。君のご両親は2人ともCだから、【奴隷堕ち】が妥当なのではないかな」

「奴隷堕ち……」

「あぁ。【吸血奴隷】にするほどの価値は恐らく見出されない。研究素材になる可能性もあるか……そうなれば、生存は難しいだろうね」

「……そんな……じゃあ、妹は」

「妹さんはBだろう。ならば、【吸血奴隷】として売りに出されるだろうな」



 吸血奴隷。主にB、悪くてCランクの人間が、吸血鬼の中でも比較的低~中等貴族の為に血液補給専用の奴隷として売りに出されるのだ。運が良ければ高等貴族の奴隷になることもあるらしく、そうなれば寧ろ平民街で慎ましく生活するよりも派手な生活をおくることもできると噂されており、人間の中には進んで吸血奴隷になるために身を売る者もいるのだとか。

 俺の近所に住んでいた家族も、一家で吸血奴隷として奴隷商人に身売りをしていた。


 とはいえ、そんな高確率で高等貴族の奴隷として見初められるとは思えない。低~中等貴族の吸血奴隷になれば、ただただ好き勝手に血を吸われ、病気になって死ぬか、娼婦としても扱われ、弄ばれることの方が多いはずだ。

 愛する妹に、そんな目に遭って欲しくない。溌剌と笑う妹から、笑顔を奪うなんてことが、許されるはずがないのだ。



「どうすれば、妹を助けられますか」



 顔を上げ、隻眼の女性を見返す。迷いはなかった。

 妹を不幸から救い出すのが兄の役割だ。


 隻眼の女性はじっくりと俺を見つめ、ゆったりと笑みを深めた。



「君ならそう言ってくれるだろうと思った。我々も君の目的の為に最大限尽くすと約束しよう。君も、我々の目的の為に、尽力してくれるね?」

「……貴女方の目的って」

「簡単なことさ」



 にこやかに笑った女性が立ち上がり、両手を広げる。

 俺は魅入られたかのように彼女から目を離すことができず、陶然と女性を見つめた。周囲の人間達もそうなのだろう。皆が、呑み込まれたように彼女に吸い寄せられていく。


 ふと、青年が呆れたように此方を見ているのが、気になったが。



!!ーーなぁに、滅亡させる訳じゃない。我々人間が、この社会を管理するのだ。奴らのような化け物ではなく。奴らの能力に依存しなくても、我々人間は社会を作っていくことができる」

「ーー」

「そうだろう?皆。我々はこうして組織を作り、人間だけの力で成り立たせている」



 あちこちから賛同の声が上がる。



「そうだ。我々は人間だけで生きていける」



 なら、吸血族はいらないだろう?

 そう問いかけてきた女性が、ゆっくりと俺の目の前まで歩いてくる。目と鼻の先に立った彼女は、優しく俺を抱きしめてくれる。なんとなく、母さんに抱き締められた時を思い出して、涙腺が緩んだ。

 だって、ついさっきまで俺は普通に暮らしていたのに。


 吸血族のせいで。



「そうさ。吸血族さえいなければ、君は家族と夕餉を楽しむことができた」

「……そうだ、吸血族さえ……」

「悲しいなぁ。痛いほどわかるよ。ここにいる皆、家族、友、恋人……いろいろなものを失って集まった」

「……っ」



 本来ならば、失うはずもなかった。

 そう言って俺を抱き締める力を強めた女性。彼女も誰か大切な人を失ったのだろうか。

 なんとなしに彼女の背に手を回して撫でると、彼女は更に俺を抱く力を強めた。


 隻眼の女性の背を挟んで、青年とツユハさんと目が合う。優しげに微笑むツユハさんとは違って、退屈そうに俺を見つめる青年の姿がなぜか異様に感じた。

 あぁ、確かに、俺も彼のことは苦手かもしれない。なんとなく『合わない』という感覚を覚え、俺は彼から目を逸らし女性の肩に顔を埋めた。


 しばらくの間そうしていて。ゆっくりと俺から身体を離した女性は、俺の両肩に手を添えた。



「本気ではないだろうとはいえ、吸血族に押さえ込まれても打撲だけで済んだ君の身体の強さは、きっと討伐部隊で活かされるだろう」

「討伐部隊……吸血族と、戦うんですか」

「あぁ。無論、いきなり戦場に出すなんて酷なことはしないさ。安心したまえ」



 思わずホッと胸をなで下ろす。ついさっきまで、戦いの『た』の字も知らないような生活をおくってきたのだ。いきなり吸血族と戦えと命じられても、十中八九死ぬ自信しかない。妹を助けるまで、俺は死ぬわけにはいかないので。

 どうやら、俺は一先ず訓練生としてひたすら戦闘訓練を行い、戦いに慣れたところで『試験』を受け、それに合格すれば戦場に出してもらえるらしい。「頑張ります」と頷けば、女性は「期待している」と笑ってくれた。


 再び座した女性は、ぐるりと室内を見渡す。



「ーー誰かに君の世話係を任せたいのだけれど」



 女性から見て死角になるだろう位置に、青年がしれっと移動した。露骨すぎる。しかも、しれっとツユハさんの腕も掴んで一緒に移動してやがる。ツユハさんはツユハさんで嬉しそうだし。どういう関係性?

 しかし、隻眼の女性も目敏くそのことに気付く。「おや」とクスクスと笑い、俺をチラリと一瞥した。俺は俺で、彼とは気が合いそうにないし、ツユハさんもなんか怖いので、首を振っておく。


 数秒間考え込んでいた女性は、「後でまた、君と相性の良さそうな子を紹介しようか」と諦めたように呟いた。



「先ずは君がゆっくり休める君だけの部屋を紹介しよう。。アサギ君を寮に案内しなさい。その位は出来るだろう?」

「ーーはい!お任せを」



 そこの、と指し示されたツユハさんが、ニコリと軽やかに笑って敬礼する。俺も会釈をすれば、彼女もまたもう一度敬礼を返してくれた。青年がグッと眉を顰めるのが見えたが無視した。ツユハさんのこと、好きなんだろうか。

 というか、寮もあるのか。【吸血族狩り】の本拠地なんて、ひっそりと見つからないように建てられているのだろうと勝手に想像していたけれど、この部屋に来るだけでも相当な広さだった。母さんが諳んじてくれた物語に出てくる城みたいだ。


 スタスタと近寄ってきたツユハさんが「行きましょうか」と俺を促す。



「あぁ、私のことは【首領ボス】と呼びなさい」

「……はい、【首領】」



 ツユハさんを真似て敬礼をすれば、彼女は満足げな笑みで返してくれた。


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