辞めたい社畜〈三〉
ところが優雅な引きこもり生活にも、百日あたりを過ぎた頃から飽きてしまった。
ここ何ヶ月かはベッドの上に寝転んだままビールを飲み、朝から晩まで猫の動画を見ている。
ウーウーイーツも最近は全く頼んでいない。もはやアプリを開いてメニューを選ぶだけの食欲すら湧いてこなかった。冷凍庫に入っていた冷凍焼おにぎりを、冷蔵庫に入っていた缶ビールで流し込めば、空腹感は消える。
「残り期間が、あと百日となりました」
ゴミ山の上で寝ていた天使が、仰向けのままそう言った。
「は?? もうそんだけなの!?」
「はい。『一万時間』と言っても、一年半もない期間ですから」
「ええー! まだ会社行きたくなーい! ぜーんぜん休み足りなーい!」
「そんなこと言ったって、毎日ダラダラしてただけじゃないですか。もっと他にやりたいことなかったんですか?」
「ホストクラブで百万使ってみたり、ブランド品を買い漁ってみたりしたけどさー、なーんか疲れるだけなんだよねー」
「他にやることなかったんですか?」
「そうだ! 大掃除しよう! 私の幸福度が低いのは、たぶんこのゴミ屋敷のせいだ!」
「たしかに」
凪は腕まくりをして、ベランダの戸を全開にした。
ゴミとそうでないものを仕分けし、散らかった衣類を洗濯カゴに入れ、掃除機をかける。
毎日、毎日、凪は外にゴミを出しに行き、落ちていた衣類をクローゼットの中へと押し込んだ。
そういった一連の流れ作業をタイムアタックにして、毎日ストップウォッチで計っていく。
毎日、毎日、部屋を片付けることによって、完了タイムはどんどん短くなっていった。
「新記録達成! 今日は二時間三分三十三秒! 午前中に掃除終われると、午後が気持ちよく過ごせるなー!」
凪がベッドの上に座って伸びをしていると、天使がスケッチブックを開いているのが目に入った。
ひったくりにでも遭ったかのような勢いで凪は駆け寄り、それを奪い取る。
「ちょっと! 見ないでよぉー!」
「怪獣の絵を描いてたんですね」
それは、凪が専門学校時代に使っていたスケッチブックだった。ゴミの山の底に埋もれていて、最後にクローゼットの中にしまうのに、今日はしまい忘れていたようだ。
「あんた、よくこれが怪獣だってわかったね」
「私はあなたの天使ですから。あと、ここに挟まれていた写真は?」
天使がつまみ上げた写真には、真顔の凪と、笑顔の女性一人が映っていた。
「あっ、それは親友のセイラちゃん」
「ずぅっと家の中に籠もっているので、友達いないんじゃないかって心配になりましたよ」
「その子は唯一の友達なんだ。いま何してんのかなー?」
名前を言って懐かしく思い、スマホで[
セーラー服を着た美少女や、ステッキを前に構えた魔法少女、ちょっとエッチな水着姿の少女などのイラストをスクロールしていく。
「相変わらず美少女ばっか描いてんなー。久々に連絡してみっかー!」
ラインしてみると、今夜でも行けるとのこと。
「うっしゃー! 外出るぞぉー!!」
約一年ぶりの外出に張りきった凪は、スマホで行きつけの美容院を予約し、結婚式に着ていく用に買った薄いピンクのワンピースを身に纏い、スキップしながら玄関を出た。
凪が待ち合わせ場所に着いたのは約束していた時間の十五分前だったが、すでに青嵐はフランス料理店の玄関前に立っていた。
服装もお洒落でメイクも上手く、まるでパパ活女子みたいな、あざと可愛い格好をしている。
「なぎなぎ久しぶりー!」
「わー、セイラちゃーん! あいかわらず背ぇちっちゃいのねぇ」
「やかましいわ! でも、ほんまにこのお店でええの? なんか、高そうやけど」
「今日は私の奢りだよ!」
「マジか! 稼いではるやーん!」
ウェイターが食べかけの料理を下げるか毎回聞いてくるほどに、二人は喋り通しだった。
予想外に出世した人、結婚した同期生たち、彼女らの子供の写真、期待していた新作アニメへの辛口批評など、無尽蔵に話題は湧いて出た。
「せやけど、凪が凪のまんまで安心したわぁ。さっきはあんまりにもインチキセレブ臭がしてて、高い壷でも買わされるんちゃうかと思ったもーん」
「ないない。久々の外出だったから気合い入っちゃっただけだよ」
「ホントに全部奢ってもらっちゃっていいの? 半分出すよ?」
「いーの、いーの。ホントのこと言うと、宝くじ当たっちゃっただけだから。百万円のやつ」
「へー! ええなぁー!」
「とか言いつつ、セイラちゃんだって稼いでんでしょ?」
「フリーで食えてるキャラデザなんて一握りやろ。あたしなんて、月によってはフリーター並やもん」
「そっかぁ、厳しい世界だね……」
凪は溜め息をつきながら、安心している自分に気が付いた。
「そういえばなぎなぎ、ピクピクの更新してへんやん? 他んとこで描いてはるの?」
「何を?」
「怪獣の絵! 凪ちゃんの環境怪獣シリーズの更新楽しみにしとるんやけどさぁ、最近アップしてくれへんやん」
「あっ、ああ、それね……うん。今はね……お休み中」
「そっかぁ、ゲームの仕事で忙しいもんなぁ」
「ここ最近、残業と休日出勤が続いててさ……」
そのあとの言葉が続かず、凪はデザートのプリンを口に運んだ。
でも、おかしい。この高級プリン、何の味もしない。
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