[映画]ゴジラー1.0

映画『ゴジラー1.0(ゴジラマイナスワン)』を観ました。








※以下、現在公開中の映画作品であるゴジラー1.0のネタバレ要素があります。

まだ映画を観ていない方は回れ右をしていただくか、そっと×ボタンをおしてブラウザを閉じていただきたいです。










さてこのゴジラ-1.0、情報が公開された時は、正直あまり期待はしていませんでした。

なぜなら、監督が山崎貴監督で、昭和初期の線後が舞台とのことだったからです。


山崎貴監督とその所属会社である白組は、『ALWAYS 三丁目の夕日』で戦後を舞台にした映画を撮っていて既に実績があるし、『シン・ゴジラ』のVFXも担当しているので技術もあります。

そして、最初のゴジラは昭和初期、戦後が舞台になっているので、最初の作品へのオマージュになるであろうことも予想できました。


でも、だからこそ「あーはいはい、今度のゴジラはそういう感じにするんですか」とつい、甘く考えてしまったのです。

今更初代のリメイクをしてみたところで、昭和初期なんてゴジラが暴れ回る建物そんなにないんじゃない?とか、初代のリメイクだからどうせ初めて日本にゴジラがやってきて最後はオキシジェンデストロイヤーで倒すんでしょう……とか。


実際、ハリウッドのレジェンダリーピクチャーズがリメイクしたハリウッド版ゴジラの一作目もやはり最後はオキシジェン・デストロイヤー頼みでした。


『ALWAYS 三丁目の夕日』で一度ゴジラのパロディをやっていた事も、出来を悪い方に予測してしまった一因の一つでしょう。



でも、違うのです。

それは間違っているのです。


山崎貴監督と白組はあの名作『永遠の0』や『アルキメデスの大戦』も生み出したチームなのです。

そう第二次大戦物の映画になると、普段の映画の何倍増しで、物凄い出来が良くなる人なのです。


しかも、今度の映画は『永遠の0』の後の時代が舞台で、特攻隊を生き延びてしまった特攻隊員が主人公。

その主人公が、第二次大戦後に残された戦艦、戦闘機、戦車と共に新たな脅威であるゴジラと戦うのです。


そうだったのです。

そう考えられていたら、今回が熱い男たちの戦争物になるってわかっていたら、事前の期待値をさげるような野暮な真似はしなかったでしょう。


しかも、今回のタイトルはゴジラ-1.0

つまり、まだオキシジェン・デストロイヤーが発明される前なのです。


対ゴジラ兵器として唯一勝てる見込みのある、オキシジェン・デストロイヤーがまだ無い時代の、第二次大戦を生き延びた人たちが、残された兵器をつかってどうやってゴジラに勝てばいいのか。


今作はこれだったのです。


この内容が面白くならないわけがありません。

しかも俳優陣は、朝ドラで昭和の時代を演じた名優たちばかり。


朝ドラで昭和の時代を見事に演じていた役者達が、今度は昭和の時代を舞台に第二次対戦後のその後の戦争を描く架空の戦記物を、素晴らしい演技で演じてくれています。


ゴジラシリーズは昭和、平成とシリーズが続くごとに、子供が見る映画なのだ、だから評価なんて値しないんだという風潮にだんだんなっていきました。

それは仕方のない事です。

それを変えたのが、「もう一度原点に戻ってちゃんと怖い怪獣を描こう」として平成ガメラシリーズや、本当に怪獣が現れたと仮定して災害としてゴジラを描いたシン・ゴジラ、ゴジラが好きな海外のハリウッドの凄い人たちが集まって作ったハリウッドゴジラ……それらの評価のおかげで、ゴジラをただの子供向け娯楽映画ではなく、日本が世界に誇れるエンタメの一つとして認知されるようになっていったのです。


特にシンゴジラとハリウッドゴジラが、大人が見る怪獣映画としての出来が良くて評価されたのが大きいのかもしれません。

今回のゴジラ-1.0が始まる前に、ハリウッドゴジラの新たなドラマシリーズの予告がながれていますが、それもぜんぜん子供向けじゃない、ビッグガジェットのSFドラマになっている感じでした。


そして、今回のゴジラ-1.0も、大人が見ても楽しめる内容になっています。

むしろ全く子供向けな内容ではないのです。

ですが、それこそ初代ゴジラもそうだったのです。


初代ゴジラの中には、ゴジラが現れた時に竹槍でゴジラを迎え撃とうとする主婦が出てきます。

それはギャグでもなんでもないですし、初代ゴジラが作られた時はまだ全然戦争が終わった後の、戦争の記憶が誰の中にもある時代です。

その時にそんなシーンを入れる事が何を意味しているのか……と考えると、初代ゴジラは戦争とは切り離せないものだと思うのです。










※この後、さらにもう一段踏み込んだ物語のネタバレを書いています。

まだ映画を観ていない方は、今度こそ回れ右をしていただくか、そっと×ボタンをおしてブラウザを閉じていただきたいです。









さて、今作のゴジラ-1.0は、徹底して第二次大戦の後にゴジラという新たな戦争が発生したと仮定した架空の戦記物として、リアリティを追求して作られているのですが、あからさまにご都合主義な展開が一つあります。


死んだと思われた人物の一人が、生きていたというアレです。

演出が上手いので全然気にならないのですが、『なぜ生きていた』のかという事はセリフで説明されていません。


ただ、生きていた事がわかった時に、その人物の首筋に何かがあるのが映ります。

でもその説明はされないまま、映画はおわります。

どういう事なのでしょうか。


これもまた、ゴジラシリーズの面白い所です。

ゴジラは長くシリーズを続けてきたからこそ、凄い名作が生まれた後に変な作品が出たりもします。

でも、結果的にはそれらが全てゴジラになるのです。


これだけのシリアスな戦記物にした後で同じ方向性で続編を作り続けるのは難しいと思います。

なので、制作スタッフ達はちゃんと続編を見越して布石を打っているのです。


次はこの生きていた人にゴジラ細胞が移植されているよー。

そこから新しい怪獣が生まれるよー。

それとゴジラが共闘して、宇宙から来た怪獣と戦うよー。


……なんて展開になっても驚かない。

それがゴジラなのです。


あるいは、あの細胞はゴジラの一部だよー。

おかげで一度死んだけど、生き返ったんだよー。


そして、そのおかげでゴジラと交信できるようになったんだよー。

だから別の悪い怪獣が合わられたら今度はゴジラが味方になるんだよー。


なんて展開もできてしまうのです。

それがゴジラなのです。


あるいは、結局長く生きられないが、その細胞を生き残った主人公が研究して、メカゴジラが……

など、とにかくオタクの妄想が捗ります。


それもまたゴジラシリーズのいい所でもあるんです。

だからこそハリウッドでも新シリーズが作られる程人気があるのでしょう。


そんな楽しみを与えてくれた-1.0、良い映画です。

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