第6話 迎えたその時

 二月の二十五日金曜日、計画実行まであと四日。今日は、壮馬の受験の結果発表がある日だ。

 俺たち四人は志水の家に集まっている。結果の発表はオンラインで行われるため、壮馬本人の希望で全員で見ることになっていたからだ。

 二月一日の再集合のかかった日。

 俺、志水、孤杉が先に集合してたところに、少し遅れてやってきた壮馬は、笑顔で満足げな表情を浮かべていた。

 だが、その笑顔はおそらくあてにならない。壮馬は仮に失敗していても、意地でも隠そうとするからだ。

 そしてやってきたこの日。最大級の不安と心配が心を支配した。

 結果はもう出ているのだから、どう思おうと結果が変わらないのは分かっている。それでも、結果が発表されるまでのこの時間は、心苦しいものがあった。

 段々と、手に汗が滲んでくる。自らのことでもないのに、緊張していた。

 本人でない俺がこれなら、壮馬は……。そう思って表情を伺ったがいつもと変わらない能天気さで、むしろこの状況で楽しんでいるようにすら見えた。


「受かってたら最高だな~」


 置かれた状況を忘れているかのようなその言葉は、自分の緊張を少しでも和らげようとしているようにも受け取れた。

 今の壮馬にかかっている重圧は計り知れない。今、壮馬の立場だったらと考えただけでも、全身が軽く震えた。


「時間になりましたよ!」


 結果の発表時刻になり、壮馬は閲覧サイトを開く。

 当然他の生徒たちも同じことを考えているので、アクセスが集中することが予想されたが、その結果は突如として現れた。

 順番に番号を確認していく壮馬の表情は、手が止まった瞬間に固まった。

 そして携帯を閉じてしまうと、壮馬は頭をだらんと力なく下げた。

 その瞬間、場に重たく沈んだ緊張感が走った。

 壮馬の動きを見るだけで、口にしなくとも結果が分かる。だから、俺と志水と孤杉は口を紡いでいた。

 でも、そんな張り詰めた空気を切り裂くように、壮馬は立ち上がった。


「見事、合格しました~!」

「脅かすな、ボケが!」


 俺は壮馬の頭を思いっきりひっぱたいた。

 それに続いて孤杉も叩き、最後に志水は手元にあったパソコンを手に取って……。いや、とって脅しただけだった。

 三人とも、まず最初に出た感情は喜びではなく、怒りだった。

 それもそのはずだ。結果を見た後、頭を下げた時点で、不合格だと悟っていたのだから。

 一方の壮馬は、何度も叩かれながらも、笑顔でそれを受け流していた。嬉しいから何をされてもいい。今の壮馬はそう思っているのだろう。

 俺はずっと近くで静かに様子を見守ってきた。辛そうに頭を抱えたり、模試の結果に一喜一憂したり、そんな姿を知っているから本当に合格してよかった。

 本当に親友として、幼馴染として、壮馬が誇らしい。

 だから今度は素直に祝ってあげよう。


「おめでとう」

「おめでとうございます!」

「おめでと」


 俺の後に二人も続き、その言葉を受けた壮馬の目からは光るものが見えた。ずっと堪えてきたものが、止めどなく流れる。

 俺が壮馬の泣いている姿を見たのは、これが初めてだ。それだけ、今回にかける思いが強かったのだと思う。


「言い出したからには絶対に受けなくちゃって。でも落ちるわけにもいかないって状況で、本当に辛かった。もし失敗してたらと思うと、いつもプレッシャーに押し潰されそうで。それでも本当に頑張ってきてよかった!」


 挑戦した上で必ず成功しなくてはならない。

 モデル都市の廃止計画本番と同じような重圧を背負いながら、それを見事やってのけた壮馬は本当にすごい。

 壮馬が成功した今、今度は俺たち四人で成功させる番だ。

 その思いは、四人とも共通していると思う。


「今日は秋原先輩のお祝いですね!」

「い~や、孤杉さん。気持ちは嬉しいけど、それは今度にして今日も練習に行くよ」


 いつものノリで提案する孤杉だったが、それを断ったのはまさかの壮馬本人だった。


「てっきり秋原先輩なら乗ってくると思ってました」


 孤杉のポカンとした表情には納得がいく。

 俺も同じことを思っていた。

 いつもの壮馬なら孤杉に同調して、いち早く外に向かっていただろう。


「花実。気持ちは分かるが、秋原が合格したのは全てこのためでもあるんだ。今頑張ることが、秋原への一番の祝福になる。そうだろ、秋原」

「その通りだよ、志水さん。さすがに分かってるね」

「おい、そこで泣いているのを隠している穂村もだ。早く行くぞ」


 ずっと話さずに傍観していた俺に、志水から声がかかる。

 志水の言う通り、実は一瞬泣きかけたが、なんとか踏みとどまっていた。

 俺が泣くのは今じゃない。そう思ったからだった。


「え、敦灯泣いてたのか?」

「志水の見間違えだ」

「本当に~?」

「祝砲に一発撃ってやろうか?」


 俺は手元にあった衝撃型拳銃を手に持とうとする。


「遠慮しときます……」


 俺たちはその後、いつもと何一つ変わらず、拳銃の練習に時間を費やした。

 そして夜十時になった頃、俺たちは解散した。



 チームが再集合した二月一日以降、俺と壮馬も学校には行かなくなり、日のほとんどを志水の家で過ごしていた。

 ただそんな中で、未だ練習しているのは拳銃だけで、それ以外のことは一切やっていない。

 一方の志水は、ここにきていつもより遅くまで計画のことを考えているようだった。

 前回倒れた反省もあってか、一応眠っているようだから止めはしなかったが、かなり疲労が溜まっているのは間違いなかった。

 計画実行まで残されている時間はたった四日。

 まだ計画の内容を知らされていないが、本当に拳銃の練習一つで大丈夫なのかと少し疑問に思いながらも、俺は志水を信じて一切口を出すことなく練習に励み続けた。



* * *



 そして計画実行の前日である二月二十八日月曜日。

 この日は練習がいつもより早めに切り上げられ、午後五時に志水の部屋のある地下三階に四人が揃っていた。

 机を囲うように四人が座ったところで、志水が分厚い資料を手に取った。


「これから、明日の計画についての詳細を話す」


 遂に語られるのかと、俺たち三人は固唾を飲んで志水の話す言葉を待った。

 一呼吸おいて志水は一体何を話すのかと思ったが、その内容は……、


「明日は午前十一時、ここに集合。以上だ」


 ものすごく簡潔で、あまりにも拍子抜けだった。

 当然納得できるはずもなく、孤杉は立ち上がって志水に問いかける。


「これじゃ、遠足前日の先生からのお知らせと大して変わらないじゃないですか! 計画の内容を話すんじゃないんですか?」

「最初から私は計画の内容について話すと言っていないし、今から話すつもりもない」


 言われてみれば確かに『計画の内容』とは一言も言っていない。


「それって私たちを信用してないってことですか!」


 思わず感情的になって声を荒らげる孤杉に対して、こんな時にも冷静なのは志水。

 表情一つ変えることなく淡々と答える。


「信用している。だからこその選択だ」

「どういうこと?」


 壮馬が孤杉の代わりに聞き返す。


「もしここで計画の内容を明かしたら、その後何をするか。それは脳内でのシミュレーションだ。そのシミュレーションは、基本的には成功することを思い描くことが多い。その結果、そのシミュレーションした内容でないことが起こった時、つまり想定外が起きた時に、人は慌てて混乱してしまう。私はそれを懸念し、計画内容は直前まで話さないことにした」


 思い返してみると、東地区図書館に行った時も拳銃の強奪の時にも、当日まで内容は明かされなかった。

 それらの時も同じ理由だったのかもしれない。

 志水のその合理的な回答には誰一人として反論することはなく、三人とも真一文字に口を閉じたままだった。


「そのやり方でも三人が納得してくれると信じているから、できることだ」


 俺たち三人は、志水に厚い信頼を寄せている。

 それと同じように、志水も俺たち三人に信頼を寄せているからこそできることだと志水は言う。


「でも、志水。それならなんでこんなに早く練習切り上げたんだ?」


 時刻はまだ夕刻。

 いつもなら夜遅くまでやっているし、志水ならぎりぎりまで調整するのかと思っていたが、計画の詳細を知らせるためならと最初は納得していた。

 だがこうして、その計画内容がわずか一文で片づけられた今、その納得は再び疑問に変わった。


「花実、やりたがっていただろう? 秋原の祝賀会」

「えっと、今からですか?」

「何か不満か」

「この前、頑張ることが、秋原への一番の祝福になるとか言ってませんでしたか?」

「あれは半分嘘だ」

『え!?』


 孤杉と壮馬が驚きの声を出す。


「でも明日は計画実行日ですよね? 志水先輩らしからぬ提案じゃないですか?」

「どうでもいいだろう、そんなこと。それよりも時間がもったいない」

「それもそうですね!」


 孤杉は一気にテンションを上げて、外へ出かける支度を済ませる。

 この辺の切り替えは、志水の臨機応変さに勝るとも劣らない。

 志水がどうでもいいと話を逸らしたが、孤杉が言っていた通り今回の提案は志水らしくなく、なぜ提案したのかは結局述べられていない。

 俺はそのことが気になって仕方なかった。


「買い出し、みんなで行きましょ!」


 スキップしながら、他の三人を待つ孤杉。

 明日、命を落とすかもしれないというのに、そのことをすっかり忘れているかのように見える。

 全員が準備を終え、志水の家を出て外に出ると、空は少し暗くなってきていた。

 あまり光の差し込まない場所だから、余計に暗く感じているのかも知れない。


「今からなら、値引きされた商品が買えるかもしれません。ちょっと急ぎますよ!」


 時刻は午後五時半前。

 総菜やお刺身など、一部商品の値引きがされる時間帯は大体五時ごろであり、急がなければそれらの商品が買えなくなってしまう。


「待ってよ、孤杉さん!」


 いち早く駆け出して行った孤杉を追いかける壮馬。

 傍から見ると、本当に飼い主とペットのようにしか見えない。

 俺と志水はその二人にはついていかず、少し後ろでその様子を見守りながらゆっくりと歩いていた。


「志水」

「何だ」


 隣を歩く志水に話しかけると、俺の方を向いた。

 計画を前日に控えても、何一つ変わらない志水は本当にさすがだと思う。


「計画実行は明日だけど、何もせずこんなのでよかったのか?」

「花実だけでなく穂村もか。そんなに私に似合わない台詞だったか?」

「今の志水には、な」

「中身は同じなのだから、そこは仕方ないだろう……」


 志水は薄灰色の空をどこか遠い目で見つめた。

 その表情は、実に物寂しくて切なかった。


「一か月の休みの期間中、私たち四人での思い出は作れなかったからな。これが最後の機会だと思って提案しただけだ」


 志水はいつも通りで平然そうに見えていたが、内心ではずっと寂しく思っていたのだ。

 今の志水ではなく、本当の志水を知っているからこそ、余計にそう感じた。


「別に死ぬと決まったわけでもないのに、不思議なものだな。人はこの日に死ぬと定められるより、いつ死ぬか分からない方が幸せなのだな……」

「何言ってんだ」


 今の志水の性に合わない言葉を聞いて俺は問う。


「生きて帰るし、モデル都市は開放する。そうだろ?」


 志水は一度目を閉じると、気持ちを切り替えた。


「もちろんだ。絶対に成功させる」


 そして、今一度はっきりと宣言した。


「だったら、これ以上今の空色のようなことを考えていても仕方ないだろ?」

「それもそうだな」


 志水がそうして前を向いたとき、遥か前方から大きな声が届く。

 いつの間にか、俺たちと壮馬と孤杉達との距離が随分と離れていた。


「何してるんですか~! 遅れちゃいますよ~!」


 周りを一切気にしない孤杉の大声を聞いて、志水は俺の手をギュッと掴んだ。


「お返しだ」

「え、ちょっ、おい!」


 俺の手を掴んだ志水は、そのまま孤杉を追いかけて走り出した。

 志水の中では完全に吹っ切れたのだろう。

 一瞬見えた横顔は、本当の志水の持っている笑顔のように明るかった気がした。



 決起集会と壮馬の祝賀会を兼ねたパーティーは、午後七時から午後九時までぶっ通しで行われ、テンションがいつも通りどころかいつもより高い孤杉によって、これまでで一番盛り上がった。

 そんなパーティーが終盤に差し迫った時だった。


「私、飲み物買ってきますね~」


 そう言ってやっていたボードゲームの途中に立ち上がった孤杉。

 他の二人が気づいていたのかは分からないが、一瞬見せた孤杉の表情に影を感じた。

 そのことに違和感を覚えた俺は、その後を追って立ち上がる。


「夜は危ないし、ついて行く」


 そう言って一足先に家から出て行った孤杉を追った。



* * *



「どこ行ったんだ?」


 裏路地に出て辺りを軽く見渡したが、孤杉はどこにも見当たらない。

 買い出しに行くときはまだ薄灰色ぐらいだった空も、今はかなり黒に近い。

 志水の家の周辺は裏路地ということもあってまともな照明は少なく、所々真っ暗で何も見えない。

 誰も通らないため、常に静かで余計に薄気味悪いのだが、今日は違った。

 どこかから、誰かの声がするのだ。それも、女の子の泣き声。

 どちらにせよ薄気味悪いなと思いながら、恐る恐る声をする方を向くと、建物の影に薄っすらと女の子の姿が目に映った。

 その女の子の方へとゆっくり近づくと、その女の子は気づいたようでこちらに振り向いた。

 その女の子は……。


「こ、孤杉!?」


 泣き声の正体は、孤杉だった。

 泣いたせいで目が腫れていて、今も泣き止んでいない。


「どうしたんだよ、孤杉……」

「私、ずっとあのメンバーと一緒にいたいです。もっと遊びにも行きたいです。絶対に離れ離れになりたくないです」


 買い出し前のあのテンション、そしてパーティー中のテンション。

 懸念はしていたものの、どうやら空元気だったようで、その空元気が尽きて今の状態になったらしい。

 あの志水ですらも悲観的になっていたのだから、感情性豊かな孤杉ならこれくらいになっていても仕方ないだろう。


「どうして先輩はそんなにいつも通りなんですか?」

「志水を、壮馬と孤杉を信じているから。このメンバーなら絶対失敗しないって思ってるから、だな」

「でも……」

「でも、じゃないだろ? 孤杉さんらしくもない」


 突如、背中側から声がして振り返ると、そこには壮馬と志水の姿があった。

 気づいていないと思ったが、伊達にチームとして活動してきたわけじゃなかった。どうやら二人も孤杉の異変を勘づいていたみたいだ。


「孤杉さんが応援してくれたから、俺も合格できたんだ。全部孤杉さんのおかげだよ」

「いや、そんなこと……」

「孤杉さんには、いつもの明るい孤杉さんでいて欲しい。そしたら、計画も受験のように全部成功するからさ」

「待ってください。受験と計画じゃ全然……っつ!」


 俺の目の前で起きたことは、予想なんてできなかった。

 俺も志水も、そして孤杉も。

 起きたことに対して、驚きで言葉一つ出なかった。

 それは壮馬が急に孤杉に近づいたかと思うと、咄嗟に唇を交わしたからだった。

 孤杉に関してはあまりの衝撃で、尻もちをついてしまっていた。


「受験期間、ずっと励ましの言葉を送ってくれたことが、どれだけ嬉しかったことか。どれだけ力になったことか。孤杉さんが居なければ、今頃こうしてここに俺はいられなかったと思う。それだけ孤杉さんは俺にとって……、このチームにとって必要な存在だ」


 壮馬の受験期間中、俺と壮馬は一切会話を交わしていない。

 だから、そんなことが陰で行われていたとは知らなかった。


「一緒に頑張ろう。孤杉さん」


 そう言って優しく孤杉に手を差し伸べる壮馬の表情は明るかった。

 その手を孤杉がゆっくりと取って、そのまま立ち上がる。


「ごめんなさい。盛り上がっていたところに水を差してしまって」

「何言ってんの。今から続きやるんでしょ? ね、志水さん」

「明日は特に朝早くから起きる必要もない。だからもう少し続けても問題ないだろう」

「だそうだよ?」


 孤杉の暗かった表情は、見る見るうちに明るくなっていく。


「わっかりました~! それじゃあ、今からお酒買いに行きましょう!」


 目元はまだ腫れているが、すっかり元の孤杉に戻っていた。

 その笑みには、もう一切の影を感じない。


「そこ、サラッと犯罪の予告をしない」


 俺の的確なツッコミに対して、


「国を転覆させようとしている人たちが何言ってんですか」


 的確な指摘で返す。

 確かにその罪に比べれば、未成年飲酒なんて小さなものかもしれないが、それとこれでは話が違う。


「ダメなものはダメだ。お酒は二十歳になってから」

「はぁ~い」


 気の抜けた返事をした孤杉はすぐさま切り替えて、いち早く歩き出す。

 それを見て、他三人もついていく。


「今日は眠るまで飲みますよ~!」

「清涼飲料を、な?」

「朝になるまで返しませんから!」

「それは私が寝られないから困る」

「俺は別にそれでもいいけど」

「女子と一緒のところで眠ることを想像してるだろ、壮馬」

「そ、そんな破廉恥な人だったんですか? 秋原先輩」

「い、いや、そんなことは……」


 段々と壮馬と孤杉の間の雲行きが怪しくなってきた。

 俺と志水はそっと二人との距離をとる。


「そういえば壮馬の加入時のこと、孤杉は知らないのか」

「そのまま知らなければよかったが、自ら余計なことを口にするから……」

「まぁ、俺がわざわざ掘り返さなけばよかったのかもしれないけど」

「穂村、Sだな」

「かもな……」


 言わなくてもいいことを言いたくなってしまったことを考えると、志水の言っていることには反論一つ出来ない。

 裏路地を抜けて通りに出ると、車の音が大きくなった。

 俺たちが話している中、どんどん先を歩いていく二人は何やら言い争っているようだ。



「本当に真面目でいい人だなぁって、志水先輩の次に尊敬していたのに……」

「わざわざ『志水先輩の次に』って言わなくてもよかっただろ。あと別に俺はそんなやましいことは……」

「誰か~! 痴漢です!」

「ちょっと孤杉さん!?」

「人のファーストキスを奪った人がここにいます!」

「あぁ……。言われたら思い出しちゃうじゃん……」

「な~んて。私は嬉しかったですよ?」

「え、今なんて」

「二度は言いません。とにかく早く行きますよ!」

「あ、ちょっと待って!」



 距離が離れているのと、車の走る音で会話内容までは分からなかったが、孤杉が壮馬を置いて先に走っていった。

 すぐさま走って追いかける壮馬。

 ペットと飼い主のような関係と言ったが、家族のような関係性を築いているという意味でもあながち間違いではないようだ。



 夜が段々と深く濃くなっていく。

 俺たちにとって、最後の夜になるかもしれないこの思い出に残る夜は、光のように時間が過ぎ去っていった。

 またこんな風に夜に騒ぎたいなと思う。

 それもこれも、全ては迎えるモデル都市の運命のかかった明日次第だ。



* * *



 三月一日火曜日の午前十一時。

 東地区のゲートにほど近い街の裏路地にある廃ビル。

 その地下にある秘密基地のような家。

 そこには俺、(本来不法侵入だが)この家の持ち主である志水紗良、医学部試験に合格した親友で幼馴染の秋原壮馬、志水の後輩である孤杉花実の四人が決戦の時を待っていた。

 昨日、夜遅くまで行われた決起集会は、午前零時をもって解散。それぞれゆっくり休んだ上で、今日という日を迎えた。

 俺は吹っ切れていたのか恐怖心に襲われることもなく、いつもと変わらない夜を過ごし、準備万端と言ったところだ。


「なぜ穂村と秋原まで制服を着ている」


 志水が唐突に問う。

 志水の言う通り、俺と壮馬は学校の制服を着ていた。


「ゲン担ぎみたいなもんだ」


 俺が志水と出会った日から、志水は常に制服を着ている。また孤杉も、志水の家に居候するようになってからは常に制服を着ていた。

 一方で俺と壮馬の二人は、学校帰りを除いてこれまで基本的に私服での活動だった。そこで、せっかくなら志水に合わせる形で制服にしないか、と俺が壮馬に提案していたのだ。

 それにもう一つ、制服を選んだ理由がある。


「今日は俺たち、本当なら卒業式なんだよ。だから最後の日くらい、着ててもいいかなって」


 今日、三月一日は東地区高校の卒業式が執り行われる日。

 当然出席するわけにはいかないが、せめて高校最後の日くらいは同級生たちと同じ服を着ていたいなと、思ったからでもあったのだ。


「そうか。それならいい」


 そう言って、志水は軽く咳払いした。

 そして手元の資料を軽く参照しながら、説明を始めた。


「施行三百周年記念パーティーの開催時刻は午後五時。その時間を突入開始時刻とし、そこから逆算して正午に計画を開始する」


 志水は淡々の大まかな時間の流れを話す。


「それで、最初はどうするつもりだ? まずこのモデル都市から出ないことには始まらないが」


 計画の詳細は昨日の志水の発言通り直前まで話さない方針で、志水以外の三人はまだ計画の具体的な内容を知らない。

 最終、国の最高責任者である綺羅進士に直接交渉を持ちかけるということだけは、俺が計画に参加すると決めた日に知らされていたが、それを成すためにはまずこのモデル都市から外に出る必要がある。

 モデル都市をモデル都市内の人間は檻の中と表現するように、モデル都市とその外の間には見えない壁がある。

 その壁には赤外線センサーをはじめとした数々の警備システムが張り巡らされていて、一歩でも足を踏み入れれば厳罰が待っている。

 モデル都市内の道路や線路を始めとした交通は、その壁より先には通っておらず、モデル都市内外を繋ぐ場所は東西のゲート二箇所のみ。

 出会った当初は、そのゲートから外へ出る際の方法はまだ考えついていない、と志水は語っていた。

 もちろん志水のことだから何かしらの案が思いついているから、こうして実行に移せるわけだが、果たしてその案とはどういうものなのだろうか。


「まず、これから物流倉庫に向かう」


 志水の口から、初めて具体的な内容が語られる。

 物流倉庫とは、モデル都市の内外の物資のやり取りで使われる倉庫で、東地区駅から近い場所に位置する。

 過去、衝撃型拳銃を入手する際に行った場所でもある。


「そこで早速だがこれを使う」


 そう言ってリュックの中から取り出したのは、その拳銃だった。


 

 時間は遡り、拳銃の入手に成功して、志水の家で計画の実行日を三月一日にすると発表した後のこと。

 志水はリュックから入手した拳銃を取り出し、壮馬と孤杉に一度手渡した。


「これって、本物の銃?」


 壮馬は拳銃を軽くいじりながら確認をとる。


「本物だが、想像しているような鉛玉が飛ぶような危険な物ではない。あくまで相手の意識を奪うスタンガンのようなものだ」


 そう言う志水は、拳銃を手にもって構えて見せた。


「使い方は、敵の頭を狙うこと。頭部のどこかに当たれば、特殊な弾丸から大きな衝撃が脳に伝わり気絶して意識を失う」



 志水がその時語っていたように、この拳銃に殺傷能力はなく、頭以外に当たったとしても無傷だ。

 実際、練習する際に何度も的を狙って撃ったが、全く的にダメージはなかった。

 志水は淡々と話を続ける。


「物流倉庫から出入りする際、必ず入庫許可証の機械的な照合が必要となる。その際に、運転手は必ず運転席の窓を開ける。そのタイミングを狙って発砲し、運転手を気絶させる。その後、運転手を運転席に座らせたままにして、あとは車の自動運転を作動させる」


 現代の車は、自動運転が標準機能として搭載されており、運転手の判断で自由に使うことができる。

 それを逆手にとり運転席に運転手を乗せたままにしておくことで、周りに怪しまれることなくゲートの外に出ようというのが、志水の案のようだ。


「でも志水さん。その運転手は誰が撃つの?」

「私はそれ以外に警備の無効化という仕事がある。私を除いて拳銃の精度が高い穂村にやってもらおうと思う」

「俺か……」


 練習した以上、しっかりと結果を残したいと思っていたが、思っていたよりも重要な局面での実践。

 運転手に気づかれてはいけないため、発砲の機会は一度のみ。

 トラックが動いていないとはいえ、実戦経験もなければ、人に撃ったこともない俺にとって難易度はかなり高い。

 だから、少しばかり不安がよぎるし、緊張が段々とこみ上げてくる。


「頼んだぞ」


 志水のその一言で僅かな不安は、やってやろうという気持ちに変わった気がする。

 ここまで積み重ねてきたのだから、きっと大丈夫。

 志水が信頼してくれているのだから絶対に大丈夫。

 そう自らに暗示をかけることで、緊張を少しずつ解した。


「それ以降の内容はトラックに乗り込んだ際に話す。では、そろそろ出るぞ」


 リュックに再び拳銃を戻し、最後に中身を入念にチェックする志水。

 志水以外は手荷物がなく、計画に必要なものは全て志水が持っている。

 志水が全ての確認を終えたところで、孤杉が突然手を上げた。


「あの! ちょっといいですか?」

「何だ、花実」

「『えい、えい、お~!』ってやつやりません?」

「え? いきなりどうした、孤杉」


 緊張感高まる雰囲気の中、突然の発言にみな目を丸める。


「何かチームでやるときに、こういうのやりません?」

「確かにやるけどさ……」


 壮馬は理解はしているが納得はしていない様子。

 バンドのライブ前などで、円陣を組み手を重ねた後、掛け声と同時に手を上げる一連の流れ。

 気持ちを一つにして士気を上げるという効果があり、学校祭などの行事の際にもよく見られる光景だが……。


「とにかくやっておきましょうよ! ほらほら集まって」


 孤杉になされるがままに四人が輪っかを組む。

 手を重ねると、孤杉は一気に声のトーンを落として話し始める。


「初めてここに来た時、まさかこんな風になるとは思ってもいなくて。最初は志水先輩を取り戻したらそれで終わりのつもりでした。だけど他のお二人にもよくしてもらって、段々とこの四人でいることに居心地の良さを感じるようになりました。私、皆さんに会えて本当によかったです……」


 本来の目的と反対の湿っぽい言葉を並べる孤杉に一言物申したかったが、グッと堪えて話を聞いていた。


「絶対に成功するぞ!」

「ちょっと待てい!」

「はい?」


 だが、さすがに口を出さずにはいられなかった。


「そんな緩急についていけるわけないだろ」


 湿っぽい言葉を並べた後、何事もなかったかのように掛け声をかけた孤杉に、他の三人は当然全くついていけていない。

『大丈夫なのか?』と、思ってしまうほどのチームワークのなさに先が思いやられる。


「代打、志水」


 俺は仕方なく、チームリーダーである志水にバトンを渡す。


「成功して帰って来る。以上」

「ちょっと待てい!」

「何だ」

「そんな掛け声で『お~!』とはならないだろ」


 淡々と目標を語って、勝手に終わらせた志水。

 本当の志水なら問題なかったが、今の志水がこの役に向いていないということをすっかり忘れていた。


「代打、壮馬」

 仕方がないので、こういうノリが得意そうな壮馬にバトンを繋ぐ。


「ぜったいにせいこうするぞー」

「ちょっと待てい!」

「ん?」

「何だ、その大根役者みたいな棒読みは」

「俺こういうの実は苦手で……」

「嘘つくな! ……ったく、仕方ないから俺がやるか」


 俺がそう言うと、壮馬がにやついた表情を浮かべた。

 さっきの気の抜けた棒読みは、俺にやらせるためだったらしい。

 気を取り直して、俺たち四人は再び輪の中で手を重ね合わせる。


「生きて帰ってくるぞ!」

『お~!』


 四度目の正直にして、ようやく息がピタリと合った。

 どういう意図があっての行動だったのかは分からなかったが、孤杉のおかげでみんなの固さが緩和された気がする。


「今度こそ行くぞ」


 俺は、一度部屋の中を見渡して情景を目に焼き付けた。

 志水が机の上に置いてある写真をじっと見つめ、写真の中の夏島さんに挨拶を告げていた。



 ここでの思い出が脳内を駆け巡る。

 その中で印象に残っているのは、辛く苦しい思い出ではなく、どれも楽しかった思い出だった。

 この場所に、もう一度、四人で、笑顔で帰って来よう。

 俺たちの戦いは今、始まる。

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