第2話 異変の察知

 二三二一年の九月二五日。

 モデル都市の天候は雲のない秋晴れ模様。夏が過ぎて、ようやく汗ばむことも少ない過ごしやすい気候になった。

 ここはモデル都市の東地区にある大きな民営図書館。

 本のデジタル化が進行している現代にもかかわらず、休日には多くの人が訪れる。

 周りは公園のような広場になっており、その中心に洋風の外装をした四階建ての図書館がある。

 入口が広場より高いところにあるため、利用する際には階段を上る必要があるのだが、周りから見るとまるで一種の城のような風格があった。

 そんなこの東地区図書館は、今のような平日の夕方となれば仕事や学校帰りの人が集まってくる。実際、入口近くで待ち合わせのために待っていると、次々に人が横を通り過ぎて中に入っていく。

 時刻は午後四時五十五分。俺が到着して約十分で彼女は姿を現した。

 相変わらず高校の制服に袖を通している志水だが、怪しまれないように夕方とか言ってる割に、その服装には気を遣わないのだろうか。

 西地区の人間がわざわざ東地区の図書館に来る必要はない上に、西地区から来たにしては学校が終わってから時間が経っていなさすぎだ。

 今頃になって、志水の計画に乗ったのは失敗だったのでは、と思えてくる。


「早かったな、穂村。行くぞ」


 彼女にそう促され、図書館の中へと足を進めた。



 図書館の中は当然静寂に包まれている。

 図書館内では携帯電話をマナーモードに設定すること、私語厳禁などといったルールがある。当然それは、本を読む空間は静かであるべきだからだ。

 俺たちは本を読むスペースを横目に、入り口から入ってすぐにエレベーターに乗り込んだ。その際、彼女はやけに周りに目を配って気にしているようだったが、なぜ気にする必要があるのだろうか。

 そう言えば、今回ここに来たのは資料を集めるためだと志水は言っていた。この情報時代、調べ物をするために図書館を訪れることは極めて稀なこと。

 一体何の資料を集めるつもりなのだろうか……。

 エレベーターのドアがアナウンスとともにゆっくりと閉じる。

 そして完全に閉まった瞬間、彼女はスイッチが入ったかのようにいきなりしゃがんだ。何をしているのかと覗き込むと、行き先ボタンの真下の方からカーペットを捲り始めていた。


「え、えぇ!? ちょ、何してんだお前」


 行動の目的が見当たらず、ただただ驚くしかなかった。


「静かに。外に聞こえる……、っと」


 志水は二十センチメートルほど捲ると、そこで手を止めた。

 カーペットの敷かれていた場所に、何やらおかしな点を見つける。平らなはずの床に小さなでっぱりのようなものがあったのだ。

 その謎のでっぱりを志水は摘まみ上げる。すると、縦横三センチの正方形の穴が姿を現し、その下にはボタンのようなものがあった。

 志水が何の躊躇いもなくそのボタンを押すと、あろうことかエレベーターは予想と真逆の方向に動き始めた。


「うぉっ!?」


 予想外のエレベーターの動きで、一瞬体が宙に浮いたような感じになってバランスを崩したが、手すりに掴まってなんとか立て直した。

 俺たちがこのエレベーターに乗った階は一階。四階建ての建物なので、当然行き先ボタンは各階の四つ。

 つまり、このエレベーターの最下階は一階で、それより下なんてあるはずがないのだ。

 しかし実際には存在していた。

 階数を表示するモニターには何も表示されていないものの、到着の合図であるチャイムを鳴らしてエレベーターは開かれた。その先に広がるのはただの暗闇。だがよく目を凝らすと、目が慣れてきて一面に無数の本が並んでいることが分かる。同時に、本特有の匂いが鼻についた。


「おい志水。説明しろ!」


 分からないことが多すぎるので、俺は志水に説明を求めた。


「私たちが今日しに来たことは?」

「資料集め」

「何の?」

「モデル都市についてのだろ」

「そのモデル都市の本当の情報や歴史が書かれた本が、あんな人目につく場所にあると思う?」

「まぁ言われてみれば……」


 冷静に考えてみれば、重要な文献などが一般の人が多く来るようなところに置いてあることは少ない。

 文献は古いものが多く、いい状態で保管するためという点と、万が一の盗難を防ぐためという点の二点が主な理由だろう。


「あと、図書館の立地。おかしいとは思わなかったか?」

「どういうことだ?」

「この建物だけ、周りより高い位置にある。地形の関係ならまだしも、ここらの地形はほぼ平らなはずだ。わざわざ高い所に作ったのには、何かしらの理由があるはず。当時、モデル都市についての資料を探していた私はそこに目を付け、手探りで探し続けた。そして見つけたのがこれだ」


 彼女は近くにあった照明のスイッチを押すと、部屋全体が一気に照らされ、全容が顕わになった。

 見るからに古そうな本の数々と埃っぽい空気感。

 おそらくここには、志水の言う通り約三百年の歴史と詳細が詰まっている。その証拠に一番近くにある本の背表紙には『都市風土記』と記されていた。


「こんな場所に勝手に来てもいいのか? それに見つかる心配は……」


 俺は二つ懸念していることがある。

 一つは、わざわざ見つからないように本を隠したこの場所に来て、なおかつその秘密の本を読んでもいいのかという点。

 そしてもう一つは、エレベーターが地下まで来たことで、他の誰かに異変を察知されるのではないかという点だ。


「その辺の心配は一切必要ない」

「というと?」

「この施設は約二百八十年も前に作られた古い建物で、文化財指定されているのは穂村も知っているだろ?」

「あぁ」


 東地区図書館はこの辺りの建物で最も古く、周りの建物と見た目の雰囲気が全く違う特殊な建物として有名で、ずいぶん昔にモデル都市では文化財に指定されている。


「この建物を建てて以降一度も改装や修理をしていない。二百八十年というとてつもない年月が経っているのにも関わらず、一度もそれらがされてないのは、建てる際時点でその必要のないものを目指したからだそうだ」

「なぜそんな必要が……」


 志水は一番近くにあった本棚から、やや分厚めの辞書なような本を取り出す。

『都市風土記 三十』と書かれたその本をパラパラと捲り、中の文章を読み上げた。


「『二〇四一年五月五日。東地区民営図書館、正式名称『モデル都市廃止運動記録保管庫』を完成。保管庫には、五年後実施のモデル都市廃止計画の経緯を始め、モデル都市の情報の詳細を記した本を残す。建物に異常をきたす可能性のある三百年以内に、おそらく我々と同じ意思のある読者が、保管庫の存在に気づいたときのために遺すものだ』とここには記されている。私の前回の捜索時には、時間の関係上この一つの本棚を見るので精一杯だった。だからこうして、残りの本から情報を探るためにここに来た」


 俺たちがやろうとしているモデル都市の廃止計画には先駆者がいて、その先駆者が行った際には失敗した。

 その証拠に、今もモデル都市は廃止されることなく現存している。

 単純な推測だが、これを書き記した時期が企画実行よりも前だったのは、失敗する可能性を見越してだったのだろう。

 彼らの想いは約二百八十年の時を経て、ようやく繋がったのだ。


「さて、先ほど言った、なぜ心配の必要がないかについて。ここの建物にある警備関連を始め、様々なものに細工がされている。エレベーターの防犯カメラを例に挙げるなら、あれは形だけで、ただのガラクタだ」

「マジか……」

「そうまでしてここの文書を守った。仮に簡単に見つかってしまえば、一般に広まってしまって、それが国に知られることに繋がりかねない。逆に一切見当のつかない場所にあれば、誰一人として見つけることなく、後世に伝えることは不可能になる」

「でも当時の社会から既に情報社会だっただろ。情報媒体で残すという考えはなかったのか?」

「情報が主流の時代に、まさか紙媒体で情報を保存しようとは考えないであろうという逆転の発想だろう。そうすることで、モデル都市外の人間が察知する可能性を極限まで小さくできる。この建物の仕組みもそうだが、そうとう頭が切れる人間の仕業に違いない」


 ほぼ百パーセントの人が気づかないようにしているのだから、当然と言えば当然だがまさかこんなものが隠されているとは思いもしなかった。

 その建物の仕組みに気がついた志水も、相当頭が切れる人間だと思う。

 志水は、先ほどの本を元の位置に戻すと、隣の本棚へと視線を移す。


「ここにある文書が、俺らにとって唯一の作戦の手掛かりなのか」

「いや、私の見立てだとほとんど参考にならん」

「はぁ!?」


 いともきっぱりと言う志水に、驚いて思わず声が裏返る。

 今までの説明は何だったんだ……。


「仮に実行した作戦の内容や、失敗した寸前までの経過を記したデータがあったとしても、そもそもそれは二百八十年以上も前のデータだ。失敗したデータは成功するためには欠かせないものだが、これだけの時が経てば私たちを取り巻く環境は大きく変化している。そのデータが今の環境でも使えるものなのかというと、やはり怪しい所だろう」

「だとしたらなんでわざわざ来たんだ?」

「私たちはモデル都市から外の世界をまるで知らない。時代が変わったとはいえ、貴重な資料であることは間違いないというのが一点。もう一つは、交渉の際の材料になるかもしれないから。このモデル都市ができる前の情報も少なからず手に入るはずだし、知っておいて損はない」

「なるほど。……すごいな」

「何だ?」


 感心した俺の声に反応して、志水は俺の方に顔を向ける。


「ちゃんと考えていたんだな」

「なんでそんな上からの物言いなんだ」

「ここって、先駆者たちが遺す際には一般の人には極力知られないように、そしてなんとか一握りの人が見つけてくれるように、って工夫したわけだろ? それを見つけられるってことは、これを作った人間と同じくらい頭がよくて計算できている証拠じゃないか」

「褒めてるのか? それとも頭脳が旧式だとでも言いたいのか?」


 少し不機嫌そうに顔をしかめる志水。


「そんなわけないだろ。素直に受け取れ」

「……ありがと」

「これでようやく少しは信頼ができる」

「?」


 志水は俺の言葉を理解できず、少し首を傾げた。


「悪いが、昨日の時点では一種のごっこ遊びとか、秘密基地探検とかその類かとも考えたんだよ。だって考えてもみろよ。あんな細い道でこそこそしたりとか、廃ビルの地下に私的スペース作ったりだとか。そう思われても仕方ないだろ」

「穂村……。貴様、ここに閉じ込めるぞ? いや、ロケットに詰めて国家総合管理塔に直接ぶち込むぞ?」

「じょ、冗談、冗談だって!」


 言葉から明らかに志水が怒っているのは分かるのだが、元々無表情な志水はこういう時もあまりはっきりと表情に出ない。

 加えて、彼女ならなんでもやりかねないため、冗談が冗談に聞こえない。

 おかげで、普通の人に怒られるよりも数段恐ろしく、背中に薄ら汗が滲んだ。

 揶揄うのは今回だけにしておこう……。


「私を馬鹿にした罰として、明日から一人で毎日この場所を調査だ。ここにある本全てを読破した上で記憶しろ。返事はもちろん、『ありがたき幸せ!』か『かしこまりました、お嬢様』の二択だ」

「俺に拒否権はないんだな。にしても、なんか返事の癖がすごいんだけど……」

「つべこべ言わずにやれ。今日は特別に手伝ってやるが、明日から私は別の調査がある」

「はいはい……」

「返事は『姫の仰せのままに』か『王女様に仕えることは私にとって本望です』の二択だと言っただろ?」

「さっきと返事の内容が違うんだけど?」


 一見、とんでもない無理を強いる性格の悪い女にも思えるが、今日だけとはいえこうして手伝ってくれるあたり、少なからず優しさを感じる。

 だが……。


「これだけの量を記憶って無理があるだろ……」


 見渡す限り、薄暗い赤色の表紙の本が並んでいる。

 どれもそこそこ分厚く、文庫本のようにストーリー性もイラストも全くない。ただ事実だけが書かれた本を一冊読むだけでも骨のいる作業だ。

 そんな本を図書館の一区画はあろう量を読破した上ですべて記憶するなど、コンピュータでもない限りできない仕事である。

 やはり彼女に優しさなど微塵もなかった。少しでも優しさを感じた俺が馬鹿だった。


「穂村が私の能力を測ったように、私も穂村の能力は測っておきたいと思っていた。そうでないと計画を練る際に不都合が起きる」

「そういうことなら仕方ないか……」


 なんだか適当な理由つけて、面倒事を押し付けられているような気がしないでもないが、ここは大人しく受けておくのが吉だろう。


「……まぁ正しくは、私が本を読むのが苦手な理系だからだけど」


 ボソッと独り言のように話したが、一言一句逃すことなく聞こえている。

 いや、わざと聞こえるように言ったのだろう。


「お前なぁ……」


 もう完全に悪女の所業で、俺は呆れるしかなかった。


「というわけで、よろしく」

「はぁ……。了解」

「だから返事は、『この命に代えても、あなたの命を……』」

「お前、実は本読むの好きなんだろ、そうなんだろ」



* * *



 あれから大体二月の時が流れ、今日は十一月二十六日。

 平日は午後五時頃になったら図書館へと出向き、閉館時間の八時になったら家へと帰る。そして休日は、開館時間から閉館時間まで読み続ける。そんな日々を繰り返していた。

 日々のルーティンに組み込まれれば待っているのは退屈だと、俺はずっと思っていた。だが、今回に限っては退屈であると感じたことは一度もなかった。ただし、感じていないのは退屈さだけであって、大変さは幾度も感じていた。

 そんな図書館通いの仕事も、あと一週間ほどあれば完遂できる。

 本の目次を見て、他の本と重なるところや今回の計画に不要なところを省き、重要なところだけ目を通す。読書というより、もはや単純作業になり果てたこの仕事を二か月続けたが、そこから得られた収穫はごく僅かだった。

 一方の志水だが、ここ最近はずっと日の目を浴びていないようで、報告に訪れるといつも同じ光景が見られた。ソファに浅く腰かけ、目の前の資料やパソコンを凝視し、常に頭を回転させていた。計画に必要なことなのは間違いないのだが、俺にはその資料を見ても、書かれている内容は全く意味が分からなかった。

 ずっと作業をしているのだろう。目の下には隈もあり、机の上にはコーヒーの缶がいくつも並んでいた。

 そんな志水とはほとんど会話は交わさず、業務連絡を済ませるとすぐに志水の家を後にしていた。きっと俺があの場にいても、何一つやれることはなさそうだからだ。


 

 モデル都市には二つの高校があり、一つは俺の通う東地区の東地区高校、もう一つは志水の通っていた西地区高校だ。

 時刻が四時半を迎えると、東地区高校の生徒たちはそれぞれ帰宅していく。


「悪い、今日も先帰るわ」

「そうか。じゃあな」


 俺は仲のいい友達に断りを入れ、東地区図書館へと向かう。

 最近は、毎日のように本に目を向ける生活の気分転換にと、たまに学校に行くようになっていた。いつもならさっきの友達と、寄り道しながら帰っていたのだが、今は課せられている使命が優先された。

 東地区高校からしばらく歩いて東地区図書館に到着した。学校帰りの時間帯のため、学生が多く見受けられる。周りを見渡し、誰もいないことを確認してエレベーターに乗る。そしていつものように隠しボタンを押して地下へ向かった。

 部屋の照明スイッチを押すと、暗闇の中から本棚が姿を現す。

 三百年も前の知恵によって作られた隠し保管庫と言うが、こうも何度も姿を見ていては驚きの一つもなくなってしまった。

 部屋の右奥の一角。

 まだ読めていない本は、そこの一角にある。残り約八十冊といったところだろうか。

 俺はその残りの本をぐるっと見渡す。


「あれ……?」


 俺はその本の中のある一冊に違和感を覚えて、そっと抜き出して手に取った。

 偶然、裏表紙を向いていたその本。その裏表紙に、二〇四六年五月五日という発行日が刻まれている。

 ここに初めて来た日に、志水が読み上げた本の内容が正しければ、この日付はモデル都市廃止計画の実行日とされていたはずだ。

 実際、これまで読んできた本が全てこの日より前だったことを考えると、その予定通りに実行された可能性は高い。

 となると、この本にはおそらく計画実行日のことが記されているはずだ。

 この仕事を始めてから二か月。途中で投げ出さなかった甲斐があったと、自らを称賛した。

 ただ、そんな情報を期待した本だったのだが……。


「ページがたった十ページしかない……?」


 僅か十ページしか中身が書かれておらず、残りのページは全て白紙だった。

 俺は固唾を飲み、ゆっくりと表表紙を捲る。

 目次などは一切ない上に、この本に限っては全てが手書きだった。



 モデル都市廃止運動。

 実行日、二〇四六年五月五日。

 天候晴れ、風速一メートル未満。

 実行内容、モデル都市民の約三割による特攻及び襲撃。

 第一、東ゲートから強行突破した後に、国家総合管理塔へ。

 第二、国の最高責任者にして、本制度の考案者である綺羅厳庵きらげんあんの抹殺を最優先。

 第三、対象抹殺後、政府に対しての交渉を開始。

 運動実行の際、モデル都市内外を問わず、人の多少の犠牲は厭わないとする。



 一ページ目書かれた簡略化された作戦内容。

 俺はこの内容を見ただけで、身体がガタガタと震え始め、足の力が抜けて今にも倒れそうになっていた。

 突きつけられたのは、残酷な結果。

 この保管庫を創り上げられるだけの頭脳を持つ人間がトップで統率し、構成員はモデル都市民の約三割の約三万人。

 十分すぎるこの戦力を以てしても、モデル都市の廃止という悲願は果たせなかった。

 それを踏まえた上で、俺たちはどうか。

 数を増やすどころか、たった二人で成し遂げようというのだ。

 いくら志水が並外れた頭脳を持っているとしても、それだけでは当然限界がある。

 無謀。その二文字が頭の中を埋め尽くした。

 俺は今回の件に参加すると決めた自分の軽率さを強く恥じた。いかにこの計画が難しいのか。そのことを測り損ねた結果だった。

 同時に、それを元々一人で成し遂げようとずっと前から行動していた志水が、一体どれだけの覚悟をして計画に踏み込んだのか。それは本当に計り知れない。



 あれから残りのページを半分頭の中が真っ白な状態のままで読んだ俺は、他の本を読むことなくこの場所を後にした。

 このまま読んでいてもきっと与えられた役目がきちんと果たせない。それに今は、一刻も早く行動すべきだ。そう思い、俺はある場所へと足を向けた。

 その場所とはもちろん、志水のいる廃ビルの地下だ。



* * *



「どうしたんだ。そんな暗い表情して」

「いや……」


 俺の姿を確認し、志水がいち早く声をかける。


「それに今日は早かったな。何か大きな収穫でもあったのか?」

「ん、まぁ。そんなとこ……」

「そう」


 そう言って志水は気を利かせて、冷蔵庫からお茶を取り出して渡してくれた。

 正面に映る机上には、相変わらずの資料の山。その周りには飲み終えたコーヒー缶、エナジードリンクなどの空瓶が無造作に置かれている。どちらも日を増すごとに量が増えていて、もう机の表面が見えないほどにまでなっている。

 俺は彼女の表情を窺った。

 自らは隈ができて髪はぼさぼさ、そして眼鏡をした姿で、あからさまに寝不足な様子なのに、俺のことを気遣って心配そうにしている様子が、いつもの無表情から垣間見えている。


「それにしても、収穫があったというのになぜそんなに落ち込んだ様子をしている」

「前回行われた、モデル都市廃止運動の内容が書かれた本を見つけたんだ」

「それで?」


 俺の報告に、一切驚きもせず無表情を貫く志水。


「モデル都市の人口の約三割を要して襲撃を企てたって。それだけの人数を要しても敵わなかったのに、俺たち二人で本当に成功できるのか?」

「大丈夫」

「え?」


 俺の問いに間髪入れず答えた、予想だにしない回答。

 志水は依然、顔色一つ変えない。

 ゆっくりと立ち上がった志水は、勉強机の方へと歩いていく。


「そのことなら、もう知っている。一番手前にある本棚。実はあそこに、後日談が書かれた本があったんだ」

「後日談の本? そんな本あそこになかっただろ?」


 初めて保管庫に行ったあの日から今日まで何度も目の前を通った、エレベーターを降りてすぐのところにある本棚。何度も確認のために目を通したが、そのような本はなかった。

 後日談ということは、読んできた中で最も日の新しい、そして今日読んだ本よりも日付が後なので、俺が見逃したということはないはずだ。


「私が中学二年の頃にその本を見つけて……。それがこれ」


 そう言って勉強机に備え付けられた本棚から、一冊の本を取り出す。

 明らかな年季の入り方と、本が纏う古びた空気感。

 似たような雰囲気を持つ本をほぼ毎日のように見てきたのだ。俺の目に狂いがなければ、間違いなく保管庫にあった本だろう。

 その本を開いた志水は、栞の挟んであったページを読み上げた。


「『モデル都市の人口の約三割の協力を得て実行した今回の計画だが、そもそも実行する前に結果は決まっていたのだと思う。計画を実行すると宣言した当日、参加を決めた三割に対して、残りの七割は参加しないと言った。それは今の暮らしのままで満足している、死のリスクを負ってまで実行したくないから、だそうだ。そもそもモデル都市の廃止を望んでいない人が過半数を占めている状態で、仮に成功しても喜んでもらえたのだろうか。それは幸せなのだろうか。そして、計画は失敗。参加者の一部は死傷、大半は拘束され、計画の主導者たちは死刑が宣告された。それだけでなく、モデル都市の印象を悪くしたということで、モデル都市内の税率をあげるなど、参加しなかった人たちにも多大なる悪影響を与えてしまった。当然、参加者はバッシングを浴びることになった。果たして、今回の計画は実行してよかったのだろうか。これを残したのは、実行を考えているであろう読者に、実行するかどうかをもう一度見つめなおしてほしいからである』」


 読み終えた志水は、パタンと本を閉じて、元の場所に本を戻す。

 そして、しばらくの間二人に余韻のような空白の時間が流れた。


「これを読んだときは、自然と涙が出た。果たして自分がやろうとしていることが正しいのか、正しくないのかが分からなくなった」


 そう呟いた志水の表情はやはり暗い。

 その当時のことを思い出しているのかもしれない。


「それからしばらくはそのことだけを考えてた。でもそんなときに、私に決意させてくれた人が現れた」


 志水は、勉強机の右隅に置かれたある写真を眺めた。

 高校の入学式の時の写真のようで、ずっと前から気にはなっていた。

 学校の正面玄関に置かれた『西地区高校入学式』と大きく書かれた看板。それを挟むように、冷水と友達らしき女の子が立っていて、そこには二人の満面の笑みが映し出されている。

 志水は、会った時からほとんど感情の起伏がなく、無表情のことが多い。

 だから知らない、彼女のもう一つの顔。

 曇り一つないその笑った顔は、今のように計画のことで頭を悩ませているのではなく、ただ毎日流れていく時間を楽しんでいるからこそ見せられるものだと思う。


「彼女は親友の夏島澄なつしますみ。澄は、優しくて気遣いのできる本当にいい子だが、自らの意志が弱くて他人に合わせてしまう。だから、自分のしたいこととか欲を一切口にしなかった。そんな子が、ボソッと『海に行ってみたいなぁ』って。その時、小学校の頃にも『将来海に行ってみたい』って言ってたことを思い出して、私は決めた。仮にここにいる人たちの大半がそれを望まなくても、私はこの子のためだけにでもやってやろうって」


 志水が今こうしてずっと戦い続けているのはその子の望みを叶えるため。

 その思いを胸に、自らを限界まで追い込みながら毎日を過ごしてきた志水に、それとは対極の毎日を退屈しながら無為に過ごしてきた俺の時間がいかに無駄であったかを思い知らされた。

 きっと志水にはいくらあっても足りない大切な時間というものを俺はずっと捨て去ってきた。

 当然時間は誰であっても同じスピードで流れていくし、平等に時間が与えられている。故に自分の時間を他人に譲渡することは出来ない。だけど、ここまで自らの時間を他人に託してあげたかったと思った日はない。それほどに、俺のあの時間はもったいなかったと感じた。


「もちろん確率が低いことは分かってる。けど、私はもうやるって決めた。それに自信はある。だから、失敗したらどうなるのかなんて考えても仕方ないと思ってる」


 志水はもう失敗したときのことなんて考えていない。

 だから今も決して後ろ向きにならずに、ただひたむきに成功に向けて努力を続けていられるのだろう。


「……だから、大丈夫。だい、じょう、ぶ……」


 志水の声がだんだん弱くなり、尻すぼみになっていく。

 その明らかな異変に気づき、声をかけようとした瞬間には、彼女は床に膝をついていた。

 志水の様子がおかしい。


「おい、志水!」

「あぁ……。カフェイン、切れ、か……」

「カフェイン切れ……、っ!」


 俺はこの異変の原因には思い当たるものがあった。

 目の下にできた隈、少し青白い顔、そして机に散乱したコーヒー缶とエナジードリンク缶の空。明らかに無理をしているに違いないその様子を見て、すぐにでも休ませるべきだった。

 でも今は、そんな後悔をしている場合じゃない。

 俺はすぐに志水の元へ駆け寄る。腕で体を支えてやると、志水は力なくもたれかかった。


「志水、今はとにかく休め」

「何を言っている……。私にはまだやることが……」

「それはまた後だ。いいからほら、行くぞ」

「行くってどこに……」

「寝室だ。早く休め」


 俺が志水を立たせようとすると、彼女はそれを振り切って自力で立ち上がった。

 だが、足元はふらふらしていて覚束ない。

 明らかに限界に到達、いや既に突破している状態。絶対にこれ以上の無理をさせるわけにはいかない。


「だめだ……、まだノルマが」

「おい志水」

「何?」


 俺はポンっと志水の頭に軽く拳を下ろした。

 思いがけない俺の行動に困惑している冷水。


「誰かのために自らを犠牲にして行動できるって、誰にでもできることじゃない。人は、リスクを避けながらメリットを求める生き物だからな。だから、志水はすごいと思う。だけどな……」


 誰かを救うことは素晴らしいことだと、多くの人が知っている。

 だけど、その際に伴う大きなリスクが壁となって、その壁を越えられるのはほんの一握り。

 ましてや、命を懸けられるとなれば、もっと数が少ないだろう。

 それができる志水は本当にすごいし、尊敬する。

 でも、志水は重要なことを忘れてしまっている。


「ここでお前が倒れたら、その子は喜ぶのか?」

「それは……」

「成功する未来を創るためには、志水が必要、いや志水があの子のための未来を創るんだ。そのために今すべきことは、無理を重ねることじゃない。そうだろ?」

「ごめん……」

「だからとりあえず休め」


 こくりと頷いた志水。

 俺は彼女に肩を貸して、そのまま寝室へと向かった。

 そしてベッドに寝かせ、布団をかける。


「ありがと」

「あとで食べ物とか持ってくる」

「分かった」

「志水」

「……」

「今日片付けてない仕事ってのは、俺にはできない仕事か?」


 しばらく、志水からの返事はなかった。

 もう眠ってしまったのだろうと、俺はその場を離れようとした。

 そのとき、背中越しに小さな声が聞こえてきた。


「今日分のゲート付近の偵察……」


 俺の質問に対する返答だとすると、これは俺にできる仕事だということ。


「偵察の時に使っていたメモ帳は?」

「机の上……」

「分かった」


 俺がそう言うとそれ以上返答はなかった。

 本当に久しぶりの眠りについたのだろう。スースーと寝息を立てて、気持ちがよさそうだった。

 俺は寝室を出て、志水の勉強机の上に置かれていた偵察用の手帳を手に取った。


「そういえばこの手帳、何が書かれてるんだろ……」


 まだ一度も読んだことのない手帳の中身。

 未だに志水の口から計画の内容を伝えられたこともなければ、細かい進捗も聞かされていない。

 もしかしたら計画の内容がここに記されているのかも知れない。

 俺は手帳の中身が気になって開いてみることにした。

 中は日付や天気、そして場所が書かれており、それ以降は偵察の内容となっている。

 だが、おそらく自分が分かればそれでいいと思って書いたのだろう。その肝心の偵察内容は、全く意味が分からない。時間らしきものと、謎の数字が羅列されているだけだった。

 そのあともずっとメモを捲っていったが、どこまで行っても同じような物ばかり続いていた。

 結局何も分からずか、とメモ帳を閉じようと思ったとき。偶然にも最後のページが目に入った。

 そこのページだけ何やら、大きく文字が書かれていた気がして、俺はすぐさまそのページを開いた。


「……叶えような、志水」


 そこに書かれた文字。


『絶対に叶えてみせる!』


 俺はそっと手帳をポケットにしまうと、志水の家を後にした。


 志水の家を出てすぐの薄暗い道の角。

 志水と初めて出会った場所でもあるその場所にしゃがんで、ゲートの方をまじまじと見つめる。

 志水はいつもこうしているのか、と思いつつ遠くを眺めていた。

 偵察開始から数分。一向にゲートを行き来するものの姿は見えてこない。


「志水は何のためにこんな何回もここに偵察に来ているんだろ……」


 ゲートを抜けるためなら、こうして遠くで見ているのではなく、ゲートの構造の穴を見つけるために近づくべきなのではないかと、素直な疑問が出る。

 でも、志水のことだ。きっと何かしら理由があって偵察をしているに違いない。

 そう思って続けていたが、保管庫の本を読むのとは対極に、こちらは何もしない時間が長すぎる。

 最初は偵察相手に気づかれないようにと気を引き締めていたが、段々と緩んできていた。


「そろそろ終わろっかな……」


 偵察開始から一時間。

 この間ゲート通過者なしと報告すればそれでいいだろうと立ち上がり、一度メモを置きに志水の家に戻ろうとした時だった。


「何を終わるんだ?」

「うわっ!?」


 咄嗟にとんでもない声を出してしまった。

 すぐに我に返り、恥ずかしくなって顔が熱くなる。

 俺が驚いたのには訳があった。


「おま、お前、なんでここに!?」


 そこにいるはずのない人物、秋原壮馬あきはら そうまがいたからである。

 壮馬は俺の数少ない友達の一人だ。

 明るい雰囲気のある茶髪男子だが少しチャラい。

 シャツの第一ボタンだけでなく第二ボタンまで外れているところや、ズボンからはみ出しているところを見るだけでも、真面目からかけ離れていることはすぐに分かる。

 今日の下校の際、一緒に帰るのを断った相手が壮馬だ。


「そりゃ、後をつけてきたからに決まってるだろう」

「後をつけてきた? え、下校してからずっと!?」

「うん」


 実際に制服姿であることから、偶然遭遇したという可能性は低そうだ。なぜなら壮馬が学校から帰る際、ここは絶対に通らないからだ。

 ……それにしてもこの光景、なんだか見覚えのある気がする。


「デジャヴ?」


 まぁ、立場は逆転してるけど。



* * *



 壮馬は俺の幼馴染でもあった。

 小学校一年生の頃、ずっと一人でいた俺に初めて声をかけてきたのが壮馬だった。

 最初、何を話していたのかはあまり覚えていない。

 だが気付けば、壮馬は俺のところへ、俺は壮馬のところへと自然に動くようになっていた。

 学校から帰ってすぐに遊びに出かけ、ゲームもしたし、悪ふざけして怒られたこともあった。

 そんな悪ガキ二人は、ずっとそのままの関係性で時間を過ごした。

 高校に入ってしばらくするまでは。


「ここ、別に何か遊ぶところがあるわけでもないし、第一裏路地だろ? なんでこんなところにコソ泥みたいに張り付いてたんだよ、敦灯」

「いや、別に……。ただの散歩で……」

「それでごまかせるわけねぇだろ。散歩で一時間も同じ場所にしゃがんでるやついるか?」

「……」


 今の俺の脳内にちらつくのは、前に志水が言っていたこと。


『私がやりたいことは、このモデル都市の廃止と都市内の人間の開放。私はそのために、毎日活動してる。周りに気づかれれば当然不自然に見えるし、法に抵触している部分もあるから、あくまで秘密裏に。それに、モデル都市の事実を都市民が知れば、暴動になりかねない。そんなことになれば、国の力で抑えられてしまう』


 要するに他の人間に話すなということ。

 偵察を見られてしまった志水は、俺に協力させることで収拾させた。

 今回も一見立場が違うだけで、同じようにも見える。

 ただこの件に一度触れれば、命を懸ける必要がある。

 もし同様に彼に協力を求めれば、きっと受け入れてくれるはずだ。

 だが彼は、俺とは状況がまるで違う。

 成績優秀、運動能力も抜群に高い優等生で、周りからの人望も大きい。何よりも、彼には医師になるという大きな目標があった。

 そんな彼の未来を失わせてはいけないし、幸せになってほしいと思うから、素直に話すわけにはいかなかった。


「何してんだよ。こんなところで」


 許してやるから話してくれ。きっと壮馬はそう思っているはずだ。

 俺たちは幼馴染だから隠し事はなかった。

 だけど、幼馴染だからこそ、今回は隠し事を貫き通したい。


「何もしてないって」

「あくまで隠し通すつもりだな? 俺に言えないってことはそれだけ大きい理由があるんだろう。だが、そんなの知ったことじゃない」

「え?」

「親友が何か悪いことに手を突っ込んでるんじゃないかって心配してんだよ。特に今日の行動なんか見てると、密売でもしてるんじゃないかってさ……」

「俺は別にそんなことは……」

「だったら何だよ」

「それは……」

「はいはい。その話はそこまで」


 全く別方向から女性の声が飛んでくる。

 聞き覚えのあるその声に、目を見開いて振り向く。


「志水!?」

「誰だ? 敦灯こんな可愛い女子高生、それも他校生と知り合いだったのかよ……」

「ちょっと君。少し席を外して」

「あ、はい」


 そう言われて壮馬は俺から距離をとった。

 その様子を確認して、志水は俺の方へ急接近してくる。


「事情は察した」


 完全にいつもの調子の志水。


「何言ってんだお前。そんなことは今どうでもいいんだよ。なんでここにいるんだ」


 さっきまでは床に伏せていたはずだが、そんなことを微塵も感じさせない表情。

 心なしか隈もないように見えて、顔色もいつもよりいい気がする。

 世の中にはショートスリーパーという人がいると聞くが、それにしても短すぎる。

 さっき倒れたこともあるが、今回の経緯から平気を装っている可能性も考えると、やはりまだ休んでいて欲しい。


「食べ物持ってくるって言っておいて、一時間も待たせて様子を見に来たらこの様子。まさに修羅場じゃないか。それに普通は、偵察より先に食べ物持ってくるだろ」

「あ……。それは悪かった」


 そういえば、偵察ばかりに頭がいっていて完全に忘れていた。


「……じゃなくて、早く休めよ!」

「一時間も寝ればそこそこ元気は戻った。それにこの状況、私が居ないと収まりがつかないだろ」

「それはそうだが……」


 正直この状況で志水が来なければどうなっていたことか……。

 話に落とし前をつけるのなら、確かに志水は必要。

 だが、一刻も早く志水を休ませたい。

 その両方がちょうど釣り合っていて、決断を下すのは難しい。


「体調の心配をしているのなら、早くこの件を済ませればいい」

「でもどうするつもりだよ」

「一度彼に全てを話す」

「いいのかよ!?」


 ずっと深く考えていたのに、あまりにもあっさり話すので拍子抜けした。


「結局このまま放っておくと穂村たちの関係性に傷がつく上に、このことを知るまでは納得いかないだろう」

「そりゃそうだけど……」


 収集をつける手段としてはこの上ない作戦だが、志水としては機密性を下げるようなことは極力避けたいはずだ。

 俺と壮馬の仲を心配してくれていることは嬉しいが、俺は素直に頷くことができないでいた。


「それに穂村と仲のいい奴なら、ある程度は信用できる」

「それって俺を信頼知ってるってこと……?」


 いつの間にか俺を信頼してくれていたのか、と少し嬉しいのと同時に驚きが沸き上がったが、


「おい、そこの君」

「って、聞いてないし……」


 実際どう思っているのかは本人のみぞ知る。

 志水は壮馬の方に駆け寄っていく。


「一旦、場所を変えるぞ」

「ん? 分かった」


 志水は、壮馬を連れて廃ビルの地下、すなわち志水の家へと案内した。



「え、こんなところに家!?」


 誰でも驚くだろう。薄暗い裏路地にある廃ビルの地下に、普通の家のようなちゃんとした部屋があるのだから。

 壮馬は物珍しそうにうろちょろと辺りを見歩く。


「それで、なんでわざわざこんなところに連れてきたの? 誘拐?」

「誘拐にしてはお前、全く拒絶しなかっただろうが……」


 拒絶どころかすんなり受け入れていた。

 そして誘拐された割には、この部屋に驚いて興奮していたじゃないか。

 そんな被害者がどこにいる。


「誘拐なんて生温いくらい、やろうとしてることは酷いかもしれないがな」


 確かに罪の重さという意味では、国家転覆罪は誘拐と比べればこの上なく重たいだろう。

 三人ともソファに腰を下ろすと、志水は改まって話始めた。

 モデル都市のこと、これまでの経緯、そして俺たちがやろうとしていること。

 その説明中、俺とは違って壮馬は終始驚く様子を見せなかった。


「そういうことだったのか……。話している感じ、壮大な嘘をついているというわけでもなさそうだし、本当のことなんだろ? 敦灯」

「あぁ」


 なぜここまで壮馬はすんなり受け入れられるのだろうか。

 いつもと同じようにケロリとした様子で話す壮馬には、やはりその疑問が浮かぶ。


「驚かないのか?」

「正直内心では驚いたよ。でもこんな胡散臭い街、それくらいの闇があってもおかしくないだろ」

「壮馬もどこかでは感づいていたのか?」

「まぁな」


 志水が前に言っていたが、モデル都市の大抵の人は平和ボケをしているために、モデル都市の真実に気づかないのだという。

 当たり前が当たり前でないのでは。

 そう考えられた人間は、例え答えに辿り着けなくとも、感づくことはできる。

 だから俺も最初はかなり驚いていたが、最終的にはその事実を受け入れることができた。

 だが壮馬の場合、あまりにも驚きが表に出ていなさすぎる。

 この事実を最初から知っていたのではないか、と疑うくらいに。


「このこと、もしかして最初から知っていたのか?」


 その俺の問いに、目の色を変えたのは志水だった。


「どういうことだ、穂村」

「こんな凄惨な内情を知らされて、顔色一つ変わらないどころか、どこか安心したような感じがした。だから、最初から知っていたんじゃないかって」


 そう言うと壮馬は思わず吹き出して笑った。


「そんなわけないだろ?」

「だったらなんでそんなに驚いてないんだよ」

「だから言っただろ? 内心では驚いたって」

「それなら少しくらい表に出たって……」

「俺にはモデル都市の内情に対する驚きよりも、ここ最近の敦灯の行動の動機に合点がいって安心した方が大きかっただけだよ」


 そう笑って話す敦灯に、俺は申し訳ない気持ちが心の底から浮かび上がってくる。

 おそらく壮馬は、学校での俺の不自然な行動を見て心配してくれていたのだ。

 俺はそんなことを一切知りもせず、考えもせず、ただこの計画のことで頭がいっぱいになっていた。

 ずっとこれまで一緒にいた、いやいてくれた壮馬のことをそっちのけにして。


「ごめん……」

「何言ってんだよ。謝るところじゃないだろ?」

「でもさ……」


 壮馬はいつだって優しかった。

 俺が何をしても許してくれて、理解してくれる。

 でも今回に限ってはその優しさが、俺の申し訳ないという気持ちを強くした。


「それに俺としては、敦灯のこと誇りに思うぜ?」

「誇りに思う?」

「だって命を落とす覚悟までして、毎日のように駆け回ってるんだろ? それも自分のためじゃなくて、このモデル都市民たちのために。そんなの、簡単にできることじゃないだろ」


 どこかで聞いたその言葉が、俺の心に刺さった。

 でも、俺なんかよりも……。


「それをしているのは志水であって、俺はそれを手伝っているだけだぞ?」

「何言ってるんだ、穂村。手伝っているのでなく、協力だ。あくまで対等な関係だぞ」


 志水が突然横槍を入れる。


「志水さんの言う通りだ。だから二人のことは本当にすごいと思う。だから少しは自分のやっていることに誇りを持てよ、敦灯」

「これにて一件落着ということでいいな?」


 俺たちの様子を見て、志水がまとめに入る。


「全く……。驚かせるな、穂村。この件の情報を知る人間が他にもいるとなれば、せっかくの計画もいったん白紙に戻さないといけないんだぞ」

「ごめん……」


 咄嗟に思ったことを口にしてしまっていたが、確かにその通りだ。

 もし別に知っている人間がいたなら、今ここでこうしている場合ではなかっただろう。


「それで、秋原だったか。君はこれからどうする。参加しなくとも特に責めないが、この情報を外部に流してもらっては困る」

「もちろん流したりはしない。それに良かったら俺も協力させてくれないか?」

「おい、ちょっと待てよ!」


 俺は声を荒らげ、勢いよく立ち上がった。そして同時に二人は、俺を見つめた。


「本当にそれでいいのかよ、壮馬。医者になるって夢を投げ捨てても……。それに悲しむ人間だってたくさん……」

「俺を一人ここに残して去ろうとした敦灯には言われたくない話だな、それ」

「だってそれは……」

「敦灯、俺の夢を叶えようとしたんだろ?」

「っ!」


 この件に参加すると決めた理由は、退屈な日々を抜け出したいから。

 でもそれと同等かそれ以上のもう一つの大きな理由があった。



 小学校六年生の一月。

 二か月後に卒業を控えた六年生は、毎年『希望』という名の卒業文集を残すのが恒例となっていた。

 そこには小学校の思い出や、学校の中や外で撮られた写真、そして将来の夢などが載せられることになっている。

 その卒業文集を作っている時期のある日のこと。

 教室の中で、周りが卒業文集で盛り上がっているときだった。


「敦灯は将来の夢とかあるのか?」

「ないない。だって決めるの早すぎない? 俺たちまだ小学生だぞ」

「俺は医者かなぁ。出来る限りたくさんの人の命を救いたい」

「へぇ」

「それにいつか医者として世界中を飛び回ってみたいんだよな」

「でも俺たちってモデル都市から出られないんじゃないの?」

「そうなんだけど、やっぱり憧れるなぁ」

「でもすごいな。誰かのために行動できるって」

「すごく大変だと思う。でも、できたら格好いいよな……」


 そしてそれから二か月後の卒業式。

 配られた卒業文集には、このときに言っていた通り、世界を飛び回る医者と書かれていた。



 俺は今もあの時のことを鮮明に覚えている。

 志水から話を持ちかけられた時。一番最初にそのことが頭に浮かんだ。

 ずっと憧れ続けている壮馬に、機会を与えられるのではないか。親友として、幼馴染として、この機会を逃すわけにはいかない。

 そのことが一つのきっかけになり、俺はこの件に参加することを決めたのだった。


「あの時の夢は、今ももちろん諦めてない。だけどこれは、出来れば自分の手で成し遂げたいんだ」

「でも、死んでしまえば元も子も……」

「やらない後悔よりやって後悔、だろ? まぁ例え失敗しても後悔はないよ。どのみち今回一度限りのチャンスなんだからさ」


 仮に失敗して生きていても、おそらく二度と日の目を浴びることは出来ないし、ましてや医者になんてなれないだろう。

 壮馬の言う通り、笑っても泣いてもこれが最後の機会。


「本当にいいのか?」

「あぁ。それにさ、俺が黙って見てて、敦灯はやっているなんて可笑しな話だろ? 二人で、いや三人で成し遂げようぜ」

「それでいいか? 穂村」


 志水は賛成のようで、俺に最後の判断を委ねた。

 きっとこれ以上言っても聞き入れないだろうと、長い付き合いの経験から分かっていた。

 それに俺としては、ずっと信頼してきた人が近くにいるだけで、何倍もやりやすくなる。

 だから俺の答えは、もう一つに決まっていた。


「分かった。でもやる限りは絶対に成功させるぞ」

「元からそのつもりだ」


 壮馬はそう言って俺と志水に手を差し伸べ、俺たちは握手を交わした。

 こうしてモデル都市の廃止を賭けての三人の戦いは、第一歩を踏み出した……、が。


「いやぁ楽しみだなぁ。外にはどんな子がいるんだろ……。あっ」


 誰かの独り言。

 なんだかとんでもない言葉が聞こえた。

 この声の主は俺でも、もちろん志水でもない。……壮馬だ。


「穂村、こいつ外していいか?」

「雇用後即解雇とは思い切りが良すぎるが、それには俺も賛成かも知れない」

「え、ちょっと!?」


 壮馬は普段、優等生で信頼できるいい人だ。

 ただし、風の噂で女たらしだということを時折耳にする。しかしそのことを問い詰めると決まって壮馬は否定した。

 真相を確かめたところ、壮馬は恋人が欲しいがために色んな女子と仲良くなっているのだという。そして、内面を重視する傾向のある壮馬のタイプに会う人が見つからないため、どんどん女友達が増えているらしい。その結果、傍から見ると色んな女性と付き合っているだの、遊びまくっているだの勘違いされているようだ。

 今回の失言もその一端に過ぎないのだが、やはり傍から聞くとそういう風にしか捉えられなかった。

 いい機会なので、その辺を見直してもらうためにも、一度志水に幼馴染を売ろうと思う。


「見た目があれだから、懸念材料ではあったが、やはり見た目は裏切らないな」

「そうなんだよ。こいつ実は女たらしでさ」

「ちょっと敦灯、誇張しすぎ!」

「あと、他校の生徒を侍らして街へ繰り出すド畜生何だよ、こいつ」

「聞いたことないくらい口悪いし、出鱈目言ってんじゃねぇ!」

「ってなわけで、秋原は出禁で」

「え、ちょっと本気!? さっきのいい雰囲気は一体どこに?」

「はいはい、出た出た」

「お、おい~! あ、敦灯助けて~!」


 と、志水によって壮馬はこの建物から今日強制退去となった。

 こうしてモデル都市の廃止を賭けての三人(?)の戦いは、第一歩を踏み外して捻挫し、一ターン休みとなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る