運命への叛逆者

木崎 浅黄

第1話 プロローグ

 人生は繰り返しばかりで、なんて退屈なのだろう。

 そう思い始めてから、もう何年経ったのだろうか。

 人間の時間の体感速度は、歳をとるにつれて早くなるという。

 それは、新しい経験がだんだん減っていくからだそうだ。

 生まれてから約十七年。既にその現象が現れ始めているのか、時の流れがあっという間に感じられる。

 朝起きて学校に行き、帰って床に就く。そんな代わり映えしない時間を何年も繰り返しているだけなのだから、新しい経験がないことは自明だろう。

 俺にとって退屈は、多忙よりよほど嫌で怖いもの。頭の中が空っぽで、ただただ空白の時間が流れるのは、まさに死を体感しているようだった。

 その退屈から逃れようと身の回りの環境を変え、繰り返すジレンマからの脱却を試みた。部活に入ったり、クラス代表を務めたり、一人暮らしを始めたり。

 色んなことに挑戦したが、結局それはその場凌ぎにしかならず、しばらくしたら日々のルーティンに組み込まれてしまう。

 学校に行くことに段々と意義を感じなくなった俺は、今日のようにしばしば学校をさぼっては、街へと出向くことが増えていた。

 来たことのない場所に行くことで、脳内の地図にあった空白が段々と埋まっていく。未知が段々と既知に変わっていくことに、いつしか快感すら覚えて、癖になっていた。

 だけど、その未知も無限に続くわけじゃない。既知に変われば、その分未知は減っていく。早ければ、今年中には脳内の地図は完成することだろう。

 そうなれば何事もなかったかのように、またいつもの日々が戻ってくる。

 それが今はたまらなく怖い。



 ここは、東地区の中心市街地。

 俺は今、ショッピングセンターや高層ビルが建ち並ぶ表側ではなく、あえて裏道を歩いていた。

 高い建物によって日光が遮られ、薄気味悪く空気も悪いこの裏路地には、誰一人として人の姿などなかった。

 それもそのはず。

 一本外側の道には整備された歩道があり、遠くまで見通しが効くほどに道路幅も広い。店の一つもないこの道が存在している必要性は全くないと言っていい。

 だからわざわざこんな道を通る必要はない。そう思っていた。

 しかし、そんな俺の思考とは裏腹に、目の前に人の姿があった。

 その人は、道端でなぜか身を潜めたようにしゃがみながら、建物の影から様子を伺っているようで、傍から見るとあからさまに怪しかった。

 少しずつその人に近づくと何をしているのかが具体的に見えてくる。

 手に握られたスマートフォンで何やら撮影しながら、手元のメモ帳に何やら書き記している。

 女性用の制服を着ていることから、その人が女子高生であることが分かった。

 ただ、着ている制服はブラウン色のブレザーに暗い緑色ベースのチェック柄スカート。この制服は西地区高校のもので、この東地区に西地区高校の制服を着た生徒がいることはかなり珍しいことだった。それも平日の真っ昼間となれば、余計に訳ありな感じがして、怪しさがさらに増す。

 花の女子高生がいるべきではないこんな薄気味悪い所で、彼女は一体何をしているというのだ。そう思ったが、自分の今の立場を見つめ直すと、彼女のことはとても言えないなと自虐して苦笑いを浮かべた。


「何してんの? こんなところで」


 どうしても彼女のことが気になった俺は、彼女の元に歩み寄り声をかけた。

 すると、彼女はびくっと肩を震わせ、慌ててこちらを振り向く。

 その際、茶髪セミロングの髪がサラサラと靡いた。


「……誰だ? ここで何してる?」


 見た目からの予想に反して若干低く、クールな声質の彼女はそう問い返す。


「それはこっちの台詞だろ。西地区の人間がこんなところで何してるんだ?」

「……黙秘」

「黙秘する人は黙秘って言わなくないか? その時点で喋ってるわけだし」


 こんなところにいる時点で普通の事情でないことは分かっていたが、やはりそれなりの事情があるらしい。


「まぁいいや。質問を変えよう。こんな暗いところから携帯で撮影しながら、メモ帳に何か書いていたようだけど、一体何のためにそんなことやっているんだ?」

「……見てたのか」

「別に話したくないならそれでもいいんだけどさ」


 俺がそう言うと、彼女は小さく溜息をついた。


「周りにこのことを話されたら困る。ちょっとついて来い」


 彼女は何一つ躊躇せずに俺の腕を掴むと、どこかに向かって歩き始めた。



* * *



 連れて来られたのは、先ほどの場所からほど近い、廃ビルらしき建物の地下三階。

 表向きボロボロの建物だったため、中も大層汚れて廃ビルらしい様相をしているものかと思ったが、案外中は埃っぽさも感じず、清潔に保たれていた。

 誰かしらがここにいた痕跡の残る建物の中に疑問を抱きながら、エレベーターではなく階段で地下三階まで降りてきた。

 階段を降りきってすぐに、隙間から光の漏れているドアが目に映る。

 天井のいたるところに大きな配管が見受けられることから、セキュリティーや電気を管理しているような部屋かと思っていたが、彼女がその部屋のドアを開けた途端、予想だにしない光景が広がっていた。


「え……」


 廃ビルの地下三階だということを忘れてしまいそうなモダンなリビング。

 なぜこんなところに木の床が……、と思い床に触れて気づく。どうやらフロアタイルが敷き詰められているようだ。

 壁もコンクリートを覆い隠すように壁紙が張られていて、廃ビルの地下ということを思わず忘れてしまいそうになる。

 ソファ、カーペット、勉強机に本棚といった家具に加えて、冷蔵庫や洗濯機といった家庭用家電まである。まさかここに住んでいるのでは、と思ったがさすがにそれはないだろう。仮に住んでいるのだとしたら、西地区高校の制服を着ていることと辻褄が合わないからだ。

 そんなことを考えながら部屋を見渡していると、彼女にソファに座るよう促され、そのまま腰を下ろした。


「ところで、名前は?」


 彼女は突拍子もなく問う。


穂村敦灯ほむらあつと。君は?」

志水紗良しみずさら


 落ち着いたクールな雰囲気のある彼女に当てはまるいい名前だと、ふと心の中で呟いた。

 そして改めて顔を会わせると、目鼻立ちが綺麗で、顔立ちがとても整っていることに気づく。お世辞抜きにしても美少女だと思った。


「穂村。突然だが、この街の仕組みはどの程度理解している?」

「常識の範囲内なら」

「この街は外の世界とは隔離された街。人口約三十万人、面積は約百五十平方キロメートルの檻の中で、私たちは生活している」


 俺たちの住んでいるこの地は、モデル都市と呼ばれている。

 名前だけ聞くと、いい所に住んでいるように思われるかもしれない。

 だが、その中に住む俺たちにとっては、モデル都市と名付けられた檻の中に住んでいるようなものだった。

 約三百年前。この国に施行されたモデル都市制度によって東京都の中部、当時で言う八王子市あたりに特別な区画が設けられた。その区画内で過ごす人々は、基本的には不自由なく、健康で文化的な最低限度の生活を送ることができる。

 ならば、檻の中とはどういうことなのか。

 このモデル都市には、区画の外に出ることはできないという法律がある。

 そのため志水が形容したように、モデル都市の人たちはここを檻の中としばしば表現するのだ。


「私たちは一生をこの檻の中で過ごす。それ故に永遠に外側の世界を知ることはない。ただそれだけなら、まだ平和で済んだだろう」


 志水は目を瞑り、一度深く呼吸をした。

 話し始めてから流れている重苦しい空気のせいか、その僅かな時間ですら長く感じられる。

 ゆっくりと目を開き、志水は言い放った。


「私たちは檻の中での自由を許された囚人ではなく、ケージの中のモルモットである。これがこのモデル都市の真実だ」

「それって……?」


 突然すぎる言葉に理解が追い付かないというよりも、抽象的な表現のせいで内容がいまいち入ってこない。


「私たちは所詮、ただの実験動物だってこと」

「実験動物……?」


 モルモットは一般にはペットとして人気のあるネズミのような動物を指す。だが、比喩的に用いた場合に限っては意味が全く違う。

 ここで言うモルモットとは、志水の言う実験動物を指している。


「健康診断だの予防接種だの偽り、実験段階の薬を投与したり、よりよい社会の発展を目指すために新たな条例を制定すると騙って、社会に起こる混乱のデータをとったり……。挙げればキリがないくらいに、私たちは騙されながら都合のいいように扱われていた。これが、このモデル都市という檻中の真実」

「でも、何のためにそんなこと……」


 モルモットが実験動物の比喩に用いられるように、古くからマウスなどを用いて実

験が行われてきた。九割近く遺伝子が共通しているマウスを用いることで人間が実験体になる必要がなく、その実験結果が人間の役に立つからだ。

 社会に起こる混乱のデータなどについては、これまで人工知能などを用いて実験的に求められてきていた。

 だとすれば、わざわざ人間を実験台に用いる必要は全くないように思えた。


「科学の進歩は近代では目覚ましいものがあるが、その中でも必ず生まれるのが誤算。実験動物や機械に頼らず実際にデータをとることで、より信憑性の高いものにする。それが目的だ」


 俺たちはモデル都市という聞こえのいい名前を盾に、この街は国の象徴となるような街であるというイメージを植え付けられていた。

 だが本質は、より現実性のある実験データを習得するために、使い捨ての動物を扱う実験室の中と同等の扱いであるという悲惨なものだった。

 そんな衝撃的な事実を突きつけられても、俺は否定の一つも言葉に出なかった。それは、俺自身にも思い当たる節がいくつもあったからだった。

 小学校の時、毎年小学四年生が受けている予防接種から数日以内に、立て続けにクラスメイトが不幸に遭った。

 教師は不慮の事故と説明していたが、今思えばあまりにも不自然すぎる。そんな出来事が一度ではなく、毎年のようにどこかしらで起きていたことを考えればなおさらだ。他には、急なプラスチック廃止運動が始まり、劇的に数を減らして成果が表れていたにも関わらず、数か月後にはその運動がピタリと止んでいたりなど、複数の不可解な出来事が印象に残っていた。

 志水が話すことが、根拠なしの全くの出鱈目でないことは、彼女の表情からもよく分かる。さっきからピクリとも表情を変えない。


「私たちは人間で、他のモデル都市内の人も外の人も同じ人間。だが私たちは、人間として見られていない。いつ被害を受けるか、いつ死ぬか分からないこの状況は、明らかにおかしいと思う」


 本当にその通りだ。

 ずっとモデル都市の人間は、この街が国の模範であることに誇りを抱いていた。

 それ自体全くな嘘で、なおかつ常に死と隣り合わせの中でそれを知らずに生きているモデル都市民のことを思うと、国に対しての強い憤りで拳に強い力が入る。


「それは穂村も同意見みたいだな」


 俺の仕草から、志水はそう読み取った。


「何よりも問題なのは、モデル都市の人間はこの事実を誰一人として知らないことだ。冷静になってみれば明らかに不自然なのに、区域制限されている中でも平和に過ごせればそれでいいという考えなのだろう。そんな平和ボケをしていれば、気付きようもない」


 志水は少々きつい言い方をしたが、モデル都市民に対して怒っているわけではない。

 こうなるよう仕向けている国に怒りの矛先が向いている。


「その誰も知らない、知るはずのない事実を俺に教えたのはなぜだ?」


 別にこのモデル都市が平和だと感じていたわけじゃないが、俺も志水の言う平和ボケをしている人間の一人。

 事実を知ることで死に対する恐怖に怯えることに繋がりかねないというのに、わざわざ事実を伝える必要があったのだろうか。


「私がやりたいことは、このモデル都市の廃止と都市内の人間の開放。私はそのために、毎日活動している。周りに気付かれれば当然不自然に見えるし、法に抵触している部分もあるから、あくまで秘密裏にだ。それに、モデル都市の事実を都市民が知れば、暴動になりかねない。そんなことになれば、数でも権力でも上の国の力で抑えられてしまうだろう。だから、ここまではずっと一人でやってきたわけだが、それをさっき穂村に見られてしまった」

「ようは、口封じというわけか」

「いいえ?」


 志水はソファから立ち上がると、俺の方に歩み寄る。俺の方をじっと見つめたまま、目も前で立ち止まった。そして、ゆっくりと右手を差し出した。


「私に力を貸してくれないか?」


 その彼女の問いに、俺はすぐに答えられなかった。

 あまりにもいきなりのことで、頭の中が混乱している状態。そんな中で、まともな決断ができるとは思えない。

 俺はゆっくりと深呼吸をして、頭の中を整理した。

 彼女に協力するか否かの判断をする前に、いくつか明確にしておきたい点がある。


「その前に質問させてくれ」


 そう言うと志水は一度、差し出した手を引く。


「どうやって、モデル都市の廃止と都市内の人間の開放をするつもりなんだ?」

「このモデル都市は、政府が作った約三百年も前の古い制度によってできたもの。となれば、この制度を廃止させることで目標は達成できる。一般にこういう制度を廃止させるときには、署名運動をしたりして抗議するのが一般的だが、さっきも言った通り秘密裏にやる必要がある。その上、仮に署名が集まったとしても、所詮モルモットの集めた署名などすぐさま棄却されるのは目に見えてる。だったら、直接交渉を持ちかけるしかない」

「直接交渉? 一体誰に」

「政治経済を握るトップ、国家最高責任者の綺羅進士きらしんじ


 綺羅進士。史上最年少の四十五歳にして国の最高責任者を務める人物であり、あらゆる法律の制定や事業の整備などを行う政府のリーダーだ。


「綺羅進士って、あの……?」

「最終的にあの人物が動かない限り、制度が廃止に動くことはない。それに他の人間に交渉を持ちかけたとしても、綺羅進士に話が渡る前にもみ消される可能性が高い」

「でもどうやって?」

「国家総合管理塔に乗り込む」

「聞きたいのはそこじゃないんだけど」


 国家総合管理塔とは、この国の政治関連の中枢施設。国会の召集や、国内外との重要な会議、特別な催しなどを行う場であり、場所は東京都新宿区にある。


「言いたいことは分かっている。国家総合管理塔は、当然このモデル都市の外にある。だからまずは、国で最もガードの堅いであろう壁を越える、いやくぐらなければならない」

「まさか、今日あの場所にいたのって……」

「察しがいいな。ゲートの視察だ」


 ゲートとはモデル都市と外を繋ぐ場所で、東西の端に二つある。主に物を運ぶ際に使用されている、唯一外との行き来がある場所だ。

 その内、東のゲートは国家総合管理塔のある側のゲート。

 国家総合管理塔を目指すなら、そこから出る必要があり、志水はそのゲートの下見に来ていたというわけだ。


「相も変わらず、モデル都市を囲むセキュリティーが固すぎる。だが、行き来している以上、ゲートからが一番脱出できる可能性は高いと睨んだ」


 モデル都市は、城壁のような高い壁で囲まれているわけではない。道路や線路といった公共交通は境界線で断たれているものの、歩いてならば外へと出られるかもしれない。

 しかし、境界部には強力な赤外線センサーが張り巡らされているため、上空であれ地下であれ、通過すれば感知されてすぐに拘束されてしまう。

 そんな強固なガードもあり、モデル都市の人間は見えないながらも『檻』と表現している。


「そのための算段は?」

「今はまだ……、だな」


 未だ誰一人としてモデル都市から人間が外に出たあとに無事だったものはいないという。そう簡単に出られる手段は思いつかないだろう。


「ただ、絶対に出られる」


 彼女は自信ありげにそう言い放つ。その口調から、この件に対して相当強い思いがあることはひしひしと伝わってくる。


「不安そうだな」


 志水は俺の表情を見てか、そう口にする。

 退屈から、ずっと逃れたいとそう思って日々を過ごしてきた。そんな中でこの話を持ちかけられ、俺は気持ちが揺らいでいる。

 退屈な時間は、日々の当たり前の時間が続いているからこそ。それは、自分が何一つ行動しなくても、身の心配がないから感じることだ。

 志水から聞いたモデル都市の本質を知ったことで、元の日常には戻れないことには薄々気づいていた。

 退屈から逃れられたとしても、今度は常に死の恐怖と戦っていく時間が始まる。

 だがそれは、志水に協力してもしなくても同じだ。

 だったら、モデル都市から解放され、新たな環境に身を置いて新鮮な時間を過ごせる可能性に賭けてみたい。

 あとはもう一つ、挑むべき理由もある。

 俺の中で、意見が一つに纏まった。


「いいや。全然不安じゃないさ」


 俺はソファから立ち上がる。


「これから、よろしくな。志水」


 俺の言葉を聞いた志水は、少しだけ表情が緩んだ気がしたが、きっと気のせいだ。

 今度は俺の方から右手を差し出す。


「よろしく、穂村」


 両者の間で握手が固く結ばれた。

 ずっと退屈だった時間は、突然の出会いからひとまず変わりそうな予感がする。

 ただ、付きまとう命を失うリスクに一抹の不安が残った。

 俺はこうして、志水に協力する形で、モデル都市制度の廃止に動くというとても大きなことに取り組むこととなった。



「……ところで志水」

「?」


 志水は、話が終わったとみて、近くにあった冷蔵庫から栄養ドリンクのペットボトルを取り出した。


「ここは一体何なんだ?」


 そう問うと、さも当たり前かのように、


「私の家」


 と言うものだから、さすがに驚いた。

 ここはあくまでも廃ビルの地下三階。年頃の女子高生が住むべき場所では決してないし、そもそも住んではいけないどころか、侵入することも許されない。

 モデル都市の廃止に向けた行動の前に、既に法を犯しているではないか。確かにさっき法に抵触している部分もあると言っていた気はするが……。

 それに……。


「その制服、西地区の高校の制服だろ。学校は?」

「休学届を出してある」

「大丈夫なのかよ」

「それだけの覚悟をして私はここに来たつもりだ。だから穂村もそれくらいの覚悟はして欲しい」

「分かった」


 学校に関しては、さぼりにさぼっているので、もしかしたら途中で留年することになるかもしれない。

 だけどもはや、学校のことはどうでもよかった。

 いや、それならなおさら志水のことは言えないじゃないか……。


「さてと。早速明日だけど……」

「明日?」

「モデル都市の資料集めに東地区図書館へ行く予定だ。集合は、高校が平日の昼間から図書館にいるのを怪しまれないよう、午後五時」

「分かった」


 俺はその後すぐに廃ビルを後にし、明日に備えることにした。

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