拉致
「まったく、変なことに巻き込まれてしまったな。大体お前が気安く請け負うからこんなことに…」
「申し訳ありません、ひぃ様。ですがこれもこの街に住む者としての義務かと」
「ふんっ、私に口応えをするとは随分と偉くなったものだな。そもそもこの件については放っておけといったはずだ」
「正確には、ひぃ様が手を出すべきではない、と仰られていましたよ。今回はこちらから手を出したのではなく、要請を受けたまでです」
「生意気な口をきくな。おかげでこんな時間になってしまったではないか。午前中の件は面白いものが見れたからまだいいが、今の今までは本当に無駄な時間だったな。ウェディーズの奴め、上手いこと逃げおって…」
ポルトアリアの街はずれの道を歩く二人。そのうちの一人は前頭マスクで顔を覆っているというとても奇妙な出で立ちだが、二人はそんなことを気にしているようには見えない。彼らが歩くこの道は街はずれとはいえ高級リゾートホテルが近くにある区画の為、普段は日が暮れたこの時間でも飲食店に明かりが灯り、人通りもある道だ。しかし、現在飲食店はどこも閉まっており、彼等から見える場所には他に人がいない。
「これはこれで静かでよいな」
「おかげで当ホテルとしては赤字ですが」
「あのホテルが赤字だろうと十分な収益はあるだろう。それに数日どころか数十年赤字だろうと困らないくらいに資産もある」
「ハハ、ひぃ様のおかげですよ」
どこか不機嫌な口調の男と苦笑いを浮かべた男。そんな二人の前に空から突如として真っ黒なナニカが落ちてきた。
黒色の金属鎧で全身を包んだ大男。その図体では考えられないほどの軽やかな着地は僅かに土埃を舞い上げただけだった。
その突然の襲撃にマスク男を守るように前に出た青年だったが、黒鎧の大男が右手を向けると、まるで彼だけが時間を停止させられたように動かなくなってしまった。
「手荒な真似はしたくない。騒がれても面倒なので動きを止めさせてもらったが、危害を加えるつもりはない」
その兜のせいかどこかくぐもった声で忠告する黒鎧。青年の眼球だけは動くようで恐怖に染まった眼に黒鎧が一歩、また一歩と近づく姿が映し出される。
「すまない、少々眠ってもらうぞ」
どこからともなく取り出した小さなスプレーボトルから赤い霧状の液体を吹きかけられた青年は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちるが、目の前に立つ黒鎧の大男が優しく彼を抱きとめた。
「何が目的だ?」
近くの家屋の壁に青年を寄りかからせるように座らせる不審人物を注意深く見つめながら少しずつ後退するマスク男。
彼は焦っていた。
とある事情で人よりも長い時間を生きてきた彼は、戦闘能力にも優れており暴漢程度ならば何人集まろうが敵ではなかった。地位ある青年が夜道に護衛を付けずに歩いていたのもマスク男の力を信用していたから。それなのにマスク男を守るようにしたのは彼らの上下関係によるものだろう。
マスク男はAランクの魔物程度では狼狽えることがないことは今日証明されたところではあった。しかし。
二人の前に突如として現れた黒鎧の男はそんな彼からしても強さの底が知れなかった。目の前に現れた恐怖の塊、長く生きてきた彼の中でも数度しか経験したことのない恐怖。以前にその恐怖に直面した時は仲間が共にいたが、今は一人。
(ちっ、せめてウェディーズがいればな)
この場を打開するために少しでも情報を得るために己のユニークスキルを発動させようと魔力を集中させたマスク男だったが。
「覗かれるのは好きじゃないんだ」
音もなく後ろに回り込んできた黒鎧の声が背中越しに聞こえる。すぐ近くまでやって来たその恐ろしい存在に彼の心臓の鼓動は今までにない速さで体中に響いていた。
「少し手伝って貰いたいことがある」
背後に立つ男は話を続ける。
「断ったら?」
「悲しいな。だが、断る立場にないことは理解していただきたい」
マスクの中の素顔を冷汗がつたう。いつの間にか青年の姿はなくなっていたのだ。
「雇い主の安全は保障する。今は、な」
「…人質ということか」
「あまり強硬手段には出たくなかったが…」
「よく言う」
そして訪れた沈黙。僅かな間だったが、二人にとっては何か意味があったのだろう。
「何をすればいい」
「調べてもらいたいものがある」
「私のスキルは知っているということか」
「なんとなくは、だが。貴方の身の安全も保障するし報酬もお支払いしよう」
「フンッ、報酬とはな。こんな真似をする割に随分と律儀じゃないか」
「根が真面目なんだ」
「…わかった」
「助かる。ああ、それとさっきも言ったが、俺にその力は向けないで貰えるか?」
頷くマスク男の背後から前にやってきた黒鎧が魔力を発すると彼の目の前の空間に黒い歪が発生した。そこへ手を突っ込むと黒鎧の腕が歪みの中に消えてしまった。歪みの先を弄ること数秒。抜いた腕は何か黒い布のようなものを掴んでいた。
黒鎧がそれを広げる。
「すまないがしばらくこれに入って音を立てないようにしてもらいたい」
「…これに入るのか?」
広げられたのは大人が何とか入り切れるかどうかという大きさの布袋だった。黒く染色されたそれはどこか禍々しい魔力を放っている。所々にある赤い刺繡はまるで血管のように動いているようにすら見える。
「し、少々見た目は悪いが頑丈だ。安心してほしい」
たぶん大丈夫、との黒鎧の囁きはマスク男には聞こえなかったようで、「そうか、わかった」と言い、袋に入った。
人一人が入った袋を軽々と持ち上げた黒鎧の姿は闇夜に同化するようにかき消えた。
それから程なくして布袋の中のマスク男の頭上から光が差し込んだ。魔道具による人工的な明かり。
「この魔法陣を解析してもらいたい」
マスク男の目に入ってきたのは窓一つない石壁のドーム状の部屋いっぱいに描かれた赤黒く光る魔法陣。光の色や大きさ、構造こそ違うが今日一日彼が解析をし続けた魔法陣の数々とどこか似ている魔法陣だ。
「これは…」
その魔法陣をしばらく見つめたマスク男。
「まさか、いや。しかし…」
「どうした?」
「これほどの魔法陣となると私のスキルだけでは…」
そう言って彼が黒鎧の方を振り返ると、布の袋を出した時のように空間の歪に手を突っ込んでは様々な魔道具を並べている。
「それらしきものを適当に持ってきたから、必要なものがあれば使ってもらって構わない」
黒鎧が取り出したのはどこかの研究施設の器具をそのまま持ってきたのではないかというような魔道具の数々だった。研究用の器具はその性能と需要が限られていることから非常に高価で、とてもではないが個人が用意できるような量ではない。
「これは…、いやなんでもない」
それを知っているマスク男だったがこの状況で聞くことではないと判断したのか、魔法陣の解析を始めるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます