閑話:彼方からの手紙 2
イリュシュ王国、複数の国家が存在するジルバンド大陸の中央に位置し、イルレニウス国王を元首とする君主制国家である。国土の南端は魔境と呼ばれるダイベル大森林と接し、その地域を治めるガナン辺境伯は国内でも有数の権力者である。
ここはイリュシュ王国の首都イーリスにあるガナン辺境伯の別邸。国内においてその武勇が広く知られている一族が住まう屋敷は、他の貴族の屋敷に比べると邸内を彩る美術品の数は少ないが、一品一品はそのどれもが名品であることがわかる。
その屋敷にある広間、そこにある長い食卓には豪華な食器と銀製のカトラリーが並べてあり、上品なテーブルクロスが敷かれている。季節の花々や蝋燭が美しい装飾となり華やかさを盛り立てている。
上流階級の礼儀作法に基づいて食事をしているのは、この屋敷をまとめるユーンダ・ガナン次期辺境伯、そして娘のソルージア・ガナンただ二人。辺境伯領で執政を行っているダンテはもちろんだが、他の家族も貴族としての交流や職務があり不在である。
「少しは冷静になったかい?」
「はい、立場をわきまえず申し訳ありませんでしたわ」
二人がほぼ同時に前菜を食べ終わるとすぐに使用人によって皿は下げられ、深めの器に注がれた芳醇な香りのスープが運ばれてきた。
「お前はこの国を背負って立つ人間なのだ、学園での生活がどれだけ重要なものかはわかっているだろう」
「はい」
この春から彼女は王都にある王立イリス学園に通っている。レイブン・ユークァルからの手紙、魔道具によってその内容が伝わったのが前日のこと。まだ入学して間もないというのに、休学して彼を助けに行くと言い出した彼女を宥めるため、次期辺境伯が公務の予定をずらしてまで丸一日を費やしたのは、彼もまた彼女を溺愛しているからである。
「彼のことはお爺様が手を回して下さっている。お前はお前のやるべきことをやりなさい」
「はい」
神妙な顔で返事をするソルージアだったが、彼女は貴族として教育を受けてきた身。表情を取り繕い反省をするフリなど彼女にとっては造作もないことだった。
(ダイベル大森林への遠征と同じように、また行方を眩ませればいいのよ。学園を抜け出して、そのままカヌルガンドへ向かって…。そうですわね、アーメリア大陸へ渡るのは大変かもしれないけれど大陸間航路の旅券さえ手に入れてしまえば…。慣れない土地でレイブンはきっと困っているはず。私が今度は助ける番ですわ)
父による丸一日をかけた説得も虚しく、彼女の心は揺るがなかった。異国に取り残されたレイブンを助け出すため、自分が動くしかないという思い込み。
良くも悪くも猪突猛進な彼女の性格を、そして十一歳の少女の取り繕ったその表情を貴族社会で生きてきた実の父が見逃すはずもない。
(これは、またやらかしそうだなぁ。はぁ、こんなお転婆になるなら父上に預けるんじゃなかったよ。とはいってもソルージアのお付きじゃ抑えられないだろうしなぁ)
「そうか、わかってくれたようで安心したよ」
「はい、ご心配をおかけしましたわ」
親子であってもその会話が本心を表していないのは貴族だからか、それとも年頃の娘のいる親子だからか。
ユーンダ次期侯爵は思案する。家にいるときはまだ目が届くからいい、と。しかし学園内というとそうはいかない。学園内には規則で連れて入れる従者は一人だけ。そのため多くの貴族は同い年の子供を一緒に入学させ従者とするのだが、レイブン・ユークァルが本来その役を負うはずだったというソルージアは断固としてそれを拒否。
長年使えているメイドを同伴させてはいるものの、単なるお世話係である彼女ではソルージアが行方を眩ませることの障害にはなりえない。とはいえガナン家の騎士では娘を信用していないと言っているようなもの。娘に嫌われたくはない父としては避けたかった。
ダイベル大森林で行方を眩ませた娘が十一歳とは思えない程の力を持っているのは武を担うガナン家嫡男の彼もよくわかっている。学園入学早々上級生との決闘に勝利したという話にはそのお転婆ぶりに、さすがに頭を抱えた父ではあるが。
悩みに悩んだ彼の打った手は従者の変更。貴族出身の女性Aランク冒険者をメイドに偽装させて雇うことにしたのだ。もちろん彼女のお目付け役として。
その結果、冒険者の操縦が上手いことも幸いしソルージアが暴走することはなかった。しかしAランク冒険者という事実を隠しきることはできず、結局のところ父親は信頼を失うことにはなるのだが。そしてAランク冒険者という実力者が身近にいた結果、彼女の力にさらなる磨きがかかることになるのだが、それはまた少し先の話である。
一方、同じ頃。
ガナン辺境伯領都ガニルムから北西に位置する小さな村。ここを含め近隣の地域を治めているのはタトエバン・ユークァル男爵である。
その屋敷では机に置かれた小さな銀色の立方体の金属に向かって、この屋敷の主人でもある筋骨隆々でひげ面の男性が声を荒げていた。
「ですからっ! 私が向かうとっ!」
『じゃから、何度もいっておるじゃろうっ! 当主であるお前がその地を離れることは許されんとっ!』
「ではオルチジャンに家督を譲りますっ!」
『それは認めんっ!』
まるで子供のように駄々をこねるのはタトエバン。魔道具の向こう側でダンテ・ガナン辺境伯はレイブンからの手紙の内容を伝えたことに後悔すら感じ始めていた。レイブンの居場所がアーメリア大陸だとわかるとすべての職務を放棄してそこへ向かおうとするタトエバン。職務だけではない、その地位さえも。
『ソルージアやレイブンを攫った組織について未だ何が狙いかもわかっておらん。そんな状況でお前がこの国を離れることを容認できるわけなかろう』
あれから数か月が経過したものの、誘拐を主導したガナン家メイドのアリオラがどんな組織に所属していたのかすらわかっていない。邪神がいよいよ動き出し、Sランク冒険者を再起不能に陥れたという噂話も出回っているこの状況で、国内でも有数の戦力に数えられる青藍騎士の二つ名を持つタトエバンを国外に向かわせるなど、ダンテが許すはずもなかった。
「そうよ、あなた。ご自分の立場をもっと考えてください」
『おお、ソンナよ。お主からも言って聞かせてくれ』
今まで黙って話を聞いていたタトエバンの妻、ソンナが口を開いた。遠方にいる自分では諫めきれないとわかったダンテはこれ幸いにと彼女に助け舟を求めた。
しかし。
「あなたはここを離れるわけにはいかない。だから私がレイブンを迎えに行きます。それでいいでしょう」
この話はこれでおしまい。何か問題でも? とばかりにそう言い切るソンナ・ユークァル。残念ながらダンテの思うように話は進まなかった。
「それは駄目だ! 大体ライアンはどうするのだ? まだ母親が恋しい年頃だ。あれを放って行くつもりか?」
「あら、それならライアンも連れて行くわ」
まだ一歳半の末息子。タトエバンのその言葉に対し、幼子を連れ大陸を渡ろうとするソンナ。
『ソンナ、お主が国外に行くことも許さんぞ。お前たち二人だからその地を任せていることを忘れるな』
ソンナ・ユークァルもまた結婚前は宮廷魔導士として活躍していた実力者。ダンテが魔物の脅威が比較的少ないとはいえ、ダイベル大森林から広がるダイベル山脈にほど近い領地を任せたのも二人の力を信用してである。
抑止力になってくれると思っていたソンナすらこの有様だ。日が昇るまで一晩中続いたこの通信はひとまず、冒険者ギルドを通してレイブンの状況を確認するということで幕が下りた。
しかし、時すでに遅し。ダンテが冒険者ギルドシエイラ支部と連絡をつけた時にはレイブンは既に街を離れた後であった。
親の心、子知らず。
どれだけ心配をかけているかも知らず、自身の転移魔法でいつでも帰って来られるレイブンは強くなるという目的のため、そして何か楽しいことがないか、ついでに邪神を崇める組織を壊滅できたらいいなぁと、仲間とのこれからの旅路に思いを馳せていたのだった。
◆◆◆
閑話は以上です。ストックが溜まるまで一時掲載はお休みさせていただきますが、七月早々には投稿を再開いたします。引き続きよろしくお願いします!
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