閑話:解放
真っ暗闇の中、所々に設置されたスポットライトのような灯りが極めて狭い範囲を照らしている。照らされた場所がそこだけ浮かび上がり、まるで無限に広がっているのかと錯覚しそうな広い空間。
照らされているのは数多のモニターが碁盤の目のように設置された監視室のような空間、顕微鏡や何かの薬品に漬けられた魔石が乱雑に置かれた作業台、食べかけのフルーツと読みかけの本が積まれたダイニングセット、成人男性が拘束されている診察台。
同じ場所に存在することが不自然な、何かの撮影スタジオのようなこの空間にコツコツという足音が響く。
「そろそろかしら」
白衣を着用し、長い髪を乱暴にアップにした女性がピンヒールで奏でる音は男性が拘束されている場所に近づいていく。紫色のマニュキュアを塗った左手に持つ緑色の液体が入ったビーカーに血液のような液体の入った試験管を傾け、液体を混ぜ合わせる。空になった試験管を投げ捨て、空いた右手の親指と人差し指を真っ赤な口紅が塗られた口に入れると、艶めかしく一舐め。どこから出てきたのか、小さな魔石をビーカーに投入すると瞬く間に液体が虹色に光りだした。
診察台の真上に設置された灯りに掲げて軽く振ると発光は一段と増す。
首、胸、両腕と両手首、腹部と太ももに両足首を太い革ベルトで拘束された男は悪夢でも見ているのか、うなされている。一糸まとわぬ状態の男に向かってトロリとした虹色の液体をかけ、右手で男に向かって魔力を放出すると液体は男を包み込むように蠢きだす。
虹色の液体は身体に染み込むように消え、うなされていた男は安らかな呼吸を取り戻した。
「こ、ここは…」
目を開けた男の擦れた声。
「ようやく目を覚ましたわね。十三日間眠り続けた感想はどう、アルブム?」
均整の取れた顔立ちの男は自分の置かれた状況が理解できずに困惑をしている。男をよく知る女にとっては「この男が困惑している」という事態に内心困惑しつつも、自分の予想が正しかったこと、ひいては男へ対してのこの行いを正当化出来たことに含み笑いを浮かべている。
「拘束を解いてくれないか」
「…それはできないわ」
「何故だ」
「フフ、何故でしょうね。でも理由はあなたが一番よくわかっているのではないかしら」
靄が晴れたようなクリアな思考。長い間、男がこの組織に身を置いてから施されていた洗脳が解かれたことは女も気が付いていた。だからこその拘束。
「無駄よ。魔力が使えないように封印の呪をかけてあるわ」
男がなんとか首と目を動かし自分を拘束している革ベルトを見ると、細かい文字がびっしりと刻印されている。この場を脱するため魔法を使おうと魔力を込めたのにまるで自分の体ではないように魔力が扱えなかったのはこの革ベルトの影響だ。
「待てっ、やめろっ!」
女が男、アルブムの額に魔力を帯びた人指し指を当てる。身動きが取れない男がどうにかしてこの場を脱しようとするが自力で拘束を解くことは叶わなかった。
乾いたスポンジが水を吸うように男の体に染み渡る女の魔力。
正気を取り戻したと思えば再びの洗脳。なんとか抵抗を試みようとするも魔力が使えなければ為す術がない
しかし魔力が男を包んでもその思考が鈍ることはなかった。むしろ男が感じていた気怠さが消え活力が漲ってくる。
「最初に言っておくわよ、私にはあなたをどうこうするつもりはないわ。それにあなたは未だ任務の遂行中ということになっているわ」
「どういう、ことだ」
「あなたがボロボロの状態で自室に転移したのは覚えているかしら」
「ああ、そこまでは。…だが何故ここに」
「フフ、この建物内への転移を私が警戒していないとでも? 転移してきた魔力の動向は全て把握しているのよ。あなたが転移してきたのに一切の動きを見せなかったから気になって部屋に行ったの。そうしたらあなたが倒れているじゃない。カーディナルナイトであるあなたのそんな姿を晒すわけにもいかないからこっそりここに運んで治療していたのよ。随分とこっぴどくやられたようね」
「…あの隷属の魔道具、強制的に魔物を従わせる代償に使役者の能力を制限する、確かそうだったな」
「ええ、そうよ」
「道中、リザードマンロードの幼生を見つけて従わせたのだが、お陰で随分と力が制限されてしまった」
「ハァ!? リザードマンロード? リザードマンキングじゃなくて!? …呆れた。あれの推奨ランクはBランク以下よ。本来は使役者の能力を制限するといっても違和感がある程度。それをリザードマンロードに使ったですって?」
目を見開き、心底驚いたとでもいうような白衣の女。ゴホンと咳ばらいをすると「そういうことね」と話を切り替える。
「ここにいることは私しか知らないわ」
意味深な、女のその言葉を訝しむように視線を送る男。
「何故そんなことを」
「そうね…。もうわかっているとは思うけど、あなたはデズラゴスによって洗脳されていたわ。長い年月をかけて強力にかけられた洗脳はデズラゴスが例え死んだとしても解かれることはないだろうとされていた。実際、デズラゴスが死んだ後、「あの男」があなたを直接確認した時には問題はなかったって言っていたわ。まぁ、私は薄々気が付いていたけどね」
まるでいたずらっ子のようにウィンクをした女は話を続ける。
「何故ってことだったわね、あなたも知っているでしょう。この組織が一枚岩じゃないってことを。私はね、今のこの組織の在り方に懐疑的なのよ。「あの男」の私物と化した、いえ、もともとその理念とは別に「あの男」の私物のようなものだったわね」
深くため息をつき、男の頬を撫でる。
「あなたも今なら理解できるのではないかしら。自分もまた「あの男」の駒でしかなかったってことを」
「お前は何が、いや、私に何をさせたい」
「あら、あなたに何かをお願いするつもりはないわ。あなたがどうしようとそれはあなたの勝手。今まで通り「あの男」の駒として動くもいいわ。それとも…」
フフッと笑う女。しかしその表情は何かを諦めたような悲し気なものだ。パチンと指を鳴らすと拘束していたベルトはバラバラに切断された。身を起こした男はするりと診察台を降り、呼び出した空間の歪からマントを取り出し無造作にそれを羽織る。
「礼は言っておこう」
「あら、殊勝な心がけね」
二人が交わした会話はこれきり。いつの間にかこの空間には女一人だけとなっていた。
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