閑話:管理者の一日
ピッピッピッと室内に響く電子音。枕元に置かれたスマートフォンにモッチリとした白い腕が伸ばされるが、未だ夢の中に半身浸っている腕の持ち主は停止ボタンをタップすることが出来ず、挙句ベッドの下に落としてしまった。
それを追ってゴロリとベッドから転がり落ちた彼を受け止めるのは、等身大の美少女イラストが描かれた抱き枕。寝る時には抱かれていたはずの枕はいつの間にかベッドの下に投げ捨てられていた。
いい加減目を開けた彼は目覚ましアラームを止めると、猫のようにグーっと背伸びをする。いつもと同じグレーのスウェットはジャストサイズのはずなのに、伸びをする彼のお尻は半分近くが露わになっている。
冷蔵庫からピッチャーに入ったよく冷えた果実水を取り出し、グラスに注ぐ。ごくごくと一気にそれを飲み干すと、再びそれに果実水を注ぐ。
ドライフルーツが練りこまれたパンを齧りながら二十四時間稼働しっぱなしのディスプレイの前に座り、寝ていた間の地下遺跡の状況を確認する。
確認といっても、何が起きたのかという報告がある訳ではない。魔物の討伐数や出現数、地下遺跡内を探索している人数の推移を見ておかしなことが無いかを確認するのだ。
数字の羅列。
一般人が見ても一体何のことだか理解は出来ないだろうが、彼、増田泰介にとっては朝飯前だ。
「問題は…無いかな」
おかしな一行に地下遺跡の制御を奪われ、リソースを勝手に消費されて魔物を創り出されたり、何層にも渡って天井をぶち抜かれたり、謎の二人組があれよあれよと最高到達記録を塗り替えたり、同郷の人と知り合ったり。
異世界召喚されて十年と少し、ここ最近彼の身の回りでは今までにない出来事がいくつも起きていた。
一通りの数値を確認した彼は立ち上がり転移をする。この地下遺跡内では彼は無制限に思い浮かべた場所へ移動することが出来る。彼が転移先に指定したのは脱衣所だ。そこで服を脱いでシャワーを浴びる。
「よしっ」
正面に設置された鏡には大きく「安定経営」と黒字で殴り書きされている。
これは彼がここを神に託されてから心掛けてきたことだ。欲を出してあっけなくその命を散らしたという先代管理者の二の轍を踏まないようにするため。そしてこの地下遺跡を人類に必要不可欠なものとし、自分の身を守るため。毎朝と寝る前にシャワーを浴びる習慣を持つ彼はリフレッシュの度にこれを心に刻む。
召喚当初は自分の生み出した魔物、生み出したと言っても勝手に生まれ続ける魔物を調整しているのに過ぎないのだが、その魔物による冒険者の死を目の当たりにし眠れぬ夜を過ごしたこともあった。嫌だと泣きながら天に向かって叫んだものの、神は二度と彼の前に現れることは無かった。
いくつもの困難を一人で乗り越え、数年が経過したころには彼の一日のルーチンは定まっていた。朝のデータチェック、シャワーを浴び街の経済動向を確認。それを基に出現する魔物の種類や配置を決め、このコンピュータ型の魔道具に入力する。
着替えてから街に昼食へ。冒険者や市民の噂話に耳を傾けつつ食事をとる。
午後は地下遺跡内の様子を確認し、昼寝。夕方に最新のデータを確認しつつ再調整。夕飯を済ませたら街で購入した本を読んだり、スマートフォンにインストールされたゲームをしたり。そしてシャワーを浴びて就寝。
数年繰り返してきたこの日常は、とある少年によって大きく変化した。
仕事中、昼寝中、食事中、一応魔道具で連絡は来るものの、連絡からものの数分でやってくる同郷の少年。少年の前世が同郷だったということで、正確にはこの少年は同郷ではないのだが。
初めて会った時は間違いなく殺されると恐怖した少年は、話してみると生まれた時代は同じで、精神年齢でいえばほぼ同い年。自分とは違いどこか強引なところがあるが決して自分を不快にするようなことは言わない。なかなかに無茶なお願いをされることもあるが、何年も刺激のない生活を送って来た彼にとってはその全てが新鮮で楽しいものだった。
大量のお菓子や彼では知りえない情報を対価に、今も尚少々面倒な依頼をされていたりする。
街に迫りくる脅威を転生特典で退けた少年、まるで物語の主人公のようで、自分とは違い羨ましい限りだったが、それを少年に伝えると「いやいや、逆でしょ! 俺からしたらタイスケの生活の方が羨ましいけどなぁ」と真顔で言われたことは彼にとっては意外だった。
少年に会う度に訪れる楽しさ。しかし、ある時からそこに同居する切なさ。それは日に日に大きくなっていった。
「街を出るよ」
少年から何気なく伝えられたその言葉に茫然自失としたものの、すぐに感情を繕い笑顔に戻した彼。この地下遺跡に縛られた自分とは違う少年との別れ。それはすぐ側まで迫っていた。
残された少年との日々を楽しむと決めた彼だったが、その心の陰りは闇を深めていく。
「いつ出るか決まった?」
「あれ? 言ってなかったっけ? 三日後だよ」
「えっ!? …そっか」
自分とは違い、あまりに軽いその少年の態度に怒りを覚えなかったのは穏やかな彼の性分なのだろう。彼にとっては唯一無二の存在だったのに、少年にとっては街の出立を伝えたかどうかすら覚えていない存在。そう考えてしまい、ショックを受けた彼の絞り出した言葉は「寂しくなるね」というものだった。
「うん? なんで? まぁ、街の人とは会うことはなくなるけど、タイスケには転移のこと伝えてるじゃん。ここにはちょくちょく来るつもりだけど。とはいっても今までみたいにこの街の食べ物も持って来たり、情報を伝えたりすることはできないけどね。でもその代わりに他の街のお土産を持ってくるよ」
自分のベッドで寝転びながらスマートフォンを弄る少年の言葉は一瞬で彼の心の陰りを取っ払った。
「そっか、…そうだよね。また来てくれるんだよね」
「当たり前だよ。あっクラッカーが食べたくなっちゃったな」
「「当たり前」で「クラッカー」って…。レイブンって本当に同い年?」
「失敬な」
どこか掴みどころのない少年と彼の時間は終わらない。それがわかった彼の頬が少し上がったことを少年は知らない。込み上げる嬉しさを抑えて、少年が持って来たお菓子をつまみながら何気ない会話を続ける彼。
その声が少し高くなったことに気が付いた少年は内心ホッとしていた。彼が寝転ぶのは人体構造を研究して作られた前世の高級ベッドだ。人類の飽くなき睡眠への欲求が作り上げたこのベッドは少年のお気に入りの場所だ。彼と話しながら寝落ちしてしまうことは何度もあった。
そんな少年は、ここ数日どこか元気のない彼を心配していつもより多めに手土産を持ってきていたのだ。どうやら今日のお菓子がお気に召したようだ、と勘違いをしている。彼の機嫌が手土産で直ったのではないことを少年は知らない。襲い掛かる睡魔に抗い、スマートフォンを弄りながら会話を続ける少年。
楽し気な二人の声が地下遺跡最下層に今日も響く。
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