薬屋にて
シエイラの街でも冒険者向けの店が集まっている区画にやってきた俺とミト。「クスリの店 リクトエル」とだけ書かれた看板が掲げられているのは、一目では住宅としか見えない建物だ。
「おや、ミトラかい。いらっしゃい」
店に入るなり、商品の並ぶ戸棚の前にいたリクトエルさんがしわがれた声で挨拶をしてくれた。相変わらずのフード付きのマントで目元を隠したお婆さん。
「それにレイブンか。あんたが来るのは久しぶりだねぇ」
希望の風のオーランドさんとベルさんに連れられて初めてこの店にやって来てから、何度かミトと一緒に買い物に来たが、ここしばらくはミトとモナに任せきりだったから俺がこの店に来たのは久しぶりだ。いくらパーティの会計係をしているからって全ての買い物に付き合っているわけじゃない。最近は武器や防具、魔道具なんかの高額の買い物の場合は一応俺も同行するけど、細々とした薬や食料なんかの補充は任せている。
「どうだい、この前教えた薬のレシピは?」
「上手く調合できました。効果も十分でおかげ様でお一人の命を救うことができたんですよ。今日はそのお礼と、頼まれていたものをお持ちしました」
命を救う? そんな危険な場面、地下遺跡の探索中にあったかな?
「ピーニャさんのことですよ」
頭にクエスチョンマークを浮かべた俺にミトが説明してくれる。そうか、あの時の薬はリクトエルさんのレシピで調合した薬だったのか。
「そうかい、そりゃあ良かった」
どこか嬉しそうな声なのは気のせいだろうか。戸棚の前でしていた作業を止めて立てかけていた杖を手に店の奥に向かったリクトエルさんとその後に続いて進むミト。よくわからないけど俺もついて行く。
カウンターの奥、カーテンで仕切られた先の廊下。片面に設置された戸棚にはストックなのか、ガラス瓶に入った様々な色の液体や丸薬が所狭しと置かれている。
廊下を進んだ先の部屋。中央に大きな作業台が置かれ、空のガラス瓶や何かの器具、薬草や液体に漬けられたナニカなど、見たことのないものが並べられた棚がその作業台を囲むように壁に設置された部屋だ。鼻の奥を刺激するようなツンとした香りが充満している。
「レイブンにはちときついかね」
リクトエルさんが扉の正面にある窓を開けると、その香りは薄まったが嗅ぎなれないなにか変な匂いが鼻に纏わりついたままだ。
ミトは俺よりも随分鼻がいい。それなのに気にする様子は全くない。
「私は慣れていますので」、小さめの声で俺にだけ聞こえるように教えてくれた。
壁に設置された見たことのない器具を眺めていると、今度は花畑のような甘い香りが漂ってきた。香りを辿るとリクトエルさんが透明なガラスのポットからお茶を注いでいるところだった。ポットの中には色とりどりの花びらが浮かんでいる。
「さぁ、冷めないうちに」
初めて会ったときは魔女のような印象を受けたが、明るく照らされたこの部屋でお茶を淹れるその姿は普通の優しいお婆さんだ。
「お店はいいんですか?」
「この時間に客が来ることは稀だからね、まぁ、入ってきたらわかるようになっているから、あんたが気にすることもないよ」
入店を報せる魔道具かな? そういえば初めて俺達が来た時も店内は無人だったか。差し出されたティーカップに口を運ぶと、鼻腔を甘く爽やかな香りが駆け巡る。
「うまっ!」
「はっはっは! そうだろう。ミトラの淹れる茶も上手いけど、あたしだって負けちゃいないよ」
俺が思わず漏らした感想に満足そうなリクトエルさん。
「こちら、先日頼まれていたものです」
落ち着いたところでミトが鞄から取り出したのは口の大きなガラス瓶。コルクのようなもので蓋がされたそのビンの中には細い木の枝が何本か入っている。
「おや、助かるよ」
「これは?」
「地下遺跡三十五階に自生していたものです」
三十五階ってことはゴブリンエリアを抜けた先、ヒールボアの生息する階層か。
「ヒールボアが生息している影響か、それともこの植物の影響でヒールボアがいるのかはわからないけど、あの階の植物にはポーションの効果を高める作用があってね」
ミトから渡されたガラス瓶をコンコンと叩くリクトエルさん。
「あまり大っぴらには依頼は出したくないから、こうやって知り合いの冒険者に直接頼んでいるのさ。少量あれば十分なんだけどあまり保存が効かないからねぇ」
大っぴらにしたくない、ってことは秘密の隠し味的なものなのかな。
「まさかあんた達が地下三十階まで行くパーティになるとはねぇ。しかも随分と変わった集まりときたもんだ」
リクトエルさんがパチンと指を鳴らすと換気のため開けられていた窓がバタンと閉じる。魔道具? それとも魔法か?
「子供と獣人、それにエルフとはねぇ」
…。
あれ? ミトがエルフって明かしてたっけ? ミトが自分から言ったのかな?
慌てて隣に座るミトを見ると小刻みに顔を横に振っている。
えっ? じゃあなんで? …まさかっ!
咄嗟に俺とミトは椅子から立ち上がり、リクトエルさんと距離をとった。身体強化を発動し、腰に差した剣に手をかける。
「そう警戒しなさんなって。こんな老いぼれに殺気なんて放たないでおくれよ。なに、別に取って食おうなんて思ってないから安心しなよ」
俺たちを宥めるような言葉を口にしたリクトエルさんはその目深に被ったフードを脱いでみせる。老人らしい白髪の隙間からはエルフ特有の尖った耳が覗いている。
「あたしも長く生きているからかね。同族の雰囲気なんてものがなんとなくわかるようになってくるのさ。初めて会ったときは気が付かなかったけど、何度か会ううちにミトラがエルフだってわかったのさ。しかし、随分と高性能な偽装の魔道具だね。注意深く探ってようやくあんたがエルフだってのがわかったよ」
いたずらに成功したような表情を浮かべる彼女の目、笑っているからかやけに皺が目立つような気がした。
「…エルフ特有の雰囲気、ですか?」
「ああ、そうさ。あんたはまだ百やそこらの若造だからわからないとは思うけど、歳をとってくると纏う魔力で同族がわかるようになってくるのさ。スキルではない、種族特性とでもいおうかね。…ま、この辺りじゃエルフなんて珍しいからね、あんたが素性を隠す理由は聞かないよ」
でもなんで今更ミトがエルフであることを指摘したんだ?
「ここから先は老いぼれのお節介だと思って聞いてくれて構わないさ。昔々、とある冒険者パーティがいた。辛いことも楽しいことも乗り越えてきた仲間たち。だけどその中にある秘密を抱えている女がいた。エルフである彼女は自分を人族だと偽っていたのさ。他の仲間たちは皆人族。その地域ではエルフは非常に珍しく、当時は貴族によるエルフの誘拐事件なんかも起きていた。自分の身を守るため、その女は自分の種族を偽ったのさ。だけどね、何年か活動するうちに皆歳をとっていく。だけどその女の見た目はずっと変わらなかった。最高の仲間のはずだったのに、一人だけ老いない自分が、いや、ずっと嘘をつき続けていた自分が許せなかったのかもしれないね。女は仲間の元を去った。そしてその後すぐ、風の噂でその仲間たちが命を落としたと聞いた。女は後悔した。もし自分が去らなければ、もし出会ったときに嘘をつかなければってね」
十中八九、女というのはリクトエルさん自身のことなんだろう。どこか遠い昔を懐かしむような目をしている。
…なるほどね。過去の自分の境遇に似たミトを見て言わずにいられなかったってことか。
だけど一つだけ疑問がある。
「なんで俺はミトがエルフだって知っていると思ったんですか?」
普通に考えたらミトが俺にすら秘密にしている可能性だってあったはずだ。
「さて、なんでだろうね」
なにやら意味深な笑みを浮かべるリクトエルさんは先ほどまでの人の良いお婆さんという印象から、初めて会った時のような怪しい雰囲気を醸し出していた。
「あんた達はあんた達。こういうこともあったってことさ」
再びそのフードを目深に被る。
「さぁ、そろそろ店に戻ろうかね。…素材、ありがとうね」
杖を手に立ち上がったリクトエルさんは、ミトから受け取った枝の入ったガラス瓶を棚の空いている場所に置くと店の方に歩いて行ってしまった。
部屋に取り残された俺たちは思わず目を合わせる。鼻に纏わりついていた独特な匂いはいつの間にか甘い花の香りになっていた。
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