ボスウルフ

 少し待ち構えてみてもあちらから動く気配はない。こちらを威嚇するような低い唸り声が聞こえるだけだ。


 このまま待っていても仕方ないので進んでいくと、道の終点はかなり広範囲で木々がなぎ倒されていた。


 そこには巨大な蛇の魔物の死骸が横たわっており、辺り一帯には蛇の鱗や体液が飛び散っている。地面には蛇がその巨体で這いずり回った跡の他に巨大な獣の足跡がいくつもつけられていた。


 大蛇の死骸は半分以上の肉が食い荒らされたのか、その巨大な骨も露わになっていた。原型を留めている頭部の瞳は光を失いながらも異様な雰囲気を放っている。


「これは…」

「この巨体にこの鱗の色は恐らくウンセギラという巨大な蛇の魔物です。私も実物は見たことはありませんでしたが、鱗は素材として扱われているのを見たことがあります。間違いないかと」


 五十メートルはあろうその巨体。この質量だけでも大きな武器となる。


 そしてこの場にある死骸はウンセギラのものだけ。つまりこの巨体を倒した魔物もこの地域にはいるってことか。おいおい、Eランクばっかりの安全地帯かと思っていたがそんなことはないらしい。


 初めて見る巨大な魔物に驚愕していた俺とミト。


 油断はしていなかったが、ウンセギラの死骸に意識をとられていた俺たちの前に、ピチャピチャと辺りに飛び散った魔物の体液を踏みながら、その口を血で染めたウルフたちが唸り声を上げながら死骸の影からゆっくりと現れた。


 一、二、三、四、五、六体か。さっきまで感じていたこいつらのボスと思われる魔物の気配はいつの間にかなくなっている。


 逃げたか? いや俺の加護の強力さは神様の折り紙付きだ。ってことは気配と魔力を隠して隙でも伺っているってことか。


 ゆっくりと俺たちを囲うように広がるウルフたち。どうせ俺しか狙ってこないんだろうけど。


 先手必勝とばかりにそのうちの一体に斬りかかるがバックステップで避けられてしまう。空振りして隙を見せた俺に近くの二体が飛び掛かってくる。一体は返す刀で切り伏せるも背後から強烈なタックル。


「ぐっ、痛ってえな、こんちくしょう!」


 振り返り一撃を浴びせようとするが既に距離を空けられている。


「やりにくいな。同じ数なのにさっきの六体とは動きが違うな。ボスが指示しているのか? それともこちらの動きを学んだのか?」


 残りの三体にはミトが牽制で魔法を放っているが、上手く躱されてしまっている。


「それならこれはどうだ! 【草搦】」


 しかしウルフは足元の草がその足を搦めとる前に移動。俺の魔法は空振りに終わる。やはり手の内が知られているようだ。先ほどの戦闘を見て学習したのか? でも戦いの最中、近くに他の魔力は感じなかった。意思共有的な能力でも持っているのか?


「きゃあ!」


 ミトの魔法を躱しながら一体のウルフが彼女に襲い掛かっている。


「ミトっ!」


 今まで遭遇してきた魔物は【邪神の恨み】の効果で親の仇のように俺だけを狙ってきていたのだが、こいつらは何か違う。


 ミトに意識が向いた俺に残りの四体が四方から襲い掛かってくる。くそっ!


 風魔法スキルの防御魔法なのか彼女の周りに風のバリアが張られ、襲い掛かろうとしたウルフの牙は彼女には届かなかったが吹き飛ばされそうになりながらも風のバリアにはりつき、その爪と牙で突破を試みるウルフ。


 あー、もうめんどいな。黒騎士モードならこの程度の魔物楽勝なんだけどな。


 ここはグッと我慢だ。ミトも多少怪我をするかもしれないが絶体絶命という感じでもないし、ここは一体ずつ落ち着いて倒していこう。気持ちを落ち着かせ、まずは俺に襲い掛かってくるウルフに狙いを定めて一閃。だがこの一撃は避けられる。


 それはこちらも予想していた通りだ。


 その隙を狙って別のウルフがその牙を俺に突き立ててこようとするが剣を持っていない手でカウンターパンチをお見舞いする。ギャンっと鳴くウルフの腹を一刺し。


 うん? なんだ?


 ウルフの動きが鈍ったような。なんだかわからないが動きの停まっている一体を倒した俺を突如衝撃波が襲う。


「がはぁっ!」


 意識の外からの攻撃だったのでモロに喰らってしまった。そのまま近くの木に叩きつけられる。


「主様!」


 ミトに襲い掛かっていたウルフはその場を離れた為、俺の元に走り寄り立ち上がるのを支えてくれる。


 視線を攻撃元に移すと大蛇の死骸、その骨格が露わになった部位の背骨の上、そこにはウルフより一回りほど大きい深緑色のウルフが敵意の籠った赤い瞳でこちらを睨みつけていた。口元は大蛇の魔物の血肉を漁っていたからか赤く染まり、牙を剥きだしにして涎を垂らしている。


 その怒りは食事を邪魔されたからか、それとも仲間を殺されたからか、俺の加護の【邪神の恨み】によるものか。


 いつの間にかボスウルフの周りに戻っていた残りの三体。


 ボスウルフが一鳴きすると一斉に俺に襲い掛かってくる。そちらに気を取られた瞬間、ボスウルフの気配が消え、視界からもいなくなる。


「え?」

「気を付けてください。魔力と気配を遮断し、周囲の景色に擬態する能力を持っているようです!」


 瞬時に魔物の能力を分析し俺に注意を促すミト。それと同時にこちらに襲い掛かってくるウルフたちへの牽制も風魔法でしてくれている。


 【邪神の魔力】を解放してしまえばボスウルフの居場所も魔力ごり押しの気配察知で丸わかりになるはずだし、ウルフ達なんか羽虫の如く叩き潰せるけどEランクとDランクの魔物の群れくらい素の状態で対処できなきゃこの先やっていけないだろう。


 自分に厳しいのだよ、俺は。


 衝撃波に無防備に当たったといっても父との稽古に比べたらまだマシだし、白銀鎧のアルブムとかいうやつとの戦いに比べたらこんなの甘々だ。


 体勢を立て直してまずは残りのウルフを仕留めるか。ミトの魔法には上手く対処しているが相手も距離を詰めあぐねているみたいだ。隣で魔法を放ち続けているミトに耳打ちをする。ウルフが人語を理解するとは思えないが、念のため。


 俺の考えを理解した彼女は一拍、牽制魔法の間隔を空ける。その隙に距離を詰めようとするウルフに対して再びの風魔法による牽制を全方位に向かって放ってもらう。ウルフはそれを避けるにはバックステップで距離を空けるしかない。


「【草搦】」


 その着地点を狙ってウルフ達の動きを止める。


「【風の矢】!」


 動きが止まったウルフ達の眉間に連続で放たれた風の矢が付き刺さり三体が絶命する。よし!


 しかしボスウルフは息を潜めたままだ。このまま戦いが長引いてもいいことはないので、ちょっとばかり疲れるが魔力を広げて気配察知で居場所を突き止めることにする。


 大蛇の魔物の戦闘でできたこの空間に限定し俺の魔力を広げていく。俺からどんどん魔力が消費されているのがわかる。


 視界には映らないが大蛇の下顎の近くにボスウルフの気配を確認。


 全速力で移動しその反応に一閃。


 しかし、こちらが一直線に向かってきたのにボスウルフはたじろいだものの俺の一閃はその体毛を少し散らすことしかできなかった。


「すばしっこいな!」


 かなりの勢いで消費されていく俺の魔力。もう三分の一くらいは減ったんじゃないかな。だけどこちらも一発で仕留められるとは思っていないさ。


 ぐっと踏み込みボスウルフに追撃。最初の一撃とは違い肉を断った感触だ。


「グルゥウウ」


 その痛みに耐えかねたのか、ボスウルフの擬態が剥がれその姿が再び明らかになる。鼻先には深い傷が刻まれポタポタと血が流れ出ている。その表情も先ほどからは変わり痛みに歪んでいるようだ。


 怒りを露わにし、叫び声で俺を威嚇しながら俺に襲い掛かってくるボスウルフ。恐らくこいつは手下のウルフを使い獲物の戦い方を調べて、周囲に擬態し気配を隠す能力で隙を狙って仕留める戦い方を得意としているはず。


 つまりだ。


「姿を見せて俺に襲い掛かってきた時点でお前の負けなんだよっ!」


 大口を開けて襲い掛かってくるボスウルフの懐に入る。鋭い爪が目の前に迫るが父の剣に比べれば遅すぎだ!


 喉元に剣を突き立て大きく切り裂くと、そこから溢れた生暖かい鮮血が俺を赤く染める。


 バシャっと自らの血だまりに沈むボスウルフ。その瞳からはすでに光は失われていた。


 赤いペンキを頭から被ったみたいに血で汚れた俺。生活魔法が使えて本当によかった。魔法の使えない冒険者は魔物討伐大変だな。

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