お散歩に行こう
朝の稽古をパスした俺はユークァル家の長男であるオルチジャン兄の仕事姿をボーっと見つめていた。
辺境伯邸の隣に聳え立つ濃紺の砦。領都ガニルムのシンボルであるこの砦はこの近辺で採掘されるガニルム鉱をふんだんに使用して建てられた砦だ。
その砦内の文官用の執務スペース。いくつかの机が並べてあり、ゆったりとした装束に身を包んだ文官達が羽ペンを手に何かを書いたり資料を確認したりしている。
結局従者として来年から学園に通うことが半ば決まってしまった。どうしよう。
いっその事、身を隠して行方不明にでもなるか、などと馬鹿げた想像をするくらいには行き詰っている。
うーむ、ガニルムに来てからいいことがないなぁ。うん? ガニルムに来てから…。
「あっ!」
「うわっ! 急に大声出してびっくりするじゃないか」
「ご、ごめなさい。オチ兄」
ハッと思い出してついつい大声を出してしまった。
俺、ガニルムに来てから砦と辺境伯邸から出てないじゃん!
この世界に馴染んでしまってすっかり忘れていたがここは異世界なんだ。折角来た大都市。俺が住んでいる田舎村とは大違い。武器屋や魔道具屋、鍛冶工房に冒険者ギルド。教会には近づきたくないけど色々見て回りたいと思っていたんだ。それに出来れば目立たない場所に【影移動】の座標を指定しておきたい。そうすれば村に帰ってからもこっそり来れるしな。
「レイブン、いったいどうしたんだい?」
「はい、ガニルムを見て回りたいと思っていたのに全然街に出られていないのに気づきまして…。滞在中に街を見学する時間はあるのでしょうか?」
ガニルムに滞在するのは今日をいれても残り三日間。今日までは午前中は辺境伯たちとの稽古、午後はガナン辺境伯領の関係者との顔合わせで時間が無かったが昨日で顔合わせは一通り終わったと聞いている。
「うーん、僕は日中は仕事だし父上も剣術指南や領地運営について色々あるみたいだし…。そうだ食堂に行ってみようか」
「食堂?」
「そう、誰か知り合いがいたら街の案内をしてもらえるように頼んでみるよ。本当はこの中の誰かに連れていってもらえればいいんだけど生憎みんな手が離せないんだ」
俺とオチ兄の話を聞いていた文官達は「ごめんな」と言ってくれる。文官と聞くと気難しそうなイメージだが部外者の俺が見学しても嫌な顔もしないし、何ならおやつもくれた。いい職場だな。
「丁度一息つこうと思っていたから」
砦内の食堂に向かう途中、仕事を中断させて申し訳ないと思っていた俺に兄がかけてくれた言葉。やっぱり心が読まれているんじゃないかな。
連れてこられたのは砦で働く兵や文官達の為の食堂。並べられたテーブルにはポツポツと飲み物を手にした人が話をしていたり、食事をしていたりする。まるで大学のカフェテリアみたいだ。
「とりあえず何か飲もうか」
空いている席に座って待っていると木製のコップ入ったお茶を兄が持ってきてくれた。
「そんなに冒険者になりたかったなんて知らなかったよ。まあでもいい機会だし学園に通うことはいいと思うよ」
席に着くなり昨日の話をぶっこんでくる兄。そうだよな、普通の貴族はそう思うよな。
「ソルージア様も悪い子じゃあないんだ。ちょっと我が強いところがあるけど貴族として気高くあろうと頑張っているんだよ。レイブンのことが気に入らないからって変な嫌がらせをしてくることはないと思うし、なにより君たちはまだまともに話してもいないだろう。大丈夫、二人を知っている僕が保証するよ。君たちはちゃんと仲良くなれるって」
どうやらソルージアに嫌われているのも俺の昨日の態度の一因だと思っているようでフォローが入る。
違うんだ、いや、確かにそれも一理あるけどもっと大きな問題があるんだよ、と内心思いつつも「はぁ」と気の抜けた返事をしてしまう。
ここにはそんな話をしに来たわけじゃないだろう、兄上よ。俺は街にいきたいんだよー。途中途中で街に行く件について挟んでいるが「それはそうなんだけど」とソルージアの話が止まらない。
辺境伯の孫娘の素敵なエピソードを右から左に受け流していると俺たちの席に近づく気配が一つ。
「オルチジャン様、レイブン様、ご歓談中失礼いたします」
恭しく礼をするのは中庭でソルージアに初めて会ったときにいた赤髪のメイドさんだ。
「アリオラ、だったかな。ソルージア様は?」
「私などの名前まで存じていただいているとはありがとうございます。ソルージア様からレイブン様へ言伝を預かっております」
「俺に?」
なんだよ、再戦か? これ以上ヘイトを稼ぐ気はないんだけどな。
「お嬢様からこれまでのご無礼についての謝罪と、レイブン様がお屋敷から外に出ていないようなのでお嬢様自らガニルムの街をご案内したいと申し付かっております。滞在中のご予定はいかがでしょうか」
は? おいおいどうした? 急にいい子ちゃんムーブ発動か?
「なんと、それはありがたい申し出です。丁度レイブンが街を見学したいと言っていて、ここにもだれか適当な者を探しにきたところなのですよ」
兄上よ、勝手に話を進めるんじゃない。俺はもうあのお嬢様には関わりたくないんだって! いらんことでまたヘイトを稼ぎそうな予感しかない。あとメイドよ、「まぁ、そうだったんですね!」じゃない。
「じゃあ父上に許可をもらってくるよ、レイブンはここで待っているといいよ」
「では私もお嬢様にご快諾いただけたことお伝えしてまいりますわ」
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(うふふ、神は私を味方しているようね、ソルージアが謝罪したいというのも街を案内したいというのも咄嗟についた真っ赤な嘘。早速自室に籠っている哀れなお嬢様のところへ行きましょう。精神干渉の魔道具で操れば今の話も嘘ではなくなるもの)
辺境伯邸で働く彼女は偶に砦の食堂で兵士たちの話に耳を傾け情報収集をしていた。この食堂は砦で働く者が利用するためメイド姿の彼女が一人でいると非常に浮いた存在となる。しかし時にはソルージアのお付として、また時にはふらっとこの砦の食堂を利用する彼女の姿は最早ここの利用者にとっては見慣れたものとなり、彼女を見かけても違和感を持つ者はいない。
(通い始めた時は随分と話しかけられましたけど。辺境伯邸では休憩した気にならない、一人でゆっくりしたいから、と通い続けたおかげでとびっきりの機会に恵まれたわ)
アリオラは足取り軽く赤髪メイドの辺境伯邸へと向かった。
ソルージアの部屋に向かう前に自室の戻り組織から支給されたもう一つの魔道具を起動させる。
きれいな装飾の施された手のひらに収まるサイズの小箱。登録者の魔力にのみ反応して解錠するもので貴金属の入れ物として広く流通している魔道具だ。
しかしこの小箱にはもう一つ仕掛けがしてある。一度発動すると効果も痕跡もなくなる付与魔法がかけてある。この小箱が解錠されたときに対となる魔道具に解錠を知らせるだけというもの。
この仕掛けも付与魔法としては低位に属するもので珍しいものではない。金庫や資料室など防犯目的で使用されていることも多い魔法だ。この付与魔法をかけられた魔道具の小箱にアリオラ魔力を流し込む。
彼女の魔力を纏い淡く光る小箱がパカっと開くもその中身は空だ。
しかしこれが合図となる。
既にガニルムに潜んでいる同士へと向けた指令実行の合図だ。
手早く準備をすると自身にあてがわれた部屋を出るアリオラ。恐らく長年住み続けたこの部屋に彼女が戻ってくることはもうないだろう。
ベッドサイドのテーブルに置かれたままの小箱の魔道具はやがて込められた魔力を霧散させ発光を止めると付与魔法の痕跡も同時に消え去った。
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