蠢く闇

 メイド服を着た彼女は傀儡となった己が仕える少女を見つめる。


 七年前、ソルージアが三歳の時にガナン家の使用人として働き始めた。その時から彼女の名前はアリオラ。


 それ以前、彼女は「四十七番」と呼ばれていた。


 鬱憤のはけ口に暴力を振るい続けてきた両親。幼かった彼女は姉とともに寝込みの両親を殺害した。そのまま逃げるようにスラム街の住人となり、ようやく暴力から解放されたと思っていた彼女たちだが、幼い二人だけで生きていくにはそこは過酷な環境だった。力のない彼女たちを待ち受けていたのは略奪、暴力、飢餓。この世の穢れを詰め込んだような場所。通りを一本出ればそこには何も知らず幸せそうに暮らす人々の姿がその環境を際立たせる。


 支えあうと約束していた姉も気がついたら消えていた。腕っぷしには自信もあった姉は何かのスキルを得て冒険者になったのだとスラム街の噂で聞いた。彼女を残して。そう、結局皆自分だけが大切なのだ。足手纏いの自分を残してこの地獄から抜け出した姉は彼女の心にさらなる影を遺した。


 そのころにはもう、別に生きたいとも思ってはいなかった。ただ死なないから生きているだけ。何も知らずのうのうと生きている人々への恨みを募らせながら。


 憎い。


 この世のすべてが憎い。


 こんな世界、滅んでしまえばいいのに。


 彼女が十歳になったとき彼女が授かったのは闇魔法スキルだった。


 (この力でみんなの幸せを奪ってやる)


 碌に教育も受けていない彼女がとった行動はあまりにも稚拙だった。スラム街に迷い込んだ少年に対して闇魔法の【吸収】を使ったのだ。自分よりも幼い子供を選んだのは魔法を行使するまで力で抑え込めると思ったからだ。ただ幸せそうに生きている者への憎しみをぶつけるだけの行為。


 だが彼女が使った【吸収】はあまりにも効果が低かった。それは当然のことだろう。その理も知らず、ただスキルに頼った魔法。本来熟練者が使えば対象者の生命力、魔力を吸収しその命すら奪うことも可能な魔法だが、ステータスを授かったばかりの彼女が使った【吸収】は標的をわずかに不快にさせただけだった。


 最悪力で抑え込めると思っていたが、満足に食べることすら出来ない痩せ細った彼女の身体は必死に抵抗する少年に突き飛ばされる。逃げた少年が大通りにて騒ぐや否や衛兵によって捕縛されてしまう。


 まだ十歳になったばかりの子供といえどもスラムの住人に慈悲など与えられなかった。反省期間という名の投獄。教育という名の暴力。そこでも彼女を待っていたのは絶望だった。


 しかしそんな彼女にも救いの手が訪れた。


「闇魔法を使えるというのは貴様か?」


 夜中に突如現れた黒いマントに黒い仮面で素顔を隠した男。


「どうだ? この世の全てを破壊したくはないか?」


 なんて甘美な言葉だろう、そう感じた彼女は痣や切り傷でボロボロになったその手を鉄格子から男に向かって伸ばす。


「世界に混沌と絶望を」


 男が放った魔法で牢獄の扉は難なく破壊された。それは正に彼女が生まれ変わった瞬間だろう。


 歩き出す男に慌ててついて行く彼女。男が進む先には既に事切れた看守たちがいた。血に濡れた看守だったモノを見る彼女は笑っていた。


 世界に混沌と絶望を、それを教義とする男が属する組織。その組織の養成所へ彼女は送られた。


 そこで与えられたのが「四十七番」という呼び名だ。自分と同じような境遇の子供たち。彼らとともに「神」の為に学び、鍛えられた。


 十四歳になった彼女に与えられたのはイリュシュ王国でも武の一角を担うガナン辺境伯家への潜入。メイドとして雇われる予定だったとある商家の娘を殺しなり替わった。


 その日から彼女は「四十七番」ではなく「アリオラ」となった。


 アリオラはガナン辺境伯の孫娘であるソルージア付きのメイドとなった。


 生まれながらにして望むもの全てが手に入る環境の少女。自分とは正反対、眩い光の中で蝶よ花よと育てられる少女。


 優しく、時には厳しく接したのも彼女に取り入るため。アリオラと接するソルージアはいつも笑みを浮かべていたが、その実ソルージアに対して一切の親しみを感じることは無く、瞳の奥には只々憎しみの光だけが灯っていた。


 その日、表向きは休暇として、本当の目的は組織との定期連絡の為、朝から買い物や食事で人混みに紛れていたアリオラが辺境伯邸に戻ったのは夕方だった。住み込みで働いている彼女が裏門から入ると掃除用具を持ったメイドが三人集まってなにか話していた。


 メイドは皆噂好きだ。またその噂が重要な情報に繋がることもある。何か面白い話でもあるのかとアリオラがメイド達に近づこうとしたところ、アリオラに気が付いたメイド達がやって来た。


「ちょっと、ちょっと! 大変よ」

「あなたもいいタイミングで休暇だったわね」


 アリオラのもとに来ると一斉に話始めるメイド達。どうやらソルージアが滞在中の男爵家の子に決闘を申し込んだ上、手も足も出ずに負けたらしい。


 (いい気味ね、それになんてタイミングがいいのかしら。先ほど受けた指令の下準備をするには丁度いいわね。うふふ、これも神の思し召しかしら)


 ポケットに入っているペンダントの感触を確かめる。辺境伯家に潜入して七年。今までは情報を流すだけだったが大きな指令が下された。


 ソルージア・ガナン及びレイブン・ユークァルの誘拐の手引き。


 自室に戻ると急いでメイド服に着替えソルージアの元へ向かう。部屋の前には同僚のメイドが控えていた。どうやら部屋から閉め出されたらしい。


 (嗚呼、神からの後押しに違いないわ。なんて都合がいいのかしら)


 様子を見てくると同僚に伝え静かに扉を開き部屋に入る。


 いつも彼女たちが整えている部屋は強盗でも入ったかのように物が散乱している。


 (まったく、誰が片付けると思っているのかしらね。まったく気に入らない。自分中心に世界が回っているとでも思っているのかしら。ちょっと思い通りにならなかったからって…。本当に愚かね)


「なんで私がこんな目に…。あいつさえいなければ…」


 (悔しいと思うその感情、利用させていただくとしましょう。ふふっ、マイナスの感情程御しやすいものはないわ)


 ポケットからガラスの小瓶を取り出し蓋を開けると部屋中に甘い香りが漂う。これは不帰の森と呼ばれる魔物の生息地帯に自生する特殊な植物から採取した樹液だ。揮発性が高く、これを吸い込むと判断力が鈍ってしまう。


 不帰の森には他にも幻覚を見せる胞子を吹き出すキノコや超音波で方向感覚を狂わせる鳥などが生息しており森全体がまるで一つの生物のように入り込んだ異物を捕食するのだ。そんな危険な森で採取したこの樹液の効果はすぐに現れる。


 もちろん使用者である彼女はこの効果を防ぐ薬を事前に服用している。


 アリオラが話しかけたソルージアはボーっとした表情となっており樹液の効果のほどがよくわかる。


 (あとはこのペンダントを身につけさせるだけね)


 ソルージアに差し出したペンダント、これはアリオラが組織から支給された精神干渉のペンダントだ。少々使用条件が特殊ではあるがその効果は非常に高い。また、通常時に装着者は干渉の影響を受けないので第三者に疑念を与えないという優れものだ。


 特殊な使用条件の一つ、「自らの意思で装着させる」というのもこの樹液で判断力を鈍らせれば容易に達成できる。


 (この子と密室で二人きりになるのが一番の難関だと思っていたけれど…)


 自室にいる時もメイドは二人一組で世話をすることが多い。外に出る時はメイドは一人となることが多いがその代わりに護衛が付くのでソルージアがメイドを部屋の外に追い出したのはアリオラには都合がよかった。


 ソルージアがペンダントを身につけたので特殊な使用条件のもう一つ、闇魔法の魔力をペンダントに流す。魔道具は誰でも使いやすいように魔法スキルが無くとも魔力を流すだけで使えるものがほとんどだ。だがこのペンダントのように使用条件に制限をかけ、適切な属性の魔力を注ぐことで高い効果を発揮することが出来る。


 (あとはキーワードを唱えればこの子は私の言いなりね)


「いいですか、ソルージア様。このペンダントはとても大事なものです。決して外してはいけませんよ」

「ええ、わかりましたわ」


 (あとはソルージアのわがままでレイブン・ユークァルを街に買い物にでも誘い出せば私の仕事は終わりね。誘拐後は辺境伯家に戻った方がいいのかしら? それともそのまま行方を眩ませる? まあ組織から指示があるでしょう。この家に潜んでいるのは私だけではないですし)


 そのまま行方不明になる可能性もあるので身の回りの整理はしておこうと決めるアリオラだった。

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