ソルージア・ガナン

 (許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない。)


 ソルージアの自室。十歳の少女らしい装飾品に溢れたその部屋。少女らしい部屋とはいえ辺境伯家である。その広さは一般的なそれに比べ倍以上もある。いつもはメイドにより整頓されているこの部屋だが、現在は彼女の趣味であるぬいぐるみや、教育の為にと置かれた美術品の数々が散乱している。明かりは閉め切ったカーテンの隙間からわずかに入る光のみ。部屋の中でも存在感のある天蓋付きのベッドに顔を埋めソルージア・ガナンは負の感情に飲み込まれていた。


 レイブン・ユークァル。彼女がその名を知ったのはいつだろうか。同じ年に生まれた男爵家の三男。「あの」タトエバン・ユークァルとソンナ・ユークァルの息子。その程度だった。


 彼女が八歳の時にユークァル家の長男のオルチジャンが祖父のダンテ・ガナン辺境伯付きの文官として着任した。若くして辺境伯領の文官としてどんどん出世する彼。少女が大人の男性に惹かれるのは世の常か。そんな彼に想いを寄せるものの年の差からか妹の戯言程度の扱いだ。


 そこが彼女、ソルージア・ガナンがレイブン・ユークァルに対して悪感情を抱いた最初だろう。同い年の弟がいるせいで自分が女として見られない。八歳の少女の心の中に出来たしこり。


 だが、なにか気に入らない、その程度のもの。


 彼女は多忙だった。貴族令嬢としての教育だけではない。辺境伯家に名を連ねる物として、女といえども幼少から「武」を極めるべく、スキルを得るために過酷な鍛錬が課せられてきた。


 そんな彼女が十歳になった時に授かったスキルは剣術、炎熱魔法、指揮の三つ。普通は有用なものが一つ授かれば幸いとされるスキル。


 彼女は上位の魔法スキルである炎熱魔法、人の上に立つ者にふさわしい指揮の二つの珍しくそして有用なスキルを得た。だが彼女が密かに一番喜んだのは剣術スキル。後天的に取得する人も多く珍しいものではないが、彼女が幼少のころから学んできたそれが形になって現れたことは自信の源ともなった。


 三つという通常よりも多いスキルの取得数は自分が特別なものだと思うには十分だった。さらに貴族として指揮スキルを得たことは高かった彼女の自尊心をさらに高くした。そして剣術スキルは才能だけではなくその努力も十分だったと、自身を正当化することを助長した。


 彼女が正しいのではなく、彼女の努力が正しかっただけなのだが。


 しかし、そのプライドがすぐに傷つけられる。


 レイブン・ユークァル。ガナン家に属する男爵家でしかない、しかもその三男が四つスキルを授かったというのだ。


 スキルの内訳は剣術、体術、植物魔法、生活魔法と希少なものではない。魔法スキルは珍しいが植物魔法は火、水、風、土の四元素魔法に比べ格落ちの魔法スキルだ。生活魔法も便利ではあるが貴族としては誰か雇えばいいだけなので必要性を感じないスキルでもある。


 唯一引っかかったのは剣術スキルだろう。まるで自分のそれまでの努力すら否定されたような気持ちになってしまった。実際には十歳で剣術スキルを得る子供はそれなりにおり、また彼女の努力が否定されるなんてことは微塵もないのだが。


 自分が密かに誇らしく思っていた剣術スキルを持ち、自分よりもスキル取得数が多い。ただでさえレイブン・ユークァルに対してはいい感情を持ち合わせていなかった彼女はレイブンに対して悪感情を募らせていった。


 そんな中、邪神復活の騒ぎがあり延期されていたレイブン・ユークァルと領主である祖父との面会がおこなわれることとなった。


 いったいどんな顔をしているのか。


 オルチジャンに会うというのを口実に、まぁ実のところオルチジャンと会うのも目的の一つではあるが、早速レイブン・ユークァルに会いに行った。


 (なんだかパっとしないやつね。)


 それが第一印象だ。母親のソンナ似であるオルチジャンに似てはいるものの、どうにも印象が薄い。平均的な顔立ちとでもいうべきか。


「スキルを四つ授かったって割には大したことなさそうですわね。オルチジャン様と違って顔もパッとしないし頭も悪そうですわ。はぁ、こんなのがオルチジャン様の弟なんて信じられないですわ。同じ年だからってあまり気安くしないでいただけます?」


 ついつい言葉に出てしまう本音。幾分毒気づいているのは彼女の性分でもある。


 こんな男が自分のプライドを事あるごとに傷つけていたのかと思うと余計に腹立たしく思った彼女はその場を後にした。いくら相手が男爵家の三男であるとしても無礼という自覚はあった。しかしそれ以上にあの男と場を共にしたくないという思いが強かったのだ。


 伝聞でのみ知っていたもの。その存在を自分の五感で確認する。それにより彼女が気付いたのは「嫉妬」だった。


 辺境伯というこの国では公爵に次ぐ位である自身の出自。その整った容姿も相まって向けられることはあっても抱くことは無かったその感情。


 (私が男爵家の三男ごときに嫉妬するなんて! そんなの認められませんわ!)


 しかしその感情を制御する術を彼女は知らない。


 そこで彼女がとった行動は「逃げる」というものだった。レイブンが滞在する間は極力顔を合わせないようにし、これ以上の悪感情を募らせないように。


 何故この家の人間である自分がこのような惨めな気持ちにならなければいけないのか。


 辺境伯家の令嬢である自分のとった無礼な態度。


 スキルに恵まれ、将来有望な自分が嫉妬してしまったという自覚。


 様々な想いが彼女を包んでいく。


 そんなある時、祖父ダンテ・ガナンの執務室の前を通りかかった時のこと。


「どうですか、うちの三男は」

「あれは傑物じゃな。あの年齢であの実力。手合わせしてみてわかった。ワシが今まで会った中でも飛び切りの才能を秘めておる。いやなんならもう開花しておるな。孫娘のソルージアも才に恵まれているとは思っておったが、比べ物にすらならんな。しかもあやつ、まだ何か隠しておるように見える。確か植物魔法と体術もスキルを授かっているんじゃったな。それか、もしくは…」

「もしくは?」

「うむ、もしかしたら既に新しいスキルを得ているのかもしれんな」

「流石にそれはないでしょう。もし得たなら私やソンナに何か言うでしょうから。隠す理由がありません」

「そうかのう。あやつの目は何かまだ実力を隠しているような目じゃぞ?」

「たしかに何か奥の手はありそうな目をしているのは認めますが、日々の稽古で追い詰めても特になにもないですよ」

「うーむ…。まぁ、あの年齢で実力も十分じゃ。歳も同じじゃし、来年から学園に通うソルージアの従者をさせてみんか? 辺境伯家令嬢の従者じゃ。男爵家の三男としては悪くなかろう」


 なんとなく立ち聞きしてしまった会話。その祖父の言葉を聞いた彼女は思わずその場から走り去ったのだった。


 (あいつが私の従者?)


 貴族であれば嫌いな人間を、権力を笠に従えられるということで溜飲を下げていたのかもしれない。しかし彼女が教育を受けたガナン家では何よりも個人の武勲が重要視されてきた。


 力こそパワー。


 そんな彼女は自らよりも実力があると評されているレイブンが従者となることに納得がいかなかった。


 (そうだ! 私の方が強いと皆にわからせてあげればいいんですわ)


 自分が強さを誇示し、その上で彼を従者とする。そうすることで自分自身を納得させたい。そして世間の注目を集めるべきなのは自分だという事を知らしめるのだ。そんな思考に陥った彼女はレイブンを探し決闘を申し込んだ。


 祖父の「比べ物にすらならない」という言葉は完全に忘れていた。


 その結果、為す術もなく土をつけられた彼女は自室にて塞ぎ込んでいた。自分の強さを見せようとしたのに、反って彼の圧倒的な強さを披露してしまった。


「なんで私がこんな目に…。あいつさえいなければ…」


 ソルージア付きメイドのアリオラは、今日は不在だ。幼い頃から時には姉のように接してきた彼女がいればソルージアが決闘を申し込む前に諌められていたかもしれない。


 アリオラの代わりのメイドには部屋に入るなと言いつけたため、この部屋には彼女一人。


 彼女以外いないはずの自室。


 それなのに。


「そうね、彼さえいなければソルージア様は皆からの羨望の眼差しを独占できていたのに。かわいそうなソルージア様…」


 いつのまにかベッドに腰掛けていたアリオラ。


「アリオラ? 今日は街に出掛けているはずじゃ…?」

「ソルージア様がお辛い目にあっているのに、側を離れることなんてできません」


 優しく囁くアリオラ。


「レイブン・ユークァル。あいつさえいなければ、そうお考えですか?」

「…。ごめんなさい、辺境伯家の人間として負けたからって相手を逆恨みするなんて失格ですわね」

「うふふ、いいんですよ。辛いときは辛い。憎い者は憎い。このアリオラの前では強がりはしないでください」

「アリオラ…」

「憎いなら消してしまいましょう」

「え? 何を言って…」


 まさかそんなことを言うなんて、それはいけない、とソルージアは頭ではわかっていた。だからそれを注意しようとしたのだが。


 いつからか部屋に充満していた甘い香り。アリオラが普段つけている香水に似た香り。ソルージアの身近にある香りだから違和感を覚えることは無かった。判断力を鈍らせるこの香りに。


「これを身につけてくださいな。これさえあればレイブン・ユークァルに一泡吹かせられますよ」


 彼女が差し出したのは銀細工のペンダント。チャームの中心には赤い宝石があしらわれたものだ。それを言われるがままに身につけるアリオラ。


「うふふ、私の言う事をよく聞いてくださいね」


 アリオラがソルージアの身につけたペンダントに魔力を流しながら囁く。するとソルージアはまるで人形のように表情を失くした。


「わかりましたわ」

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