辺境伯の孫娘

 とても静かで、とても力強い魔力。淀みなく体を巡るその様はとても美しい。だがそこから発する威圧感は凄まじい。文官のうちの一人は倒れそうなところを隣の文官に支えられていた。常人には耐えがたいプレッシャー。


 だがそこは常日頃父からの過激な稽古を受けている俺。魔力だけでは動じないんだよ、爺さん。なにより攻撃態勢に入るような動きが見られない。それに直前のあの顔。子供をビビらせようって魂胆がミエミエなんだよ。


 さすが辺境伯様が発する魔力は違いますね、とかゴマをすったほうがいいだろうか。それとも、その程度か老いぼれめ、と煽ってみるとか? うーん、これは反応に困るな。


「お戯れが過ぎます、ダンテ様。チコルがダンテ様の魔力に当てられてしまいました。彼の分も仕事をしていただくことにしますよ。それにレイブンも固まってしまっているではないですか、執務室内では魔力は抑えていただきますよう再三お願いしておりますが」


 そうガナン辺境伯を諌めたのは倒れそうになった文官を支えていた文官三人衆の一人。ってあれ?


「オチ兄さま!」


 ユークァル家の長男、オルチジャン・ユークァル。母に似て整った容姿の持ち主の我が兄。剣の腕も立つがそれ以上に優秀な頭脳の持ち主である。王都の学校を主席で卒業したとかなんとか。彼のような優秀な兄がいるおかげで俺は貴族家三男という楽ちんポジションに甘んじることが出来るのである。ありがとう、お兄様!


「レイブン久しぶりだね、兄さんのことを忘れないでいてくれてうれしいよ」


 支えていたチコルと呼ばれていた文官さんをもう一人に託し、俺の元に来て頭を撫でてくれる。俺に甘々な兄、学校に通うため家を出てからあまり会う機会はないが、偶に家に戻ってくる時にはお土産のお菓子をたくさん買ってきてくれる大事な糖分源なのだ。


「父上も面白そうに見ているのではなくて助け船を出すなり魔力から庇うなりあるでしょう?」

「いやぁ、すまんすまん。レイブンがどう反応するのか気になっていな。日々俺が稽古をつけているんだぞ、あの程度ではどうにもならないさ」

「はっ、あの程度の魔力で悪かったな! だがワシの威圧でも泣き出さないとは前評判通りじゃな。これをやった子はほとんどが泣き出すか、良くて青い顔して後ずさりするもんじゃがな。それに単に固まっていたというよりもなにかしようとしていたようにも見える。ふむ、これは先が楽しみな子じゃな」

「ダンテ様? 執務室内での魔力を使った威嚇行為からお話を逸らさないでください」

「そう怖い顔をするな、オルチジャンよ。チコル、この程度の魔力で顔を青くするなど辺境伯領の文官としてはまだまだじゃのう」

「も、申し訳ありません」

「はぁ、文官と武官は違うといつもお伝えしているでしょう。奥方様に言いつけますよ」

「む、そ、それは…。わかった、わかった。チコルすまんかったな。少し休むといい。はぁ、オルチジャン、チコルの残りの仕事をワシに持ってこい」


 辺境伯も奥さんには頭が上がらないらしい。というか兄さん凄いな。すっかり辺境伯を手玉にとっている。


「レイブンもすまんかったな」

「いえ、多くの武勲を立てられたダンテ様の魔力を間近で見れて、勉強になりました。ありがとうございます」

「はっはっはっ。これを見て勉強と言うか! これはまた大物じゃなっ」


 気に入られたのか、機嫌良さそうに笑うな、この爺さん。


「この気概で十歳にて四つのスキル持ちか。ふむ…」


 貴族の子である俺のスキルは親を通して国の知るところにある。つまり辺境伯も俺のスキルのことは知っている。とはいっても両親に伝えた闇魔法の【隠匿】で偽装済みのステータスだがな。


「オルチジャンよ、久しぶりの再会じゃろう。弟にこの砦内を案内してきたらどうじゃ。ワシはタトエバンと少々話がある。お前たちも自室に戻るがいい」


 文官たちにも退室を促し、俺が来たときは開放してあった扉を閉める。なんだか追い出されたみたいな気もするが、辺境伯と男爵でなにか政治がらみの話でもあるのだろう。しかしあの父が政治の話をするというのはあまり想像できないな。


「あれでも王国騎士団で活躍した人だからね、それなりに政治にも通じているのさ、父上も」


 俺の感情を読み取ったように苦笑いのオチ兄。父にも表情から心の内を読み取られたし俺ってそんなにわかりやすいのだろうか? いやいや、異常なステータスについてはバレていないしそんなことはないだろう。


「さぁ、行こうか。案内とは言っても遊びじゃないからね。関係各所への紹介も兼ねているんだからあまりはしゃがないようにするんだよ」

「はーい」


 めんどくさ。


「こら、そんな顔しない。これも貴族の務めでもあるんだよ。文官や武官のほとんどは貴族家の人間だ、こういう面通しがいつかレイブン自身の為になるかもしれないだからね」


 やっぱり感情が読まれている…。お兄様、要注意やな。


 兄に案内されて各所に挨拶をする。こんなガキの顔なんて覚えないだろうと思うのだが「挨拶をした事実」というのが重要らしい。確かに「あの時にご挨拶させていただいた」や「先日ご子息に」みたいな会話にも繋がり、それが切欠で何かの結果につながることにもなるのだろう。因果の「因」の種蒔きってとこか。


「兄様はこちらでどんなお仕事をされているのですか?」


 挨拶回りで感じたのだが文官のおじさんたちが妙に兄にペコペコしているのだ。いくら貴族の嫡男だからといってもたかが男爵家だ。それに文官にはうちよりも爵位の高い貴族家の人もいた。


「そうだな、ダンテ様のお手伝いかな。ダンテ様が決めたことを実行するのにどれくらいのお金が掛かって、どんな人が必要なのかを決めてそれを手配するって言ったらわかるかな? レイブンにはまだ少し難しいかな?」

「うーん、なんだかよくわからないです」


 年齢の割には随分と重用されているみたいだ。あなたまだ十八歳ですよね? いや十九歳になったんだったか。これは将来ユークァル家の発展も期待が出来ますな。甘い汁お待ちしております。


 飾り気のない砦内を兄と歩く。構造的に窓が少なく、日中でも明かりの魔道具で照らされた砦内。しばらく進むと日の当たる中庭へとたどり着いた。


 ━━━そこには美しい庭園が。


 広がっていることもなく、汗と土汚れにまみれたむさ苦しい兵士たちが木製の訓練用武器で打ち合い稽古をしている最中だった。


 体育館ほどの広さの中庭で数十人が一斉に稽古する様は中々に圧巻だ。練度も高い。ただちょっと臭い。チョットクサイ。


 と、思っていたところなにやらフローラルな香りが漂ってくる。そちらへ向くとこの場にそぐわない、フリルをあしらったドレスを着た金髪の女の子が近づいてきた。歩きながらその女の子はこちらに向かって胸の前で小さく手を振っている。その半歩後ろには赤髪を肩のあたりで切りそろえたメイドさんを伴っている。


 異世界に転生してようやく恋愛フラグだろうか。俺が住んでいる村では同年代の子供もいることにはいるが、貴族と平民という身分差があるからか挨拶をするくらいで特に仲がいい子供はいない。男女ともに。


 女の子は背格好からして同年代か。十歳前後としては十分魅力的だが、目鼻立ちがはっきりとして将来美人になりそうな顔立ちだ。メイドがいるということはそれなりの身分のはずだし、手を振っているということはこちらに好意があると見た。きっとスキルを四つも授かった優秀なお子様がいるというのを聞いてやって来たに違いない。メインヒロイン登場ですな、ぐへへ。


 そう確信し、手を上げて振り返そうとしたのだが。


「オルチジャン様!」


 お目当ては兄上様ですか。上げた手? 長くもない髪の毛を耳にかけるしぐさをしましたが何か?


「オルチジャン様、こちらにいらしたのですね。執務室にいらっしゃらなかったので探しましたわ」


 もうっ、と言いながら恋する女の子モード全開である。兄の顔を見つめるエメラルドグリーンの瞳には俺のことなんかは映っていないようだ。フラグ? ヒロイン? 知るか!


「ソルージア様、ご機嫌麗しゅう。この時間はまだ勉学の時間ではありませんか?」

「オルチジャン様にお会いしたかったので本日の分はもう済ませてまいりましたわ」


 兄が付き添いのメイドを見るとコクリと頷いているので本当なのだろう。


「そうですか、ですが外部の者の出入りが激しいこちらに護衛もつけずお出でになるのはお控えください」


 やれやれといった感じでソルージア様を諌めた兄。どうやらこの女の子の恋心には気づきつつもはぐらかしている感じだな。


「それと紹介が遅れました。これが私の弟のレイブンです。ソルージア様とは同じ年の生まれです。今後何かとお世話になることと思います。どうぞよろしくお願いいたします」

「あら、あなたが。へぇ、そう。なるほどね」


 俺の背中をグイっと押してソルージアと呼ばれていた女の子に紹介する兄、なんだか話を逸らすのに使われた気もするな。そして俺のことを見て何か意味ありげに呟く女の子。…目が笑っていない。


「は、初めまして。レイブン・ユークァルです。えーっと…」

「ソルージア・ガナンですわ。ガナン辺境伯長男ユーンダの娘ですわ。あなたがオルチジャン様の弟ね」


 てことは辺境伯の孫ってことか。随分尊大な態度だと思っていたがそれなら頷ける。孫娘の機嫌を損ねて爺さんにも嫌われてしまったんじゃあ、せっかく辺境伯に気に入ってもらったのが無駄になってしまう。ここはゴマすりモードでいっとこうか。幸い兄のことを好きみたいだしな。


「兄とは…」

「スキルを四つ授かったって割には大したことなさそうですわね。オルチジャン様と違って顔もパッとしないし頭も悪そうですわ。はぁ、こんなのがオルチジャン様の弟なんて信じられないですわ。同じ年だからってあまり気安くしないでいただけます?」


 え? なんかいきなり喧嘩売られてんですけど!? おいおいおいおい、むかつくなこいつ。階級が上だからって随分と無礼なやつだな。誰の顔がパッとしないだって?


「なんだか空気が悪いみたいですわね。アリオラ、行きますわよ。オルチジャン様、ごきげんよう」


 そういうと踵を返し去ってしまった。


 あまりに突然のことで言い返すことも出来なかった。ぐぬうううう。


 メイドは特に慌てることもなくこちらに一礼してそのあとに続く。なんだあいつ。友好関係は結べそうにないな。それに空気が悪いのは俺のせいじゃない。訓練中の兵士たちのせいだよ。


「ははっ、随分嫌われているようだね」


 可愛い弟が辺境伯の孫娘にいいがかりつけられたっていうのに、なんだか楽しそうだな、兄よ。


「そうですね、正直何が何だか。何か嫌われることをしてしまったのでしょうか?」

「うーん、嫌われたっていうよりも嫉妬かな」

「嫉妬?」

「ソルージア様はレイブンよりも二か月早く生まれたんだ。つまりスキルもソルージア様の方が二か月早く授かった」

「はぁ」

「で、ソルージア様は三つのスキルを授かったんだよ」

「えっ? 三つですか?」


 四つと公表している俺(実際は十二スキル)が言うのもなんだが三つもスキルを授かるのは珍しい。


「そう、武勇に優れた辺境伯の孫娘が三つのスキル、それも剣術、炎熱魔法、指揮というなんとも貴族らしいスキルでね。そりゃあもう国内外で大騒ぎだったんだよ」


 炎熱魔法は火魔法の上位互換の魔法スキルで、火魔法で使える魔法に加えさらに高威力の魔法が使えるスキルだ。姉の神聖魔法と同様に非常に珍しいスキルだ。指揮は戦争時にも役立つが上に立つ人間にはもってこいのスキル。貴族といえば大きな戦の将を務めることだってある。生まれながらにしての貴族って訳か。


「同年代じゃ並ぶ人もいない、そう言われていたんだ。レイブンがスキルを授かるまではね」

「俺ですか? 確かにスキル数は四つですけど、魔法系スキルは貴重だとはいえ炎熱魔法みたいに持て囃されるものでもないですよ。あとは剣術と体術で割とありふれたスキルですし…」

「そうなんだけどね。でも四つのスキルを授かること自体が非常に珍しいことなんだよ。それに「あの」両親だし。つまり、それまで貴族間で騒がれていた話題がソルージア様からレイブンに向いてしまったってわけ。それですぐに邪神騒ぎだ。ソルージア様は目立つのがお好きな方でね、お前に話題を持っていかれたのが悔しいのさ」


 それであの言いがかりか。目立つのが好きな彼女には悪いことをしてしまったかな。もっと隠そうと思えば隠せたんだし。うーん、もうちょっと平凡なスキル構成にしておくんだったかな。


 とはいえもう俺のスキルは剣術、体術、生活魔法、植物魔法で公表しちゃったしな。それに大人になればスキル四つなんてのは珍しいもんでもない。とりあえず波風立てないようにしておきますか。


「一週間の滞在予定だったね、その間はソルージア様とまた顔を合わせることもあるだろう仲良くやるんだよ」


 あー、めんどくせ。

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