父の稽古と秘密基地

「レイブン、レイブンったら。もう朝食の準備が出来ているわよ、早く起きなさい」


 俺の部屋のカーテンを開け、布団を剥ぐのは我母上である、ソンナ・ユークァル。金糸のような美しい髪に、子供が五人いるとは思えないほどのプロポーションを維持している。正直、あの山賊のような父とはどう考えても釣り合わないほどの美貌の持ち主だ。


「おはようございます、お母様」


 そう可愛らしい子供がするように、実際可愛らしい子供なのだが、返事をしてふぁあと欠伸をし、正に今目覚めたかのような動きをする。実際は日が昇るとともに起き、前世で叩き込まれた護身術の型で稽古をしていたのだが。


「まったく、いつまでたってもお寝坊さんなんだから。お母さんはライアンにご飯あげてきますからお顔を洗ったらご飯を食べるのよ」


 はーい、と返事をしてのろのろとベッドを下りる。そう、我が家にはもう一人子供がいる。ライアンと名付けられた我が弟だ。まだ生まれて半年も経っていない我が家のアイドルである。それまでこの家のアイドルとして家族から甘やかされていた俺はその事実に嫉妬、するでもなく皆の目が弟に向いたことが嬉しくてたまらなかった。


 ステータスが見られるようになるこのタイミングで弟が生まれるとはなんて幸運なんだ。これでステータス上げにいそしんでも怪しまれる可能性が低くなったぜ、と。


 え? 嫉妬しないのかって? するわけがないだろう。前世と合わせると精神年齢はアラサーだぜ。この期に及んでママのオパーイを欲しがるほどガキじゃないぜ。


 さてさて、自分の部屋を出て階段を下りてダイニングへ向かう。片田舎の貴族とはいえ、それなりに広い我が家。家族の他にも、メイド長であるヘンリエッタと父の補佐官と執事を兼任しているサブルス、護衛騎士のカッツという三名が同居している。


 メイド長といってもメイドは彼女しかいないけどな。


 ダイニングに到着すると、父のタトエバン、姉のハンナは既に食事を始めていた。


「お父様、ハンナお姉様、おはようございます」


 二人に挨拶をし、自分の席に着く。


「おはよう、レイブン」

「レイブン、お母様が起こしに行く前に自分で起きられるようにしなさいといつも言っているでしょう、まったく」


 我が家は貴族という割には躾についてあまりうるさくはないのだが、姉のハンナはあーしろ、こーしろと注意してくることが多い。最近は物語のお姫様に憧れているようで自分の中の貴族像というのをやたらと押し付けてくるようになった。基本的には面倒見もよく俺を可愛がってくれるいい姉なのだが、お年頃というやつなのだろうか。


「すみません、お姉様」


 心にもない謝罪をしつつ、運ばれてきた朝食に手を付ける。


「ヘンリエッタ、今日の食事もおいしいよ」


 そうやって我が家唯一のメイドであるヘンリエッタを労うことは忘れない。最近は白髪が目立つようになってきた彼女は俺の言葉に笑みを浮かべた。


「ふふ、ありがとうございます。レイブンお坊ちゃま。これは今日のおやつにおまけしないといけませんね」

「まったく、お父様もお母様もヘンリエッタもレイブンを甘やかしすぎよ」


 そう小言を言う割に嫌味はない。まあ、この姉も俺のことを溺愛しているからな。


「まあそう言うな、ハンナよ。レイブンはこの年の子としては十分すぎるほど才に溢れているのはお前だって知っているだろう。それに明日は十歳の誕生日だ。きっと自分のステータスやスキルのことを考えて遅くまで起きていたんじゃないか? 私も小さいころのことを思い出すなぁ。ハンナだって…」

「ちょ、ちょっとお父様、わたくしのことは関係ないでしょう」

「そうか? お前も十歳の誕生日前は毎日毎日どんなスキルを覚えるのだろう、と騒がしかったじゃないか」

「もう!」


 頬を赤く染める姉。母と同じ美しい金髪の姉は近隣でも有名な美少女だ。そんな姉が神聖魔法のスキルを得たという情報はあっという間に広がり、しばらくは縁談が途絶えなかったらしい。


 しかし、母の遺伝子を色濃く受け継いでよかったと思う。既に食事を終え何やら資料を読んでいる父は整った顔ではあるのだが、手入れをしない髭に服がはち切れんばかりの筋肉も相まって、襤褸でも着せれば物語序盤の主人公が初めて命を奪うイベントに出てきそうな山賊の親玉も務められそうな風貌である。


 俺が生まれたとき、農作業の手伝いをしていたらしく、土汚れのついた顔と服装をみてどこの蛮族の元に生まれたのだろうと勘違いしたのは良い思い出である。まあ、蛮族ではないが、戦闘民族ではあったのだが。


「レイブン、どうだ? このあと剣の稽古でも」

「…はい、お父様。よろしくお願いします」


 上の息子二人が剣術系スキルを取得し俺への期待も大きいようで、姉のハンナが剣術系スキルを得なかったことも相まって、ここしばらくは毎日のように剣の稽古をつけてくれる。ありがたいことなのだが、元騎士の稽古。十に満たない子供への稽古とは思えないほど過酷である。


 しかも、最近は怪我をしたらしたで姉の神聖魔法の練習にもなると苛烈を極めている。前世では大怪我はしないように細心の注意のもと、虐待、いや剣術の稽古が行われていたのだが、魔法があるためこの世界はそれ以上に過酷だ。まあ、魔物という存在がいる以上、それだけ必死に稽古がつけられるのもわからなくはないのだが。


「はぁ、はぁ」


 裏庭で全身に傷を負い、大の字で地面に寝転ぶ俺。疲労と痛みが全身を襲う。


「だいぶ良くなってきたが、まだまだだ。今のお前ではDランクの魔物には手傷を負わせることは出来るだろうが、敗北して餌となるだけだ。もっと精進するように」

「は、はい」


 いやいや、俺はまだスキルもない子供なんですけど! むしろDランクの魔物相手にそこまで出来るならすごくない? そんなことを考えつつも体を起こすことも出来ない。


 父は今日の稽古に満足したようで、屋敷に向かいながらハンナ! と叫んでいる。一応は地方領主。こうやって毎日のように稽古をつけるほど時間に余裕があるわけではなく、その分遅くまで領主としての仕事をしているのは知っている。うん、加減がおかしいだけで良い親であるのは間違いないんだよな。


「レイブン!」


 屋敷から駆け足でやって来た姉のハンナが俺を抱きかかえると神聖魔法による回復魔法をかけてくれる。


「まったくお父様ったら私やお兄様の時よりも稽古が激しすぎるのではないかしら。毎日毎日…大丈夫、レイブン?」


 そう、これが日常の風景なのだ。父の剣の腕はかなりのもので、的確に俺の弱点をついてくる。威力は加減してくれているのだが、肉体言語万歳な父は殊、剣の稽古については容赦がない。魔物のいるこの世界で、息子を想ってのことだというのは十分にわかるのだがスキルもない子供に対してはちょっとひどすぎないか!?


「あの人もこの子の才能に期待しているのよ。オチもセッテインも剣の才能は十分にあったけどレイブンほどではなかったわ。だからこそなのよ」


 ライアンを抱き、日傘を持たせたヘンリエッタを伴って屋敷から出てきた母は父に対して不満を言うハンナを言い含める。尚、オチというのは長男のオルチジャン兄のあだ名だ。


「今日で最後になるかもしれないと思って厳しくなってしまったのかもしれないけど。だけど、レイブンもよくついていっているわ。やっぱりお兄さんになったから強くならなきゃって思っているのかしらね」


 いいえ、死にたくないから頑張っているだけです。あくまで自分のためでござる。


「お姉様もお母様も心配してくれてありがとう。お父様との稽古は大変だけど学ぶことも多いし手加減してもらっているし大丈夫だよ。あっ、そうだ、昼食後は外に遊びに行ってくるね」

「わかったわ、あまり遠くまで行かないようにね。村の外へは絶対出てはいけませんよ」

「わたくしも一緒に行こうかしら?」

「ハンナ、あなたはまだ勉強の途中でしょ」

「はーい」


 そんな会話をしながら屋敷に戻り昼食を済ませた俺は、いってきまーす、と家を出た。


 一応、誰にも見られていないことを確認しながら村に隣接した山の方へ向かう。この山には特に強い魔物もおらず、魔物がいてもすぐに討伐されてしまうため安全だ。だからといって子供が入ることは許されていないので、村人に見つからないようにこっそりと向かう。


 山の中を進むことしばらく。藪の中に大人がかがんでようやく入れるほどの洞穴がある。中に入ってしまえば高さは二メートル程度で四畳半ほどの広さがある。俺の秘密基地だ。


 魔物や動物が侵入しないように入口は草を張り付けた木の板をおいて隠し扉のようにしている。秘密基地の中は屋敷からくすねてきた魔道具のランプと椅子替わりにしている丸太がある。そして基地の四隅には魔術文字が刻まれた銀色の棒が刺さっている。これは隠蔽の効果がある魔道具だ。この魔道具で囲った範囲の魔力や生命力、気配などを隠蔽することが出来るらしく、魔物や動物などに気づかれることはない。これのおかげでこの秘密基地の安全が保たれている。


 非常に高価なものらしく、貴族といえども子供の俺が簡単に手に入れられるようなものではない。これは偶に我が家に遊びに来る冒険者から貰ったものだ。


 二年ほど前、この基地を見つけたばかりの俺が山に入っていくのを見かけた冒険者。気になった彼は俺の後をつけてきたため、この秘密基地の存在がバレてしまった。


 子供が一人で山に入るんじゃないと叱られたものの、どうやらその冒険者も子供の頃に秘密基地を作っていたことがあるらしく、いくら注意してもまた来るんだろう、と言ってこの魔道具を設置してくれたのだ。


 この魔道具は定期的に魔力を補充すればほぼ永続的に使用できる。魔力を込めている最中、薄っすらと光る魔道具は蓄えられる魔力の容量が溜まると光らなくなる。魔導具のランプの明りに照らされた基地内で四回それを繰り返す。どうやら俺は子供にしてはかなり魔力量が多いようでこの隠蔽の魔道具の使い方を教えてくれた冒険者が随分驚いていた。


 まだステータスは見られないし、スキルもないので魔法は使えないが魔力を感じることは出来るし、魔力で動く魔道具を使うことは出来る。まあそうでなければ電化製品の代わりに魔道具が広く使われているこの世界で生きるのは大変だ。一応、稀に生まれてくる魔力を一切持たない人のために魔石の魔力のみで動く魔道具もあるらしいが。


「さてと」


 魔道具と丸太しかないここで俺が何をやっているのか。それは魔力の操作訓練である。


 この基地を見つけた当初は単純に秘密基地にできるじゃんイェーイ、くらいにしか思っていなかった。え? 精神年齢がアラサーのくせに子供みたいなことやってんるんじゃねぇって? いいんだよ、男はいつまでたってもお子ちゃまなんだよ!


 まぁ子供っぽい思考というのは否定できない。転生の影響で肉体に年齢が引っ張られているのか、環境に引っ張られているのか、自分でも幼い反応をしてしまったと思うことは多々ある。現在は実際に子供なので問題はないだろう。


 この基地を見つけてしばらくは護身術の型をつかった稽古をするくらいだった。だが冒険者に隠蔽の魔道具を貰ってからは魔力操作の訓練をするようになったんだ。


 魔力操作の訓練は常に魔力を放出する必要がある。スキルを得る前の子供は魔力量がわかりにくいため幼いうちから魔力をつかった訓練をすることはない。それは何故か。日常的に使われる魔導具は微々たる魔力で動くように作られているので子供が使用しても危険はない。だが魔力を使った訓練は大量に魔力を消費する。まだ己の力量や加減がわからない子供には危険だからだ。


 魔力欠乏状態。


 魔力を極限まで使用すると意識を失ってしまい、回復するまでは乗り物酔いに近い状態になってしまう。人は呼吸とともに空気中の魔力を吸収しているので自然に魔力は回復するのだがそれは微々たる量。


 そのため魔力を使った訓練はステータスで自分の魔力が可視化されてからおこなうのが普通だ。


 なぜ俺が人目につかない場所で危険を冒してまで魔力操作の訓練をするのか。


 まず場所について。我が家には魔法の使い手である母を筆頭に魔力感知に優れた人が複数いる。俺が自室で魔力を放った瞬間に誰かがすっ飛んでくるだろう。


 小さい頃、兄さん達の魔力操作訓練を覗き見して、方法を学んだ俺が自室で試したところめちゃめちゃ怒られた。中身がアラサーな俺はいい子ちゃんを通していたのだが、後にも先にもあれほど怒られたことはない。


 かといって魔道具のない状態の山の中で魔力を無為に発すると、魔物をおびき寄せてしまう。


 そして何故そうまでして訓練をしたいのか。


 それはスキルの入手が関係する。


 十歳になった子供にスキルがランダムで得るかというとそうではない。我が家で元騎士である父の子である兄さんたちが剣術のスキルを得た様に、鍛冶師の息子は鍛冶に関連するスキル、農民は自然に干渉するスキルを覚えやすいと我が家の書斎にある本で読んだ。そして農民の子でも商人の元で育った子には算術や鑑定といった商人向きのスキルを得るそうだ。


 つまり、その子供の血統とそれまでの経験がスキルに大きく影響している。


 この世界で強くなるには武芸か魔法のどちらかは必須だ。そしてスキルを後天的に得るよりも十歳で得た場合のメリットは大きい。


 だからこそ、ボロボロになろうと父からの剣の稽古はさぼらないし、こうやって危険を冒しても魔力操作の訓練で魔法への親和性を高めている。これが正解かどうかはわからない。


 全てはこの世界で「運命の死」を迎えるために。

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