Vedete-16:峻烈にて(あるいは、仕立て飾りしヴェレーノに/欺き還るはヴィスコジタ)

「気配を完全に消す……とか、そんな手の内聞いて答えてくれるものなのかしらぁん」


 先ほどの「大瀑布」に因りて、山に囲まれしこの窪んだ砦周辺は、飛沫の残滓が未だ漂っている。静寂の場と化していた周囲にも、黒衣の闖入者による想定外の事態に、どよめき未満の唸り声のようなものが徐々に伝播してくるようであった。そんな中、砦の石造りの屋上にて、護り方の将、ノービアの鼻から抜けるような、しかして何かを返答の端々あるいはその反応から読み取ろうというような言の葉が、彼我距離わずか二メトラァばかりで相対する黒衣の者の、そのうっとおしいほどに豊かなる黒髪に隠されし両の瞳に向けて吹き流されていく。


「色氣の、『視界』を欺く。端的に言えばそれだけのこと。そしてお互い、到達せし『境地』は同じと見受け致した。であれば拙速。そなたらの目論見は断絶する」


 黒髪は揺るがないものの、その下の漆黒の液体でも詰まっているかのような瞳も瞬きもしなかったものの、思ってたよりも情報量の多い返しをしてきた。おおっとぉ、単騎出張ってきた阿呆がいるかと思ったらそこまで落とし込めてんだぁ、考えてんだぁ、とノービアは少し驚くと共に「愉快」、のような思わずの制御できぬ感情をぽことあぶくのように浮かばせたりもするのであるが。


 「色氣の視界」と来たねぇ。なるほどそういうことぉ。


 次の瞬間、かき消えた黒い影を目で追うという失策は犯さずに、だいたいこの辺りを狙ってくるだろうと見た箇所、自らの背面斜め左三十度くらいに渡って「水圧」を存分にカマせた真円の「盾」の如きものを現出させる。と、そこに一拍遅れほどで精密に撃ち込まれる横薙ぎの剣撃。しかしそれは氣の奔流に巻き込まれるように、水の流れに飲まれるかのように苦も無く弾かれ払われる。


「『到達せし境地』。あははぁ、よく飾るもんだねぇ、言の葉を。ま、ま、要はこういうことだよねぇ?」


 振り返りもせず、ノービアの藍色で染めし全身が、今の攻防で発生した霧状の飛沫の中へと溶け込むようにして消えていく。瞬間、今度はアザトラがその抜刀した得物を自身の左方向へと翳すように構えると、そこに高速で連弾される「水滴」、にたたらを踏ませられてしまうものの、素早く一歩飛び退いてその「弾撃」を何とかいなす。やはり把握している、やはり把握が早い。


「『光』。行き着く先はそれだよねぇ。分かってる分かってるって。増設された『二つの孔』はそれ用に調整もされてるもんだから、すなわち、サシでのこの状況に落とし込まれたってぇんなら、貴方に勝ち目はもう無し」


 掴みどころが無いのはその内面もか、と思いつつも、アザトラはまだ彼我の心的距離を測ろうと物理的な距離もやや大仰に空けていく。すなわち、砦天面の端の端までにじり下がる。霧状の物に覆われしところから、徐々に開けていく視界。その靄より現れた藍色の無防備なる肢体は、敢えてこちらに晒しているのであろうか。あるいはそれも「虚」であるのか。


 どちらであろうと今と先ほどの「二撃」、それで遅ればせながら把握は出来た。こちらの斬撃が相手の表面までに到達するとは、今は到底思えぬ。そのような状況の中で「勝ち目」、それがあるとしたのなら、相手が「色氣の視界」というものを単に「光の屈折」として捉えているということ、それゆえに「視界」は切らずそのままで移行するであろうということ。


 ……薄い拠りどころだ。とは言えそれに因らざる他は無い。


「貴方はあれだぁ、『色氣を吸い込む』ってなことが出来るって聞いたけど。だったら迂闊な術式放ったら駄目なのかしらねぇ? そう言や、エカベっちゃんの『Ⅷ式』だったかも消し去ったとか何とか。ふんふん、こっちの最大術式かましても、それ吸われ切って直後の硬直を狙われでもしたらわやってぇことよねぇん、うふふ、とは言えこっちにもそろそろ動かなくちゃぁならない事情ってのもあるわけでぇ? あんまり時間は取ってられないのよねこれがぁ」


 自らの考えを自らの舌の上で転がし弄ぶかのような喋り。語尾が不必要と思えるほどに長く、ねばつくようになった、と思った瞬間には、細かい水滴のような「藍色の弾丸」が四方八方より己の頭部目掛けて殺到しているのを感知し、反射的に身を屈めるものの、


「……ッ!!」


 それは必然なる行動であったがゆえに、読まれている挙動でもあったわけであり。思考まで先回りしていたまであるほどの瞬の刹那、拳大の「水の塊」が股ぐらをはするようにして突っ込んで来るや、下方へと回避の軌道を描いていた顎を的確にかち上げてくる。「水」とは言え、先ほどの「盾」といい、色氣の力を伝わらせての「硬質化」くらいは当然のようにやってくるわけで、さらには粘りもあるその物体は多分に衝撃の圧を加算しながら、アザトラの頭部を跳ね飛ばしつつさらにその身体ごとをも弧を描かせるように湾曲させたのち上空へと軽く吹っ飛ばしていく。貫く衝撃。強制的に曇りがかった天を仰がされるものの、それ以上の仰天事項に脳の大部分は思考を割かれていく。


 吸い込む、ことが出来ない。相手の色氣が。何故か、「水」だからか。「迂闊な術式」云々とのたまっていたが、迂闊はこちらだった。


 揺らされし頭蓋を駆け巡る思考は、受け身を取る身体とは切り離されて疾駆していく。自らの「弁」は開いている。それは常に。己の望む望まぬに関わらず、それこそ色氣の類いであらば分け隔てなく「いぎたなく」吸い取り溜め込んでいく。はずだが。


 中空に浮かび留められた次の瞬間、落下へと転じていく中で、アザトラは自らの身体の異変に気付く。否、それは「異変」と呼ぶにはあまりに自然であり、それゆえに軽視していたのやも知れぬ。いやそれ以上の無視を無意識下で勝手にしていた、のか。


 しっとりと水を含んだ装束。無論屋外での突然の天候の変化に応対できるよう、乾きやすき素材にて織られたる黒衣であるが、それが今、じとりと水を吸って己の肌に不自然なほどに密着しているかのように感じる。さらには外皮一枚を覆う極薄の「膜」のような、「殻」のような質感を醸し出すような不愉快な感覚をも与えて来ているのであった。


 体勢を整え、石畳に何とか両足を突くと共に衝撃を殺しつつ二度ほど横に転がり、再び砦の天蓋へと立つ。目の先にはゆらりと力を込めずに無防備に立ち尽くすばかりのノービアの姿。その琥珀色の瞳は、はっきり自身の優位を確信しているかの如きに、くるり妖しく光を帯びているように見える。顎への「打撃」は咄嗟にのけぞり自ら跳躍も加えたことで大したことは無いと思っていたが、何故だろうか、じんわりとした痛みがいつまでも引かずにそこに滞留しているように感じられる。


 先ほどその至近まで肉迫出来たのは、強大なる術式……「Ⅷ式」射出後のほんのわずかな硬直を突けただけなのかも知れぬ。それ以外に彼の方に隙らしきものは無い。そして例え「色氣の視界」を欺けたとしても、この御仁には「水」を意のままに自身の「手足」のみならず「感覚器」のようにも扱っている向きがある。つまりは水の動きにて周囲の動向を把握している。色氣の動きにて我々が察知していることを、より頑強に、あるいは別の次元から視ているといった感じなのだろうか。さらにはそれだけでなく、相手の動作や挙動をその「粘性」によって阻害するといったこともやってのけている。色氣を吸い込むことが出来ない、それは「水」が物理的にその侵入口である「弁」を塞いでいるからか? さらにはこの肌にへばりつくようにして居残る熱さを伴った「痛み」……何らかの「毒」? あるいは「酸」? どのみち有害有毒なるものなのであろう。呼吸にも気をつける必要がある。いや、


「あははぁん、その顔その顔いいよねぇ、ずるずると絶望に向かってるんだけれどそれに抗って緊迫を保とうとするってそんな感じはぁ……でももう遅いってぇ。この私の懐に入り込んできた時点で終わってたりすんだなぁこれが」


 ふわぁとあくびまでかまされるものの、言っていることは紛うことの無い真実であり。この「場」にただ居るだけ、それだけでまさに少しづつずり落ちるようにしてどうともならぬ「場」まで落とし込まれて行かされているようで。


 留まるのは、そして思考を深めることも留めることも最早悪手。「色氣視界」云々など悠長なることはとても言っていられなくなった。


 徐々に荒くなっていく己の呼気吸気にひりつく刺激を感じながら、アザトラは指先に至るまで違和感を発するようになってきた己の全身に残留せし色氣をいま一度確認する。相対しているノービアから放たれたものはそのほとんどを「水」に遮られて取り込めてはいなかったものの、この戦場の只中に至るまでに無勢どもの「視界」を欺きその至近を駆けながら余剰に外界に垂れ流されていた色氣を掠め取っては来ていた。雑多で質の悪い色氣の混合物であるが、贅沢は言っていられない。


――色氣力の欠片も無いらしいな貴様は?


 今となっては遥か昔の事と覚えるようになりしが、司督……リアルダ殿に初対面の時にぶつけられし言葉を思い出している。喪った。「欠片」と言わず微小なる「粒子」をも、俺の身体はもう生み出すことは出来ぬ。外部からの取り込み、あるいは「補給」……他者に依らなければ、色氣の業は使えぬのだ。


 であるから。


「……降伏ぅ? 今更生きて帰すなんてことは無いけどぉ? 『御柱』の供物程度にはなってくれるかも、かしら、ねぇ?」


 目の前の藍色の女は、既に俺に対して獲物としての興味は失っている。現に手にした刀を力なく足元に投げ出しても、そのような反応だ。「御柱」……幾度か口走ったその言葉、それこそが最大なる「隙」と、そう思おう。呼吸の流れを変えていく。


「……」


 んなぁんか解せないのよねぇ。唯一の拠り所って思える刀をほっぽり出して、力無くしゃがみ込んじゃった。なになに? 一応告げといてあげたけど、命乞いとかは無駄だからぁ。それにしてもセファ様がいちばん警戒してたこのアザトラっくんがここまで予想未満だったってことはぁ、何だろう。見立て違い? それともこの私がそこまでの「境地」に至っちゃったってことぉ? あらあら。


――求めてた時は得られずに、諦めたそばから過剰に与えられてくるってゆう、ま、ま、人生ってのはそのくらいのままならなさなのかもねぇ。現にこれまでだって想定通りに行ったことなんてほぼほぼ無かったじゃあないのって。


 少し思い出してしまったわよ、だわ。そこそこの才気でイキりたって上まで駆け上ろうとしていた若い日の……浅い自分。結局は才気一本。それ以上はいくら努力をしようが頭を使おうがどうともならない、埋められない溝が「本物」との間には横たわる。サインバルタ、リオナ、ビラノア、エカベト、皆、若き本物の才気たちはあっさりと私を追い抜き去っていった。後に残ったのは、平凡よりはまあましな使いどころの難しい中途半端な色氣使い。ゆえに私は皮を被った。出世などまっぴら御免の体でのんべんだらりと組織にぶらさがるだけのいけすかない鼻つまみ者の仮面を。


 そうして改めて見る世界は虚ろだった。それこそ霞がかかって正体が真っ直ぐには見えないといった。そのうちに激化していった宇端田との戦局。その最前線では無かろうどこかの辺境で、何の栄誉も無く死ぬか朽ちて終わるのだと思っていた。それでもういいと思うようにもなっていた。


 セファドール様に、見いだされなければ。


――キミは自身の溢れる才気を持て余している。内部の滞留、対流? が過剰なんだよ……「孔」をもうひとつふたつ開ければ、劇的に変わる。来るといい。キミのような人を待っていた。


 鼓膜だけでなく、全身の皮膚をも甘く震わせるような声だった。とうに盛りの過ぎた自分に掛けられる言葉など、最早ないものだと思っていた。揺さぶられた。そして、


 最初からこの境地に落ち着くためのように、「到達点」を与えてくれたのもあの方だ。元より目指していた地点、そこに極めて自然に、今までを否定せずに、虚を実へと変えてくれた。


 そこまで達して、もう立身も何も無いことに気が付いた。私は、ただセファ様の思うがままの「世界」を築き上げるためだけに。


 存在する。呼吸をする。色氣を練る。


 目の前の黒衣の男は、戦意を失っている。些末。しかし一律に「水」にて裁く。捌き切る。


 揺蕩っていた表情が不意に引き締まる。琥珀の瞳に鋭さを湛えしノービアも、その呼吸の質を性急に変化させ、とどめと思しき術式を為す文言を、口の中で転がすように仕立て上げていく。

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