Vedete-15:鮮烈にて(あるいは、伏せられしセグレェト/第三第四第五第六)

 諸々あったアザトラとリアルダの再びの邂逅よりさらにひと月あまり。各地で拮抗あるいは膠着せし戦局はようよう動き始めようとしていた。真衣座側の盛り返し……なのか、まるでアザトラが施せし「術」によりて此の方が情勢を引っ繰り返したのとほぼ同様のことが、相手方からして、戦地のあちらこちらで憚るように静かに、あるいはそうと認識させぬままに苛烈に一気に、巻き起こさせていたのである。


 尋常ならざる「雷雨」の召喚にて、砦を囲みし数千にのぼる敵方の兵たちを小半刻余りにて全て屠ったなど。河を挟んでの両軍睨み合いの最中、ふわり中洲に降り立ったひとりの少女から放たれた閃光にて河岸が埋まるほどの死体のつづれ織りが瞬で出来たなど。


 にわかには信じ難き光景も、怖ろしきは慣れというものであろうか、そのうちに常態となり、敵味方共に受け入れるようになっていた、まであるのであった。そしてその異常なる戦乱の只中において、またひときわ大きな徒花が咲き綻ぶ。


――


 真衣座と宇端田、両国の現時点での戦線の境、その南東に位置する要衝、鋼都城コートリル。石造りの巨大な蜘蛛が、盆地の底に巨脚を投げ出し広げ、這うようにべたりと伏したるかに見える異形なる佇まい。ひと目、頑強なる砦である。そもそもが三方を峻険なる山々に囲まれたる守りに適した地形。さらには周囲それら稜線に沿ってはずらり櫓が並び、色氣使い達が昼夜問わず詰め入り、監視あるいは威嚇あるいは狙撃を怠らぬ状況。ニャゴの子一匹這い入る隙も隙間も皆無というのが大げさなる表現では無く、宇端田国の精鋭たちも、攻めあぐね以上の手の付けられなさを肌で感じているのであった。とは言え守り方も退路らしき退路は既に断たれており、唯一外界と通ずる砦正面には、色氣力のあらかたを弾く効力が見いだされた「祓狂土バラクルード」なる色気の欠片も無い黒く鈍く光る一抱えくらいの大きさの岩石塊が、屈強なる男衆たちの正に命懸けの運搬によってずらと並べられており、さらにはうんざりするほどの鉄と肉の壁という厚く堅い陣を敷かれていてはその突破というのもなまなかには行かず、すわ兵糧攻めかと危惧されるほど事態の動きはほぼ無いままに十日がとこ互いに無為なるがままに過ぎ行きている。


「ノービア様。そろそろ、との命でございますれば」


 砦最上階層。とは言えその蜘蛛が如き巨躯は地中に半ば埋没しているという造りのため、地上二階ほどの高さに位置する。本処の全権を委ねられし将がひとりにあてがわれし広間には深い藍色の布が掛けられし巨大な寝台があるばかりであった。その上に仰臥したるは、一糸纏わぬ褐色のすべらかな肌に何がしかの「回路」の如き整然とした白き「紋様」が走るひとりの妙齢なる女性の気だるげな肢体。んあ、との臣下の者の声掛けに寝惚け声にて一応の反応はしたものの、その物憂げな瞳から放たれる視線は、ただぼんやりと中空をさまよっているかのように見える。


「セファ様の、指令ってことだよねぇ? いつも思うんだけど、いつの間に」


 恭しく差し出されし桃色の紙片のようなものに一瞬焦点を向けると、ふわぁと生あくびをかましてから半身を起こし、別の者が掲げたこれまた深い藍色のローブに両腕を緩慢な仕草にて何とか通す。


〈愛するノービアへ。螺月十二日日没より、作戦を開始されたし。セファドール〉


 素っ気ない文言ではあるものの、「愛する」のひと言より紡ぎ始められていることを確認しふんふんとそのすらり通った鼻から何度か空気を出し入れすると、ノービアと呼ばれし女性はこれまた深い藍色のショートヘアに長い手指を突っ込んでがしがしと搔きむしりながらもにんまりとした笑みを浮かべる。


「ずっとこんなぐだぐだした生活も良かったんだけどぉ? たまにはお外で発散ってのもありっちゃあアリなのかもねぇ? うんうん、その辺の頃合い? 間合い? ってのもセファ様は分かってくれてらっしゃるわぁん、流石さすが」


 ねっとりと、そこにあるものに粘度のある液体が如くに付着するかのような艶のある声。寝台から軽やかに藍色のカーペットに降り立った身体は、まるで重力を感じさせない歩様と体裁きにて、慌てて付き添う御付きらを一歩ごとに突き放すようにして広間を出て石造りの回廊に踏み出していくと、せっかく着せ付けられたローブを後方へと流すようにふわり脱ぎ捨てつつ、何事かをその艶めく真珠色の唇をゆがめつつ紡いだかと思うや否や、その頭上に唐突に現れた「藍色の液体」がたっぷりと湛えられた「球体」が次の瞬間自ら振動を始めると、大小多数の水滴の群れが叩きつけるようにその詠唱主の頭頂から艶やかな全身を洗い流していく。


 空気中の水分を瞬時に多量に取り出すという、尋常ならざる業である。色氣の業、その流法は「水」。所かまわず飛沫を巻き散らかすことに臣下共は呆れと困惑を覚えてはいるものの、これがあったからこそ十数日余りを飲み水の枯渇に怯えることなく踏みとどまれたのはやはり大きく、今もその清浄なる残滓のおこぼれにあずかろうと従者たちは遅れずに付き従っていく。


「やっちゃって、いいんだよねぇ? 一発、『御柱おんばしら』を打ち上げちゃっていいと。ま、ま、それをさせじと向こうさんは一気に詰めてはくるだろうけどねぇ。それも込みで巻き上げちゃいますかねぇ、天上に」


 間延びした声は、誰に言うとも無く支度部屋と定められた一室の壁に吸い込まれる。その間にも必死の形相で手に掲げし「杖」より、主の身体と髪を乾かすためにほどよき「温風」の現出をしている従者たちを一顧だにすることはなく、あれでいく、と衣装棚にみっしりと掛けられし濃淡は違うが全てが「藍色」のひとつを指さし、艶やかで引き締まった褐色の裸身を委ねるかのようにふわりと開く。弛緩したかのような振る舞いだが、既にその琥珀色の瞳は物憂げながらも鋭き光を放ち小刻みに蠕動のような動きを始めている。薄い白桃色の唇は何かを確かめるかのように数回開け閉めされ、最後に不必要くらいに両端を吊り上げると蠱惑的な、あるいは獲物を前にした肉食の鳥類が如くの顔貌をほの見せるのであった。


 ノービ=ア・瑪祭狴メサペイン。ここわずか数か月という短き間にいち色氣使いから「将」の座まで跳ね上がりし者たちの中でも、ひと際その才気は鋭いと評されている。色氣の流れを司る「孔」を「増設する」という尋常ならざる業をその身に受けしも、それをいち早く己の物とし、その峻烈なる氣の流れを殊更自然体で取り扱う中で、最大術式とされる「Ⅸ式きゅうしき」をも軽々と使いこなすようになっていった。同じく「水」を主体としていた、かの豪将サインバ¬=ルタ亡き後の抜擢は必然という以上に必至であり、本人に臣下を束ねようとする気がさらさらないことを除けば、かなる要衝の護りなどは最適と言えた。そもそも必要無ければ、あるいは必要があったとしても外には出たがらない性である。


 ……まあ私はセファ様のお考えのままに、なんだけどねぇ。


 ただ己が主と信じる者のために。ノービアは藍色のてかりを帯びたそのしなやかな身体に沿うかのように誂えられた装束の着心地を確かめるかのようにわざとらしい伸びや捻りを含ませた挙動にて歩み続ける。そしてそのまま螺旋階段をすすと上ると、構えていた番の者二人が押し開けし扉をくぐりて「砦」の屋上へ。屋上と言いつつ、周囲を山地が巡るがゆえ、すり鉢の底に在るかのようである。気だるげに辺りを見渡すノービア。その無防備とも思える身一つで現れし姿に、緊迫なるがままに周囲に詰めていた彼我問わずの一同は一様に息を呑む。が、なぜ、との自問よりも先に、南方向にて臨戦態勢を崩さぬまま出張っていた宇端田側の多勢が一斉に色氣の「矢」や「礫」の如きものを飛ばし始めてくるものの。


「……」


 髪をかき上げるような動作。いや、実際に額に垂れていた藍色の前髪を手指にて後方へと流すは流しているようにしか見えなかったが。瞬間、石造りの屋上面より巨大なる水柱が迸り出て天を衝く。


 山懐から突如勃発せし鉄砲水という理解も経験も及ばないその事象に慄いたのは一瞬で、色氣の「驚天動地さ」とでも言うべきものはこの戦場にいる者であれば最早必定でもあり、その威力、規模がさほどでも無かったことに対して安堵すら覚え、攻め方は将らの指揮とほぼ同時に砦の南側へと殺到していくのであったが。


 が、


「……水滴っていうのは、撒き散らしてからが使いよう、ってねぇ」


 その挙動を見下ろしつつ、ノービアの呼吸が、吸いは遅く、吐くは速く、といった変則的なものに変わっていく。と共にその首筋にまで刻まれし白き紋様がうっすらと藍色の「光」を帯びていくのであった。今までとは違うその態様に、気づいた者、気づかぬ者、それらの明暗を分け隔てせぬままに、


「……『海青かいせいⅧ式はっしき流江洲瀞爾選ル:エストロジエル』」


 藍色に煌めく「光」が。光の粒子が見渡す場の限りを埋め尽くすほどに、天と地の間すべてを塗りつぶすが如くに乱反射していく。そのサマを網膜に焼き付ける瞬も与えずに、砦周囲百メトラァに存在していた者に等しく、その全身、鎧かぶとに包まれし内部にも、針の穴にも満たない微細なる「孔」を隙間なく穿っていくのであった。見た目には外傷ひとつ無い、しかしてその全体がぐずぐずにされた骸が泥のようにあちこちで波紋のように広がっていく。その生と死の境界に皮一枚で接していた者どもは全身の力を抜かれたかのようにその場に腰を突き、ただただ顔色を失いその惨状を見やるばかりの、静寂。一瞬にて決着がついた、とそう彼我共に認識せざるを得ないかの、その、


 刹那、だった……


「……ッ!!」


 衝撃の中心地でゆらり佇んでいたノービアの整いし褐色の顔が少し歪む。その首元わずかまでに迫っていたのは、白銀に光を集めし刃。使い手の渾身の力が込められていると思しきその撃も、その細き首のわずか手前辺りで何かに食い込んだかのように中空に留められている。


「……やはり、虚を突いても無駄、でござるか」


 自嘲のように、自らに言い確かめるように呟きしは、


「……ここまで詰められるなんて、予想外、心外、なんだけどぉ?」


 刀を引き、構えの姿勢も無くただそこに立つ黒衣のアザトラ。それでもその隙の無き様子にノービアの琥珀色の瞳がくるりと回り、こちらもふわりと自然なる所作にて対峙する。

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