Vedete-12:再開にて(あるいは、流々と過ぎ行くは/潜津ァフィーネアビッソ)

 謝佳鄙ジャカビ三十年の年明け。宇端田ウパシタ国のリクシァナ家と、真衣座マイザー国のヤクラックス家の揉め事に端を発したる争乱から一年余りが経過したことになる。


 発端から一進一退の攻防は、相手方からしては摩訶不思議なるほどの宇端田側の急激な戦力増加が著しく、新たな将となりしリ=アルダ・志群諄シムレクトを中心として、通常では無謀とも思えるほどの大幅な戦線拡大はがちり奏功し、真衣座側の侵攻は所々で破断され、さらにはこれを機と見た宇端田が太守……プロイメ=ンド・壇鳥熟ダントリウムによる果敢に転じた大反攻策により、真衣座の国土の半分ほどを宇端田が占拠するという、真逆とも思われる状況と相成っていたんだねぇ。触発はどこの端境で起きてもおかしくはない状況下であったものの、季節は巡りて冬真っ盛り。山岳地帯がぐるりを囲む真衣座の南方部では天からも地からも差し込んでくるほどの寒さはそれは厳しく、勢い攻め方も進軍の足が鈍る時期。そんなこんなで戦況は一拍ほどの静謐さを迎えていたわけだぁね。


 さて、宇端田の西南部、切り立った大崖壁……通称「ベハイドの大顎」に三方を囲まれた山懐に、鄙びた集落が在った。名を「美任楓呂ビジンプロ」。小雪舞い散る冬の折、鬱蒼とした針葉樹にそのほぼほぼを埋もれさせ、その邑は外界を拒絶するかのように、縮こまるが如くにその存在を隠す。そこに住まう者たちにとっては厄介不便であることはこの上ないんだけれど、幸い、清浄で豊潤なる湧き水と、薬効あらたかなる硫黄泉がこんこんと湧き出でたることもあり、傷を癒したり、色氣力の回復に努めたり、あるいはワケありの、と訪れる「客」は平時より多かったと。


 それでもって今まさに、そこに身を潜めるように寄せていたのは、かの亜聡南アザトイナの一家なのだったと。「開眼孔アストーマ」と呼ばれるようになりし、あの、例のあのアレの功績により、最下層のしがないお仕着せ「士分」であったところのアザトラは、今や大抜擢を受けて「帥騎すいき」という、百人がとこのひと部隊を束ねる立場へと一挙にハネたんだねぇ。男でこの身分につくってのは極めて稀有であって、その一事からもその能力が戦局に与えた影響の大きさというものが推し量れるってもんだ。さらには今や将の中でも一、二を競う出世頭であるところの「司督」リアルダの覚えもめでたしとあって、国中では知らぬ者がおらぬというほどの存在。しかしてそれゆえに如何ともしがたき諸々もあるようで、一時の平穏を求めて此の地を訪れたと見る向きが多い。ま、その辺りはあんたの方が詳しいんじゃないかい? うんうんってまあ聞き上手なこって。まあいいや。


 新たなる、戦いの前の静けさってね。そもそもこんだけ大層に立ち回った挙句にアザトラが目指しうるものは何なのか、それとも時代が奴を表舞台へと押し上げたのか、混沌の渦中に「今」はあった。歴史の転換点というのは、得てしてそのようなものなのかも知れないけどねぇ。


 おっと長いかね前口上? その笑顔にどうともやられちまいそうだけどねぇ。はっ、んんなら夜伽草子の第Ⅱ幕、とくと御覧じろぃ――


――


「控えよッ!! この御方をどなたと心得るッ!! 畏れ多くも先の……」

「待て待て、良い良い。お忍びと、言うてたではないか」


 しんと降り積もる雪を震わし落とすように、少女のものと思しき鈴の音の如き張り上げられし高い声と、それを鷹揚に諫める低めの女性らしき声が重なる。


 かなりの間取りをさらに悠然と贅沢に取った、木造りの大屋敷である。元は地主の邸宅であったのを改装したのだと言う。その、ゆったりとした造りの上がり框に腕組みをして立つるは、前に合わせのある黄緑色をした衣を纏いし黒髪の女性。ここの者であろう、背中に届くくらいまである緑なす真っすぐな髪を大雑把にうなじの右辺りで結わえ、その垂らした房をしなやかな細身の中で存在を主張する雄大なる双丘の狭間に垂らしている。


「兄者に御用であれば……今しばらくお待ちなされよ。此処へは湯治で逗留しているがゆえ、いかな司督殿の来訪と言えど、優先すべきいわれは無いと思いまする」


 その毅然と見下ろしてくる強い眼光と髪の色、そしてその落ち着いていながらもどこか情動的な物言いに、嗚呼、とため息のような声を上げるは、それに相対する長身の女性である。藍色の髪は頭頂部辺りに高々と結い上げられ、金の装飾が施されし環でまとめられている。しなやかな長躯には深緑の袷を大仰に銀鼠の帯にて巻き締め、肩には臙脂色の軍服を引っ掛けた、さなる異様なる威容ではあったものの、目には何故か涼やかに映る……


 リクシァナ家、筆頭司督であるところの、あのリアルダであった。


 褐色の艶のある顔に浮かぶは、今や余裕を醸した風格であり、それでいて隙は一分も無き眼光を有している。眼光、とは言ったものの、その左目の辺りには黒い布が幾重にも巻き付けられており、その下を窺うことは出来ない。鳶色の右目だけが、今は目の前で見降ろしてくる黒い瞳と向き合っていた。不敬ぞッ、と気色ばむ傍らの御付の少女の黒衣に包まれし細い肩をぽんぽんと軽く叩きながら、では待たせてもらおう、ここでも構わぬ、とあくまで何も気にせぬといった態度で上がり框にどっかと腰を降ろすものの、


 わああぁ馬鹿バカ馬鹿ジセレカッ!! とのこれまた幼き少女の如き慌てふためいた声が屋敷の奥の方から転がるように響いてくる。それに続いて廊下の角より滑りながら転がり出て来たのは、これまた黒髪を顔の左右に結った、あどけなき顔の娘である。桃色の着物がその細身の出ているところがまだ出ていない身体を包んでおり良く似合って見える。そしてそのままその桃色少女は腰掛けたリアルダの向けられた背に相対するやいなや、凄まじき勢いでその場に畏まり、伏して額を擦り付けるのであった。


「リアルダ様の御着到を知りながら膳の用意をしていたものでッ!! こここ、こちらの者が失礼を致しましたッ!!」


 申し訳なさを十二分に滲ませながらもはきはきとしたる声で詫びの言葉を述べながら、腕組みしたまま突っ立つ傍らの黄緑着物の女性の裾を引っ張るものの、ジセレカと呼ばわれし黒髪の女性は冷めた目つきのまま微動だにしない。


「はっは、構わぬ。こちらこそ急に訪れて手土産も無くすまぬな……これコタロー、控えよ」


 それを肩越しに振り返ったリアルダは、傍らの御付少女がその童顔に堪えきれぬほどの怒りを顕わにして震えているのをやれやれと見やりながら、その薄き懐から今にも抜き出さんとしていた「杖」をやんわりとその手で押し留めさせる。


 は、早くお通ししてっ、と悲鳴のような声にて双結髪の桃色少女は、続けて慌ててこけつまろびつ出て来た坊主頭の小童どもにあれやこれやと指示を飛ばしつつ、自らは奥の方へと摺り足ながら見事な旋回を決めると姿を消す。そして、


「……」


 慌ただしきあれこれののち、客間に通されたリアルダと御付のコタローは、開け放たれた窓より音も無く舞い落ちる細雪の挙動を見つつ、山あいにしては豪奢な膳を前に暫し寛ぐのであった。傍らに置かれた火鉢で炭の爆ぜる音だけが唯一響く中、すらりと襖が開け放たれると、


「……先ほどは大変な無礼をば致しましたぁぁッ!! こ、この者にもよく言い聞かせておきますゆえ、何卒、平に、平にお許しをぉぉ……」


 またも桃色少女の伏し丸まった姿勢から為される謝罪の言葉が、それに被さっていくのであった。その傍らに座らされし黄緑着物のジセレカは面白くもないといった風情を隠そうともせず背筋を伸ばしたままただただぼんやりと窓の外に視界を振っていたりするのであるが。その不躾なる様子に傾けた椀の向こうから射殺さんばかりの視線を送ってくる御付の少女であったりするものの、当の主が全く意に介さず構えている手前、表面上は平坦な空気がこの良き造作の間には流れているのであった。


「良い良い。無礼はそこもとの事情も慮ることなく強引に訪れてしまったこちらにあるゆえ、御顔をお上げくだされ。それよりも、そなたらはアザトラ殿のお身内とお見受けしたが、いかがかな」


 胡坐がサマになる体躯を柱に凭れかけさせ泰然と場を見回しながら、リアルダは艶やかな褐色の顔に人好きのする笑みを浮かべつつ問う。


 ははぁ我ら不肖の妹どもでございますればぁこれなるがジセレカ私めがミルセラと申しまする以後御見知りおきをぅ……という少女のまくし立てに苦笑を交えながら、


「似ておるの、何と言うか、感じといったらよいか……どちらも。懐かしき感じがする」


 穏やかなる笑みを浮かべるリアルダ。一年少しの間に様々な事があったのであろう、物腰、風格、果ては言葉遣いまで、外面にはだいぶ異なる印象を与えてくる。しかしてその言葉に何か艶めいたものを敏感に探り取ったか、今まで仏頂面で沈黙を貫いていたジセレカが、ふいに刃物を抜き放つかの如き言葉を放つ。


「してリアルダ殿は此度は何用で? その首元に刻まれし『印』……であれば既に兄者による『施術』は為されているはず。ならばもしやそこの棒きれのような小娘に? おそらくは無理、あるいは無駄、もしくは無謀かと見受けられまするが」


 野郎ッ、と物凄い形相で抜き身の杖をひっさげ飛び掛からんとしていたコタローを中空で捕えて押し戻していたリアルダの、思わず手をやってしまったその美麗な曲線を描く首の右側辺りには、星型の如き深紅の痣のようなものがある。これこそが「記棲磨印キ=スマァク」と呼ばれるようになりし、色氣の力を「開眼孔アストーマ」により解放させられたる者の証なのであったが。


「ああ。ええと……真衣座側に不穏なる動きがあってな。アザトラ殿と似たような、ええ……『施術』、そう施術を為す者が現れたというもっぱらの噂じゃ。その真意を確かめたいと識者であるところの此の方へ参ったと、かいつまんで言うとそのような事となる」


 歯切れ悪く右目まで泳がせているリアルダを冷たき細目で見やりながら、はぁ左様でと興味無さそうにのたまったジセレカの姿勢よくわざとらしく伸ばされた白き首元にも赤々と輝く星を認め、さらにはその横で思わずといった感じで自らの首の根辺りを掌で隠す素振りを見せたミルセラに、ええェ本物モノホンかよェ……と一瞬言葉を失うリアルダであったが。


「御邪推めされるな。我々姉妹は兄者がまだ年若き頃、色氣力の全てを失い絶望の淵に佇んでいた折に、何とか、何とか生きる術をと、先へと繋がる何かを探求せんがためにと、献体しただけの事にございますれば、疚しき事など塵ひとつもござりませぬ。我々は、血よりも濃き絆にて結ばれている、ただそれだけの事にございますれば」


 毅然と、しかして何故か上を取ろうとしてくるような不気味な笑みを何とか受け流し、こちらも固まった微笑のままにへぇーへぇーと軽く首肯するに留める。が、その後に続けられし、まあこちらのミルセラはよくは分からぬが開孔後も幾度となく自ら検体志願しておるようですが、との言葉と、それに対する、ち違うもんっお兄ちゃんが未成熟な身体こそ更なる可能性を秘めているって言うから色々な器具を試してみたりしてるだけだもんっ、とのミルセラの赤面しつつ慌てて放たれた言葉に、気を落ち着けようとあおっていた茶を思い切り飛沫として宙に噴き出させるに至る。その正面で素知らぬ顔に戻りて膳に向かっていたコタローも同じく丁寧に咀嚼していた米飯を粥状にして中空へ放出するのであって。


「……せっかくだから薬湯の効能を試させていただこうかの」


 澱む混沌と化したその場を取り繕うかのような空虚なる言葉を残すと、身支度も早々にリアルダは小坊主の先導のもと、露天もあるとの浴場へ向けて名状しがたき表情を浮かばせたまま、案内されていくのであった。

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