Vedete-11:終局にて(あるいは、空海陸/天轟は業なりしもスブリマツィオーネ)

――身体が、動かない、けど心地よい。


 まるで外界と一体化したかのような感触だ……身体周りを吹き抜けてくる風や、頬が感じている土のざらつき、温かさ。個体であるはずの自分が、何かの集合体の一部となったような。固体であるはずの自分の境界が溶け、液体や気体になったかのような、そのような感覚。いや、元々は何かの一部なのかも知れない。体内を流れる血液や、肺を巡る呼吸も含めての自分なのであれば、そういった線引きはあまり意味を為さないものなのかも知れない。


 あらら。何か意識も思考もそんな集合されたものに呑み込まれていってるかのような有様だけれど、いやまあ、最期は自分として始末はつけたいよねぇ。


「司督ッ、只今救護班を呼び寄せましたゆえッ!! 御安心なさいませ、残敵は全て情けなくも皆遁走、此方は全員逃げ仰せましたぞ? これにて我々の完全勝利なれば、ハハッ、ささ、李枇ァ梛リクシアナに戻りて御体をお休めののちは、今度は此方より討って出ましょうぞ。その際の先陣はこのリアルダめにまた御申しつけくださいませよ……痴れ者の業にて、我もまた『孔』の『開閉』と言うのですか、それを体得しつつあるゆえっ」


 抱き起こされた。リアルダの腕の中……温かい。そして私の身体の冷たさに慄いているのが、ああ、何となくだけど肌の動きとかから感じられちゃうんだよなぁ……いいのよ? そんなに武人張った外殻で自分を鎧わなくとも。いいじゃない、ハメ外しても。自分の感情の、あるがままに振る舞っても。


 いつだって私たちはがちがちに固められた檻の中で、ぐずぐずに沈む澱のように頽れていたのだから。


 幼き頃、べそをかきながら道場の隅で佇んでいたあの時を思い出す。ははうえは? ははうえはいつおむかえにこられるのです?


 「淑婦」という枠組みの中で、さらにはぴっちりした「型」みたいなのに寸分たがわず嵌まれた者が最上。いやんなるくらいに、自分の「核」みたいなものに何かを塗り付けて、包み込んで、撞き固めて。そうやって出来上がるのが、のっぺりとした仮初めの人格の、色気も何も無い、色氣を撃ち出す移動砲台。それが私たち。破壊と殺戮。そんなもののためだけに。


 殺した人間の分だけ、粉のような、粘液のようなものが、自分の「核」に纏わりついていった。そうしていつかは固まったまま立ち往生して死ぬのだと思っていた。枯れて尽きて。実際に齢を経るごとに色氣の力は衰えていっていた。どうしてもより力を込めなければならぬ。どうしても身体に感じる反動は強く根深くなっていく。それでも培った知識と技とで……効率的に殺戮できる術を磨いて、何とか一線に留まり、生命を削り、生命を刈り取り続けた。


 が、それももう終わるのだと。死の覚悟以上に、甘美な終焉というものに焦がれた。此度の戦にて、それが成ると思っていた。しんがりを務め、そして骸に塗れて死ぬるが我が最期と。


 ……まあ結局はそうなっちゃったんだけどね。たくさん殺し切った。でも、最後の最後で、色氣の、自由さが分かったから。本当の使い方へと、導かれた気がするから。


 冥道を、胸を張って行ける気がする。アザリア、貴女はそこにいるのかしら? 逢ってみたいような、気恥ずかしいような、だけれどね。


 瞼が乾いたのか、左だけが薄く割れ開いた。目の前に畏まっているのは黒い外套の……こんな私を、癒し慈しみ、心まで抱いてくれたひと。アザトラ、貴方が見ているものは何?


「……」


 最早施しようも無いのであろう、片膝を突き控えていた黒衣の青年は自分に向けて力無く伸ばされてきたベネフィクスの左掌を両手で捧げ持つようにするばかりであった。


「……すぐに御供に参りますゆえ、しばしのお別れでございますれば」


 貴様ァ……ッ、という湿った吐息が混ざったかのようなリアルダの声が、しなだれかけられた後頭部を通しても響いてくる。アザトラの襟元を掴むその右腕の挙動により、その胸元のベネフィクスの両の瞼は開き切る。


「貴様がこのような無茶を強いたのであろう……ッ!? 何とか、何とかしてみせよッ、いぎたなく溜め込んだ色氣がまだあるはずだ……っ」


 いいのよ、リアルダ、と、自分の出す声が空気を余分に孕むようになったことに気づき、ベネフィクスは腹と首に力を込める。


「……どのみち身体の限界は迎えていた。アザトラが『孔』の調整をしてくれていなければ、あの豪将も退けることは出来なかったであろう。そしてむしろ今が機。態勢を立て直しのちには、リアルダがのたまうように反撃の機会やも知れぬ。引き締めて参れ。このもはや用済みとなった者に手当てなどは不要、捨て置きて行くがよい」


 いやぁ、私も大概かぁ。でも感情が溢れそうになっちゃう時ってさぁ、武人の如き振る舞いが楽っちゃあ楽よねぇ。さて。


 ……色氣の力が全てでは無いということ、それが何となくだけど分かった気がする。本当は恐るるに足らないものだったりして。そして本当はもっと、意義のあることに使うべき力なのかも知れないって、


 自在性。そうすればもっと。


「さなることなど……ッ!! どうぞ……っ!! どうぞこれからもご命じくださいませっ!! 我らの行く先を、お示しくださいませっ……!!」


 真上から見下ろされているからか、さっきから熱い雫がぱたぱたと。乾いた皮膚に吸い込まれる、これもまた一体感かもね。私たちは、ずっと一体。そうリアルダ、貴女ならば大丈夫。委ねるわ、この後のことは、全部ね。最後、伝える。


「ならば命ずる。色氣力を用いて……今は構わぬ。この争乱を、乱世を、その力に依りて鎮めてみせよ……そしてそれよりのちは、万人が自分の能力を遺憾なく発揮できる、弱き者を助け、足りないところは補い合い、それぞれの未来をそれぞれが描くことの出来る世界を……色氣力が唯一絶対の尺度とならぬような……さなる多様性を有した世界を、築き上げよ……!!」


 主の、震えながらも凛とした響きを保った言葉には何とか耐えて「御意」の返答をしたリアルダであったものの、その後に続いた、あとベントナとメトアナに伝えといてよ、ずっと会えなかったけどこれからもいつもそばにいるからねって、お母さんはいつだってあなたたち二人を愛しているからって……との掠れる言葉には、もう堰き止めようが無いのであった。


――「世界」に、「万物」に還る。色氣の力と共に、私は還るだけのこと。


 なんて、達観し過ぎかぁ。でもま、なんて開放感。冥道なんて無いのかもねぇ。だったら本当に、


――ずっとそばにいられるのかも。


 ベネフィクスの意識はそこで閉じていく。いや、閉じながらも拡がりを持っていくというべきなのか、ともかく感知し得ない遥かな高みへと。瞬をともなって。


「……」


 自らの両腕と胸元にかかる重みにてその瞬間を感知したリアルダの、伏したる顔を掠めるようにして黒き布が掛けられる。外套を脱ぎ去りしアザトラが、腕の中で満足そうな笑みを浮かべつつ旅立った主の身体を自らに代わり抱きかかえようとするのを遮り、リアルダは未だ顔を伏せたまま、それでも確たる体裁きにて両腕にしかと抱きしめつつ立ち上がる。もう誰にも、触らせるわけにはいかない。


「急ぎ本拠に戻りて今後の対応を練る。司督の命を迅速に為すためにも」


 救護班の駆る馬駆狼ラジレスの蹄が土を穿ち蹴る音が響き近づいてくる中、御意と答えた黒い後ろ姿に、ほんのひとときだけ時間をくれとの言葉をかける。何かを察したか、懐から赤黒い血に塗れた場違いなほどの鮮やかなる黄色き手巾を差し出されるものの、不浄なるものを出すな痴れ者っ、と、それでも何となく心は軽くなった気がして、それでも。


 背中で良ければ御貸しいたしまする、くらいのことが言えぬのかッ、と怒気で固めた言葉を何とかぶつけて、再び振り向き差し出された、黒衣の引き締まった背中に顔面を突き入れるようにして押し付けながら。


――今ひとときだけ、立ち止まりしことをお許しくだされ。


 突き上げる衝動を、外界すべてに染み渡らせるようにして慟哭するリアルダ。静けさが降り落ちてきた戦場に、その呻くような叫びは、遥か高みまで響き通っていくようであった……


――


 ……おっと。語っちゃったねえ、語っちゃったよぅ。何だい、その優しげなツラはぁ。あ、さて。


 この日の戦を境に、戦況は大きく変わっていく。互いに将を失った両家両国の鍔迫り合いは一時は緩みはしたものの、色氣力の解放という新たな要因が、利権も絡んだ隣国をも巻き込んでの更なる争乱へと発展していくわけねぇ。そして、


 この後、互いの派遣先が国の南北に分かれしリアルダとアザトラが再び相まみゆるまでに、実に一年と半もの月日が流れていった。それも知ってる? へぇ。


 さて、混沌の中のひと時の平穏。そこから。


 再び夜砥ギの物語が、解き紡がれるってわけ――

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