Vedete-10:死活にて(あるいは、空なるは/燈火透過投下等価問うかシエロジラーレ)

 漂うは、土煙か。巻かれるは、瘴気なのか。


 流れるようなその動きは緩慢で、到底先を取られることなど無きと、歴戦の勘にて判断したのは正着と思われたが。その上で即応の返しを撃ち込んで詰み、と。常時であればそれは最善かつ最適の一手であったと思われたが。決して油断していたわけでは無かった。それでも、


「ぐ……ッ!!」


 刃物をちらつかせている上、「かすっても致命」という旨をも言外にて伝えたつもりでいた。威嚇、あるいは判断を鈍らせる盤外戦術。揺さぶり。十重二十重に敵に牽制を撒いたはずだった。その上で、


「……ッ!!」


 その短剣を構えた側、右手方向から、今までの静なる挙動が囮かのように、あるいは瞬に破裂させうる膂力を溜めていたのか、突如とした地を這う突進、否、ひと飛びとしか認識しえなかった、まるで地が縮んだかの如き「現象」により間合いを詰められる。相手の思考も挙動もそれら逐一が読めなくなっている自分に若干の憤りを感じつつも、エカベトはその白い軍服に包まれた小さき身体を風圧迫るその方へと向けつつ軸を捩じり込む。そのまま手にした刃の切っ先を殊更に相手へと向け閃かせるものの、


 右は囮。


 抉れたその掌の面からは、色氣力の放出が既にままならないことは身体で理解していた。滞留。常ならば外界へと向けて流れるように溢れるように流れ出でていた己が色氣が、今は粘度を増してただひたすらに凝り固まっているばかりを感じている。それでも無理やり放出しようものならば、自らの腕を内部から吹っ飛ばしてしまうであろう。「孔を塞がれた」……信じ難く、信じたくは無いが、そのようなことが起こった。であればそれこそ「右腕の一本はくれてやろう」という事だ。


 激痛の信号を絶え間なく送ってくる右腕全体が、最早使い物にはならない。いや使う。短剣を保持し、それをちらつかせる事しか出来ぬ。が、それで充分。


 あくまで決着は、色氣力一本でつける。つけてやるのだから。


 眼前に突き付けられた紫の刀身に視界の焦点が結んでいないのか、猛々しくもその身体運びに一切の無駄は無く迫ってきたベネフィクスの半身に構えた姿が、互いに触れることの出来る距離で止まる。短剣の先端はその憔悴が確かに見て取れる流麗な顔の左のこめかみを掠らんばかりに位置している。が、それを意識認識していないかのように、静かな視線は相対する白き髪の下の右目の奥に挿し込まれてきていた。こいつは後のことなど何ひとつ考えてはいない。この場でこの自分を屠ること、それだけを体表の毛穴ひとつひとつまで巡らせているかのようだ。色氣の多寡、残されし術式、それら云々の問題では最早無くなってきた。殺し合い……相手より瞬でも上回り、その生命活動を断ち切る。手段はもう問われず、それにより行き着く先の結果も最早……


 息遣いが重なる。


 先に動いたのは右手の短剣を鋭く薙いだエカベト。相手の顔面を払うように内側へと振るう。しかしてその剣撃は、当然の如く身を屈めたベネフィクスの舞い揺れた銀髪のひと掴みを宙へ散らすのみに終わった。が、


 それはお互いに戦闘開始の合図くらいの意味しか持ちえなかったようであり。あくまで右手の短剣に意識を向けさせようとする此方と、それを認識はしているものの、それだけに注意を配るでもなく、相手の全身の動きを見極めようと凪いだ視線を放ち続ける彼方。


 色氣力を取っ払ってしまえば、互いに戦闘の確たる術は持たぬ二人である。畢竟、己が身体や脳を支配するものが、原始の、と言うべきか、野生の、と言うべきか、そういった類の物へ置換されていくのであった。短剣と共に左方向に流れた身体が晒した右脇へと、軍服ごと掴んでやろうという気配のしなやかな左腕が勢いよく伸ばされてくるものの、


「……!!」


 鋭く引いた右肘で、それを身体の外側に打ち払いのける。その動作の流れのまま、再度短剣を相手の顔面向けて振り払うエカベト。その右腕を走る痛みは動かすことを躊躇させるほどであったものの、そこからくる切迫感をも加味してその存在感を増してやろうという肚である。


 相手に自分が「懐に入り込まれるのを嫌がっている」体が、毛ほどでも伝われば。


 しかして、剣撃を当てようとする気配だけは込めつつ。あわよくばそれが掠れば、という計算も無くはない。が、それはあくまで副次的なもの。


 ……貴様が見切りをつけた色氣の力にて、貴様を殺す。


 回転が上がってきた、矢継ぎ早に繰り出される突きや払いはしかし素人ながらの単純で動作前の力の溜めが多分に入り過ぎたものであり、集中力が体表全面を走っているかのようなベネフィクスは、ゆらり緩慢な動きに見えながらも紙一重で躱していく。こちらはこちらで、一拍の隙を窺っていた。今や「からっぽ」に感じる自分の身体。しかし何故かそれが清々しく感じる。開け放たれた窓から吹き込む清風。うぅん大袈裟に言うと世界と自分が直結してるような感覚?


 思わず綻ぶ自分の口許を認識しつつも、その場違いな表情が相手の恐怖を誘っているということも勘定に入れるかのように。


 ひときわ強く突いてきた一撃を首を傾け紙一重のところを通す。頸静脈に感じる刹那の冷気のようなものをも後方へと置き去って。


「がッ……!!」


 思い切り放り込んでいったのは、自らの前頭部なのであった。右手はさりげなく相手が溜めていた色氣力ごとその左手首をぎちりと掴み上げながら。分かっていた、刃物は目くらましに過ぎないということを。さんざか煽っておいたしね、来るだろう、色氣力で。でも。


「ッらぁぁああああああァァァッ!! 誰が今日からバの付く更年期だか言ってみろぉぉぉぁぁぁアッ!! ここかッ!? このスカスカな脳味噌にそれが朧な像を結んでいるとでも言うのかぁぁぁッ!!」


 何度も。何度も。自分の額も擦り剥け鋭い痛みが面で感じられてきても。残りの体力……いや生命力が続く限り、撃ち込み続けてやる。


 正体不明の振り切れたる咆哮と共に、白き髪で覆われていた顔に頭蓋骨による打擲というものを経験の無きことゆえ幾度となく喰らってしまうエカベトであったが、囮と悟られていた右手の短剣を、相手が完全に無視していることに気づく。何故、と自問する間も無く、


「……ッ!!」


 断続的に与えられる衝撃から身を護るための反射的な動きではあったが、それが却って力みの入っていない、瞬速の一撃となった。ベネフィクスの本体よりも今や躍動している左の球状物体の下部、無意識に寝かせていた紫の刃が、肋骨の隙間を滑るように、刺し貫くというよりは、するり差し込まれていくのを、まったく手ごたえは無かったものの感知はした。


 放てる。放てるぞ。


 感覚が、そう自身の神経を貫いたのであった。ぐずぐずになった右掌だが、発動点を「短剣」の切っ先に移動させれば流れる。放出が、なる。無論右腕はそれこそ持ってはいかれるだろうが。


 確かに通じる。囮と思っていたが、こちらから埒外の色氣をぶちかますことが可能だ。これはとんだ僥倖……とんだ失態だぞ? イカれ女め……


「司督ッ!!」


 今や周囲全部が書割のように覚束なくなっていく視界の隅で、遠くより向かってくる部下の叫ぶ声が聴こえた。自分の体内で硬い異物がずりと動くのも感じる。


 感じるが。


「バカがッ!! 貫いたッ!! このまま流し込み、内側からズタズタに裂いてやるわァッ!!」


 赤黒く腫れあがった小顔をさらに歪ませながら、エカベトが相手の懐深くに差し入れた短剣に力を込める。右腕全体を走る激痛と共に、自らの練られた色氣が巡り、保持した指の先端から、短剣の内部を通っていく。体内に入れば。……予想とは違ったが、想定内だ。ほくそ笑むエカベト。


 しかし、


「受け流すっていうのは、別に体表に限ったことじゃあないのよねぇ。つーつーだから、今の私。だから例え身体の中で発現されようと関係なくて」


 間近でその艶めく唇から一筋の赤い滴りを伝わらせながらも。きゅっと上げられた口角は自然な、普段通りのアンニュイ笑みが浮かんでいるように見えた。「策」は成った。まあ、言うて策かよ、って策だけれど。でもこうするしか無かった。


「両手が塞がるこの瞬間を待ってたの。そして隙を晒したのなら、確実にそこを突いてくれるとも思ってた」


 血の気を失い、白い透明さを増してきた顔。一瞬頭をよぎったのは、様々なものだった。様々な、いとしいものたち。それらに対し一瞬、今度は何も混じりけの無い純粋な笑みを向ける。そして、


「それじゃあ小娘ベイベー、冥道で逢おうぜ」


 それをにやりと音がしそうな笑みに変えたと思った瞬間には、傾けられた首が、半開きにされた唇が、驚愕の顔で固まるエカベトの顔に肉薄している。


「……ッ!!」


 そのまま、わななく口を血の滴る唇で押し開けられ、温かくぬめるものが挿し込まれてきた時点で、最早止めようも無くなった右手の短剣からの色氣力が、相手の身体を瞬で伝達し、その舌先から放たれるやいなや、自分の喉元を暴れ狂いながら貫いたのを知覚した。のが、エカベトのこの世界における最期の感覚であったわけであり。


「司督ッ!! 司督……ッ!!」


 護れたの、かしらね。そう思いたい。けれど。


 駆け寄って来る気配を背中で感じつつも、その方へただ引っ張られるかのように平衡感覚を既に失っていた身体は伸び切ったまま倒れ込んでいく。

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