Vedete-05:鮮烈にて(あるいは、神威坐に逆巻くフィアーマアックァ/コンヴェツィオォネ)

 絢爛糜爛たる夜の帳を潜り抜け見れば、茜さす空に吹きすぎゆくは清浄なる風の群れ。未明まではしつこくへばりつくように在った灰色の雲も今は霧散して、この自警隊本部の外壁に残る水滴は陽光を射し返しその不意の流れにより、流星が如く色めき煌めく。


 いよいよ迎えし決戦の朝というものを、神々という名の気まぐれな傍観者たちが、己が都合の良き感じに仕上げたと、そのように穿って見えるほどに、天球は朗々としており、遥か彼方の山々の稜線も、地平をくっきりと縁取るが如くにぴんと立って見えた。


 堅牢なる石造りの要塞を、やや遠巻きに包囲するは、五千は下らぬ輩玖珠ヤクラックスの軍勢。左様、敵方の将はここが剣が峰と察して昨日の膠着の折からすかさず援軍を送り込む判断を下すと、それら二千の兵たちは夜を徹して闇の隘路を駆け抜け馳せ参じてきたのであった。


 李枇ァ梛リクシアナ側にとっては更なる窮地。陽が昇ってなお、建屋の内は暗く沈黙が支配しているように外からは見受けられる。夜明けを合図として最期に総勢にて討って出てくるのではと考えていたヤクラの将たちは少し拍子抜けしたものの、そこは歴戦の兵ども、相手が相手だけにいささかも気を緩める素振りさえ見せずに、周囲全てを怠りなく包囲している。此度の戦の総大将たるサインバルタも、昨日の拙速に走った己の迂闊さを省みてからは、敵将ベネフィクスにこだわらず、あらゆる策を弄して此処を沈めてみせるとの、落ち着きと気迫を良き塩梅にて、その故郷にて聖なる獣とされる芋猪イモシスが如くの勇猛巨大な顔面に漲らせていたのであった。


 静けさが遥か彼方の丘陵までも被せ覆っているような、そのような場。その静寂の底から音も無くあぶくが沸き立ったかのように、ふいに、まさに何の前触れもなく、自警本部建物の正面、見上げる高さの鉄扉が静かに内から開いたのであった。


 すわ合戦の始まりかと意気込んだヤクラの兵たちを制し、これは建屋内にわざと引き込んで隘所にての乱戦に持ち込む肚かと、まずはケンの指示を飛ばす豪将サインバルタ。色氣力の中でも「ヨウ」という型を好むこの強者の「具現象」のかたちは「水」。常温液体である物質であれば何でも、その意のままに操ることが可能とまで言われる「Ⅴ式ごしき使い」、すなわちなまじのヴァズレィのおよそ十六倍ほどの出力を有すという、その野に在りし大型なる肉食の獣のような見た目も相まっての正にの化け物なのであった。しかして戦場での手柄はその浅慮たる戦略によりあまり成しえていないという事実は厳然と在り、ゆえに此度こそはの気合いも乗ろうという反面、絶対に落とせないという忸怩たる思いもその野卑たる顔貌のその奥にはあった。さらには適材適所と言うべきか、相手の将が操りしは「火」……この豪将にとってはこの上ない僥倖と相成ったのである。「火」に対しては「水」。これはこの世の摂理。現に昨日、およそ十倍たる威力の智将の「火」ですら、己の「水」をようよう相殺できたというほどであり。こちらが油断しなければ単純な火力にて押し切れると、そう浅慮では無く熟考の果てにその術たるも組み上げていた。確実に、粛々と行うのみ。


 そんな、思惑渦巻く嵐の前の静けさの中、扉の陰より現れ出でしは、三つの人影。


 ひとつは、露払いが如くにその身を軽くこごめたまま、しかしてその立ち居振る舞いにはいささかの迷いやら何やらは全く伺い知れないところの黒髪の長身……亜聡南=アザトラ。その髪に隠れし両眼の下にはこうまで黒々と出るものかと驚嘆すら覚えるほどの隈が、光の反射を抑えるために塗る漆黒の印のように、それは黒々と現れており、昨晩の凄まじさを濃厚に物語るのであったが。


 もうひとつ、その横から背筋に芯の入りし堂々たる佇まいで現れしは、藍色髪を高々と結わえ上げたるこちらも負けじと背の高々なる偉丈夫……リ=アルダ・志群諄シムレクト。美麗なる褐色の顔は静かに気迫を漲らせているように見えたが、寝ずの番に因るものかは分からぬものの何故かこれまた頬骨辺りには弧を描く闇黒の刻印が二つ並びて穿たれているのであった。何かを吹っ切りしその鳶色の両の瞳はしかし、隣を何事も無く歩む青年の方にちらちらと一瞥を送っては、その流麗なる顔に侮蔑やら困惑やらあと何やらを滲ませているが……


「……降伏か? 今更だがなぁ」


 周囲を固めるヤクラ軍の将、サインバルタがその巨大なる口を歪め、色氣力を高めるため昨晩たらふく食した深彩魚ベオーバの臓物臭と共にさなる言葉をひり出す。沈黙静寂ののちに建屋の扉が開いたかと思えば、戦闘の空気も無く無防備にもその姿を晒した敵の総大将ベネフィクス。付き従いしは有能と聞こえが高い英姿颯爽たるリアルダ。後の一人は何だ? 介錯人か? と若干の不審に思う向きはあったものの、


 その巨顔には今や勝利の二文字を噛み砕いて咀嚼しているかのような愉悦が満ち満ちているのであって。とんだ乱戦になると踏んでいたが、のこのこと総大将が出張ってくれるのであれば話は早い。難攻不落と称された此処を無傷で手に入れられるは、手間が省けて良き、さらにはあの腹立つほどに整った顔のきゃつらの素っ首でも手土産にすればあっぱれワシシも夢に見た一国の城主となれるやものう……との燃費の良き身体から汗と涎とさらに欲望をも煮出したかのような、熱気放つある意味壮絶なる風情にてそう思いを馳せるのであるが。


「……」


 彼我距離二十メトラァほど。先ほどまでの静寂を未だ身に纏ったままの佇まいにて、ベネフィクス以下二名は粛々と歩を進める。その周囲に群れなす兵たちから向けられる槍の穂先の群れ。さらには悪態、怒号、嘲笑など、あらゆる野卑なる音が降りかかるかのように三人を包むのだが。


 まったくそれらを意に介さずに、ゆっくりとながら確かな足取りにて、正面に陣取るサインバルタの近くまで歩み寄ろうとしている。無言で自ら同様血気盛んな手下たちをぎょろり濁った巨眼にて抑えるサインバルタ。ここまで近づくことを許したのは、敵方の色氣使い両名共に「杖」を携帯していないことを認めたからである。色氣力を高める「一仗棍ユニコン」。手練れともなれば自らに合わせた物を特注で仕立てるほどに重要なる武具であり、さしものヴォーコと言えどそれを携えていなければ色氣の力、特に瞬の出力が半減するとまで言われている。が、


「……丸腰で来たってことはぁ、全面降伏と見ていいんだねぇい?」


 巨躯を撓ませながら、それでも何かしらの策でも打って来たかと猜疑心を滲ませながらそう問う豪将に対して、


「えぁ? な~んかブヒブヒ聞こえっぞぉ~♪ ここはオークの谷かっつぅの、ってキャハ、アハハハハハ!!」


 とんでもなく場違いに思える、突拍子もない高音が、智将と呼ばれし者から発し返されたのであった。ぞわりの悪寒と共に、一気に気色ばむ数千の軍勢。今にもその三人を押し潰さんばかりに殺到しそうな剣呑気配……


「ハッ……追い詰められてイカれちまったのかぁ? けったいな格好でのこのこと出て来たと思ぇやぁ、流石の智将もいいザマだぜぇァハッハァッ!! 遺言として寛大な心で聞いといてやるよ。それで? 何らかの交渉でもしに来たってのかい? 頼み事すんならまずは全員、全裸で阿保踊りしてからだがよぉッブハハハハハッ!!」


 憤怒を何とか今後の栄光と秤にかけて呑み込んだかの豪将。最早眼力のみで相手を射殺しそうなほどの形相ではあったものの、その眼前で何事もないかのように、とろりとした切れ長の瞳をしたまま艶然と微笑むは、確かに何かがとてもいい感じにキマッてしまったかのような、かくの御仁であり。そのしゃなりといった感じに佇む肢体に身に着けしは、眩いばかりの真白き衣。その光を放っているかのように見える布地自体も目を奪われるものの、それ以上にその豊潤たる身体に纏うにはいささか窮屈に見える布地の面積も何と言うか二度見なるものを催させるのであった。


 「聖感応衣セファクロル」なる、由緒正しき淑婦の戦闘装束ではある。しかして齢十四という破格の早さにて色氣力のひとつを究めたベネフィクスは、その折の身体に合わせたその衣を当主より賜って以来、それを仕立て直すなど不敬とのいささか間違っているのではと思われるほどに一途な一念から、ここぞの時には誇り高くそれを無理やりに身に着けて戦陣に立つのであった。その薄き布地の上着部は、下から突き破らんほどの弾力を受け今にも左右に引きちぎれそうであり、下のスカート状のものは太腿のかなり上の辺りで引き攣れ留まっており、衣服としての機能を十全には果たしておるようにはとても見えず、相対する者を困惑という見えざる力に依りて圧倒していく。


 なまじの奔嬢よりも奔放なるその姿である。そしてその妖しく光る両の瞳……違和感は無論、豪将の方も感じていたわけで、いきおい出方は慎重かつそれでも有無を言わさぬ形にて緩めず一気にくびり倒そうの気配であった。が、


「交渉ブヒ? あらぁん、貴女のブヒ踊りなんて、見せていただかなくても結構ブヒよぉん……?」


 ベネフィクスは変わらず螺子が飛んだかのような言葉を挑発的に投げかけるのみ。流石にその様子に此方も色を喪うと、後ろに控えし褐色の長身の鋭い蹴りが横の黒衣の長身に撃ち込まれる。


 おい、これが「策」かよ、との低い声での叱咤に、何かうんざりしたかのような不本意な顔で、いや、それがしもここまで底無しとは考え及ばず……のような昨晩とは打って変わってもごもごと歯切れ悪い言葉を返すのみなのであるが。


「なるほどぉ? 交渉確かに承ったぜぇ……? おいてめえらッ!! この女どもの首から上は綺麗なままにしておくんだよッ!! まあ、中身がイカれてようが首級は首級だ……我の栄光への架け橋となってもらおうかいッ!! そこの優男は好きにしろッ!! さんざん穴という穴を犯し尽くしてのち、その粗末な威力棒××××は引っこ抜いてから嬲り殺しにでもしてやんなッ!!」


 元々成り立ってはいなかった交渉を決裂と見定めたサインバルタは、四方、五十mにまで届かんばかりの咆哮の如き声を高々と天に向けて上げる。途端に歓喜と興奮とゲヒヒヒという下卑たる声が足元よりどわんと沸き起こるのであって。その喧噪の中、心底うんざりといった感じながらアザトラは自分の股間の前でさりげなく手を組むばかりなのであったが。


 多勢が一気にその中心の獲物へと我先に襲い掛からんとした、正にのその、


 刹那、だった……


「……うぅるせぇぇんだよぉぉぉ~♪」


 ゆらり、と、ベネフィクスのしなやかな身体がわずかに傾いだかに見えた。と思った時には、


「……!!」


 どれだけの出力だというのか、その右掌から放たれた「光熱」は、それが何と認識させる瞬を相手に与えないまま、


 焼尽という言葉では生ぬるく感じるほどの、喰らった者たちの影のみを残すほどの威力にて、その軽く横に払った側に確かにいたはずの数十もの敵勢を刹那、「消滅」させたのであった。


「……」


 あまりのことに、言葉も行動も忘れ固まるヤクラの軍勢。どよめきすら起こらず、瞬時にこの場すべてが深き水底まで落とし込まれたかと思いまごうほどの静寂。しかしその中で瞬時に気を立て直したるは流石の豪将と言うべきか。あるいはまだ自らの「水」の能力が、得手不得手によりそれを上回り得ると考えたのだろうか。怒号一発と共に、サインバルタは己の最大の「型」の体勢へと移る。


「なかなかの業だよ、流石はヴォーコ様だねぇ……が、だがッ!! 我が『水』の流法は全てにおいて優位ッ!! 例えその『Ⅵ式』をいま一度放てたとて散らし消してみせるわぁッ!! 色氣力を全部吐き出させた後で貴様も嬲ってやろうぞァッ!! ベネフィクスよォォッ!!」


 気を昂らせつつ、自らの色氣力も高めていく豪将。その言葉通り、その巨躯に込められていくのは、その場に居合わせただけで途轍もなく強大な威力を孕んでいると判別できるほどの、張りつめた氣なのであった。


 が、


 しかし、だった……


「……今のは『Ⅵ式』ではない……」


 くすくす笑いを抑えきれないまま、痴気を纏わせたかのようにも見えるベネフィクスから放たれし言葉……


「……『Ⅰ式ンムェッルァア』だ……」


 それが、相対する豪将の巨顔を凍らせていくのであった。

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