Vedete-06:豪放にて(あるいは、ヴィタエモルテし/スタツィ御成りオ/清濁)

 一拍遅れで来た狂乱、騒乱、阿鼻叫喚。地鳴りが如くの震撼音とでも言うべき大音声が、見渡す限りの周囲全体を視覚的にも揺らせているかのように映った。


 いましがたの惨劇の何たるかが把握できておらぬ後方からは一点に集中してくる、多勢の群れ。逆に間近で相対した前面からはその一点より、一歩でも遠ざかりたいという拒絶の波。その混沌の中、ゆらり流麗なる肢体を滑らかに宙に浮かせ舞わせるように、


「んふふふ、『天紅てんこうⅡ式にしき数火理翔ス=ピリーバ』♪」


 軽やかにその白き衣に包まれし身体を回転させながら、その動作の流れに沿ったついでに放たれたかのような臙脂色の「炎の鞭」のようなものが数本、見渡す辺りを無差別に蹂躙し打擲し、その一打にて数多の兵を消し炭に変えては、次の瞬間、木っ端微塵に打ち砕いていく。


 既に大勢は決したかに見えた。現にようやくその脅威が伝播したか、雑兵の多くは元より、歴戦の色氣使いたちも、あるいは色氣の威力をなまじ身体をもって理解しているからかより切迫した様子にて、意味を為さぬ肚底からの悲鳴なのかただただ空気が不随意に漏れ出ているのか判別しかねる声を上げながら、撤退というよりは無慈悲な殺戮の主から少しでも距離を取らんともつれ合いながら逃げ惑い、押し合い圧し合いの無様な混沌を展開するばかりなのであった。


 そんな中、


「……」


 巨顔を渾身の表情筋で固めながら、ともすれば周りの者どもと同様、到底意味を為さぬ声を吐き続けてしまうであろう巨口を喰いしばりながら、己の意思とは無関係に跳ね暴れそうになる両膝を上から握り潰さんばかりに抑え込みながら……豪将サインバルタはただただ呼吸を深く長く取ることだけに意識を向けていた。


 堅陣確実と思われた五千からの軍勢が、指示系統などいずこへと根こそぎ引っこ抜かれ、足元からまるで巨大な泥濘に呑み込まれたように粛々としかし確実に瓦解していく様を見るにつけ、そしてその事態を招いたのが他ならぬ自身の采配……というよりかは不覚、あるいは慢心によるものだということに思考は至っていた。しかしてその上で一度、零へと立ち戻り次善策を切り返していくという、常時の野卑なる外観、外面からは窺い知れぬほどの冷たく鋭利な胆力をも、この将は持ち備えているのであった。


 あの三人めが姿を現した時に有無を言わせず総勢にて初手をぶち込むべきであったわ……迂闊。いや詮無き事こそ今はうっちゃっておけ。それにしても、それにしてもだ。まさか「杖」無しであれほどの……いやもうあれは一体何であるのか。あそこまでの出力をひとりの人間の手より放てるものなのであろうか、「Ⅰ式」? 馬鹿な。だがその馬鹿げた所業をあのイカレ女は今のところ苦も無くむしろ悦なるがままにそれをやってのけてはいる。いるのだが……


 そこに、綻びは無いであろうか。


 周囲の者と戯れるかのように、絡んではその瞬その瞬でことごとくを薙ぎ倒していくベネフィクスの白く輝きを持った姿を網膜に灼きつけんばかりに凝視しながら、何か起死回生の一手が無いか探っていく。その傍らに音も気配も無く跪き畏まったひとつの黒き影。


「お館様。お知らせしたき事が」


 幼子のような小ささ、極限まで肉をそぎ落としたかのような体躯の黒装束の女である。伝令か、あるいは乱波の類いか。この混乱の中、その周囲一間のみだけ静寂を纏わせているかのような佇まいである。主からの申せの命の後に抑揚無き言葉を短く発すると、そのまま人いきれの中に滲むようにして消え去る。後に残されし豪将の顔に、初めて威嚇でも嘲笑でも無い笑みが浮かんだように見えた。そして、


「なるほど大した業だよ、こいつは畏れ入ったわッ!! だがちまちまと蟻潰しをしてる暇は無いんじゃあないかい? 一対一サシでの勝負を所望するッ!! この輩玖珠が一の将、サインバ=ルタ・馬鞭猪ッ!! 相手にとって不足無しッ!!」


 声帯よ裂けよとばかりの大音声。周りの者どもを最早鼓舞することなどは適わぬとは感じていながらも、それでも己が矜持は示さねばなるまいとの強き意志。そしてその間にも冷静に脳は思考を巡らす。


 途方も無きほどの色氣力は、その出力は、激烈なる殺傷力は認めよう。しかして陣形を立て直し、例えば一斉なる千の色氣の矢に依れば、さしもの智将も防ぎ切ることは困難と見た。あるいは防がれたとしても、その力の一部でも使わせることが出来たのならば。あるいはたった一刻でも時を稼げたのであれば。


 ……我らが軍の勝利だ。


「あらら~? 主菜メインディッシュのお肉が何かのたまいましたわよぉ~?」


 意識がこちらを向いた。相変わらずの痴れ切り方であるが、先ほどまでとは明らかに違う。呼吸、目の色、所作の滑らかさ。


「……」


 消耗が、見て取れる。無限では無いはずだ、無尽蔵では無い。ならば。


「ゲハハハァッ!! 何が『Ⅰ式』『Ⅱ式』よぉッ!! そんなはったり如きに我は謀られんわぁッ!! 見たところそこら辺りが貴様の限界なのであろう、必死こいて最大級の業を最低級のものに見せかける……現に今のザマは汲々としているように見受けられるぞ……? フハハハ違うと言うならば最大級で来いッ!! さすれば我が最大級奥義にてお相手つかまつろうぞェァッ!!」


 大音声は相手にだけでない、自らの浮き足立つ軍勢に向けても放っている。無論その言葉が真実を突いていないことは他ならぬ己がいちばんよく理解している。それでもなお、この場に踏みとどまり、一矢すら報いることは不可能であると分かっていながらも、捨て石となる覚悟を示さなければならぬと、武人の本能のようなもので悟っていた。恐れは全てを委縮させてしまう。それを振り払い、狂気が如くのなりふりでしか戦場は駆け抜けられぬということを、窮地は切り拓けぬということを、まずは自身をもって示さなければならぬ。


 めんどくせぇだけどま、アタマ潰せば終わりだしぃ、うぅん一理あるかも、との気の抜けた言葉の後、気の無い素振りで対峙してくるベネフィクスであったが。


「……」


 彼我距離十mほど。相対するサインバルタの視線は当の痴態を殊更に見せつけるかのような智将の姿を滑り、両脇やや後方を固めるふたつの影に等分に舐める。平静を装う両者ではあるが、不安、あるいは焦燥、そこから来る苛立ちめいた感情を完全には隠せてはいない。


 イカレ女の謎強化バフがどのように為されたかは分からぬし、そこは最早問題では無い。一時的に感情が昂ってその奥の感情は微塵も見せぬこと、それも何とは無く把握した。ならば事情を知っていると思しき者の所作から慮るまでよ。


 確実に、「底」は見える。はず。


「ヌァッハッハ~ッ!! 馬ァ鹿め、隙ありだぁぁぁあッ!!」


 腰から抜き放っていた杖に瞬時に意識を宿し移し、あまねく周囲の「事象」に働きかける。


 「洋蒼Ⅲ式:刃詈活磨バリエネマ」、との抑えた詠唱と突き出されし棒に被さるようにして、周囲の大気中に含まれし水分が凝縮すると共に更なる圧を自ら生み出すと瞬間、意思を持つかのように一点、ゆらり無防備にしか見えない肢体目指して凄まじき勢いにて射出されるのであった。が、


「ぬっる~い♪」


 それよりも先に中空を指し示していたそのベネフィクスの右の人差し指と小指から放たれていた小さき白い「炎」が、渾身で放った「水の裂線」を呆気なく散らし吹き飛ばしている。周りで逃げ腰ながら様子を窺っていた者共から困惑と驚嘆の声が漏れる中、


「やぃやぃやぃ……流石の卑怯っぷりに心底畏れいるわぁ~、で、『水』が『火』に強いとかってゆう理? ていうか固定観念? いい加減に悟るべき時に来てるんじゃないかって思うわけよぉ~あはははは!!」


 智将の脳内の何かはさらにハジけ切っているかのように、高らかな笑い声がこだまする。が、


 ……その口上分の時が稼げたのならば、上出来よ。


「……ッ!!」


 放ち終えた色氣力の挙動も見ないまま、サインバルタは傍らに倒れ伏していた部下の手に握られていた杖をもぎ取ると、腰を深く落とし自らのものと十字を描くように組み合わせ構えている。


「今のはほんの挨拶代わりだ阿保めがッ!! 『水は火うんぬん』? さなることは百も承知ッ!! その上で我が生み出しこの究極奥義を喰らうがいいわぁッ!!」


 はったりである。何より杖を複数扱うことは悪手でもあり邪道でもあった。射出口が集中しない場合、多くが制御できず、出力も不安定のまま終わる。だが、なまじの「既存技」では彼奴の最大を引き出せぬ……との思考の果てに辿り着いた策でもあった。


 おそらくは自らの命と等価交換の。


 もぉぉぉそういうの要らないんだよねぇぇぇ……との気怠さの中に苛立ちを感じた。かかった、と思う間もなく、これまでのものがまるで熾火かと見まごうほどの、揺らめく白き炎が力み無く伸ばされたしなやかな左腕全体を覆いつつ、天高く立ち昇る。


「めんどいから、貴女ごと、後ろの面々さんたちもこんがりいかせてもらうわぁ~」


 周囲の体感温度が瞬時に真夏のそれに置き換わったかのように場の全員が感じ、それとは真逆の寒気が脊椎辺りを駆け上っていく中、


「ゲハハハハハァッ!! そいつが最大とはやはり片腹痛いわァッ!! 『水』の神髄、とくと見さらせェァッ!!」


 狂気を宿らせたかに見える豪将の構えし十字の接合部にも尋常では無い色氣力の圧縮が感じられた。辺りを轟かせんほどに渦巻くのは、火か水か、大気か、あるいは瘴気か。それすら判別がつかなくなってきた、正にの、その、


 刹那、であった……


「……『天紅Ⅵ式:白烈燐華曝牢焦シロスタゾール』」


「あああああッ『洋蒼Ⅰ式:水浮藍ニフランッ!! ニフランニフランニフランニィィィィィフゥゥゥゥゥラァァァァァァンンンンンンンああああああッ!!』


 焦熱の白き閃光が眼前一点に集中し、直後、巨大な瀑布と成りて放出される中、対する豪将は細かな「泡」状のものをいくつも、否、無数に発現させていた。視界を覆わんばかりの「壁:が如く。それらは白い炎に触れる前に瞬で消滅させられるが、それを上回る速度にて生成されては再び遮り防ぎ、そしてまた瞬く間もなく次々と掻き消されていってしまうものの、


(……攻撃では無かったッ!! 全力で防ぎ切る構えッ!!)


 驚愕を噛み殺したかのようなリアルダが見て取った通り、威力よりも「数」に全てを振った豪将の業は、そしてその泡状のものが破裂するごとにわずかずつではあるが、ベネフィクス渾身の一撃の途方も無き威力を、わずかずつ上空へといなし、さらには擦り削り取っているかのように見えた。


「……」


 それでも、無慈悲な白い波濤は全てを呑み込まんと押し込んでいく。決まって……とのベネフィクスの心の叫びが背後の二人にも伝播していくかの中、


「……!!」


 最後に接触点で炸裂した巨大な爆発が、周囲の空気を根こそぎ天空へと吸い上げ、一瞬ののち、辺りを暴風が包み込んでいく。風速いくばくか計り知れないほどの、油断すると自分の身が中空へと吹っ飛ばされてしまいそうなほどの圧の中で、色氣力のほとんどを遂に使い尽くしたか、よろめき地に伏したるベネフィクスが見しものは、


「ゲヤッァッハッハッハッハァッ!! 智将怖るるに足らずッ!! 見よッ!! 最後に立ちたるは『Ⅵ式』にあらずッ!! この我の……『Ⅰ式』よぉぉッ!!」


 高笑いを上げながら、傲然と仁王立つサインバルタの姿なのであった。しかしてその両腕は肘の上辺りまで轢断されており、正面に未だ向けられし断面を含み肩のほど近くまで黒く完全に炭化している。さらに全身の全面を焦がし爛れさせながらも、それでもその巨躯は前方に雄々しく向けられたまま微動だにはしていない。


 やられた、との思考が、徐々に正気を取り戻し始めたベネフィクスの脳裡をよぎる。そのままならない四つん這い体勢の身体を庇うかのようにリアルダの長身が眼前に立ちはだかるものの、


「ゲヤハハハァッ!! そしてよく聞け我が軍の猛者どもよッ!! 総尉そうじょう様の援軍が、あと僅かにて此処へ御着到する旨の吉報を今しがた受け取ったァッ!! これはもう勝ち戦ぞッ!! ならば存分に戦働きをせいッ!! 死しても安堵ッ!! 存分に死ぬるが良いわァッ!!」


 その焼け焦げた巨体から絞り上げるかのような大音声が響き渡ると共に、そこかしこから怒号のような鬨の声が上がるのであった。ぐるり巡って三名に突き付けられる戦意、殺意。だが、


「乱戦は望むところ。この機に乗じて建屋の者共を逃がせリアルダ。そしてアザトラ……我が最大の好敵手に最大限の敬意を払いてけじめをつけよ」


 全身を覆う多量の汗の膜と、憔悴著しい顔色顔つきなれど、その声は微塵も揺れてはおらず。


 次の瞬間、黒衣の青年は押し寄せ始める兵らの合間を触れることも無く駆け抜け始めている。


「ベネフィクスよ、先に冥道にて待つッ!! 群がるであろう獄鬼どもには、このサインバルタが『首提灯』を掲げて蹴散らし進むがよいわッ!! ゲヤハハハハハハハァッ!!」


 爛れた巨顔を震わせ言い放つその眼前に、柄に手を掛け低く跳躍したアザトラの姿が瞬で現れ、


「御見事に、ございますれば」

「ほざけっ」


 最期、これでもかの悪辣な笑顔でそれに向き合った豪将の視界は、次の刹那、ぐるり宙を巡りて地に落ち黒に染まる。


 地鳴りが如くの狂気の大音声。土煙、軋む大地。今や戦場は土煙と血と雄叫びが飛び交う、正にの混沌の坩堝局面へと転がり始めてゆくのであった。

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