第6話
出て行ったあの日、結局整理がつかないまま家に帰った。あんなにうるさいと感じていた掃除をしている音はなく。ただ、ただ、静かだった。妻に会わないように恐る恐る部屋に入るも何事もない。そもそも気配がなかった。僕が出て行った後に出て行ったのか、帰ってきた時に出て行ったのかは知らない。気づいたのは次の日だった。明らかに家にいない。入るのは気が引けたが、部屋に入ってクローゼットを開けると服が何着か無くなっていた。
「どうせすぐに帰ってくるだろ。僕の言うことは絶対だったし。頼るところなんて・・・。」
・・・ある。男のところだ。
「いやいや。ただの、一時の火遊びに過ぎないだろ。男の方も。」
誰かは知らないが。あんな尽くすことしか知らないような奴のことなんて・・・。少々気立が良くて、愛想が良くて、料理が美味くて、気が利いて、何も言わなくてもこちらが欲しいものをすぐ用意出来て、不満なんか何も言わないような奴のことなんて。どうせすぐに帰って・・・。謝ったら許してやるのに・・・。
「おはようございます、社長。」
「・・・。」
おはよう、ございます?
「今日の予定ですが・・・。」
挨拶はいつも家だったから変な感じがした。それ以外は普通。いつもの妻だった。
「分かった。コーヒーが飲みたい。それが終わったら出る前にデータを見直したい。」
「かしこまりました。」
受け答えは変わらない。コーヒーに何か仕掛けてるわけでもなくていつもと変わらない味のコーヒー。結婚指輪だって外していない。なんだ、この前の話で臍を曲げてるだけか。帰ったらいつもの妻に戻っているだろう。妻から謝ったら今回のことは水に流してやろう。相手のやつには心底腹が立つが。
だけど、何日経っても妻は帰って来ることはなかった。
「澪さん、最近さらに綺麗になりましたね。いいな〜私も社長みたいな人見つけたいです。」
「・・・そのうち見つかるさ。」
その相手は僕じゃない。きっと、それは・・・。誰だ?僕のものに手を出した奴は。
「失礼します。先日の資料の確認をお願いします。」
「あぁ。」
ん?この香り・・・。
いや、まさか。妻との接点はなかったはず。たまたまだろ。過敏すぎているんだ。妻さえ、家に戻って来れば問題ない。
「澪さん、急な会議が入ったので同行を。」
「はい。」
同じ香りだ。間違いであってほしい。
「・・・いつになったらお相手は?」
適当に車を止めたところで、何分かの時間が経った。もちろん、来るはずなんてない。
「いつになったら帰ってくる?」
「・・・まさかその話だけのために?」
「今謝ればなかったことにしよう。」
「表向き上手くいってるからいいじゃないですか。間違ったことをしてるつもりはないです。会社には私から上手く行っておきますね。」
「待て!」
反射的に車のロックを掛けた。
「相手はあの部下か?」
「何を言ってるんですか?時間の無駄です。帰らせてください。」
「僕の質問の答えになっていない。相手は東雲君かと聞いている。答えろ!」
「彼とは仕事上の関わりだけです。これで満足いただけましたか?お答えしたので先に帰ります。」
なぜ帰ってこない?謝れば水に流すと言っているのに。
「僕だけど。今日空いてる?」
「なんかあったの?」
「別に。」
「はい、こっち見て?」
彼女によって強制的に視線を合わせる形になる。
「・・・はあ、たまには嘘吐かせてくれよ。」
「とか言って本当は聞いてほしくて仕方なかった癖に。素直じゃないね。でもそんなとこも好き。」
「僕も
好きというか、それ以上。照れ臭くて言ったことなんてないけど。
「あ!そうやってはぐらかす!」
両頬にあった彼女の手を退かすと、ミネラルウォーターを手に取って喉に流し込んでシャワーへ向かった。帰ってこなくなってそろそろどれくらいだろうか。夫婦関係はもう終わってるだろ。初めてあんな嫌悪感をむき出しにされたんだ。おまけに男といるんだろ?その状況で呼び戻せないのは分かりきっている。
シャワーを浴び終わると、呑気に携帯をつついている恵梨香の隣に潜り込む。
「あら?今日は帰らないの?」
「あぁ。」
「朝まで一緒!?」
「あぁ。」
「嬉しい!」
彼女の体温に包まれて目を閉じた。
「恵梨香?一緒に住もうか。」
「・・・え?」
はっとして口を押さえた。
「・・・やっぱなんでもない。」
背を向けて布団を深く被った。声はしない。柄にもないことを言ったから頭がおかしくなったと思われたのかもしれない。
「嬉、しい。」
小さく震えた声と共に背中に衝撃と雫があたる。
「ずっと待ってたんだよ?」
「・・・遅くなってごめん。」
彼女がいつもよりも小さく見えた。今まで僕は・・・。
「近々家を買おうと思ってる。そこに住もう。」
これで、良いんだ。きっと。
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