第4話

「ただいま。」


 昨日は彼女と過ごしたからそれの埋め合わせと言ってはなんだけど、今日は一日家にいる予定。それがここ何年間のルーティーンになっている。別に何をするわけではないし、特に会話をするわけでは無いけどなんとなくそうした方が良いだろうという僕の判断だ。


「澪?」


 いつも出迎えに来るはずの妻の姿がない。いつもならもう既に起きていて、朝食を作っているはずなのに朝食の香りもない。


「澪?」


 カーテンが開いているから起きてはいるはず。リビングに姿はない。


「・・・昨日誰か来たのか?」


 流しには2人で食事をしたという形跡がある。友人でも来ていたのだろうか。


「あ、お帰りなさい。」

「ただいま、昨日誰か来たの?」

「あぁ、友人と一緒に食事をしたの。ごめんなさい。すぐに片付けます。」


 視線も合わさずに愛想笑いを浮かべる妻に違和感を感じたけど、僕の勘違いかもしれないと思い「そっか。」と返事をして自室に着替えを取りに行った。荷物を所定の位置に片づけて軽めの部屋着と昨日彼女にもらった下着を持ってシャワー室に向かった。


「・・・」


 いつもは感じることのない湿気と生暖かさが肌を伝った。もしかして澪が中に?だとしたら、僕はもう少し外で待っていないと。


「澪?入ってるの?」

「…」


 返事はない。


「開けるよ?」


 大きく心臓が波打つ。


「いない、けど…」


 温度、湿度、浴室の濡れ具合。これは明らかに直近で使用した形跡。澪はさっきシャワーを浴びていたのか?いや、にしては寝癖がついていたような…。訳のわからない胸騒ぎがした。体全体が心臓になって激しく鼓動しているみたいだ。だけど、シャワーを浴びないと僕の体についている香りが・・・。

 胸騒ぎが収まらない中、シャワーを浴びて出る。妻に限ってそんなことはあり得るのか?いや、妻は僕に献身的だしそんなはずはない。そうに決まっている。

 リビングに行くとテーブルに準備された朝食とキッチンで後片付けをしている妻の姿があった。


「いただきます。」


 いつもならなんてことないことだけど、チラッと妻の方を見た。特に何もない。いつもの片付けをしている妻だ。片付けをして妻はどこかへ行った。

 朝食を食べ終えると自室に向う。特にすることは無いし、今日の後の予定は株の動きを呑気に眺めているくらいだ。最近買ったとこはどうだろうか。パソコンを開くと株の変動の画面を開いた。


「うん、順調みたいだ。ここはまだ売るには勿体無いか。」


 カチカチといろんなところを調べていると隣から聞こえる掃除機の音がうるさい。夫が休みの日に騒がしくするとは何事だろうか。騒音に耐えかねて妻の部屋を覗いた。


「澪、ちょっと静かにして欲しいんだけど。」

「ごめんなさい。たまには大掃除がしたくて。」

「・・・僕も手伝おうか?」


 このままその方が早く済むし、夫婦の最近についての会話の時に役立つだろう。ドアを開けると乱暴に剥がされたシーツ類や掃除道具があった。


「結構大変そうだ。ねぇ、澪。香水変えた?」


 澪のものではない香りがした。この香り、どこかで嗅いだことがある気がする。


「変えてないですよ?掃除なら1人でするので大丈夫です。じんさんは寛いでいてください。ここのところ忙しかったでしょうし。」

「たまには僕も手伝うよ。そこの上着、クローゼットにかけとくね。」


 椅子にあった上着を手にとるとクローゼットを開けた。会社以外で外に出ることがあまりない妻は服を買うことが少ない。会社に来ていくための服とたまにある休みの日専用の服が何着かあるくらいだ。


「たまには服買いに行ったら?」

「そうですね。」


 あそこの奥さん、いつも同じようなものを着てるわ。なんて噂されたらめんどくさいし。


「ゴミも捨てとくよ。」


 当分ゴミを捨てることを忘れていたのだろうか。妻の方も僕のせいで最近は忙しくしていたからな。ゴミ箱が結構溜まっていた。


「まだ捨てるから大丈夫ですよ。ほら、勿体無いし。」


 多分僕に気を遣っているのだろう。聞くと拒否をされるからゴミ箱を手に取りキッチンに向かった。いきなり大掃除なんて近々家族が家に来るのだろうか?


「・・・これって。そうだよな。」


 ゴミを捨てるために、ゴミ箱をひっくり返すと男性特有のあの臭いと使用ずみのゴムが目に入った。


「いや、澪に限って・・・。」


 だけど思考は虚しく帰ってきた時の違和感が全て繋がって、それと同時に何かがサァーっと引いていく感じがして一瞬意識を失いかけた。

 部屋に戻る道中、妻がシーツを持ってこちらに向かってきた。あぁ、そのシーツの上で交わり合っていたのか。だから今日はどことなくおかしかったのか。証拠隠滅のための片付け?なんだか笑えてくるな。


「澪、ちょっとこっちにきてくれる?」


 いつもと違う声に戸惑う妻の腕を強引に引いて、キッチンに向かった。例のものを見せた。


「ねえ、これってなんだろう?見えるだけでも一つ、二つ、三つ・・・。」

「それ、は…」


 答えれないよね?だって、大人ならみんなわかるものを目の前に突き付けられているのだから。しかし、随分盛んだったんだな。


「僕とは使わないもんね?使ったことあったっけ?そもそも抱いたことあったっけ?」

「ない、です。」

「そうだよね。じゃあ、誰の?こんな汚らわしいものを隠そうと頑張ってたんだ。へぇ〜。」


 人は気がおかしくなると笑えてくるし、冷静になるって勉強になった。


「・・・私たち、作り物の夫婦じゃないですか。気持ちなんてないし。」

「・・・開き直るんだ。」

「気持ちのない人間と気持ちのない結婚をしたんです、私たち。お互い自由にしていいじゃないですか。」


 言葉が出なかった。こんなにはっきりと意思表示をされたことがなかったからだ。確かにそうだ。親同士が勝手に相手を繕って条件があったから結婚しただけの話。そこに愛なんてなかった。だから妻が何をしようと僕には関係ない。僕だって気持ちがないからずっと想い続けていた彼女と関係を続けてきてその彼女と一緒になる未来を見ていた。なのにこの込み上げてくる感情はなんだ?


「この際なので話し合いましょう、仁さん。私には仁さんと一緒にいる意味がわからないし、もうないんです。」

「一緒にいる、意味?」

「えぇ、私が縁談を受けた理由は実家の事業が悪化していたからです。助けてくれるなら誰でもよかった。ちょうどその時に縁談がきたから受けただけです。でも今は両親も他界しましたし、あの会社は私のものでもないので一緒にいる理由がありません。仁さんの方から見て、私と一緒にいるメリットはありますか?」


 答えられなかった。だけど、別れることになぜか首を縦に振れなかった。

 話していくうちに、妻は初めの頃から僕に相手がいることを知っていたらしい。それを知っていて何年も変わらずに妻でいてくれたそうだ。


「私、大切な人に抱かれて、朝目が覚めて隣にいて何気ない会話をしたりすることがこんなにも幸せなんだということを初めて知りました。仁さんと一緒にいてそんな思いを感じたことは一度もありません。」


 強い眼差しで僕にそう言った。


「・・・好きにしたらいい。」


 精一杯の言葉を吐き捨てると必要な物を持って外に出た。あの家にいるのは今は苦痛しかない。どうしてこんなに怒りが込み上げる?どうしてこんなに胸が苦しい?




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