第2話
「存外、力は有るのね」
小さく、綺麗な声がした。
男が振り返ると、深い闇の手前、部屋の入口に一人の女性がいつの間にか佇んでいた。
背丈は170cm程と女性としては長身だが触れたら壊れてしまいそうなほど華奢だった。
白いワンピースを纏い、闇の中…淡い光に映し出されたその姿は最初の印象と相まってとても儚げだった。
地面につきそうなほど長く、波打つ黒髪は闇に輝くようであり、朱色の美しい瞳は男を真っすぐ捉えていた。
「…きみは?」
「ヤミの名称は『ヤミ』、貴方の名称は?」
小首をかしげる、そんな動作と雰囲気は見た目より幼く感じた。
男は名称を聞かれて初めて、自分の名前を理解したような気がした。
「俺の名は…セイガ、『聖河・ラムル』だ、よろしく、ヤミ」
そうして、男…セイガはここにきてようやく心から落ち着くことが出来たのだった。
男の名は聖河・ラムル。年の頃は二十歳手前といったところか、背は180cm程と高く、ほど良い肉付きと端正な顔立ち、黒い髪と黒い瞳からは生真面目さが垣間見える。
そして、優しく誠実で意志の強そうな佇まいがある。
ただ、容姿だけでは語れない何か独特な雰囲気を持つ青年だった。
「ヤミはここに住んでいるのかい?」
ヤミに案内され、セイガは洞窟の中を歩いていた。
ここの構造に詳しいヤミに出口まで案内して貰っているのだ。
アンファングを明かり代わりにしているので移動は随分と楽になった。
改めて見ると、相当広く複雑な構造の洞窟のようで、もう10分以上セイガたちは歩いていた。
「肯定、常時では無いけれど、此処は居心地が善いから時々居る」
ヤミの方は夜目が利くのかセイガのやや前方をてくてくと進む。
「そうなのか…でもさっきの魔物とかいるけど大丈夫なのかい?」
こんな場所にあるというヤミの家も気になるが、まずはここから出て外の空気と太陽の光をセイガは浴びたかった…そもそも今が昼か夜かも分からなかったが。
「ヤミが一番強い、問題無し」
刹那、セイガの視界の端で何かが光り音を立てたが、瞬時に音もなく闇の中へとまた消えていった。
道中そんなことが何回か起きているが…もしかして先程の魔物のような存在がいたのでは…と考えるとセイガは複雑な気分になった。
「そうか……それなら安心だね」
ゆっくりと歩くヤミ、その姿を改めてセイガはみつめた。
見た目はとても無防備で、雰囲気も無邪気な少女のように思えた。
セイガもある程度人の力量、主に戦闘能力が読めると自分では思っていたが、ヤミの実力は全く分からなかった。或いはとんでもない潜在能力を秘めているのかもとセイガは想像した。
(まさか…な)
「セイガは、ヤミより強い?」
心を読まれたかのようにヤミが振り返りセイガを覗き込んだ、朱色の瞳がどこまでも深く、覗き込んだ。
「…分からないな、俺はまだ自分の力もよく分かってないようだから」
それが正直な気持ちだった。
先程の『剣』の力、他にも自分には超常的な力が備わったのか。
自分にそんな力があったなんて正直意外だったのだ。
そんなセイガの考えなど気にしない風に、ヤミは立ち止まると不意に両手を広げた。
「セイガはこの世界の深淵に踏み込める人間だと、ヤミは思う」
「…深淵?」
何やら不穏な響きと意味を持つ言葉だった。
「そう、理の深淵、力の本質、魂の在処」
「それは随分と難しいことだね」
「肯定、ヤミも未だ理解して無い」
少女…どうにもセイガにはヤミは幼い少女に思えるのだが、ヤミは淡々とそう語った。
「其れでも、深淵は在るの…ヤミは其れを知っているモノ」
ヤミはセイガを指さした。
「だからヤミはセイガに逢いに来たの」
セイガは驚いた、ヤミはセイガのことを知っているというのか。
「ヤミは俺のことも、この世界のことも知っているのか?」
…
「其れより、ヤミはアイスが食べたい」
突然ヤミは話題を変えた。
「アイス…確か氷という意味だっけ」
先の話をもっと聞きたいセイガだったが、これ以上聞いても無駄な気配がしたのと、既に分からないことが多すぎて疲れかけているのもあってヤミに話を合わせることにした。
「其れじゃない、甘くてガリガリした冷凍した物」
「かき氷みたいなものか…それは美味しそうだね」
何となくだが、不思議とセイガにもそのアイスが理解できた。
ヤミが棒状の青いアイスを口にする光景が目に浮かんだのだ。
「美味、ヤミは時々在れが欲しくなる」
「そっか、それじゃあ次に機会があったら今回のお礼にごちそうしないとね、俺も一緒にそれを食べてみたいし、本当に助かったからね」
現状お金は持っていないセイガだが、何とかきちんと生活が出来るようになったらヤミにお礼がしたいと思っていたのだ。
「約束、セイガ…アイス奢る」
ヤミは輝くような笑顔だった。
この子もこんな笑顔になるのだなとセイガはちょっと驚いた。
「そんな訳で、またここに遊びに来てもいいかい?」
「問題無し、若しヤミが此処に居るなら、呼べば出現する」
「ありがとう、じゃあ約束だ…必ずアイスを食べに遊びに行くよ」
セイガはまだ分からないことばかりだったが、こうして人に会えて、約束が出来るのが本当に嬉しかった。
それから再び、10分ほどセイガとヤミは他愛のない話をしながら歩いていると雰囲気が少し変わった、温かな風を感じたのだ。
「そろそろ、出口」
ゆっくりとした坂の先、日が昇るように少しずつ光が差し込んでいた。
「やった!」
感極まってセイガは駆け出した。
遂に外に出ることが出来るその喜びは相当なものだった。
丘の中腹、遠くには白い山々が見える、そして夕焼け映える視界いっぱいの空、優しい風がセイガを撫でた。
(ああ、世界はこんなにも美しいんだな)
両手を広げ夕陽を浴びながら、セイガは大きく息を吸った。
どこまでも心地がいい…
陽光を全身に感じ、セイガは今、生きているという喜びをかみしめながらも、改めてこれからのことを考えていた。
今は夕方、夜までには何らかの事を成さないといけないなとセイガが周りを見渡していると、目の前、セイガのいる場所から少し高い位置の地面の上に緑色に光る円環、魔法陣のようなものが浮かび上がった。
『よかった!ようやく見つけたわっ』
声がする、みるみるうちに魔法陣から人影が浮かび上がった。
それはとても美しい女性だった。
年の頃は20代ほど、長く艶やかな青い髪は腰のあたりでまとめられており、青い瞳はキラキラとセイガをみつめていた。直視するのが躊躇われるほど豊満でありながら理想的なボディラインは肌に密着した黒い服装と白いタイツとに絶妙に相まってあまりにも魅惑的だった。
女性はセイガの元に駆け出す、当然あちこちが揺れていた。
そして呆然とそれを眺めていたセイガの両手を柔らかいその手で握ると上下にブンブンと振り回した。
当然あちこちが(略)
「ごめんなさいっ、まさか再誕する場所が勝手に変わる事態になるなんて異例だったの…本当に無事でよかったっ」
体中から喜びを表現しながら女性はセイガの手をずっと握っていた。
「ええと…すいません…あなたは俺を知っているようですが…」
セイガは女性に見覚えが無かった、こんな美人なら見忘れることもないような気がするのだが。
それを聞いてようやく女性は手を離すと、指先を自分の顔の前に置き。
「私の名前は『レイチェル・クロックハート』よ、セイガ君」
そうしなやかに名乗った。
レイチェルが立っているのはセイガよりやや高い位置だったので、目の前にその青い瞳と微笑みが映った。
「こうやって直接会うのは初めてですけれど……この『声』に聞き覚えはありませんか?」
少しおどけて、みつめながらレイチェルは言った。
「声…?」
レイチェルは微かに息を吸うと、セイガを指差しながら切り出した。
「あなたの求める『
ああ、確かにあの声だ。
セイガはあの時のことを完全に思い出したのだった。
そこは、どこまでも広大で水色に光る空間だった。
そんな青空の中のような場所でセイガは横たわっていた。
いや、重力も感じないここではどこが上でどこが下かも分からない、不思議な感覚に翻弄されながらセイガはずっと浮かんでいたのだ。
(ここは、どこなんだろう?)
時間の感覚も最早分からない、ずっと眠っていたようにも、絶えず考え続けていたようにも思える…
残念ながら移動することが出来なかったので不安は多少あったが、不思議と命の危険は感じなかった。
そして、それはどのくらい時が経った頃だったか、セイガの目の前に新たな緑色の光が舞い降りた。
「おはよう、聖河・ラムル君、ご機嫌はいかがですか?」
それは優しい女性の声だった。
「…現時点では大丈夫です、…あなたはどなたですか?」
「私の名前は『レイチェル・クロックハート』、この世界の…そうね、導くものの一人と思ってくれればいいわ」
「世界…ここは俺のいた世界とは違うということですか?」
「ええ…あなたはこの世界に『再誕』してきたのよ…再誕というのは…新たにこの世界で生きるという意味ね」
「こんな何もない場所で?」
見回しても本当に何もない、とても綺麗な場所だが、人が住む世界とはセイガには思えなかった。
「安心して、ここはこの世界の一部ではあるけれど、君がこれから生活するのはもっと別の場所よ…ここは君の『真価』を決める場所なの」
「それは一体何ですか?」
分からないことの連続に流石のセイガも困惑が隠せなかった。
「君がここで新たに授かる力よ、あまり深く考えずに…そう、自分が最も大切にしたいものを思い浮かべてみて」
(大切な、もの)
「目を瞑って…ゆっくりと…君が求めるもの…唯一自分を形成しているもの…見えてきませんか?」
(俺が…求める力…)
その時、セイガにはある記憶が浮かんだ。
それは思い出したくない…けれどとても愛おしい思い出…
「それはきっと一つの文字で現れる筈よ…ほら感じるでしょ?」
目の前に無いけれど、確かにあるもの…そんな大切な想いがセイガの胸を満たしていた…
「それでは、最後に確認するわね」
レイチェルにもセイガの想いが見えているようだった。
「あなたの求める『真価』は何ですか?」
…
「俺の求めるのは…『剣』だ」
その瞬間、セイガの目の前に『剣』という蒼く光る字が現れ、眩く光を増したそれはこの世界とセイガを包み込んだのだった。
「思い出したようね、よかった♪」
「はい、実際はまだ分からないことばかりですけどね」
ようやく、セイガは何故この世界に来たのかが分かった気がした。
(おそらく…俺がそれを望んでいたから…)
「それでは、あまり詰め込み過ぎると駄目だけれど、私が少しずつこの世界と君の事を教えますね」
そう言ってレイチェルは片手を差し出した。
「ありがとうございます、それも導くものの仕事なのですか?」
セイガもその手を取り握手をする、レイチェルの手はとても柔らかく温かかった。
「そうね、…あ、話は変わるけれど君はどうやってこの洞窟から出たの?ここは結構危険なエリアなのだけれど」
レイチェルは不思議に思っていたことを口にした。洞窟内にいて何らかの力の干渉があったため今までセイガの位置が分からなかったのだ。
「それはヤミが助けてくれたんですよ、なあヤミ?」
セイガが洞窟を見ながらヤミを呼んだ、しかし返答が無い。
「あれ?ヤミ?もしかして帰っちゃったのか?」
洞窟に踏み入れる、アンファングを光らせ奥を探すが既にヤミの気配は無かった。仕方なく洞窟から出る。
「ええと、ヤミというこの洞窟に住む少女にここまで案内してもらったのですが…どうやらもういないようです」
セイガは最後にきちんとお礼を言えなかったことを残念に思った。
(必ず、また会ってお礼とアイスの約束を果たさないとな)
洞窟の入口を切なくみつめた。
そんなセイガの様子を見ながら、レイチェルは不可思議な表情をした。
「ヤミ…私のデータではどうも該当する子がいませんね」
軽く手を動かしている、何かを見ているようだ。
「…まあ、こちらのデータベースに登録されてない人なんて結構いますから仕方ないですね…ヤミちゃん…覚えておかないと」
少し神妙な表情のレイチェルだったが気を取り直したのか再び温和な笑顔になった。
「セイガ君、それでは改めて場所を変えてゆっくりと説明をしましょうね、もうだいぶお疲れでしょうし」
レイチェルが右手を前に突き出す、すると先程みた緑色の魔法陣が夕暮れの丘に浮かび上がった。
「凄いですね…これはもしかして魔法陣ですか?」
本でしか読んだことのない摩訶不思議な現象にセイガは興奮していた。
「そうね、テレポートゲート…別の場所に瞬間移動するための装置よ」
「瞬間移動っ!、それはまた素晴らしいですね」
「確かに便利ね、さあこちらに来て」
レイチェルは魔法陣に向かう、その時あることを思い出した。
「そうだった、もう一つ大切な事を伝えるのを忘れていたわ」
近付いていたセイガの手を取り、レイチェルはテレポートゲートへと招き入れた。レイチェルとの距離が一気に近付く…
目の前の唇が優しく囁いた。
「ようこそ、もうひとつの真なる世界、ワールドへ」
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