第1話


第1章


 世界は真っ暗闇だった。

 目を見開いても、何も見えないその空間で男は目覚めた。

「…何か…」

 意識が混濁している、思い出そうにも何を思えばいいのかが分からない、そんな焦燥感が男を襲った。

 とはいえ、焦っていても仕方がない、男がそう考えていると、ようやく目が暗闇に慣れてきたのか少しだけこの場所の状況が分かった。

 硬い石の地面、長く寝ていたのか背中の節々が痛い。

 静かだが、遠くで水の流れる音がする。

 上は暗くて判別がつかない、つまり思ったより天井は遠いのだろう。

 どうやらここは洞窟か何からしい。

「息がこうやって続くということは、まだここから出られる可能性があるということか…」

 男は長く息を吸い込むとゆっくりと立ち上がった。

 覚えてはいないが何か、かつてもこんな苦境を経験したことのあるような、そんな心持ちだった。

 まずは出口を探さないとならない、男はひとまず水音のする方へ警戒しつつ歩き出した。

 靴と、何らかの衣類は身に着けているようで少しだけ安心したが、それ以外は何も持っていない、地面にも何も残っていない。

 こんな不用心な装備で洞窟にいるなんて、まるで誰かに捕まって閉じ込められたようだなと男は推測した。

「冷静に…なれればいいんだが」

 男は考える、その意思の方向によってはさらに混乱しそうな中、男は生きる為に広く、静かに思考を巡らせる。

 いつもそうしていたように…

 多分、俺は前もこうやって生きてきたのだな、歩きながら男は今の自分を少しだけ信頼することにした。

 地面はそこまでゴツゴツしていなかったので、四つん這いにならなくても歩くことができた。

 奥行きも大分広い空間のようで、音のするほうに歩いても壁にぶつからない、寧ろ壁伝いに歩いたほうが安全かもと判断した男は方向を少し変えて壁を探すとした。

 それは存外近かった、地面と同じ石の壁はひんやりとしたが、此処の気温は快適なくらいのもので、その点は安心できた…のだが。

 急に目頭が熱く痛む、それは次々に頭にも浸透して、細胞が壊れ暴れるようなそのあまりの激痛に男は座り込んだ。

 神経が悲鳴を上げている。

(あなたの……める…『真価ワース』…?)

 誰かがそんなことを言っていた。あれはそう遠くない記憶、そしてそれは女性の声だった…

 痛みは徐々に治まっていったので男に少しだけ余裕ができた。

 俺が…ここに来る前に確か…

 瞬間、男は考えるのを止めた。

 何かの気配がする。

 眼前に大きな岩が見えたので音を立てずにそこにへばりつく。

 ずしり…ずしり

 何かが歩いている。

 その音からしてそれなりに大きい、人間のものではなさそうだ。

 何かから別の音がする。

 威嚇するような、低く、攻撃的な鳴き声だ。

 男は隠れながら音のする方に目を凝らす。

 何かが嗤うように蠢いていた。

 暗闇に消えるくらい先にソレはいた。体長は3mほど、白くうっすらと発光している人型、しかしソレは人間とは思えないおどろおどろしい気配をしていた。

 音を立てたくは無かったが緊張でごくりと喉が鳴る、再び男は身を隠す…静かにして、視界から外れればこのまま通り過ぎるかも知れない。

 男はそう判断した。

 ずしり、ずしりと足音が大きくなる。

 グルルル

 やはりアレは鳴き声か、それと同時に空気を吐く音がする。

(頼むから…このまま通り過ぎてくれ)

 ソレは歩いてくる、これは…この岩の方?

 刹那ソレはその白く長い腕を思い切り振りかぶると岩を殴りつけた。

 岩は壊れはしなかったがかなりの衝撃が男を襲う。

 堪らず男は横に転がりだす。

 眼前に見えるのは白い魔物と呼べるような異形だった。

「ガァァァ」

 顔らしき部分のうち半分以上の大きさを占める口を開き吠えた白い魔物は腕を乱暴に男の方に振り回した!

 男は大きく飛んでそれをかわすと水音のした方へ一気に走り出した。

 白い魔物もそれを追ってきたが思った以上にその動きは遅かった。

 男は慌てながら走る、ほどなく前方に小さな川らしきものがあった。

(これを下れば外に出られるかもっ)

 男はそう期待したが、人が腰まで入れるような深さのその川はすぐに壁の中に消えており、そこを無理やり通るのは非常に危険そうだった。

 男は逡巡してから川に入る。

 流れはそうきつくないのでそのまま留まれる。

(あの白い魔物は…滅茶苦茶な動きだった、多分視力は退化してるのだろう…)

 男は肩まで水に浸かりながらそう分析する。

(だがさっきは明らかに俺の場所が分かっていた…おそらく聴覚か嗅覚が鋭い筈…ならここに居れば水音で紛れるし匂いもある程度は消せる)

 男は一度完全に水中に潜る。出来るだけ体臭を消すためだ。

 数秒後、ゆっくりと水面に浮上し白い魔物のいるのと反対側の岸へと上がる、水は体を縛るほど冷たかったので全身が自然と震えた。

(この水温だとやはり川に潜り続けるのは無理だな…まずは武器か)

 この状況で、白い魔物から完全に逃げられるとは男は思わなかった。

 先程は無理して走ったが、夜目も大して効かない自分と、確実に迫ってくる白い魔物では移動力が違うのだ。

 果たして、もう白い魔物の不気味な足音が分かるようになってきた。

 もう残された時間は少ない、近くに手ごろな石が無いか探すが、洞窟全体が大きな岩盤をくり抜いたような造りなのか、そのような物は落ちてはいなかった。

(考えろ…何か…何か手が…)

 その時、再び頭痛が襲った。

 先程よりは軽いので蹲るほどでは無かった。

(俺は…ひとつ…け…俺が求める…『剣』)

 剣、そうだ、俺は確かにあの時そう言った。

 男は少しだけ思い出した。

 水色の光が溢れる空間、まるで青空の中にいるようなそこで、ある女性と話していたこと…

 不思議な雰囲気を持ったその女性は俺に何かを…力を…

 ずしりと川向うで音がする。

 男は静かに上流へと向かった、用心深く白い魔物を見据えながら。

 やはり白い魔物は目が見えないのかこちらを見てはいなかった、そもそも目があるかも確認できなかった。

 しかし、スンスンと顔を上下に動かしている…あれは匂いを追っているのか?

 男は急いで上流へと歩く、がその先にあったものに男は驚き、そして絶望した。

 川は下流と同じく壁へと消えていた。

 大きな部屋のような空間、壁には苔だろうか、微かに発光していて、部屋全体が見える、久しぶりの明るい空間…

 しかし見えるからこそ分かった、ここは岩壁で囲まれた…

 完全に行き止まりだという事実を。

 ゆっくりとだが、白い魔物は確実にこちらに向かっている。

 水に浸かった寒さと魔物への恐怖で体が大きく震える。

(だが…迎え撃つならこの明るい空間は寧ろ好都合)

 恐れに負けてはいけない…男は考え続けた。

 今はそれだけが男の武器だったからだ。

 部屋の中央に男は移動した。深く息を吸い、体の調子を整える…

 緊張と恐怖で狂いそうになる体と心を制御するために息を吐く。

(こんな所で…何も分からないままで…死んでたまるかっ)

 両手を前に突き出す、自然とそこに構えが出来る。腰を落とし、地面に根を張るように足をつける。

 自分の心臓の音が痛いくらいに分かる。

 それでも不思議な高揚感もまた湧き上がるのを感じた。

 ずしり、部屋の入口に白い魔物が足を踏み入れた。

 途端、白い魔物は首を振ると左右に体を捩じった。

 まだ、間合いではない。

「…お前なんかに、負けないぞーーーーっ!!」

 気合を入れるために男は大きく叫んだ、しかし白い魔物は怯む様子もなく激しく向かってきた。

 男は大きく横に飛んでその一撃から逃げる。

 素手では敵いそうにない、だったら必要なのは…

「俺の剣よっ、来い!」

 高らかに大声を上げながら男は祈る、あの時の記憶が本当だったなら、自分が心から望んだならきっと力は…

 その瞬間、幸運は男を見捨ててはいなかった。

 男の眼前に蒼い光が浮かぶ、そこには『剣』という文字があった。

 続いて男の手にそれは近付く、男は右手で大きく『剣』を掴むとそこには何かの感触があった。

「おおおおおおおおっ」

 抜き出したその手には、刃渡り50cm程の光り輝く剣があった。

 白い魔物はその剣に少しだけ怯んだように見えたが、体勢を変えすぐに向かってきた。

 襲い掛かってきた白い魔物にそのまま横薙ぎに剣を払う、しかしそれは長い爪に弾かれた、近くのものは見えるのか咄嗟の本能なのか。

 ぶつかった勢いを利用して男は大きく間合いを取ると背後に回るように壁沿いを走った。

 白い魔物はそれだけで一瞬男を見失ったようで動きを止める。

(大声を出しても怯まなかったが、苔の光や俺の剣には反応していた)

 ならばと背後から再び間合いに入ろうと近付く。

 白い魔物は即座に振り返る。

「ガァァァァ!」

 怒りの声を上げて食らいつこうと突進してくる。

 男は左手で目を護りながら叫んだ。

「…さらに光れっ アンファング!」

 刹那、剣から眩い光が溢れだした、白い魔物は焼けるように暴れだし両手で顔らしきものを覆った。

「今だっ」

 男は無防備になった胴の部分に渾身の一撃を打ち込み、走り抜けた。

 白い魔物の体は完全に両断されていた。

 断末摩の声を上げ、白い魔物は消滅した、まるで最初から存在しなかったかのような光景だった。

 男は安堵して座り込む、もう心身ともに消耗しきっていたがまずは

「ありがとうな、アンファング」

 先程とっさに名付けた愛剣に礼を言ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る