アカネの嫁入り

 それから――フクジとアカネの距離が縮まっていくまでのことは、言わずともわかることであろう。あのバーで約束通り、強い酒を選んで飲んだアカネは、フクジに抱き着いてこう言ったのだ。

「あーあ。フクちゃんがあたしの恋人だったらいいのになぁー」

「ちょ、アカネ!」

「やさしいしー、羽振りもいいしー、話も面白いしー、男らしくって〜」

「あらまぁ」

 薄衣の嬢に抱き着かれたフクジはあわてて、極楽鳥のような衣装の主人に助けを求める。

「ちょっとママ!これはちょっといけないよ、だめだよ」

「サービスかそうじゃないかくらいわかるわよん、あたしも」

 ママは太い腕を組んで、ニマニマと笑った。つられてアカネも笑った。

「えへへ」

「でもねアカネちゃん。ここ、仕事場よん」

「はあい」

 一気に飲み干したアルコールのためか、頬を真っ赤にしたアカネは、フクジから体を離してにこにこ笑った。つくづく、垂れた目に笑顔の愛らしい女であった。


 フクジは漁に出かけるたびに、バーに通った。そして仕事をする中で起こった面白い話を皆に聞かせた。大きな魚と対決した時の話。息子二人と3人がかりでその宇宙魚をふねの上に引っ張り上げた話。

 気づけばアカネは隣まで来て、うんうんと頷いていた。フクジは気をよくして、アカネにこう聞いた。

「お前も海の女だったんだろ」

「そぉね。……おとうちゃんは宇宙の海嘯かいしょうに。おかあちゃんはエリアごと居なくなっちゃったけど……」

 しまった、とフクジは思った。泣くだろうかとオロオロするフクジを見て、アカネはにぱっと笑った。

「海の匂いは嫌いじゃないよ。家の匂いだよ」



 ……ともかく、それは「アフター」という言葉の似合わない逢瀬だった。

 ホテルに誘ったのはアカネの方だった。

「おまえ、自分のこと大事にしろよ」

「フクちゃんがいいの」

 けばけばしいラブホテルの装飾の前で、アカネが小石を蹴った。

「フクちゃんのこと、特別なの。ここまで言う女を家に帰すつもり」

 ……そこまで言われちゃ、男が廃る。

「わかったよ、わかった。あー、……息子に連絡だけさせてくれ」

 アカネはそっとフクジの腕に細い指を絡めた。

 それは──失くした者同士の慰めあいにも似ていたし、失ったものをお互い同士の間に探し求めるような恋だった。

 アカネはホテルで「こう見えて三十は過ぎてるの」と明かした。

「子どもっぽいでしょう。みんなに言われる」

「童顔だとは思うが、……」

 アカネはいた。フクジはそれ以上何も言わずに、彼女の腰を抱いた。


 逢瀬は長く続いた。アカネはいつも漁から帰るフクジをバーで待っていて、フクジが一杯の酒を飲み干すのを待っていて……そうしてふたりで、ホテルへと向かった。

「やけっぱちになってるのかい」

「そんなことないよ」

 アカネの体はどこもかしこも真っ白だった。だから、目に差した紅と、上気する頬だけが赤かった。

「フクちゃんだからこうしてあげたいだけなの……」

 フクジはそんなアカネの背を撫でて、亡くした妻とそう変わらない歳の女にささやいた。

「お前、家族いないんだろう」

「うん」

「どうする、家族になるか」

「……」

 決定的な言葉を、アカネは言わなかった。決して言わなかった。

「どうしようかなぁ。フクちゃんに幻滅されたくないなぁ、あたし」

「幻滅なんかするものかよ」

「ほんとに?」

 アカネは長く息を吐いた。

「ほんとうの、ほんとに?幻滅しない?あたしの何を見ても幻滅しない?」

「しねえよ」

 フクジは彼女の乱れた髪を撫でた。

「するもんかよ。お前のほんとの心の底は、一番最初に見ちまったろうが」

 アカネはきょとんとして、それからふっと息をいた。

「……そっか。そうだよね。大喧嘩は最初にやっちゃったか」

 アカネは、力なく笑った。

「じゃあ、嫁入り、しよかな。フクちゃんとこに」

 アカネのそれは、錨を下ろすふねに似ていた。彷徨さまよう小舟がようやく港を見つけたような──フクジには、そんなふうに思われた。

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